67 / 76
最終章 迫る闇と誰かの幸福
8 祭りと浴衣
しおりを挟む──週末。
深水神社の夏祭り当日。
汰一は、待ち合わせをした駅で蝶梨を待っていた。
まだ夕方と呼ぶには早い時間だが、同じ祭りに向かうのか駅前には浴衣姿の人がちらほらと見受けられた。
その様子を見つめる汰一も、例に漏れず浴衣姿である。淡い藍色の着物に白の帯を巻き、どこか落ち着かない様子でそこに立っていた。
柴崎があんなことを言うので、家に唯一あった男物の浴衣を引っ張り出し着てきたわけだが……
肝心の蝶梨が浴衣で来るのか否か、完全に聞きそびれていたことにたった今気が付き、戦慄していた。
これで自分だけ浴衣だったらかなり気まずい。
どうしよう。約束した時間までまだ三十分くらいあるし、一度家に帰って普通の服に着替えてくるか……?
……と、一人冷や汗を流していると、
「汰一くん」
横から、名前を呼ぶ声。
間違いない。蝶梨だ。ゲームセンターの時同様、彼女もだいぶ早くに着いたようだ。
これで、着替えに帰る時間はなくなった。
彼女がどんな装いで来たのか、汰一が恐る恐るそちらに目を向けると……
瞬間、その目は大きく見開かれた。
白の生地に、ピンクと紫の桔梗柄をあしらった可愛らしい浴衣。
藤色の帯には飾り紐を結び、結い上げた髪には花の飾りが揺れている。
化粧をしているのだろうか、目尻がほんのりピンク色に染まっている。唇にも紅が塗られ、艶々と濡れたように光っていた。
そんな艶やかな浴衣姿にめかし込んだ蝶梨が、赤い鼻緒の下駄をカラコロと鳴らしながらこちらへ駆け寄って来るので……
汰一は口を開け、放心する。
「待たせちゃってごめんね。今日こそは汰一くんより先に来ようと思ったけど、思ったより着替えに時間がかかっちゃって……」
申し訳なさそうに言う彼女を、汰一はやはりぽかんとした顔で見つめ……
「…………美しい」
「えっ」
「俺は今、己の想像力がいかに浅薄で平凡なのかを痛感している。だって、こんなの……想像の二百倍は綺麗だ」
「た、汰一くん?!」
思ったことを全て口から垂れ流す汰一に、蝶梨は顔を赤らめ狼狽える。
「えぇと……似合ってる、かな?」
「似合っているなんてモンじゃない。俺は浴衣フェチではないが、それに目覚めてしまいそうな程この浴衣姿は魅力的すぎる」
「あ、ありがとう……今日のために新しく買った浴衣なんだ。こんな可愛い色合いのなんて似合うか不安だったけど……そう言ってもらえて嬉しい」
確かに普段のクールな彼女しか知らない者が見れば、このピンクを基調にした浴衣姿は意外に思うかもしれない。
しかし汰一にとっては、もはや蝶梨にクールキャラのイメージはない。
だから彼は、彼女の姿を今一度上から下までじっくり眺め、言う。
「清純さを表す純白の生地に、奥ゆかしい紫と可愛らしいピンクの花柄……これ以上ないくらい、蝶梨にぴったりの浴衣だ」
「ほ、ほんと?」
「あぁ。先に来て本当に良かった。こんな浴衣美人を一人で立たせていたら、交際を申し込む男たちが列を成して集まっていただろう」
「うぅ……汰一くんて、褒めてくれる時いつも真剣な顔で話すよね」
「真剣にそう思っているのだから、そういう顔になるのは当然だろう」
「嬉しいけど……そんなに真っ直ぐに言われると、なんだか恥ずかしいよ」
「恥ずかしがることはない。むしろこんなに綺麗な蝶梨の隣を歩くだなんて、分不相応で……恥ずかしいのは俺の方だ」
「そんなことない。汰一くんの浴衣姿もかっこいいよ? すごく似合ってて……今も声かける前にしばらくこっそり眺めていたんだから」
「……え?」
思わず聞き返すと、蝶梨は顔を覗き込み、
「……えへへ。約束もしていないのに、二人して浴衣で来ちゃったね。浴衣デート、嬉しいな」
そう、照れながら笑った。
その笑顔に胸が高鳴るのを禁じ得ず、汰一はぐっと呼吸を止め……
込み上げる愛しさを吐き出すように、ゆっくりと呼吸を再開し、
「……うん、俺も嬉しい。下駄、疲れるだろうから、ゆっくり歩いて行こうな」
そう、優しく微笑んだ。
* * * *
電車で三駅移動し、二人は深水神社の最寄り駅に降り立った。
汰一の事前の調べによれば、駅から歩いて十分くらいの所にその神社はあるらしい。
初めて行く場所なので、汰一はスマホで地図を見ながら向かうつもりでいたのだが、その必要はなさそうだった。
何故なら駅前の大通りが祭りのために歩行者天国になっており、神社へ向かう道に沿って紙垂や提灯がぶら下がっていたため、祭り会場がどこなのか地図を見るまでもなくわかってしまったからだ。
まだ全貌は見えていないが、相当大きな祭りであることが伺える。
ご本尊はふわふわ浮ついたチャラ男だというのに、随分と地に足のついた祭りを催してもらっているものだ……
などと内心悪態をつきながら、汰一は蝶梨と共に神社を目指した。
──神社に近付くにつれ、祭り囃子の音と美味しそうな匂いが漂って来た。
大きな鳥居が見えたかと思えば、その先に続く参道の両端に様々な出店が立ち並び、多くの人で賑わっている。
焼きそばやお好み焼きの香ばしい匂い。
りんご飴やチョコバナナの目にも楽しい色合い。
射的や金魚掬いに賑わう声。
祭り囃子が響く中、綿あめや水風船を手に子どもたちが楽しそうに駆け回っている。
そんな祭りらしい雰囲気に汰一と蝶梨は思わず足を止め、辺りを見回した。
「わぁ、すごく賑やかだね」
「だな。人も出店も思ったより多くて、びっくりだ」
これがあのチャラ男のための祭りだと思うとやはり釈然としない部分があるが、楽しそうな出店の数々に、汰一は心躍らずにはいられなかった。
「ずっと奥まで店が続いているみたいだ。どんなのがあるか見てみようぜ」
そう言って、汰一が歩き出そうとした……その時。
──ちょん。
……と。
蝶梨が、汰一の浴衣の裾を摘まんだ。
汰一が足を止め振り返ると……蝶梨はほんのり頬を染め、
「は、はぐれちゃいそうだから…………手、繋いでもいい?」
そう、遠慮がちに言った。
その上目遣いに胸が『ズキュンッ!』と射抜かれるのを感じ、汰一はぷるぷると震える。
「……いいに決まってる」
「え?」
「いっそ抱きしめながら歩いていいか? 絶対に離れないように」
「そっ、それはさすがに歩きづらいんじゃないかな?!」
「そうか、確かにな……じゃあ」
すっ、と。
汰一は手を差し出し、
「……手を、繋ごう」
鼓動を高ぶらせながら、言った。
それに蝶梨も、緊張した面持ちでおずおずと汰一の手に細い指を絡めてきた。
華奢で滑らかなその感触に、汰一の鼓動はさらに高ぶる。
手を繋いで、浴衣で、夏祭りデート。
そんな夢のようなシチュエーションに、今更ながら頭がのぼせそうだった。
デートは始まったばかり。これから、彼女といろんな出店を見て回る。
それを純粋に楽しみに思う一方で、やがて手を離す瞬間が来ることを考えると、寂しくなる。
この時間が、ずっと終わらなければいいのに。
そんな叶わぬ願いを頭に過らせながら、汰一は蝶梨の手をぎゅっと握った。
「……さて、どこから回ろうか。蝶梨、行きたい店はあるか?」
そう尋ねると、緊張気味な表情から一変、彼女はきらんっと目を光らせ、
「射的! あと型抜きも見たいし、金魚掬いも見たいし、くまさんのベビーカステラ食べてるところも見せてほしい!」
……などと、店を指さしながら捲し立てるように答える。
汰一は全てを悟り、期待にきらめく彼女の瞳をじっと見つめ……
「……蝶梨。さてはまたハァハァするつもりだな?」
「はぅっ! だ、だってせっかくのお祭だし、こういう時でしか見られない汰一くんのかっこいい殺し様を目に焼き付けたいなぁ、って……」
『かっこいい殺し様』とは。
思わずツッコみそうになるが、蝶梨の物欲しそうな上目遣いを前にしては全てが肯定へと変わる。
もちろん、お祭りでかっこいいところを見せるのは吝かではない。
が、一つ問題なのは……
こんなに大勢の人がいる中で蝶梨をハァハァさせるわけにいかない、ということだ。
「……わかった。ただし、条件がある」
汰一は、前方にある出店をビシッと指さし、
「まず、あそこでお面を買おう。ハァハァしそうになったら、それで顔を隠すんだ」
「か、隠す?」
「そうだ。蝶梨のあんな表情、他のやつには見せたくないからな。ほら、いろいろあるぞ。どれがいい?」
早速蝶梨の手を引いて、お面屋の前へ連れて行く。
誰もが知る国民的アニメのキャラクターや、最近人気の少年漫画のキャラクター、ファンシーな動物のキャラクターなど、様々なお面が並んでいる。
その中で、
「……あ」
「あっ!!」
汰一と蝶梨は、端の方に飾られた一つに目を止め、同時に声を上げる。
そこにあったのは……
「ぶ……『ぶたぬきもち』のお面だ!!」
そう。蝶梨の大のお気に入り、タヌキの着ぐるみを着たアンニュイな表情のブタのキャラクター『ぶたぬきもち』のお面が、提灯に照らされ燦然と輝いていた。
「汰一くんっ! 私、これにするよ!!」
指をさし、子どものようにはしゃぐ蝶梨。
しかし汰一は……
……こんなマイナーなキャラクターのお面が、わざわざここで売られているなんて……
ガチャガチャが下校途中のコンビニに設置されていたことといい、神々が蝶梨に対して忖度している気がしてならない……
……などと、裏事情を知っているからこその勘繰りをしてしまい、目を細める。
いや、もしかすると本当にこのキャラの人気が上昇していて、目につく機会が増えているだけかもしれない。
何にせよ、蝶梨が嬉しそうだから、それでいいか。
彼女の笑顔につられるように笑うと、汰一はそのお面を購入し、彼女に渡した。
「ほい。我慢できなくなったらこれを着けること。いいな」
「ありがとう。ごめんね、買ってもらっちゃって」
「俺が言い出したことだから、買うのは当たり前だ。ちなみに顔は隠せても声は漏れるんだから、極力我慢な?」
「う゛っ……はぁい」
汰一に指摘され、蝶梨は恥ずかしそうにお面で口元を隠した。
その仕草すらも可愛くて、汰一は困ったように笑いながら、
「……そんじゃ、まずは射的から回るか」
再び蝶梨の手を握り、賑やかな祭りの中を歩き始めた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
失恋中なのに隣の幼馴染が僕をかまってきてウザいんですけど?
さいとう みさき
青春
雄太(ゆうた)は勇気を振り絞ってその思いを彼女に告げる。
しかしあっさりと玉砕。
クールビューティーで知られる彼女は皆が憧れる存在だった。
しかしそんな雄太が落ち込んでいる所を、幼馴染たちが寄ってたかってからかってくる。
そんな幼馴染の三大女神と呼ばれる彼女たちに今日も翻弄される雄太だったのだが……
病み上がりなんで、こんなのです。
プロット無し、山なし、谷なし、落ちもなしです。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される
けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」
「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」
「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」
県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。
頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。
その名も『古羊姉妹』
本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。
――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。
そして『その日』は突然やってきた。
ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。
助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。
何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった!
――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。
そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ!
意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。
士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。
こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。
が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。
彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。
※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。
イラスト担当:さんさん
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる