摂動快夜の星明り

追い鰹

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摂動快夜の星明り

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「今夜、星を見に行こう」
 火葬場へと運び出されていく棺を見ながら、肇悟は言った。
 目元を涙で赤く腫らした香織は肇悟を横目に瞬きをして、「また訳の分からないことを言い出した」と目で訴えながら困ったように朱璃を見た。
「肇悟も、たまにはいいこと言うじゃん」
「えっ、急すぎるよ。なんで今日なの」
「じゃあ香織は来なくてもいいよ」
 突き放されたいわけではなく、ただ納得できる説明が欲しいだけ。そう何度伝えても改善されることのなかった経験から、「いや、私も行くけどさぁ」香織の言葉は尻すぼみになって下を向く。その光景は友達の葬式であっても変わらないことに、僕は少しだけ、嬉しさの中に悲しみが混じるのを感じていた。
「場所はあの展望台?」
 朱璃が訊ねた。
「森の入り口に八時集合な。遅れたら置いていくからな」
「そう言っていつも遅れてくるのは肇悟でしょ!」
「今日は遅れねぇよ」
 決まり悪そうに顔を背けた肇悟を「そう言って最後のお見舞いでも……」と言外に香織は睨んだ。僕はやはり我慢できなくて、いつものようにクスクス笑った。

 夜の八時ちょうどにやってきた朱璃は、
「あれ、私が最後?」
 笑みを浮かべて「今日の予報はまた流星群?」と肇悟に言った。
「もう迷わねぇよ。それより行こうぜ」
 肇悟の号令と共に、僕たちは山道へと入っていった。
 地元の小学生の遠足などでもよく使われるこのハイキングコースは、例え道中が無言であっても、月明かりさえあれば夜の森という不安も恐怖も感じないくらい、慣れ親しんだ場所である。けれども今日は、晴天の空に吸われる足音がどこまでも寂しげに聞こえて心許ない。
「肇悟ね、私より早く着いてたんだよ」
「ほんと? じゃあ十分前にはいたんだ」
 本当は、三十分前に来てぼんやりと街の明かりを眺めていたことを僕は知っている。
「というかさ、なんで星を見に行くの?」
「一緒に行くって約束してただろ。もう忘れたのか?」
「違くて、なんで今日なのかってこと」
「今だ!って思ったから」
「もー! 朱璃、またこれだよこいつ!」
「いつものことでしょー」
「振り回される身にもなってよ」
「嫌なら来なくていいって言ってんだろ、いつもさ」
「川で肉焼くって言ったときもそれ言われて涙目でついてきたよね」
「そのあと消防車がきて怒られてもっと泣いてたけどな」
「あんなガチ説教でヘラヘラしてる方がどうかしてるんだよ」
 笑い声は何かを寄せ付けまいとしていて、何かを満たそうとしていて、カラカラと響いては消える蹴飛ばした石ころのようだ。僕は一緒には笑えなくて、ずしりと胸が重たくなる。
「でもそれはさ、去年のに比べたら全然だったよね」
「たしかになぁ。あれは初めて反省した」
「肇悟が『流星群を見に行こう!』とか言って迷子になったのが悪いんじゃん」
「だから反省してんだって。次は道を覚えてから行こうってさ」
「朝になって警察の人に保護されるまでほんとーに怖かったんだよ!」
「もうしません、って反省しないのが肇悟らしいんだけどね」
「晃彦がいればどうにでもできるんだから、やめる理由がないだろ」
 肇悟は薄く笑って、「おっ、着いたな」と少し上がった息を吐き出した。
「そういや、初めてここに来たのもその時だったよな」
 僕たちは足を止めてその景色を見る。

 展望台、とは名ばかりの、森の木々が好き放題に枝を伸ばして管理もされず、街を一望できると銘打った地図の張ってある看板は古びて何が書いてあるのか分からない、少し開けていて申し訳程度のベンチが置かれたこの場所。
 隙間から覗き見る線路を越えた先の街灯りは、点々と、けれどたしかな人の生活を宿した温かい光。
 見上げれば、夜空を彩る満点の星空。
 僕たちはあの日以来、何度もここで足を止めている。

 肇悟はポケットをまさぐり小包を取り出した。
「なにそれ」
 香織は興味深げというより訝しむように、小包と肇悟の顔をそれぞれ見た。
「晃彦の骨」
「えっ」
 肇悟以外の驚きが重なった。朱璃の顔は引きつって、香織は哀しみを堪えるようにぐっと唇を噛んでいる。僕は僕で、「だからここにいるのか」と妙に納得していた。
「土の中にいたんじゃ見えねぇからな」
 肇悟は包みを広げてそっとベンチに置いた。中身は骨の面影もないただの砂粒たちだった。
 空を見上げる肇悟に釣られて僕らも再び仰ぎ見る。

 感嘆はもはや過去のそれであり、燦然と散りばめられた星々は懐古の一片。
 風のない森は誰がためとも知らずに黙然として僕らを取り囲む。
 月は僕らを通りすぎ、街の灯りは一つまた一つと仕事を終えるのだろう。
 ——ゆえに、たとえばこの沈黙が夜であったなら、星々はその思いに等しいはずだ。

「見えねぇな」
「見えてるよ、きっと」
「一緒に見たかったなぁ」
 ——大丈夫、僕はここにいる。見えているし届いている。
 破れた沈黙を縫うように、三者三様の言葉が紡がれた。
「晃彦さ、最後になんて言ったか話したっけ?」
 話を振られた二人は「聞いてない」と首を振った。そういえば、僕を看取ってくれたのはお父さんでもお母さんでもなくて肇悟だったなぁ、なんて遠い昔のことのように僕は思い出した。
「『死んだら星になって皆を見てるから。たまには見上げてくれ』ってさ。馬鹿だろ。難しい本ばっか読んで、頭いいくせに、肝心なところは馬鹿なんだよ。んなこと言われても困るだろ。……これじゃあ、どれがあいつか分かんねぇじゃん」
 女の子二人は肇悟を見たあとお互いの顔を見合わせて、
「私は一番輝いてるやつだと思うなぁ。ほら、あれとか」
「あれはアルタイルでしょ。それに、晃彦ならもう少し控えめじゃないかな」
 そう言って朱璃はタラゼドを指差し笑い合っていた。
 我慢ができないとばかりにビュッと風が吹き、「あっ」と声が上がる。
 僕の骨っカスは宙へと繰り出して、星屑に紛れてどこかへ消えた。
「泣いてんの?」
 朱璃は茶化すような冷やかすような、普段の何気ない口調でそう訊いた。
「うるせぇ。骨が目に入っただけだ」
 ——縁起でもない。
 僕らはまたいつものように笑っていた。
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みんなの感想(1件)

下町のナポリタン

なんかこうめちゃくちゃ好き!(語彙力)
それまでは過去を引きずっているのに、「感嘆は~」のところで時世が変化して未来を見据え、でもそこに行き着くまでの思いが星のように輝いている描写とか心がギュッ!となった!
何度でも読み返したい作品です!!!

2023.05.02 追い鰹

感想ありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しいです🥰
しかも捉えどころが絶妙で素晴らしい!
読書の才能を感じる😏

解除

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