氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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最終章 迫る闇と誰かの幸福

8 祭りと浴衣

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 ──週末。
 深水みすみ神社の夏祭り当日。

 汰一は、待ち合わせをした駅で蝶梨を待っていた。
 まだ夕方と呼ぶには早い時間だが、同じ祭りに向かうのか駅前には浴衣姿の人がちらほらと見受けられた。

 その様子を見つめる汰一も、例に漏れず浴衣姿である。淡い藍色の着物に白の帯を巻き、どこか落ち着かない様子でそこに立っていた。

 柴崎があんなことを言うので、家に唯一あった男物の浴衣を引っ張り出し着てきたわけだが……
 肝心の蝶梨が浴衣で来るのか否か、完全に聞きそびれていたことにたった今気が付き、戦慄していた。


 これで自分だけ浴衣だったらかなり気まずい。
 どうしよう。約束した時間までまだ三十分くらいあるし、一度家に帰って普通の服に着替えてくるか……?


 ……と、一人冷や汗を流していると、


「汰一くん」


 横から、名前を呼ぶ声。
 間違いない。蝶梨だ。ゲームセンターの時同様、彼女もだいぶ早くに着いたようだ。

 これで、着替えに帰る時間はなくなった。
 彼女がどんな装いで来たのか、汰一が恐る恐るそちらに目を向けると……

 瞬間、その目は大きく見開かれた。


 白の生地に、ピンクと紫の桔梗柄をあしらった可愛らしい浴衣。
 藤色の帯には飾り紐を結び、結い上げた髪には花の飾りが揺れている。
 化粧をしているのだろうか、目尻がほんのりピンク色に染まっている。唇にも紅が塗られ、艶々と濡れたように光っていた。

 そんなあでやかな浴衣姿にめかし込んだ蝶梨が、赤い鼻緒の下駄をカラコロと鳴らしながらこちらへ駆け寄って来るので……
 汰一は口を開け、放心する。


「待たせちゃってごめんね。今日こそは汰一くんより先に来ようと思ったけど、思ったより着替えに時間がかかっちゃって……」


 申し訳なさそうに言う彼女を、汰一はやはりぽかんとした顔で見つめ……


「…………美しい」
「えっ」
「俺は今、己の想像力がいかに浅薄せんぱくで平凡なのかを痛感している。だって、こんなの……想像の二百倍は綺麗だ」
「た、汰一くん?!」


 思ったことを全て口から垂れ流す汰一に、蝶梨は顔を赤らめ狼狽える。


「えぇと……似合ってる、かな?」
「似合っているなんてモンじゃない。俺は浴衣フェチではないが、それに目覚めてしまいそうな程この浴衣姿は魅力的すぎる」
「あ、ありがとう……今日のために新しく買った浴衣なんだ。こんな可愛い色合いのなんて似合うか不安だったけど……そう言ってもらえて嬉しい」


 確かに普段のクールな彼女しか知らない者が見れば、このピンクを基調にした浴衣姿は意外に思うかもしれない。
 しかし汰一にとっては、もはや蝶梨にクールキャラのイメージはない。
 だから彼は、彼女の姿を今一度上から下までじっくり眺め、言う。


「清純さを表す純白の生地に、奥ゆかしい紫と可愛らしいピンクの花柄……これ以上ないくらい、蝶梨にぴったりの浴衣だ」
「ほ、ほんと?」
「あぁ。先に来て本当に良かった。こんな浴衣美人を一人で立たせていたら、交際を申し込む男たちが列を成して集まっていただろう」
「うぅ……汰一くんて、褒めてくれる時いつも真剣な顔で話すよね」
「真剣にそう思っているのだから、そういう顔になるのは当然だろう」
「嬉しいけど……そんなに真っ直ぐに言われると、なんだか恥ずかしいよ」
「恥ずかしがることはない。むしろこんなに綺麗な蝶梨の隣を歩くだなんて、分不相応で……恥ずかしいのは俺の方だ」
「そんなことない。汰一くんの浴衣姿もかっこいいよ? すごく似合ってて……今も声かける前にしばらくこっそり眺めていたんだから」
「……え?」


 思わず聞き返すと、蝶梨は顔を覗き込み、



「……えへへ。約束もしていないのに、二人して浴衣で来ちゃったね。浴衣デート、嬉しいな」



 そう、照れながら笑った。
 その笑顔に胸が高鳴るのを禁じ得ず、汰一はぐっと呼吸を止め……
 込み上げる愛しさを吐き出すように、ゆっくりと呼吸を再開し、


「……うん、俺も嬉しい。下駄、疲れるだろうから、ゆっくり歩いて行こうな」


 そう、優しく微笑んだ。





 * * * *





 電車で三駅移動し、二人は深水みすみ神社の最寄り駅に降り立った。
 汰一の事前の調べによれば、駅から歩いて十分くらいの所にその神社はあるらしい。

 初めて行く場所なので、汰一はスマホで地図を見ながら向かうつもりでいたのだが、その必要はなさそうだった。
 何故なら駅前の大通りが祭りのために歩行者天国になっており、神社へ向かう道に沿って紙垂しでや提灯がぶら下がっていたため、祭り会場がどこなのか地図を見るまでもなくわかってしまったからだ。
 まだ全貌は見えていないが、相当大きな祭りであることが伺える。


 ご本尊はふわふわ浮ついたチャラ男だというのに、随分と地に足のついた祭りを催してもらっているものだ……


 などと内心悪態をつきながら、汰一は蝶梨と共に神社を目指した。




 ──神社に近付くにつれ、祭り囃子の音と美味しそうな匂いが漂って来た。
 大きな鳥居が見えたかと思えば、その先に続く参道の両端に様々な出店が立ち並び、多くの人で賑わっている。

 焼きそばやお好み焼きの香ばしい匂い。
 りんご飴やチョコバナナの目にも楽しい色合い。
 射的や金魚掬いに賑わう声。
 祭り囃子が響く中、綿あめや水風船を手に子どもたちが楽しそうに駆け回っている。

 そんな祭りらしい雰囲気に汰一と蝶梨は思わず足を止め、辺りを見回した。


「わぁ、すごく賑やかだね」
「だな。人も出店も思ったより多くて、びっくりだ」


 これがあのチャラ男のための祭りだと思うとやはり釈然としない部分があるが、楽しそうな出店の数々に、汰一は心躍らずにはいられなかった。


「ずっと奥まで店が続いているみたいだ。どんなのがあるか見てみようぜ」


 そう言って、汰一が歩き出そうとした……その時。

 ──ちょん。

 ……と。
 蝶梨が、汰一の浴衣の裾を摘まんだ。
 汰一が足を止め振り返ると……蝶梨はほんのり頬を染め、



「は、はぐれちゃいそうだから…………手、繋いでもいい?」



 そう、遠慮がちに言った。
 その上目遣いに胸が『ズキュンッ!』と射抜かれるのを感じ、汰一はぷるぷると震える。


「……いいに決まってる」
「え?」
「いっそ抱きしめながら歩いていいか? 絶対に離れないように」
「そっ、それはさすがに歩きづらいんじゃないかな?!」
「そうか、確かにな……じゃあ」


 すっ、と。
 汰一は手を差し出し、


「……手を、繋ごう」


 鼓動を高ぶらせながら、言った。
 それに蝶梨も、緊張した面持ちでおずおずと汰一の手に細い指を絡めてきた。
 華奢で滑らかなその感触に、汰一の鼓動はさらに高ぶる。


 手を繋いで、浴衣で、夏祭りデート。

 そんな夢のようなシチュエーションに、今更ながら頭がのぼせそうだった。
 デートは始まったばかり。これから、彼女といろんな出店を見て回る。
 それを純粋に楽しみに思う一方で、やがて手を離す瞬間ときが来ることを考えると、寂しくなる。

 この時間が、ずっと終わらなければいいのに。

 そんな叶わぬ願いを頭によぎらせながら、汰一は蝶梨の手をぎゅっと握った。



「……さて、どこから回ろうか。蝶梨、行きたい店はあるか?」


 そう尋ねると、緊張気味な表情から一変、彼女はきらんっと目を光らせ、


「射的! あと型抜きも見たいし、金魚掬いも見たいし、くまさんのベビーカステラ食べてるところも見せてほしい!」


 ……などと、店を指さしながら捲し立てるように答える。
 汰一は全てを悟り、期待にきらめく彼女の瞳をじっと見つめ……


「……蝶梨。さてはまたハァハァするつもりだな?」
「はぅっ! だ、だってせっかくのお祭だし、こういう時でしか見られない汰一くんのかっこいいを目に焼き付けたいなぁ、って……」


『かっこいい』とは。

 思わずツッコみそうになるが、蝶梨の物欲しそうな上目遣いを前にしては全てが肯定へと変わる。
 もちろん、お祭りでかっこいいところを見せるのはやぶさかではない。
 が、一つ問題なのは……

 こんなに大勢の人がいる中で蝶梨をハァハァさせるわけにいかない、ということだ。



「……わかった。ただし、条件がある」


 汰一は、前方にある出店をビシッと指さし、


「まず、あそこでお面を買おう。ハァハァしそうになったら、それで顔を隠すんだ」
「か、隠す?」
「そうだ。蝶梨のあんな表情、他のやつには見せたくないからな。ほら、いろいろあるぞ。どれがいい?」


 早速蝶梨の手を引いて、お面屋の前へ連れて行く。
 誰もが知る国民的アニメのキャラクターや、最近人気の少年漫画のキャラクター、ファンシーな動物のキャラクターなど、様々なお面が並んでいる。
 その中で、


「……あ」
「あっ!!」


 汰一と蝶梨は、端の方に飾られた一つに目を止め、同時に声を上げる。
 そこにあったのは……


「ぶ……『ぶたぬきもち』のお面だ!!」


 そう。蝶梨の大のお気に入り、タヌキの着ぐるみを着たアンニュイな表情のブタのキャラクター『ぶたぬきもち』のお面が、提灯に照らされ燦然と輝いていた。


「汰一くんっ! 私、これにするよ!!」


 指をさし、子どものようにはしゃぐ蝶梨。
 しかし汰一は……

 ……こんなマイナーなキャラクターのお面が、わざわざここで売られているなんて……
 ガチャガチャが下校途中のコンビニに設置されていたことといい、神々が蝶梨エンシに対して忖度している気がしてならない……

 ……などと、裏事情を知っているからこその勘繰りをしてしまい、目を細める。


 いや、もしかすると本当にこのキャラの人気が上昇していて、目につく機会が増えているだけかもしれない。
 何にせよ、蝶梨が嬉しそうだから、それでいいか。


 彼女の笑顔につられるように笑うと、汰一はそのお面を購入し、彼女に渡した。


「ほい。我慢できなくなったらこれを着けること。いいな」
「ありがとう。ごめんね、買ってもらっちゃって」
「俺が言い出したことだから、買うのは当たり前だ。ちなみに顔は隠せても声は漏れるんだから、極力我慢な?」
「う゛っ……はぁい」


 汰一に指摘され、蝶梨は恥ずかしそうにお面で口元を隠した。
 その仕草すらも可愛くて、汰一は困ったように笑いながら、


「……そんじゃ、まずは射的から回るか」


 再び蝶梨の手を握り、賑やかな祭りの中を歩き始めた。

 
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