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1章

新生活 2

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 朝になり、エイミーに手伝われて着替えていると、「朝食の準備ができておりますので、ご都合の良い時にお越しください」と使用人らしき方の声がした。

「支度ができましたら向かいます」

 扉の外に声をかけて、私は昨日の夜に見たユリシーズを思い出していた。
 今のところ、私がクリスティーナ様と別人だと気付かれている感じはしない。
 だけど、昨日見た控えめなユリシーズには何か違和感がある。

「エイミー、実は昨晩、ユリシーズを見たの」
「えっ……?! それは一体……」
「見間違いでなければ、あの窓の外にいたわ」
「あの窓、ですか?」

 私が指をさした窓の方を見て、エイミーは困惑していた。

「確かにバルコニーはございますが、部屋の中からでなければ立ち入れない場所ではないでしょうか?」
「部屋の中からでないと……?」

 エイミーの言ったことが分からなくて、私は首を傾げた。

 そうよ、ここは2階で……外のバルコニーはこの部屋からしか行けない作りになっている。
 あのユリシーズは、どこから来てあの窓の外に立ち、どこに消えたの?

「もしかして、夢でも見たのですか?」

 エイミーは私が夢と現実の区別もつかなくなったのだろうと笑う。
 あれが夢なわけがない。
 私はあの時、確かに窓に張り付いて外を見て……窓がひんやりとしていた感覚も覚えている。

「……?」

 あまりに不可解で唸ることしかできない。
 私は着替えが終わり、エイミーによって髪を整えられた。


「おはようございます」

 食堂に着くと、昨日と同じようにユリシーズが席に着いていた。
 その前の席に着き、目の前に座る男性を眺める。

「おはようございます……朝からお美しいのですね……」

 ほうっと感嘆を漏らしながらそう言ったユリシーズは、銀色の目をキラキラさせていた。
 朝から……昼から美しい方っていうのもいるのかしら? 私にはよく分からない。

「ありがとうございます。ユリシーズは、昨晩何をしておりましたの?」
「昨晩、ですか?」

 しらばっくれるつもりかしら?
 あの時、一瞬だけ目が合ったわ。

「外にいませんでしたか?」
「……いました」
「あんな暗い中で何を?」
「クリスティーナ様が安全に過ごせるように警備を……」
「警備とは?」

 ユリシーズは、口ごもって何も言わなくなってしまった。

「夫婦なのに夫の行動が理解できないというのはどうなのかしら」
「あ……」

 気まずそうに一度うなだれて、ちらりとこちらを見てきた。
 私はずっとそちらを見ていますが。

「その、詳しくは言えないのですが、決してやましい気持ちなどなく」
「……では、話せる日が来たら教えてください」
「話せる日が来たら?!」
「来ないの?!」

 どんな事情があるか知らないけれど、そのうち打ち明けてくれるかと思ったら。

 ……まあ、私も本当はクリスティーナ姫ではなく子爵令嬢のアイリーンだという事実を墓場まで持っていくつもりだったりするけれど。

「とりあえず、朝食にしましょうか」

 ユリシーズはそう言って話を切り替えようと執事に朝食を持ってこさせる。
 今朝の朝食はオムレツに茸のソテー、丸パンに野菜のスープ。普通。

「普通の食卓ですね」
「もしかして、公爵家はもっともっと立派な食事が出ておりますか?」
「いえ、そういう意味ではありません。手紙でユリシーズが豚を絞めたらしい雰囲気がしておりましたので、もっと奇抜な料理が出てくるのかと構えておりました」
「ああ、いえ、豚は新月になる前に生き血も含めていただくことになっておりまして」
「……それは、どういう習慣ですか?」

 なんだか怪しい。まさか悪魔崇拝の儀式か何かを……?

「新月の日には獣の肉を食べないというのがオルブライト家に伝わる健康法なのです」
「健康法?? 聞いたことがありません」
「もう新月は過ぎましたから、獣の類は食べられます。お手紙を送った日は、ちょうど豪華な豚料理を食べた日でした」

 つまり、私もこれからは新月に向かう前に豪華な獣料理とやらを食べ、そのあとは獣料理を控え、新月が終わったら普通に戻る、と。

「不思議な習慣ですが、覚えておきます。新月は月の初め、1日ですから分かりやすいですね」

 豚の生き血は美味しくなさそうだけど、新月に向かって獣肉を控えるという食生活は面白い。
 そう思いながら朝食をいただいて、時折、向かいに座るユリシーズの方を見る。

「ユリシーズは普段、どんなお仕事を?」
「……実は、戦地から戻ってどうしたものかと」
「どうしたものか??」
「お恥ずかしい話、これまではずっと戦地にいればそれが仕事だったのです。ところが戦争が終わってしまい、私の仕事は無くなりました。勲章やら褒章、領地経営やらで、別の仕事をしなくても充分生きては行けるのですが」
「なるほど……」
「家族がいれば毎日やることができると言われまして」
「結婚を決めたということでしょうか?」

 ユリシーズは恥ずかしそうにうなずいた。

「皇帝陛下が何でも欲しいものを言ってみろとおっしゃったので、公爵家のクリスティーナ姫を望んでみたのです。皇帝だからそのくらい叶えて下さるだろうと期待をしまして」
「それなりに大変でしたよ?」

 私が身代わりに立てられるくらいに。

「そうでしょうね。私もダメ元と言いますか、そんなのは無理だと言われたら諦めるつもりだったのですが……」
「その程度だったのですか?!」
「あ、いえ、そういう意味ではなくて、クリスティーナ様に勝手に焦がれてしまったのは私の都合なので」

 まあ、クリスティーナ姫は素敵な人よね。
 顔は私とそれほど違わないけれど、なんというか、お姫様らしい潔さがあって。

「わたくしの何が、そんなに良かったのですか?」

 この人は、クリスティーナ姫のどんなところに惹かれたのだろう。
 確か、一瞬だけしか目の前に現れたことがなくて、会話も交わしたことなんかないとクリスティーナ姫は言っていた。

「本人を目の前にして言うのは、なんだか緊張します……。クリスティーナ様は帝国の勝利のために私たちのところまでお越しくださいましたよね? 負傷者が多く、その場には絶望的な空気が流れていました。クリスティーナ様は負傷者ひとりひとりの目を見て、そして私たちに言いました。『帝国は、随分と傷つきましたね』と」
「……続けて」

 覚えていないんじゃなくて、知らないから。

「赤い髪を靡かせ、目を悔しそうに歪めておられました。『これが、大切な犠牲だと言うつもりはありません。傷つけば痛い、わたくしも同じです』と、我々と同じ立場で寄り添ってくださいました。とても美しい方だと、私は一瞬で……」

 恋に落ちた、と。
 うん、まあそれは間違いなくクリスティーナ姫だわ。そして私ではない。
 ユリシーズが惹かれたのは見た目ではなくクリスティーナ姫そのものだわ。

「よく、そんなに詳しく覚えていらっしゃいましたね?」

 実際にクリスティーナ姫が言った言葉を、一言一句間違えないように再現していそうな記憶力。

「その場で記憶しまして、忘れたくないので書き残しました。それを何度も読み直しておりましたので、恐らく詳しく覚えていたのではないかと」

 ……ちょっと怖い。

「ユリシーズ、わたくしはそんなに素晴らしい人間ではないわ」
「謙遜なさらないでください。それに私は、クリスティーナ様が実際はどんな方でも構わないと思ったのです」
「……性格が物凄く悪くて、我儘でも?」
「むしろ、我儘は言われたいです」
「あなたを傷つけるようなことをするかもしれないわよ?」
「平気です。戦場でついた傷が既に沢山あります」
「いえ、その傷のことではなく」

 ユリシーズにとって、クリスティーナ姫は崇拝に値する存在なのだろう。
 相手がクリスティーナ姫ならそうなってしまう気持ちはよく分かる。

 この人が、クリスティーナ姫の顔に惹かれていてくれていたら良かった。
 そうすれば、私がアイリーンだとしても騙すことも傷つけることもせずに済んだのに。

「一緒にいたこともないわたくしを伴侶として選ぶなんて、賢いとは言えないわ」
「いいのです、自分の選択を後悔はしません」

 堂々と、自信をもって宣言される。
 困ったことに、死神らしさもなければ、ただの感じのいい優しそうな人にしか見えない。

 どうしてこんなにイメージと違うのかしら……。
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