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1章

昼と夜、ふたりの夫

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「お前が好きだ、アイリーン。生涯の伴侶になって欲しい」

 自分を「ノクス」と名乗ったユリシーズは、私の手を握って熱っぽい目をしている。
 私は男性から好きだと言われるのもキスをされるのも、ましてや頬を舐められるのだって初めてで、心臓がバクバクとやかましい音を立てていた。

「たったいま、匂いが変わったぞ。どうやらお前も俺が好きなんだな」
「えっ?!」

 匂いってそういう感じが出るの??
 いえ、まだ出会ったばかりだからよく分からないし。
 でも、男の人に触れられるのが嫌だった私にしては、嫌悪感が襲ってきていない。

 もう夫婦だからと納得しているから……?
 そうよ、夫婦だから全く問題ないのよね??

「新月と満月の日なら、俺はもっと自由に活動できる。それ以外の日は、あいつの意識を残しながらの行動になる」
「……それってどういうこと?」
「ユリシーズの基本は昼(ディエス)が支配してるってことだよ」
「じゃあ、ノクスは新月の日以外はいないってこと?」
「単独の意識で動けるのは新月と満月の夜くらいだな。でも、ユリシーズの常人を超えた力は、俺のものだ」
「……?」
「まあ、次に会った時に教えてやるよ。もっとかわいがってやるから」

 ユリシーズはそう言って私の頭に口付けると、そのまま窓から飛び出して夜の闇に消えた。消える前、バルコニーの手すりに立ち、こちらを振り返ってにこりと笑って。

 ユリシーズの背には、黒くてふさふさの尻尾が揺れていた。
 ぽかんとしてしまって、暫く自分の身に起きたことが受け入れられない。

「……なんだかすごいことを言われた気がする」

 夢かな? と思って自分の頬をつねってみた。

「痛い……」

 これ、現実なんだ……。
 あまりにショックが大きかったのか、私はその場でバタリと倒れ、気を失っていた。


 朝、目が覚めると、全てが夢だったのかと思った。
 でも窓が開いていて、外から入り込んだ風が私の頬を撫でる。
 そういえばユリシーズが出て行ったとき、窓を開けられてそのままだったのを思い出した。

 私、ユリシーズと初めてのキスをした。
 生々しい感覚が残っている。

 ……見た目は同じなのに耳が頭から生え、ノクスと名乗る人。別人のような口調で話すユリシーズ。

 あれは確かにユリシーズだった。
 だけど、昼間のユリシーズとは別人だったから、頭が混乱している。

 ノクスと名乗るユリシーズは、軽く匂いを嗅いだだけで私をクリスティーナ姫とは別人だと見破った。
 そして、クリスティーナ姫は嫌いだけれど、私が好きだと言った。

「生涯の伴侶になって欲しい」と焦がれるような目で懇願された。
 あの言葉と顔が、頭から離れない。

 昨日は昼間にデートをした。
 ユリシーズは私を素敵なティーサロンに連れて行ってくれて。
 お店で私を妻だと紹介してくれて、優しい顔で一緒に過ごしてくれた。

 その後は仕立て屋に行き、私の青い目に似合うと水色のドレスを作ってくれたり、甘い雰囲気がすると言ってピンク色のドレスをプレゼントしてくれたりした。

 昼のユリシーズだという「ディエス」は、優しくて安心できる人だ。
 それに比べて「ノクス」のユリシーズには、安心できない雰囲気がある。

 昼間の……ディエスのユリシーズは、ノクスの存在を私に隠している。
 夫婦なのに部屋が別々なのも、恐らくそういう事情なのだと思う。

 ノクスのユリシーズは私が身代わりのアイリーンだと知ってしまったけれど、ディエスのユリシーズはまだ気付いていない。

 ディエスもノクスも見た目は同一人物なのに、全くの別人だった。
 ノクスには、見たこともないふさふさの耳と尻尾があったのも含めて。

「なんなの、この状況」

 急に冷静になって呟いた。あらゆることが理解しがたい。

「ん……お嬢様……ではなくて、クリスティーナ様、おはようございます」

 隣のベッドで寝ていたエイミーが目を覚ました。

「おはよう、エイミー」

 ああ、ユリシーズの事実を言いたくてたまらないけれど、私が変な夢を見ているのだと心配されてしまう。
 でもどうしよう、どこか一部だけの情報でも言いたい。

「ねえ、私、ユリシーズのことが好きなのかしら?」
「ああ……ユリシーズ様は素敵な旦那様だと思います……」

 寝ぼけながら、エイミーは賛成してくれた。
 起きてすぐに着替えているところは行動が早い。
 昨日のデートに同行していたエイミーからすると、妥当な感想はこうなるらしい。

「昨日の夜、ユリシーズが部屋に来て……キスをされたわ」
「えっ?! そんなことが?! ああ、私が邪魔者でしたね」
「違うの、まだユリシーズは私と寝たいとは思っていないみたいで」
「??」
「彼に対してなんだか混乱しているの」

 昼(ディエス)のユリシーズは、夜(ノクス)の存在がなかったら、私と部屋を一緒にしたのだろうか。

「死神伯と呼ばれるくらいの方ですから、怖がられているのを自覚して遠慮されているのでしょう。きっと、時間が解決してくれますよ」

 エイミーはそう言って私を元気づけてくれようとした。時間が解決、か。私は次にノクスに会う時のほうが心配。



「おはようございます」

 食堂に着くと、私の格好を見てユリシーズは目をキラキラさせていた。

「昨日、ユリシーズに選んでいただいたドレスです。ピンクの方は後日届きましたら披露いたしますね」
「はい。クリスティーナ様は何を着てもお美しいのですが、水色も赤い髪を際立たせて素敵です」

 ユリシーズはそう言って純粋な目で私を褒める。

 赤い髪は、私のものではない。クリスティーナ姫を真似て染めた偽物の私。
 目の前のユリシーズは、私とクリスティーナ姫の区別がつかない。
 それが正解なのに、なんだかとても悲しい気持ちになる。

 アイリーンの金髪にだって……この水色は似合うわ。
 そっと、心の中でだけ呟いた。

「ところで、子どもは何人必要なのですか?」

 私が尋ねた時、ユリシーズは紅茶を口に含んでいた。慌ててカップを置き、大げさなほどむせている。

「あ、ああ……そうですね。家族計画のことを全く話していませんでした」

 気まずそうに言って息を整えてながら、「至らなくてすみません」と苦笑いした。

「わたくしは、結婚とはそういうものなのだと」
「相手の家に子を残すと?」

 私がうなずくと、ユリシーズは首を振る。

「オルブライト家のためにクリスティーナ様が無理をする必要はありません。養子を迎えても良いと思っています」

 これは間違いなく、昼(ディエス)の言葉だ。
 夜に会ったもう一人のユリシーズ「ノクス」は、私を生涯でただ一人の伴侶にしたいと言っていた。

 あのユリシーズなら、私に彼の子を望むだろう。
 どうして、目の前のユリシーズは違うの?

「だから、私たちは別々の部屋で寝ているのですか?」

 私はユリシーズに聞いた。
 ディエスのーー昼のあなたに。
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