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最終章 迫る闇と誰かの幸福
14 人間と神
しおりを挟む未亜の生み出した付喪神が消えた"境界"。
汰一は、いまだ気を失ったままの蝶梨の身体を抱き上げる。
カマイタチ── 鼬月無が鎌の姿から元の細長い獣に戻り、汰一の首にしゅるりと巻き付いた、その時。
「──思い出したんだね。何もかも」
汰一の背後から、声がする。
振り返ると案の定、柴崎が腕を組み、いつもの緩い笑みを浮かべていた。
「……お前……最初から俺を疑っていたんだな」
細めた目で睨みながら、汰一は言う。
「俺にカマイタチを与えたのも、蝶梨を護るよう命じたのも、全ては俺に神代町の神が憑依していると思っていたからだろう?」
その指摘に、柴崎は口の端を吊り上げる。
「そう。彼が失踪したのは、キミが交通事故に遭ったあの日だったんだ。彼の気配の痕跡を辿ったら、キミが入院している病室で途絶えていた。キミの中に身を潜めていることは間違いないと踏んでいたけど、なかなか尻尾を出さないから、彼の式神と彩岐蝶梨に近付く大義名分を与えて動きを見ることにした」
「神の力を使ったところを、現行犯で捕まえるつもりだったんだな」
「うん。だけど、待てど暮らせど気配を見せないから、あえて危険な場面を作り出したりもした。否が応でも神の力を使わせようと思ってね。キミには怖い思いをさせただろう。悪かったよ」
なるほど、と汰一は納得する。
だから学校の屋上に"蛭"の厄が現れた時も、生徒会室に閉じ込められた時も、犬のような"黒い獣"に襲われた時も、すぐには助けに来なかったのだ。
そもそも交通事故に遭い入院したのも、あの死神──神代町の地主神の仕業だったのかもしれない。
ここ最近の不運が全て神により齎されたものだと思うと、汰一はため息を溢さずにはいられなかった。
柴崎が続ける。
「キミを危険な目に遭わせる度に、ボクはますますわからなくなった。だって彩岐蝶梨を護るキミは、とても嘘をついているようには見えなかったから。そこで、別の仮説を立てたんだ。彼がキミに取り憑いたんじゃなくて、キミが彼を取り込んだんじゃないか、って。そしてその仮説は……ついさっき、確信に変わった」
「……ついさっき?」
聞き返す汰一に、柴崎は困ったように笑う。
「さっき、ボクの神社でお参りしてくれたでしょ? ああしてお賽銭を投げて手を合わせると、キミの心が直に伝わってくるんだよ」
その言葉に、汰一は思わず顔を赤らめる。
柴崎に心を直接覗かれたのだと思うと、無性に恥ずかしくなったのだ。
しかし柴崎は、茶化すことなく微笑んで、
「……キミは心の底から、彩岐蝶梨と平野忠克の無事をボクに願ったね。だからボクは、キミを信じることにした」
そう、穏やかな声で言う。
「いずれにせよ、すべての決着は今日つけると決めていたんだ。付喪神が動くとしたら今日だと思っていたから」
「って、敵の正体も知っていたのかよ?」
「ごめん。裏坂未亜が生み出した付喪神があの黒いワンちゃんを放っていることもわかっていた。キミたちが生徒会室に閉じ込められたのも彼女の影響だったんだよ。あの時既に、付喪神の"気"が彼女に纏わりついていたからね」
その事実を知らされ、汰一の胸がズキンと痛む。
そんなに前から、未亜を無自覚に傷付けていたのだ。
どうしてもっと早く気付けなかったのかと、汰一は自己嫌悪し、口を閉ざす。
「浴衣は祭りに着るもの。付喪神の性質を考えたら、今日動くことは明確だった。だから、それを利用することにした。あえてキミと戦わせて、キミの覚醒を促す機会にしたかったんだ。裏坂未亜には可哀想なことをしたけど、遅かれ早かれあの付喪神は斬ることになっていたからね。キミに斬られたのがせめてもの救いだったと思うよ」
『救い』。
果たして本当にそうだろうかと、汰一は考える。
しかし、考えたところでまた同じ思考に陥るだけだった。
もっと早くに気付けていたならという『後悔』。
そして、気付いたとしても彼女の気持ちには応えられなかったという『諦め』。
その二つの感情が、汰一の頭の中を何度も巡っていた。
未亜の中で生まれた大切な感情を、この手で斬った。
その事実の中で『救い』を見出すとすれば、未亜を無自覚な殺人者にすることを回避できた、ということだろうか。
未亜を傷付けた事実に変わりはないが、蝶梨を護ることができたのも事実。
そしてそれは、他でもない自分自身が下した選択だった。
だから。
汰一は、未亜の気持ちを犠牲に護った蝶梨のために……
今後、蝶梨の脅威となり得る可能性について、尋ねることにする。
「……なぁ」
汰一は、腕の中で眠る蝶梨の頬をそっと撫で、
「"贄の器"って……何なんだ?」
柴崎に、そう問いかける。
「神代町の神が、俺のことをそう呼んでいた。一体、どういう意味なんだ?」
柴崎が目的としていたことはわかった。
自分が"堕ちた神"を喰ってしまったことも思い出した。
しかし、何故"堕ちた神"を取り込むことができたのか……"贄の器"と呼ばれた自分が一体何者なのか、それだけが理解できずにいた。
汰一の問いに、柴崎はやれやれといった様子で肩を竦める。
「なんだ、そんなことまで聞かされていたの。そうだね……今のキミには知る権利があるだろうから、教えてあげる」
そして、汰一の目を真っ直ぐに見つめ、
「"器"っていうのは、魂の容れ物のことだよ。神も人間も、魂の在る者は皆等しく"器"を持っている。その中でも、"贄の器"と呼ばれるのは…………大罪を犯し、人間に堕とされた元・神が持つ"器"のことだ」
「なっ……」
汰一は言葉を失う。
人間に生まれ変わった元・神が持つ、"魂の器"……?
つまり、それが意味するのは…………
「汰一クン。キミの前世は、罪を犯した神さまなんだよ」
汰一の考えをトレースするように、柴崎が言う。
「前に話した通り、神らの世界にも法がある。人間に恋をしたり、他の神さまを殺したりすると、『人間への転生』という極刑に課せられることがあるんだ。それも、ただの人間じゃない。"厄"からの干渉に晒され続ける不運な人間として生きることを強いられる。その"厄"を呼び寄せる装置として働くのが、"贄の器"だよ」
汰一は、身体を震わせる。
生まれてからずっと苦しめられてきた不運体質……
それは、自分が罪を犯した神の生まれ変わりで、"厄"を集め続ける"魂の器"を持っているせいだったのだ。
絶句する汰一に、柴崎は申し訳なさそうに続ける。
「前世の罪なんて、現世で人間として生きるキミには関係のない話だよね。神だった頃の記憶はないだろうし。でも、これは事実なんだ。彼を取り込むことができたのも、元は"神惠の器"だった"贄の器"を持っているからだろう。普通の人間の"器"には、神の魂は収まらないはずだからね。それに、キミの"魂の経歴"についても調べさせてもらった。前世のキミは、ある人間を救うために別の神さまを手にかけたみたいで……」
「そんなことはどうでもいい」
汰一は、柴崎の言葉を遮る。
「経緯なんてどうだっていい。要するに俺は、罪人として今、此岸にいるんだろ?」
そう。前世の罪状など、知ったところで意味がない。
それよりも今、向き合うべきなのは……
「やはり俺は…………蝶梨の側にいるべき人間では、ないんだな」
その事実を、今一度受け入れなければならない、ということだ。
自分は、罪を犯した神の生まれ変わりで、罰として"厄"を集め続ける"贄の器"を持っている。
その上、"堕ちた神"をも取り込んでしまった。
片や蝶梨は、死後は神として召し上げられる予定の聖人だ。
どう考えたって、相容れない。
こんな禍々しい存在……蝶梨の側にいていいはずがない。
「……俺は、これからどうなる? "堕ちた神"の代わりに捕まるのか? それとも、もう一度"贄の器"を持つ人間に転生させられるのか?」
覚悟はできているはずだった。
それでも、今、腕の中にある温もりにもう触れられないのだと思うと、身体が震えた。
審判の言葉を待つ汰一の眼差しを受け、柴崎は……
しかし、ひらひらと手を振って、
「いやいや、キミには引き続き彩岐蝶梨を護ってもらうよ。その方がこっちとしても都合がいいから」
……なんて、軽い口調で返すので。
汰一は理解が出来ず、暫し固まってから、「は?」と聞き返した。
柴崎は緊張感のない声で続ける。
「だってキミ、寄ってきた"厄"を式神使いこなして自分で斬れるんだよ? 超稀少な人材じゃん。使わない手はないでしょ」
「で、でも、俺の中には"堕ちた神"の魂があるんだぞ?! こんな罪人と、神候補である蝶梨が一緒にいるなんて許されるのか?!」
「うん、許す。それを見極めるための"試験"が、さっきの付喪神戦だったから」
「え……?」
すっかり混乱する汰一に、柴崎は微笑む。
「今のキミは、前代未聞の存在だ。"贄の器"に、人間の魂と神の魂が混ざったものを容れている。人間じゃないし、神でもない。同時に、人間でもあり神でもある。だから、式神を使う時……神の力を発揮する時、魂がどんな状態になるのか見させてもらった。彼の意識に支配され、"堕ちた"魂になるようなら捕まえようと思ったよ。でもね」
そして。
柴崎は、静かに汰一へ歩み寄り、
「キミの魂は……驚く程に、澄み渡っていた」
穏やかな声で、言う。
「一切の穢れがない、清らかな魂だ。取り込んだはずの彼の魂を、キミの愛がすっかり浄化してしまったんだろうね」
「……愛?」
「そうだよ。キミが彩岐蝶梨を想う純粋な愛……それが、"堕ちた神"の邪悪な魂に打ち勝ったんだ」
「お前……自分で言ってて恥ずかしくならないか? そのセリフ」
「ぜーんぜん。だってボク、縁結びの神さまだもん。愛こそすべて。愛に勝るものなし。でしょ?」
指でハートマークを作る柴崎を、汰一はジトッとした目で見つめる。
「……お前が言うと詐欺師のセリフにしか聞こえないな」
「ひどいなぁ、ボクは本気で言っているんだよ? だってキミは、彩岐蝶梨を絶対に傷付けない。彩岐蝶梨を護るためなら何だってする。彼女を愛しているから。違う?」
「まぁ……違わないけど」
「ご存知の通り、いま神界は人手不足が深刻なんだ。彩岐蝶梨には何としてでも次の往生で神さまになってもらいたい。"徳ポイント"が貯まり切る前に死んだり、グレてポイントが減るような行動をしないように、キミに絶対的に護ってもらいたいってワケ」
って、何だか初対面の時の会話に戻っているような……
と、既視感に眉を顰める汰一。そんな彼を柴崎はニヤリと笑いながら見下ろす。
「何しろこんなにラブラブになっちゃったからねぇ。下手に引き離したら何するかわからないよ、このコ。自殺しちゃうかも」
「なっ……」
「そうなったらキミもボクも不本意極まりないでしょ? だから、半分死神みたいなキミの手でも借りたいの」
『半分死神』。
その言葉に、あらためて自分が人間ではなくなったのだと思い知らされる。
そして……
同時に、それにまつわる疑問が浮かぶ。
「……待てよ。神と人間の恋愛は禁じられているんだよな? 俺はこのまま、蝶梨と恋人でいて良いのか?」
汰一の問いに、柴崎はすぐに頷く。
「うん。キミは半分は神さまだけど、彼女に恋をしているのは人間の部分だから大丈夫。そもそも神さまが人間に恋しちゃいけないのは生殖を妨げるからだもん。その点、キミは生殖機能がばっちり残っている。子作りし放題だ」
「ぶはっ」
「人類の繁栄のために、是非とも子孫をたくさん残してくれたまえ」
「…………前向きに検討する」
汰一が赤らめた顔を逸らすと、柴崎は「ただし」と指を立てる。
「彩岐蝶梨が死んで神さまになったら接触は禁止だよ。でないと、彼女が堕ちる可能性がある。キミは普通の人間よりもだいぶ長生きするだろうから、神さまになった彼女に会わないよう全力で回避してね」
「なるほど……って、やっぱ俺、身体もいろいろ変わっているのか?」
「そりゃあ半分神さまだからね。さっきの怪我ももう治っているし、最近は寝なくても平気な身体になりつつあったでしょ?」
「なんだ、気付いていたのか。俺がなかなか寝付けずにいたこと」
「だって毎回気絶させないと呼び出せなかったんだもん、さすがに察するよ。だから言ったんだ、『ちゃんと寝てね』って」
それから。
柴崎は、白い満月を見上げて、
「……それでね。最後に一つ、キミにお願いしたいことがあるんだけど」
「なんだよ、あらたまって」
「どうせ眠れないなら……夜の時間を使って、本物の死神の仕事をやってみない?」
「それって……前に言っていた、『天罰を下す』ってやつか?」
「そうそう。悪い人間を懲らしめる"禍津日神"のお仕事。誰もやりたがらないから、キミにやらせたらどうかって上が言うんだ。それが彩岐蝶梨の側にいられる条件だって」
「はぁ?! お前、さっきまでそんな条件一言も……!」
「いやー、ボクは反対なんだよ? 確かに今のキミは半分死神みたいなモンだけど、心は人間のままだからさ。同じ人間を不幸にするような仕事を任せるのはどうかなーって。でも、キミは本当に前例のない特異な存在だから、半分でも神の世界に籍を置くなら適切な仕事をやらせようっていうのが上の意向らしいんだ。その働きぶりを見て、キミが信用するに足りるか見定めようとしているんだよ」
なんて、つらつらと言い訳を述べる柴崎。
その緊張感のない顔を見つめ……
やっぱり詐欺師だと、汰一は思う。
これからも蝶梨の側にいて良いと話した上で、最後に汰一にとって都合の悪い条件を突き付けてきたのだ。
最初からそうだった。
このチャラついた神は、平気な顔をして嘘をつく。
狡猾で、自分にとって都合の良い話しかしない。
汰一や蝶梨のことを考えているようで、結局は良いように使いたいだけなのだろう。
……それでも。
「……わかった、やるよ」
汰一はもう一度、この詐欺師の話に乗ることにする。
「死神だろうが何だろうがなってやる。それで蝶梨の側にいられるのなら……俺は何だってやる」
鋭く、刺すような瞳。
その迷いのない視線に、柴崎は微笑む。
「いいの? 今回みたいに知人や友人を斬らなければいけない場面があるかもよ? それでもやれる?」
「やる。蝶梨以上に大事なものなんて、他にないから」
即答する汰一。
柴崎は、肩を竦め息を吐く。
「キミは本当に…………彩岐蝶梨のことが、大好きなんだね」
そして。
そのままくるりと背を向けると、
「そうそう。今起こったこと、彩岐蝶梨の記憶からは消しておくね。治療も済んでいるから、あとは上手いことやってちょーだい」
そう言って、ひらっと背中越しに片手を上げ、
「んじゃ、そういうことで。これからもよろしくね、刈磨汰一クン」
やはり軽すぎる口調で別れを告げると……
柴崎は、汰一の前から姿を消した。
* * * *
柴崎が消えると、世界に色が戻った。
程なくして、汰一の腕の中で蝶梨が瞼を開ける。
「蝶梨! 大丈夫か?」
思わず声を上げ呼びかける。柴崎が治療したとはいえ、あの巨大なバケモノに気を失うまで締め上げられたのだ。心配せずにはいられなかった。
「あ……汰一くん…………私、なんで……」
虚ろな目で周囲を見回す蝶梨。
どうやら本当に柴崎が記憶を消したらしい。自分が河原に横になり、汰一に抱き起こされるに至った経緯がわかっていない様子だ。
『あとは上手いことやって』などと言われたが、考える間もない内に蝶梨が目を覚ましてしまったため、汰一はどう説明しようかと狼狽える。
「これは、えぇと、その…………あれだ」
んんっ、と一度咳払いをしてから、
「……き、キスしながら首を絞めたから……酸欠になったのか、気を失ったんだよ。本当にすまない。具合はどうだ?」
顔を赤らめながら、咄嗟に思いついた言い訳を口にした。
蝶梨は、「へ……」と気の抜けた声を上げたかと思うと……
その顔を、汰一よりも赤く染め上げる。
「そ、そそそそうだったんだ! ごめんなさい、迷惑かけて。もうすっかり大丈夫だよ!!」
そう言って、慌てて立ちあがろうとする蝶梨。
しかし、その身体を……
汰一はぐいっと引き寄せ、もう一度抱き締めた。
「た、汰一くん……っ」
蝶梨が上擦った声を上げるが、汰一は答えない。
代わりに、彼女の髪を慈しむようにそっと撫でた。
離れる覚悟を決めていた。
これが最期のデートになると思っていた。
けど……
これからも側にいられる。
彼女が死ぬまでは、一緒に生きられる。
そのことが、泣きそうなくらいに嬉しくて……
汰一は、蝶梨を強く抱き締めた。
「……蝶梨」
だから。
先ほど返せなかった言葉を、今、返すことにする。
「来年も、再来年も……その先もずっと、この祭りに来よう。夏休みもたくさん遊ぼう。海に行って、スイカ割りをして……死ぬまでにやりたいこと、全部やろう。ずっと側にいるから。絶対に、離れないから」
失ったものもある。
これから先、また何かを犠牲にすることもあるだろう。
それでもいい。
死が二人を別つその日まで、この手は……この手だけは、決して離さない。
蝶梨は、震える指先で汰一の背中にそっと触れる。
そして、それをきゅっと握ると、
「うん…………私も、絶対に離さないよ。死んでも、側にいるから」
囁くように、そう答えた。
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