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8話
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昨日の事故から翌日、先生たちは警察や今後の学校の対応についてなど、対処しなければならない問題がたくさんあるらしく、僕ら生徒は自宅待機という名の少し早い夏休みへと突入していた。もともとあと数日もすれば夏休みであったことが不幸中の幸いとでも言うべきか、授業についてはあまり差し支えがないという判断なのだろう。
事件の詳細はまだ何も分かっていない。最新の情報といえば、僕や生き残った生徒が見た光景に違いない。そう、生き残った生徒たちだ。
分かっているだけで三人死んだらしい。また意識不明が四人、その他重軽傷者は僕と楡井るる以外のほぼ全員というありさまだ。
——僕が未来を見ていれば……。
カーテンの隙間から朝陽が差し込んでくる。結局、昨日から一睡もできなかった。後悔の各駅停車が環状線を走るように延々と続いている。
自分が普段からもっと積極的に能力を使っていれば、今日みたいな悲劇は回避できたかもしれない。
体育館に飛行機が突っ込んでくることは避けられない運命だったとしても、誰かが怪我を負うことが確定していたとしても、それでもやはり、能力を使用していれば誰も死ぬことはなかったんじゃないか。
もしそうなら、やっぱり、
——僕が殺したんだ。
クラスメイトやその家族、友人が僕の能力を知ったらなんて言うだろう。人殺しだと罵るだろうか。なぜ能力を使わなかったのか、お前は見殺しにしたんだと。あるいは、能力を使って自分だけ助かったのではないかと。そんな声が耳元で聞こえてくるようだった。
——僕が死ねばよかった。
何と弁明すればいいのだろうか。いいや、弁明の余地なんてきっとない。能力を使わなかったことの証明なんてできるわけもなく、能力を使っていたのに防げなかったのならやはり、僕は人殺しに違いない。
もし仮に能力のことが知られたのなら、僕は捕まるのだろうか。逮捕されないにしても、逮捕されていた方がよかったと思える出来事が待っている気がする。一昨日の電車遅延の人の未来のように、ネットに個人情報を晒しあげられ、大量虐殺者として謂われのない露悪的な精神性を担がれる。
曰く、篠宮真は人の未来を見る能力ではなく、人の未来を確定させる能力であり、その万能感に酔って大量殺人を行ったのだ、とか。前日に起こったマンションでの火災ののように、まったく見知らぬ人間では飽き足らず、身近な人間が死ぬ瞬間を見たいと思ったのが動機に違いない、とか。
そうした結果、僕の家族や友人、あるいは近隣の方々にまであらぬ被害が出る。僕はますます責任を感じて自殺を試み、成功しても失敗しても逃げるなと叩かれ、最終的には一家全員無理心中といったところか。
早くに両親を亡くした僕にとって、家族は今でもこうして育ててくれている老い先短い祖父母だけ。僕が死ぬ分には構わないけれど、二人にはせめて残りの人生を穏やかに生きて欲しい。
——能力が知られるとしたら誰からだ?
僕が能力を教えているのは公太と茜音くらいで、他に知っている人なんて二人が喋っていない限りおそらくいない。
——あ。
楡井るるの顔が思い浮かんだ。一昨日のカフェで話してしまっていた。あいつはこのことを誰かに言うだろうか。僕の能力のことを。結果的にはあいつを助けることができたというのに、その恩をあだで返すような人だろうか。分からない、彼女のことを僕は何も知らないのだ。
とそこでまた、楡井るるの過去を経験したことが蘇ってきた。
——違う、僕は知っている。
あいつは自分の願いが叶うこと以外にもはや興味はないのだ。どうなったっていいとさえ思っているに違いない。
もうじき死ぬということと、これまで不幸であったということを免罪符に、残りの時間を生きたいように生きているだけだ。そしてまた、あいつにとってはこの世の何もかもが物珍しく映っている。だからいきなり一人暮らしを始めてみたり、通ったことのなかった学校というものに通って青春を味わってみたり、そればかりか一昨日の火事現場にだって興味本位で足を運ぶし、昨日の体育館にだって駆け寄って生々しい惨状を見ようとする。そして、それらを自分が体験できないのなら時間の無駄だと考えるだろう。だって、あいつにはもう十日と時間がなく、そんな短い時間の中で自分という存在を深く刻み込んでおける居場所もない彼女にとって、自分が死んだ後の世界などどうなったっていいに違いない。
スマホの通知音で目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしく、体だけ起こして見まわした部屋はもうほの昏い。スマホを手に取りアプリを開いてみると、茜音からメッセージが入っていた。『明日公太のお見舞い行くけどどうする?』
思わずスマホを落としてしまい、ベッドの上で跳ねて裏返しになる。ごくりと飲み込んだ唾が喉を炙っているようでひりひりとした。
僕は今の今まで自分のことばかり、それもそうと決まったわけでもない未来のくだらない妄執に怯えて、親友の安否さえ気にしていなかったのだ。何をしているんだ、と自身を罵る一方で、だって仕方がないじゃないかと卑しさを擁護し、あまつさえ正当化しようとしている自分自身にまた嫌気が差してくる。
「恥を知れ」ふと公太に昔言われた言葉が思い浮かんだ。
スマホを拾い上げ、小刻みに震えて何度も入力ミスをしながらメッセージを打ち込んでいく。
『行く 何時にどこ行けばいい?』
あとは送信ボタンを押すだけ。押すだけなのだが、どうにもその勇気が出ない。実態はそんな甘酸っぱいものではないのに、まるで好きな子に告白でもするときのような感覚だった。
どの面下げて会いに行けばいいのか分からない。会ったとして、そもそも話ができる状態なのかも分からない。他のクラスメイトにだって会うことになるかもしれない。それらと会話した時、僕はどんな顔をしていればいい?
——大変だったね。自分だけ無傷だから他人事なんだな。
——運よく助かっただけ。お前とるるちゃんだけが運よく?
——たまたま外に出てて逃げれたんだ。俺たちを見殺しにしたって言うのか!
——本当はそうなる未来が見えていたんじゃないのかよ。
会話のシミュレートはまるで好転しなかった。誰かに罵られることで多少の許しを得ようとしていることと、実際にはそれらを受け止めきる自信がないことが露呈しただけだった。要するに、本音は「行きたくない」だしこれからずっと「会いたくない」なのだと思う。
気付いてしまって、僕はスマホの電源ボタンを押してベッドに寝転んだ。
またスマホが鳴った。おもむろにスマホを顔の前まで持ってきてロックを解除する。既読がついたことで僕の迷いが伝わったのか、「総合病院に十時集合」と茜音からの連絡だった。「好きにすればいい」「でもこうされればどうせ来るでしょ?」そう言われている気がする。
——お見通しかぁ。
僕はため息をついて起き上がった。カーテンを少し開け外を見ると、曇り空の隙間から夕焼けが漏れていた。
お腹がぐぅと音を立てる。先ほどまでは食事をするという行為が思考から消えていたのに、途端に餓死しそうなほどお腹が空いたと脳が訴えていた。昨日の夜から水すら飲んでいないのだから当たり前かと納得して、部屋を出る。
こつんと足の親指に何かが当たった。電気を点けると、部屋の扉のすぐ横に「食べれるようになったら食べなさい」というおばあちゃんのメモ書きと共に、ラップ掛けされた蕎麦がトレイに置いてあった。丁寧なことにそばつゆ用とワサビ用とネギ用の小皿がそれぞれ置かれているし、五百ミリリットルの麦茶のペットボトルまである。ペットボトルの水滴はまだ少し残っていて、これが今日の昼頃に作られ置いてくれたのだと察した。
トレイを部屋に運んで机の上に置き、ひっつき合うそばをズルズルとすすっていく。
ワサビがツンと鼻にきて、思わず涙がこぼれた。
事件の詳細はまだ何も分かっていない。最新の情報といえば、僕や生き残った生徒が見た光景に違いない。そう、生き残った生徒たちだ。
分かっているだけで三人死んだらしい。また意識不明が四人、その他重軽傷者は僕と楡井るる以外のほぼ全員というありさまだ。
——僕が未来を見ていれば……。
カーテンの隙間から朝陽が差し込んでくる。結局、昨日から一睡もできなかった。後悔の各駅停車が環状線を走るように延々と続いている。
自分が普段からもっと積極的に能力を使っていれば、今日みたいな悲劇は回避できたかもしれない。
体育館に飛行機が突っ込んでくることは避けられない運命だったとしても、誰かが怪我を負うことが確定していたとしても、それでもやはり、能力を使用していれば誰も死ぬことはなかったんじゃないか。
もしそうなら、やっぱり、
——僕が殺したんだ。
クラスメイトやその家族、友人が僕の能力を知ったらなんて言うだろう。人殺しだと罵るだろうか。なぜ能力を使わなかったのか、お前は見殺しにしたんだと。あるいは、能力を使って自分だけ助かったのではないかと。そんな声が耳元で聞こえてくるようだった。
——僕が死ねばよかった。
何と弁明すればいいのだろうか。いいや、弁明の余地なんてきっとない。能力を使わなかったことの証明なんてできるわけもなく、能力を使っていたのに防げなかったのならやはり、僕は人殺しに違いない。
もし仮に能力のことが知られたのなら、僕は捕まるのだろうか。逮捕されないにしても、逮捕されていた方がよかったと思える出来事が待っている気がする。一昨日の電車遅延の人の未来のように、ネットに個人情報を晒しあげられ、大量虐殺者として謂われのない露悪的な精神性を担がれる。
曰く、篠宮真は人の未来を見る能力ではなく、人の未来を確定させる能力であり、その万能感に酔って大量殺人を行ったのだ、とか。前日に起こったマンションでの火災ののように、まったく見知らぬ人間では飽き足らず、身近な人間が死ぬ瞬間を見たいと思ったのが動機に違いない、とか。
そうした結果、僕の家族や友人、あるいは近隣の方々にまであらぬ被害が出る。僕はますます責任を感じて自殺を試み、成功しても失敗しても逃げるなと叩かれ、最終的には一家全員無理心中といったところか。
早くに両親を亡くした僕にとって、家族は今でもこうして育ててくれている老い先短い祖父母だけ。僕が死ぬ分には構わないけれど、二人にはせめて残りの人生を穏やかに生きて欲しい。
——能力が知られるとしたら誰からだ?
僕が能力を教えているのは公太と茜音くらいで、他に知っている人なんて二人が喋っていない限りおそらくいない。
——あ。
楡井るるの顔が思い浮かんだ。一昨日のカフェで話してしまっていた。あいつはこのことを誰かに言うだろうか。僕の能力のことを。結果的にはあいつを助けることができたというのに、その恩をあだで返すような人だろうか。分からない、彼女のことを僕は何も知らないのだ。
とそこでまた、楡井るるの過去を経験したことが蘇ってきた。
——違う、僕は知っている。
あいつは自分の願いが叶うこと以外にもはや興味はないのだ。どうなったっていいとさえ思っているに違いない。
もうじき死ぬということと、これまで不幸であったということを免罪符に、残りの時間を生きたいように生きているだけだ。そしてまた、あいつにとってはこの世の何もかもが物珍しく映っている。だからいきなり一人暮らしを始めてみたり、通ったことのなかった学校というものに通って青春を味わってみたり、そればかりか一昨日の火事現場にだって興味本位で足を運ぶし、昨日の体育館にだって駆け寄って生々しい惨状を見ようとする。そして、それらを自分が体験できないのなら時間の無駄だと考えるだろう。だって、あいつにはもう十日と時間がなく、そんな短い時間の中で自分という存在を深く刻み込んでおける居場所もない彼女にとって、自分が死んだ後の世界などどうなったっていいに違いない。
スマホの通知音で目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしく、体だけ起こして見まわした部屋はもうほの昏い。スマホを手に取りアプリを開いてみると、茜音からメッセージが入っていた。『明日公太のお見舞い行くけどどうする?』
思わずスマホを落としてしまい、ベッドの上で跳ねて裏返しになる。ごくりと飲み込んだ唾が喉を炙っているようでひりひりとした。
僕は今の今まで自分のことばかり、それもそうと決まったわけでもない未来のくだらない妄執に怯えて、親友の安否さえ気にしていなかったのだ。何をしているんだ、と自身を罵る一方で、だって仕方がないじゃないかと卑しさを擁護し、あまつさえ正当化しようとしている自分自身にまた嫌気が差してくる。
「恥を知れ」ふと公太に昔言われた言葉が思い浮かんだ。
スマホを拾い上げ、小刻みに震えて何度も入力ミスをしながらメッセージを打ち込んでいく。
『行く 何時にどこ行けばいい?』
あとは送信ボタンを押すだけ。押すだけなのだが、どうにもその勇気が出ない。実態はそんな甘酸っぱいものではないのに、まるで好きな子に告白でもするときのような感覚だった。
どの面下げて会いに行けばいいのか分からない。会ったとして、そもそも話ができる状態なのかも分からない。他のクラスメイトにだって会うことになるかもしれない。それらと会話した時、僕はどんな顔をしていればいい?
——大変だったね。自分だけ無傷だから他人事なんだな。
——運よく助かっただけ。お前とるるちゃんだけが運よく?
——たまたま外に出てて逃げれたんだ。俺たちを見殺しにしたって言うのか!
——本当はそうなる未来が見えていたんじゃないのかよ。
会話のシミュレートはまるで好転しなかった。誰かに罵られることで多少の許しを得ようとしていることと、実際にはそれらを受け止めきる自信がないことが露呈しただけだった。要するに、本音は「行きたくない」だしこれからずっと「会いたくない」なのだと思う。
気付いてしまって、僕はスマホの電源ボタンを押してベッドに寝転んだ。
またスマホが鳴った。おもむろにスマホを顔の前まで持ってきてロックを解除する。既読がついたことで僕の迷いが伝わったのか、「総合病院に十時集合」と茜音からの連絡だった。「好きにすればいい」「でもこうされればどうせ来るでしょ?」そう言われている気がする。
——お見通しかぁ。
僕はため息をついて起き上がった。カーテンを少し開け外を見ると、曇り空の隙間から夕焼けが漏れていた。
お腹がぐぅと音を立てる。先ほどまでは食事をするという行為が思考から消えていたのに、途端に餓死しそうなほどお腹が空いたと脳が訴えていた。昨日の夜から水すら飲んでいないのだから当たり前かと納得して、部屋を出る。
こつんと足の親指に何かが当たった。電気を点けると、部屋の扉のすぐ横に「食べれるようになったら食べなさい」というおばあちゃんのメモ書きと共に、ラップ掛けされた蕎麦がトレイに置いてあった。丁寧なことにそばつゆ用とワサビ用とネギ用の小皿がそれぞれ置かれているし、五百ミリリットルの麦茶のペットボトルまである。ペットボトルの水滴はまだ少し残っていて、これが今日の昼頃に作られ置いてくれたのだと察した。
トレイを部屋に運んで机の上に置き、ひっつき合うそばをズルズルとすすっていく。
ワサビがツンと鼻にきて、思わず涙がこぼれた。
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