腐った縁ほど良縁に

鈴花 里

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三毛猫と疲労困憊

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 現在の時刻は、午後六時過ぎ。
 その後も結局、眠ることができなかった沙耶は、現在進行形で苦しんでいる。


(全然、眠れない……)


 もやのかかったようなぼんやりとした頭で、ただただ天井を見つめる。
 鼻づまりがひどいせいか、目からは涙が流れて止まらず。


(鼻水、掃除機で吸い出せないかな……)


 部屋の片隅に置かれた掃除機を見つめ、アホなことを思う沙耶。しかし、どう考えても掃除機のノズルが鼻の穴に入るわけがない。


(ヤバイ……。眠れないせいで、頭がバカになってきてる……)


 悲しい……と、流れる涙を拭う。するとそのタイミングで―――。

 ピンポーン。

 と、玄関のチャイムが鳴った。


「誰………あ。助っ人か」


 なんとか弟からのメッセージを思い出した沙耶は、重たい体を引きずりながらベッドを出る。


(一体、誰が来たのやら。苦手な人じゃなきゃいいけど……)


 そんなことを思いながら、沙耶はリビングドアの横壁に設置されているテレビインターホンを覗き見る。
 そして―――。


「……………」


 対応ボタンを二回押し、インターホン画面の映像を消した。同時に、大きな溜め息を吐きながら、力なくその場に座り込む。


「アイツは………うちの家族にとって、アイドルか何かなの……?」


 なんでよ……と呟き、遠い目。
 こうも綺麗に家族の推しが被ることはあるのかと、沙耶は現実を見たくない。
 しかし―――。
 
 ガチャンッ、ガチャ、バタンッ。


「……………は?」


 鍵と玄関ドアが開く音に、固まる沙耶。


「なんで……?」


 という呟きと共に、今度はリビングのドアまで開いて―――


「いるのわかってんだから、居留守使うな、居留守」


 買い物袋を手に下げた、実池家族の推しである【壮司】が、堂々と入ってきた。沙耶の思考回路がショートしそうだ。
 しかし、まずは一番気になっていることを聞いてみる。


「今、どうやって入ってきた……?」
「普通に玄関から」
「違う……。そうじゃない……。玄関のドア、鍵閉まってたでしょーが!」
「あぁ、そういう意味な。―――ほら、これ。おばさんから沙耶んの合鍵預かってんだよ」
「……………なんでだよっ!!」


 衝撃の事実に、沙耶は全力で床に拳を叩きつける。そして痛みに悶える。


「え? 何? なんで? 私、何も聞かされてないんだけど? え? もうずっと何年も持ってたの? その合鍵……」


 壮司の服を引っ張りながら、沙耶は血走った目を向け詰め寄る。すると、壮司は首を横に振り―――。


「さすがにそれはねぇよ。俺がここの鍵預かるのは、人事部が忙しいこの時期だけ。正月に実家帰ると、毎年おばさんに頼まれんだよ。『沙耶がゾンビ化し始めたら気にかけてやってね』って。生存確認ってやつだろ」
「……………」
「言っとくけど、使ったのは今日が初めてだからな」
「わかってる。別にそこは疑ってない。だって壮司だもん」
「……………」
「問題はそこじゃないのよ!」


 ダンッ! ともう一度床に拳を叩きつけ、沙耶は痛みに悶える。学習しろ。
 そんな沙耶が今、問題視しているのは、【親が娘の許可なしに、勝手に合鍵を渡している】ことにある。
 壮司は、実池母から鍵を預かったと言った。しかし沙耶は、実池父も共犯に違いないと確信している。
 なぜなら、父大好きな母が、独断でこんなことを企てるはずがないからである。なんとも頭の痛い話だ。


「………頭痛い」
「熱下がってねぇんだろ。………ベッド戻るぞ」
「え? は? あ? ちょっ! 待っ! ぎゃあああ!?」


 沙耶としては、様々な意味の混じった『頭が痛い』だったのだが……。
 体調が悪いからと判断した壮司によって、抵抗する間もなく抱き上げられる。初めてのお姫様抱っこに、沙耶は挙動不審。
 しかしそことでふと、大量の寝汗をかいていたことを思い出し、降ろせと暴れ始める。


「おい、暴れんな」
「今すぐ下ろせー!」
「なんで」
「なんでもよ! なんでもっ!」
「なんでもってなんだよ?」
「い……いや、だから、熱あるから、その……」
「別に汗臭くねぇけど」


 と、首を傾げる壮司。
 沙耶は、恥ずかしさから顔を真っ赤にして叫ぶ。


「わ、わかってんなら聞くなっ! 下ろせー!」
「気にしすぎだろ。昔、ヘドロまみれになった沙耶をおぶって帰った男だぞ。忘れたか」
「あそこまで臭くないわっ!!」


 あの時のとんでもない臭さと、今の寝汗を比べられ、沙耶は憤慨し、暴れる。あれと比べるのはおかしいと。
 しかし、具合が悪いことを忘れ、暴れすぎたせいか。パタリ…と、突如力尽きる。


「……………」
「ゲロ吐くなよ」
「意地でも吐かん……。飲み込む……」
「飲み込むくらいなら吐け……。気持ち悪いだろ、それ……」
「嫌だ……。絶対に吐かん……っ」


 一応強がってはいるものの、実際のところはほぼアウト。少しでも揺さぶられたら、


『ゲロる……』


 と、沙耶。
 すると、そんな沙耶の状態に気が付いたのか。壮司の運び方がかなり優しくなっていた。今回ばかりは、素直に感謝するべきである。頑張れ。


「ほら。大人しく寝てろよ」


 そして無事ベッドまでたどり着き、優しく寝かされた沙耶。しかし沙耶としては、ここで腑に落ちないことが一つだけあった。


「………壮司」
「ん?」
「人が汗ベッタベタで気持ち悪い思いしてんのに、なんでシャワー浴びてくんのよ。しかも、服まで着替えやがって」


 実は壮司、一旦家に帰って身綺麗にしてからここへ来ていたのだ。けれど、家が隣なのだから時間ロスもさほどない。別におかしなことではないはずだが……。
 沙耶はそれが許せなかった。
 なぜなら、沙耶も汗をかいた体をシャワーで流したい。服も着替えたい。けれど、発熱と倦怠感でそれもできないのだ。


「自分だけサッパリして……。むかつくわー」


 口を尖らせて子供のように拗ねる。それが理不尽であると、沙耶も自覚はしているが……。
 何せ具合が悪いと我慢がきかない。しかも、相手が壮司であるなら尚のこと。
 しかし、そんな理不尽な八つ当たりをされている壮司はというと……。


「体拭いてやろうか。喜んでするぞ」


 まったく、気にしていなかった。


「なんでそんな堂々とセクハラ発言できんの」
「見られたくないなら、目隠ししてもいいぞ。その代わり、変なとこ触っても怒るなよ」
「やめてよ。誰も拭いてほしいなんて言ってない」
「じゃあ、どうしてほしい?」
「どうって……」


 その言葉に、沙耶は返す言葉が見つからない。してほしいことが、ないわけではないのだが……。
 それでも沙耶にしてみれば、素直にそれを口にするのは無理難題というもの。頼ることもできない。
 そしてこういう時ほど、自分のことをよく理解している壮司に察してもらうしかないのだ。ある意味、甘えとも言える。


「ご飯食ったか?」
「………ん。さっきちょっと食べて、薬も飲んだ」
「頭冷やすものは足りてるか?」
「ご飯食べた後に全部新しくした」
「飲み物は?」
「あ……。じゃあ、そこに……」


 沙耶がベッド横のサイドテーブルを指差せば、そこに置かれる飲み物と……。沙耶が昔から好きなのど飴。


(………覚えてたんだ)


 ほんの少し、嬉しさで笑みが浮かぶ。


「薬飲んでんのに、なんで熱下がらねぇんだろうな」
「わからない……」
「帰ってきてから寝たか?」
「寝てない……」
「なんだ。今も寝つき悪いのか、熱出ると」


 そっと、額に乗る大きな手。
 いつもなら払いのけるだろうその手に、沙耶は自然と安堵の息をつく。


「気持ち悪さは」
「ない……」
「寒気は」
「ある……」
「じゃあ、添い寝か」
「いらない」
「なんで。大好きな人間布団だぞ」
「あ、あれとこれとは話が違う!」


 布団を目の下あたりまで引き上げて、キッと壮司を睨み付ける。わざわざ布団を引き上げたのは、あの日のことを思い出して赤くなった顔を隠すため。意地でも見られたくないのだろう。
 しかし、なんとなくそのことに気付いたのか。壮司は口元を手の甲で押さえて笑っている。


「………何笑ってんのよ」
「別に」
「何様よ。腹立つわ」
「お前が言うか、お前が」
「お前言うな。何様だ」


 そう言いながらも、額に乗せられている手を払いのけようとはしない。
 沙耶の性格から、絶対に口には出さないが……。壮司の手の温かさですら心地いいらしい。さすが、沙耶も虜になる人間布団だ。
 すると、一人でいる時にはまったくなかった眠気が、徐々に近付いてくるのを感じ始める。


「……………」
「小さい時のこと、覚えてるか?」
「?」
「沙耶って、転んでケガしても、誰かとケンカしても泣かねぇのに、熱出した時だけは絶対に泣くんだよな。ヘドロまみれになった時だって泣かねぇのに」
「またヘドロ……」
「衝撃的だったんだよ。俺はあの出来事を一生忘れねぇ」
「忘れろ……」
「嫌だね」
「………はぁ。………私、そんな泣いてたっけ」
「あぁ。『苦しいよ、寂しいよ』ってグズグズ泣いてたな」
「……………」
「で、俺が見舞いに行くと一発で泣き止む」
「ウソつくなや」


 低く、穏やかな優しい声が心地よく耳に届く。
 沙耶は、なぜかその声をもっと聞きたくなって、ゆっくりと目を閉じる。


「体調崩すと寝つき悪くなるよな」
「ん……」
「そういえば昔、おばさん言ってたな」
「何……?」
「俺が傍にいると、嘘みたいにすぐ寝るって」
「……………」
「なんでだろうな」


 徐々に遠退いていく意識の中、耳元で小さく笑うような息づかい。はっきりとしない虚ろな頭で、沙耶が昔の記憶を辿り、思い出したのは―――。


(あぁ……。そうだ……。壮司は、風邪をひいた私のお見舞いに来ると、いっつも私のおでこに手を置いてた……。『早く治りますように』って笑ってたっけ……。なかなか寝つけない私のために、いろんな話をしてくれたな……。だからかな……。傍にいると、安心して眠たくなるのは……)


 自分の額に乗せられている大きな手の心地よさに、そんなことを思う。
 そして、いつもの沙耶なら、自分に触れてくる手を払いのけるのだが……。それをしないのは、風邪で弱っているせいだろうか。


「沙耶」
「……………」
「早く良くなれよ」


 眠りに落ちる寸前。
 沙耶は、微かに聞こえた優しいその声に―――。安心したように意識を手放した。

 
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