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第二章 近づく距離と彼女の秘密
6-2 ささやきに耳を傾けて
しおりを挟む校庭から、しばらくぶりに運動部の掛け声が聞こえてくる。
用のない生徒はとっくに帰ったらしく、正門の横にある駐輪場には誰もいなかった。
まばらに停まっている自転車の中から、蝶梨は自身の赤い自転車へと近付き、鍵を差し込む。
それを少し離れたところから眺める汰一は……ドキドキと鼓動を高ぶらせていた。
自分と彼女の二人。
しかし、自転車は一台。
それに乗るということは……
彼女と『二人乗り』をするということで、間違いないよな?
ごくっと喉を鳴らし、手に汗を滲ませる。
当然、自分が運転することになるわけだから、彼女に怪我をさせないように、という緊張もあったが……
それ以上に、『自転車の二人乗り』という青春ど真ん中なシチュエーションと、彼女に後ろから密着されるであろう状況を想像しただけで、脳が沸騰しそうだった。
落ち着け。意識しすぎると、それこそ運転に支障をきたす。
まずは安全第一に走ることだけを考えるんだ。平常心、平常心……
そう自分に言い聞かせながら深呼吸をして、はぁーっと息を吐いてから瞼を開ける……と。
「……ん?」
ふと、一台の自転車に目が留まる。
シルバーの塗装に、歪んだ前かご。剥がれかけたゲームキャラクターのシール。
それは、中学時代から幾度となく目にしてきた……忠克の自転車だった。
忠克は、だいぶ前に帰ったはずだ。
それなのにどうして自転車が残っているのか、汰一は疑問に思う。
そういえば、あの雨の日も──屋上で蛭のような"厄"と戦った時も、帰ったはずのあいつが階段を降りて行くのを見かけた。
帰るふりをして、まだ学校内にいるのだろうか?
しかし、なんのために……?
首を傾げ、その理由を考えようとする……が、それはすぐに中断された。
自転車を押した蝶梨が、「お待たせ」と目の前に現れたのだ。
再び、汰一は『二人乗り』の重圧に身体を強張らせて、
「お、おう。裏門から出ようか。俺、自転車押すよ」
と、彼女と交代するように自転車のハンドルを握った。
──自転車を押しながら、汰一は蝶梨と共に人通りの少ない裏門から校舎を出た。
さすがに学校を出てすぐに二人乗りするわけにはいかない。教師や知り合いに見られては厄介だ。
かと言って、ずっと歩き続けるのも大変な距離なので……汰一は二人乗りを切り出すタイミングを見計らい、ますます緊張を高めていた。
静かな住宅街に響く二人の足音と、カラカラと空回る自転車の音。
緊張に沈黙が重なるとさらに息苦しく感じられ、汰一は無理矢理話題を振ることにする。
「自転車がないこと、頭からすっかり抜けていたから助かったよ。この距離を苗抱えたまま歩いて帰るのは現実的じゃないからな」
「お役に立ててよかった。花壇のお花、いつも刈磨くんが買いに行っていたんだね」
「あぁ。委員会を担当している先生から会費を預かって、月一くらいで買いに行っている」
「さっき言ってたたい焼き屋さんにも、よく行くの?」
「花を買うついでに、たまにな。季節ごとに限定の味を出しているから、見かけるとつい買ってしまうんだよ」
「わかる……私も『季節限定』に弱い。今しか食べられないと思うと、買わずにはいられなくて……」
「そうそう。今の季節は何味があるんだろうな? 楽しみだ」
とりあえず沈黙を回避することには成功し、汰一は安堵する。
しかし、ここからどうやって自転車に乗ることを切り出そうか……
と、汰一が考え始めた、その時。
「…………ねぇ。刈磨くんはさ……」
隣を歩く蝶梨が、ごくっと喉を鳴らし、
「その……たい焼きを、どこから齧るタイプ? 頭? 尻尾? それともお腹……?」
……と。
頬を上気させ、ハァハァと息を荒らげながら、そんなことを尋ねてくるので……
汰一は、思わず固まる。
これは……もしかして、いつものあの反応か?
何故このタイミングで……何がトリガーになった?
わからない……わからないが、とりあえず質問の答えを返さなければ。
「えっと、俺は……」
困惑しながらも、汰一が口を開くと……
その瞬間、蝶梨がバッ! と手のひらを向け、それを制止する。
「待って! やっぱり後の楽しみに取っておく」
「た、楽しみ?」
「うん。実際に見て答え合わせしたいから。あぁ、楽しみだなぁ……大丈夫かな、売り切れたりしないかな、たい焼き。せめて一つだけでも買えれば、刈磨くんに食べてもらえるよね……」
「いや、俺は彩岐に食べてほしいんだが……」
支離滅裂なことをブツブツ呟き続ける蝶梨を、汰一は不思議そうに見つめる。
が、とにかく『売り切れる前に買いたい』という気持ちだけは汲み取ることができたので……困惑しつつも、それを利用することにする。
「売り切れないか心配なら……そろそろ自転車に乗るか? 学校からもだいぶ離れたし」
緊張を隠しながら、さらりとした口調に努め、言う。
そのまま押していた自転車に跨り、蝶梨の方を振り返りながら、
「こうして押さえておくから、後ろに乗ってくれ」
そう促した。
我ながら自然な誘い文句で二人乗りを切り出すことができたと、汰一は自画自賛する。
二人乗りは彼女の方から言い出したことだし、早くたい焼き屋に行きたいのならすぐに乗ってくれるだろう。その方が、こちらも変に構えずに済む。
そう、思っていたのだが……
「う……うん。それじゃあ…………」
そう言って、蝶梨は後ろの荷台部分に座ろうと近付く…………が。
「…………やっぱり、私が漕ぐ!」
突然、そんなことを叫んだ。
思わず汰一が「えっ?」と聞き返すと、蝶梨は顔を真っ赤にし、取り乱した様子でこう続ける。
「やっぱり私が漕ぐよ! これ、私の自転車だし!」
「それはそうだけど……さすがにそんなことさせるわけにはいかないよ」
「で、でも、妹と乗る時はいつも私が漕いでるし……」
「それは妹だからな」
「刈磨くん、骨折してるし!」
「とっくに治っている」
「……私、きっと重いし!」
「それはない」
「うぅ…………やっぱり申し訳ないから、私走るよ! 刈磨くんは自転車に乗って!!」
「それこそ、これは彩岐の自転車だろ? なら、俺が走るべきだ」
「でも……でも……」
おろおろと、次の言い訳を探す蝶梨。
どうやら、いざ『二人乗り』という場面を前にした途端に緊張が押し寄せたらしい。
これも"クールで頼れる彩岐蝶梨"を演じてきた弊害なのだろうか。頼るのが苦手というか、甘え下手というか……
汰一は一度自転車から降り、狼狽える蝶梨の正面に立つと、
「『男だから、女だから』と決めつけるのは好きじゃないが、この件に関しては明らかな筋力差から男である俺が漕ぐべきだと断言する」
そう、真っ直ぐに言う。
それでも蝶梨は「でも……」と言いかけるので、
「前に言っただろ? 少しは頼ってくれって。さすがに彩岐よりは力あるんだから、俺に漕がせてくれよ。その方が、男としてのプライドも傷付かずに済む」
と、蝶梨が納得しやすい言葉を選びながら微笑みかける。
その言い方が効いたのか、彼女は申し訳なさそうに俯いて、
「…………重かったら、すぐに言ってね」
ほんのり頬を染めながら、そう言った。
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