売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

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1章

夜の旦那様

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「ところで、ユリシーズは毎日何をしているのですか?」

 朝食が終わり、私はユリシーズの生活について尋ねた。

「そうですね……本を読んだり、たまに身体を動かしたり……」
「本日は何をしますか?」
「……と、言いますと?」
「わたくしとユリシーズは、本日どうしましょう?」

 私は当たり前のことを聞いただけなのに、ユリシーズは顎が外れそうなくらい口を開けて驚いていた。

「クリスティーナ様が、私に付き合ってくださるのですか?!」
「夫婦ですから、それは当然では?」
「そうなのですか?!」
「わたくしも夫婦の経験がないので分かりませんが、恐らく」

 にこりと笑うとユリシーズの顔がぱあっと明るくなる。
 犬のように分かりやすい方だわ。尻尾があったら振れているわね。

「クリスティーナ様、なにか我儘を言ってくださいませんか?!」
「そうですね……ティーサロンで紅茶を飲みながらお菓子をいただいてみたいわ。こちらの領地にそういった場所はおありかしら?」
「勿論です! それではご案内します!」
「あと、わたくしは服をあまり持ってきていません。ユリシーズ好みのドレスを作りに行きたいわ」
「私の好みですか?!」

 天井まで飛び上がりそうな勢いで椅子から立ち上がってしまっている。

「お金がかかる女はお嫌いかしら?」

 にこりと微笑むと、ユリシーズは首をぶるぶると激しく振った。

「女性のドレスについて詳しいことは存じ上げませんが、クリスティーナ様が身に着けるものでしたら喜んで買わせていただきます!」

 うーん、不思議ね。これが死神伯だなんて。人違いではないのかしら?
 亡くなった婚約者の方がよっぽど邪悪だったわ。
 私が意見を言おうものなら、殴りかかる振りをして脅してきたもの。

 ……ああ、相手は故人なのに嫌なこと思い出しちゃった。

「ありがとう、ユリシーズ」
「いえ、そんな。私のような者がクリスティーナ様を妻に迎えられるだけで奇跡なのですから」

 ズキン、と心が痛んだ。

 そうよ、ユリシーズ。
 あなたにクリスティーナ姫を与えることはできないと、公爵様も皇帝陛下も私を代役に立てたの。
 だからそんなに喜ぶのは間違いなのよ。
 だって私は、クリスティーナ姫ではないのだから。

 こんなに良くしていただく価値、私にはないの。



 私たちは馬車に乗って移動している。ユリシーズが隣に、エイミーは向かいに。

「わたくしがこんな性格だとは、思わなかったでしょう?」
「……そうですね」

 そうか、やっぱり以前のクリスティーナ姫とは別人に見えるのね。
 本当に別人だから仕方ないか。クリスティーナ姫は尊い方なのよ。

「もっと近づきがたい方で、私のことなど眼中に入れてくださらないと覚悟をしていました。こんなにお優しく、楽しそうに見つめてくださるとは……」
「それは……」

 確かに、クリスティーナ姫は他人に対して比較的無関心なタイプかもしれない。たまたま私とは馬が合ったけれど、普段は誰に対してもクールだ。
 もしここにいるのが私ではなく本物のクリスティーナ姫だったら、反応は相当薄かったような気がする。

 そうね、私はちょっと違うの。実際にお姫様でもないし、クリスティーナ姫とは違って庶民的になってしまうんだわ。

「ユリシーズが、かわいい人だったからずっと見ていました」
「かわいい?!」
「ええ、わたくしの夫は、こんなにかわいい方なのだと思いました」
「そんな、クリスティーナ様の方がずっとずっと……」

 ユリシーズはそこで固まって真っ赤になった。

「もしかして、かわいいと思ってくださいました?」

 いじめたくなって、こちらから聞いてしまう。

「ああ、無礼でした、申し訳ございません……! クリスティーナ様にかわいいなど、まるで赤子相手のような言い方を……」
「いいえ? わたくしは男性相手にかわいいと言っております。もっと無礼では?」
「いえ、私は怖いと言われてきたので光栄です」

 やっぱり怖いと言われているのね。
 ……これが?? あれ?? 私の感覚がずれているの??

「では、これからもかわいいと思ったら遠慮なく言いますね」
「は、はいっ。私は、常に美しい、かわいらしい、と思っていまして」
「え?」
「ですから、言おうと思った時に口に出しますが、基本は常に思っているのだと考えていただければ」

 そこで、隣に座っていたユリシーズがこちらをちらりと見る。
 咄嗟に私はユリシーズとは反対側を見て顔を逸らしてしまった。
 ……常に美しい、かわいらしいと思っている??
 その言葉に、どうしようもなく恥ずかしい気持ちが湧いて顔が熱い。

 早まってはダメよ、アイリーン。
 この方は死神伯で、薔薇に血を掛けて贈ってくるような方なのよ?
 美しいとかかわいらしいと言われただけで舞い上がるなんてどうかしてるわ。

 ーーだけど、これまで私の人生には下心抜きで褒めてくれる方などいなかった。
 この結婚は嘘だらけで、私はユリシーズを騙しているのに。

 なんだか複雑な気持ちになってしまう。
 ここにいるのが本物のクリスティーナ姫だったら良かったのに。
 この方なら、クリスティーナ姫だって怖がらなかったはずだわ。

  ***

「おい、お前、クリスティーナじゃないだろ」

 不躾に声がして、私は目を覚ます。

「えっ?! 何?! 夢??」

 起き上がって辺りを見回すと、真っ暗で枕元にある燭台の周りだけが明るい。
 そして、私の前にはユリシーズの顔があった。だけど何だか違和感が……。

 だめだ、起き抜けで頭が働かない。

「おい、無視か?」
「はっ。あなたこそ、本当にユリシーズなの??」
「俺はユリシーズの夜側だ。Noxノクスと呼んでくれたらいい」
「ノクス??」
「昼のやつが意識を失ってから来てるから、ここで話したことはあいつには伝わらない。だから正直に話せ。お前、クリスティーナじゃないな?」
「……どうして、そう思うの?」

 ベッドで起き上がっている私の横に、雰囲気の違うユリシーズがいる。
 私の耳元に顔を近づけて、くんくんと鼻を鳴らした。

「匂いが違う」
「匂い?!」
「俺は嗅覚がお前らの何千倍も鋭い。顔よりも匂いで人を見分けられる」
「……そうなの?」
「そうだ。クリスティーナのような生意気な匂いがお前からはしない。安い飯しか食ってこなかったんだな」
「……複雑だわ」

 安い飯しか食ってこなかった匂いがすると言われてしまった。
 確かに私は子爵令嬢とはいえ庶民的な生活しかしていないし、実家の屋根裏部屋で残飯を出されたりしていたから、大して良いものを食べてきていないのは間違いない。

「ユリシーズ、あなた……耳が?」

 ようやく違和感に気付く。耳が、人間の耳じゃない。

「あん? ああ、そうだな」

 得意げに言って、ユリシーズは頭から生えた二つのふさふさした黒い耳をぴょこっと動かした。

「クリスティーナの見た目をした女、お前の本名は?」
「……アイリーン」
「アイリーン」

 名前を呼ばれて、身体がぞくりと震える。こんな感覚、私は知らない。

「俺はクリスティーナなんか嫌いだが、お前は好きだ」
「……?」
Diesディエスのやつが勝手にパートナーを決めやがったが、来たのがお前でよかった」
「どういうこと?」
「うちの一族は生涯一人の伴侶しか持たない。伴侶が死んだら後を追うように衰弱死する。そのくらい、パートナーと強い縁を築く」

 ノクスのユリシーズは、私の顎を掴む。
 抵抗する隙もなく、そのまま絡めとられるように唇を奪われた。

「鈍いやつ」

 ユリシーズは愉快そうに言って離れると、私の頬をぺろりと舐めた。
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