氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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最終章 迫る闇と誰かの幸福

15 先輩と後輩

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 数日後。
 一学期の、最終登校日。


 七月も、もう下旬だ。
 終業式と成績表返却を終え、昼を過ぎた頃には、校舎内に漂う暑さもピークを迎えた。

 げんなりしながら炎天下の部活へ向かう者。夏休みの予定を語り楽しそうに帰宅する者。それぞれが二年E組の教室を出て行く。

 祭りの日以来、忠克は開き直って教室に居残っていた。今日も結衣の部活が終わるのを待つのだろう、汰一に「夏バテすんなよ」とだけ告げると、自席に座ってスマホゲームを始めた。

 蝶梨は、夏休み前最後の生徒会に向かった。二学期に入れば文化祭が待っている。夏休み中も何度か集まり、準備をするそうだ。


 明日から、夏休み。
 汰一は包帯の外れた腕を伸ばし、窓の外を仰ぐ。
 そして……


「……よし」


 少し気持ちを引き締め、自分が向かうべき場所へと歩き出した。






 ──昼下がりの中庭は、想像以上の暑さだった。
 ジリジリと肌を焼く日差し。水を撒けば一瞬で蒸発するであろうことが容易に想像できるような、灼熱地獄だ。

 その中で、ヒマワリや日々草にちにちそう、マリーゴールドやストレプトカーパスが元気に咲き誇り、夏の日差しをいっぱいに浴びていた。

 きちんと手入れをしてやれば、それに応えるように美しい花を咲かせる。
 やはり汰一は、この達成感が好きだった。

 しかし……
 花の周りには、青々とした雑草も生え始めていた。
 連日の晴天で一気に増えたのだろう。夏は雑草との戦いの季節でもある。花を護るためには、こまめに抜かなければならない。

 そこに、汰一はいつもエゴを感じる。
 邪魔な雑草を引き抜き、都合の良い花だけを植え、大切に育てる。
 花のためではない。人間が見て楽しむために、命を取捨選択しているのだ。
 まるで……神にでもなったよう。

 このエゴな行為に、恩恵を受けるものがいるとするならば……
 何も知らずに蜜を求める美しい蝶、だろうか。


 と、汰一は花壇に舞い降りたアゲハ蝶を見上げる。
 極彩色に輝くその羽に、暑さを忘れ目を奪われていると、



「──あ、刈磨先輩」



 背後から、声がした。

 聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。
 この花壇で、幾度となく聞いた声。
 自分が、知らず知らずの内に傷付けていた、少女の声。

 汰一は意を決し、振り返る。
 そして……
 そこにいた未亜に、いつものように返す。


「……おう、裏坂。そうか、今日当番の日か」


 声が、微かに震えた。
 目の前の未亜に、あの日浴衣姿で泣きじゃくっていた"付喪神"が重なる。
 しかし未亜は、つんと唇を尖らせて、


「そうですよ。先輩は一学期最後の日まで暇なんですね。未亜はこの後部活もあるので、ちょー忙しいです」


 ……と、普段と変わらない声音で答えた。
 汰一は何だか拍子抜けし、小さく笑う。


「草むしりしに来たんだろ? 手伝うよ。暑いからあまり無理しなくていいぞ」


 そう言って、花壇の傍にしゃがみ、雑草を抜き始めた。
 未亜も少し離れた場所にしゃがんで、同じく草をむしる。


「……今日は、彩岐先輩と一緒じゃないんですね」
「あ、あぁ。そうだな」
「うまくいったんですか?」


 ぶちっ。
 と、草を千切る音。
 こちらを見ずに尋ねる未亜を、汰一は緊張しながら見つめる。

 あの付喪神を生み出す程の悲しみを抱いたということは、汰一と蝶梨の関係については勘付いているはずだが……
 面と向かって投げかけられると、やはりあの日の付喪神の泣き顔が脳裏に蘇ってしまう。


「……うん、付き合うことになった」


 そう答えるのは怖かったが、未亜の想いを知っているからこそ、嘘をつくべきではないと思った。
 汰一が見つめる中、未亜は……
「はぁ」と、深いため息をつく。


「やっぱり。そうなるんじゃないかなぁーって思っていたんです。よかったですね、おめでとうございます」


 言葉とは裏腹に、淡々とした声で言う未亜。
 返答に迷った汰一が咄嗟に「ありがとう」と返すと、未亜は俯いたまま続ける。




「わたし…………刈磨先輩のことが、好きでした」




 草をむしりながら、独り言のように紡がれた言葉。
 それに、汰一の呼吸が一瞬止まる。


「でも……本当に好きだったのか、今ではわからないんです。二人が付き合ったって聞いても、不思議と悲しいとか悔しいって思わない。なんでだろう……たくさん泣いて、吹っ切れたのかな」


 違う。それは……
 俺が、大事な想いを斬ってしまったから。

 口にはできないその言葉を、汰一は張り裂けそうな胸の内で呟く。

 何か言わなければ。
 しかし、何と言えば良い?
 きっと何を口にしても傷付けてしまう。
 でも、面と向かって気持ちを打ち明けてくれた彼女に、少しでも報いたい。

 どうすれば……どうすればいい?


 汰一が返す言葉を見つけられずにいると、未亜が再び口を開き……
 平坦な口調で、こんなことを言った。


「……実はわたし、昨日告白されたんですよ。野球部の一年生に」
「……えっ?」


 思わず聞き返すと、未亜は得意げな顔をして笑う。


「マネージャーとして一生懸命働いている姿に惹かれたんですって。あと、時々こうして花壇の手入れをしているのを見かけて、可愛いなって思ったらしいです。まったく可哀想なやつですよね。とりあえず返事は保留にしているんですけど」
「……え。何が可哀想なんだ?」
「だって、花壇にいるわたしを可愛いと思ったってことは、刈磨先輩に恋しているわたしを見て好きになったってことですよ? それって超気の毒じゃないですか」
「……俺の立場からは何とも言い難いな」
花壇ここでは相当""を出していたはずなんだけどなぁ。一体どこを見て『可愛い』と思ったんだろう? 不思議で仕方ありません」
「いや、その"素"を好きになったんじゃないのか?」
「えー、そんなことあり得ますかね? ほら、わたしって見てくれは可愛いけど中身はこんなじゃないですか。『見た目詐欺』なんて言われたこともあるんですよ? だから話し方や仕草を見た目に寄せて、本当の自分を隠して生きてきたんです」
「でも、俺の前では初めから"素"だったよな?」
「それは、先輩ごときの前では演じる必要もないかなーって思っていたので」
「ごときって」
「でもそれが、いつの間にか心地よくなって……気が付いたら、先輩のことが好きになっていました」


 未亜の言葉が、再び胸に突き刺さる。
 しかし動揺する汰一とは裏腹に、未亜は話せば話すほど表情が明るくなっていくようだった。


花壇ここで先輩と過ごす時間は、わたしにとって本当の自分に戻れる唯一の時間でした。でも、このままじゃいけないなって……いつかは先輩以外の人の前でも本当の自分をさらけ出せるようにならなきゃって、ずっと思っていたんです。だから……ちょうどよかったですよ、振ってもらえて」


 そう言って、吹っ切れたように笑う。


「正直、告白してきたあいつのことは何とも思っていないけど……本当のわたしを好きになってくれる人がいるなら、これからは少しずつ素を出してみようかなって思います。ちょっと、怖いですけどね」


 未亜は、野球部の練習の声が響くグラウンドを見つめる。
 その声の中に、彼女に告白した部員もいるのだろうか。
 未亜の表情はやはり淡々としていて、恋する少女のものとは程遠いが……
 何かを期待するような光が、その瞳には宿っていた。

 そして、未亜はその瞳を不敵に細め、


「……つまりわたしが言いたいのは、先輩が振った未亜ちゃんは引く手数多あまたなモテモテ美少女ですのでご心配なく、むしろざまーみろ、ってことです」


 と、挑発的な口調で汰一に言う。


「先輩にとっては捨てちゃう雑草でも、わたしをちゃんとお花扱いしてくれる人はいるんですからねーだ」
「誰も雑草とは言っていないだろ」
「同じことですよ。わたしは先輩の中の『いちばん』にはなれなかったんですから。でも、後悔はしていません。先輩を好きになってよかったです。先輩は、本当のわたしを肯定してくれたから……ありのままのわたしでいてもいいのかなって、思えるようになりました」


 そして。
 中庭に吹く風に、栗色の髪を靡かせながら、



「だから……先輩。もう、未亜の当番の日には来ないでください」



 はっきりとした口調で、そう言った。
 汰一が「え……?」と聞き返すと、未亜は肩を竦め、


「だって、こんな可愛い後輩と仲良くしていたらさすがの彩岐先輩もヤキモチ妬いちゃうでしょ? それが原因で別れたら可哀想なので、もう来なくていいですよ」


 と、悪戯な笑みを浮かべる。
 その笑顔に、汰一はまた胸が締め付けられる。


「あーあ。少し前までは『刈磨先輩振られろ』って全力で思っていたのに。未亜ってばいつからこんないい子になっちゃったのかなぁ?」


 なんて、宙を仰ぎながらうそぶくので、


「……最初からだろ」


 汰一は、声が震えないよう、真っ直ぐに言う。



「裏坂は、初めて会った時からいい子だったよ。真面目で、責任感が強くて、虫が苦手なのに頑張って花の手入れして……俺の、自慢の後輩だ」



 本当は、この言葉さえ傷付けてしまうとわかっている。
 いい子だと思うなら選んでよと、そう責められても仕方がないセリフだとわかっている。
 しかし……
 この本心は、付喪神ではなく、未亜本人に伝えたかったから。



「……ありがとう、裏坂。『好き』だと言ってくれて、嬉しかった」



 もう、声は震えなかった。

 未亜は、ハッと驚いた顔をしてから……
 何とも言えない、切なげな笑みを浮かべて、



「……こちらこそ、ありがとうございました。先輩にお花のこと、たくさん教わったので……もう、一人でお世話できます。わたしはわたしの花を咲かせるので、先輩も自分のお花を大切にしてください」



 感謝と決別の言葉を、真っ直ぐに伝えた。


 
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