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1章
忠告 2
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ユリシーズの鋭い犬歯が口からはみ出し、牙を剥いている。
首を絞められている執事は苦しそうに顔を歪めていた。
私がしがみついているユリシーズの腕には力が入っているのか、硬く、震えている。
息を荒くして、怒りを必死に抑えているように見えた。
「ユリシーズ! 昨日わたくしに人狼(ウェアウルフ)の姿を見せたのは、あなたなの。ノクスがわたくしに姿を晒したのよ」
「……そういうことか」
小さく呟くと、腕の力が抜けて指から伸びていた爪が元に戻っていく。
執事はその場に放られ、どさりと床に落とされた。
「ご主人様、年寄に対して乱暴です」
苦しそうに起き上がり、執事は抗議の声を上げた。
外傷がなさそうな様子にほっとして、ユリシーズをまっすぐ見つめる。
「ノクスは、何も隠さなかったわ。人狼の姿で、ただわたくしを好きだと言った。あれは、あなたではなかったの?」
「……私の記憶にありません」
「嬉しかった。誰かに好きだと言われたのは初めてだったから」
「クリスティーナ様をずっとお慕いしていたと伝えたはずなのですが、それは好きだと言ったことにはならないのでしょうか?」
ユリシーズの銀色の目が、無表情なままこちらを見ている。
この顔を戦場で見たら、死神伯だと誰かが言ってしまうのも納得できる。
なんて、温度の低い目。
「その慕い方は、憧憬でしょう? 愛情とは違う」
「私には、よく分かりません」
「夜のあなたは愛情で接してくれた。わたくしも、それを返せるようになりたい」
ユリシーズは何かを考えているようだった。
暫く沈黙が続き、ようやく重い口を開く。
「ノクスは、私とは違う。狼の性質が強く、人よりも単純かもしれません」
「ディエスは分かりづらいのですか?」
「そうですね。……実は色々と迷っていることが多いのです」
目の前のユリシーズ……ディエスは葛藤しているように見える。
同じユリシーズなのに、無邪気に私を慕ったノクスとは別人だ。
「とりあえず仲直りしませんか?」
「仲直りですか?」
私が両手を開いてハグを求めると、仕方なさそうにユリシーズは遠慮がちに私を抱きしめる。
まるで、怒られた犬が尻尾を垂らしてすまなそうに近寄るような、かわいいハグが微笑ましい。
「これからずっと一緒にいるというのに、どうしてわたくしに人狼のことを隠そうとしたのですか?」
「……公爵家のお姫様が、獣に嫁ぐなど許されないはずです」
そういうことだったの。
確かに、クリスティーナ姫が人狼に嫁ぐなんて聞いたら倒れてしまうかもしれない。
ユリシーズは左手を私の背に回したまま私の髪に右手を当て、するすると滑らせていった。
心地よい感覚に身を委ねると、冷たい唇が頬に触れる。
「いい香りがします」
「どんな?」
「マジョラムのような、甘くてピリリとした香りです」
「そう。美味しそうなチャイブより色気があるわね」
「誰がチャイブだと?」
執事の立場を守るために私がくすりと笑って首を振ると、背に回された手にぎゅっと力が入った。
「満月と新月の夜はもう一人の自分、ノクスに意識を奪われてしまいます。それ以外の夜も、ノクスの人格が強くなり別人のように振る舞うと思います」
「分かりました。そういうものだと思っておきます」
「クリスティーナ様……」
あなたが呼ぶ名がクリスティーナ姫の名だとして。
クリスティーナ姫を死ぬまで演じると決めたのだから、いちいち気にしている場合じゃない。
見上げるとそこには夜空に浮かぶ静かな月のような銀色の目。
吸い込まれそうな、夜の湖水を思わせる不思議な光。
「わたくし、あなたの部屋に勝手に入りました」
「なにか収穫はありましたか?」
「執事にあなたが人狼だと教えてもらえたことかしら?」
「それ以外は?」
「特にありません」
「よかった」
よかったと言ってほっとしているのが不可解で、軽く首をかしげる。
これ以上の秘密でもあるのかしら。
「クリスティーナ様に書いた手紙には没にしたものが沢山あるのです。発掘されたら恥ずかしかったので見つからなくて安心しました」
「別に恥ずかしくなんかないと思うわ」
「真剣に悩んだ過程を見られるというのは、なかなか恥ずかしいですよ」
「でも保管はしているのね?」
「そうですね、その時の自分の気持ちも大切にしたいと思ったのです」
「分かりました、ユリシーズが見られたくないものには触れないようにします」
それは私宛ではなく、クリスティーナ姫に宛てられる過程で書かれたもの。本人が見せたくないと言うのなら、目に入れないようにしよう。
「夜に会うのは暫くやめましょう。どうやら手が早いらしいもう一人の自分が信じられません」
「はい」
ユリシーズはそう言って私の手を握り、廊下を歩き出す。
どんな顔をしているのか、見ることができなかった。
私の前を歩くユリシーズが話し始める。
「ノクスを封じたいと研究もしたのですが、大きな問題もありまして」
「ノクスを封じる問題、ですか?」
「はい。人狼は群れの序列が大事です。ノクスは中でも圧倒的な強さを持っていて、普段の私では到底その域に行けない。領地の秩序が乱れます」
ってことは……この領地内には他にも人狼の人がいて、ノクスの力で「群れの」秩序が保たれているっていう意味?
「それに、帝国のためとはいえノクスの力に頼り切って生き延びましたから」
「わたくしは、ノクスのことも好きですよ」
「ノクスのことも?」
ユリシーズが勢いよくこちらを振り返る。
驚いていると、「それはつまり、私のことも好きだということでしょうか?」と真顔で聞かれた。
「そうですね、ユリシーズは……ディエスは、かわいいですから」
私が笑うと、ユリシーズは少しだけ残念そうな顔をする。
まだ、この気持ちがどんな感情なのか分からないけれど。
穏やかな「好き」だから、私がクリスティーナ姫に感じた「好き」と同じようなものなのかもしれないけれど。
あなたが人狼だと知っても、私が今まで出会って来た嫌な視線を向ける人たちよりもよっぽど……伴侶としては好ましいと思える。
繋がれた手が、絡められた。
私たちの距離が、ほんの少しだけ近づいた気がする。
まっすぐ前を見て私の手を引くユリシーズの耳が、火がついたように赤くなっているのが見えた。
首を絞められている執事は苦しそうに顔を歪めていた。
私がしがみついているユリシーズの腕には力が入っているのか、硬く、震えている。
息を荒くして、怒りを必死に抑えているように見えた。
「ユリシーズ! 昨日わたくしに人狼(ウェアウルフ)の姿を見せたのは、あなたなの。ノクスがわたくしに姿を晒したのよ」
「……そういうことか」
小さく呟くと、腕の力が抜けて指から伸びていた爪が元に戻っていく。
執事はその場に放られ、どさりと床に落とされた。
「ご主人様、年寄に対して乱暴です」
苦しそうに起き上がり、執事は抗議の声を上げた。
外傷がなさそうな様子にほっとして、ユリシーズをまっすぐ見つめる。
「ノクスは、何も隠さなかったわ。人狼の姿で、ただわたくしを好きだと言った。あれは、あなたではなかったの?」
「……私の記憶にありません」
「嬉しかった。誰かに好きだと言われたのは初めてだったから」
「クリスティーナ様をずっとお慕いしていたと伝えたはずなのですが、それは好きだと言ったことにはならないのでしょうか?」
ユリシーズの銀色の目が、無表情なままこちらを見ている。
この顔を戦場で見たら、死神伯だと誰かが言ってしまうのも納得できる。
なんて、温度の低い目。
「その慕い方は、憧憬でしょう? 愛情とは違う」
「私には、よく分かりません」
「夜のあなたは愛情で接してくれた。わたくしも、それを返せるようになりたい」
ユリシーズは何かを考えているようだった。
暫く沈黙が続き、ようやく重い口を開く。
「ノクスは、私とは違う。狼の性質が強く、人よりも単純かもしれません」
「ディエスは分かりづらいのですか?」
「そうですね。……実は色々と迷っていることが多いのです」
目の前のユリシーズ……ディエスは葛藤しているように見える。
同じユリシーズなのに、無邪気に私を慕ったノクスとは別人だ。
「とりあえず仲直りしませんか?」
「仲直りですか?」
私が両手を開いてハグを求めると、仕方なさそうにユリシーズは遠慮がちに私を抱きしめる。
まるで、怒られた犬が尻尾を垂らしてすまなそうに近寄るような、かわいいハグが微笑ましい。
「これからずっと一緒にいるというのに、どうしてわたくしに人狼のことを隠そうとしたのですか?」
「……公爵家のお姫様が、獣に嫁ぐなど許されないはずです」
そういうことだったの。
確かに、クリスティーナ姫が人狼に嫁ぐなんて聞いたら倒れてしまうかもしれない。
ユリシーズは左手を私の背に回したまま私の髪に右手を当て、するすると滑らせていった。
心地よい感覚に身を委ねると、冷たい唇が頬に触れる。
「いい香りがします」
「どんな?」
「マジョラムのような、甘くてピリリとした香りです」
「そう。美味しそうなチャイブより色気があるわね」
「誰がチャイブだと?」
執事の立場を守るために私がくすりと笑って首を振ると、背に回された手にぎゅっと力が入った。
「満月と新月の夜はもう一人の自分、ノクスに意識を奪われてしまいます。それ以外の夜も、ノクスの人格が強くなり別人のように振る舞うと思います」
「分かりました。そういうものだと思っておきます」
「クリスティーナ様……」
あなたが呼ぶ名がクリスティーナ姫の名だとして。
クリスティーナ姫を死ぬまで演じると決めたのだから、いちいち気にしている場合じゃない。
見上げるとそこには夜空に浮かぶ静かな月のような銀色の目。
吸い込まれそうな、夜の湖水を思わせる不思議な光。
「わたくし、あなたの部屋に勝手に入りました」
「なにか収穫はありましたか?」
「執事にあなたが人狼だと教えてもらえたことかしら?」
「それ以外は?」
「特にありません」
「よかった」
よかったと言ってほっとしているのが不可解で、軽く首をかしげる。
これ以上の秘密でもあるのかしら。
「クリスティーナ様に書いた手紙には没にしたものが沢山あるのです。発掘されたら恥ずかしかったので見つからなくて安心しました」
「別に恥ずかしくなんかないと思うわ」
「真剣に悩んだ過程を見られるというのは、なかなか恥ずかしいですよ」
「でも保管はしているのね?」
「そうですね、その時の自分の気持ちも大切にしたいと思ったのです」
「分かりました、ユリシーズが見られたくないものには触れないようにします」
それは私宛ではなく、クリスティーナ姫に宛てられる過程で書かれたもの。本人が見せたくないと言うのなら、目に入れないようにしよう。
「夜に会うのは暫くやめましょう。どうやら手が早いらしいもう一人の自分が信じられません」
「はい」
ユリシーズはそう言って私の手を握り、廊下を歩き出す。
どんな顔をしているのか、見ることができなかった。
私の前を歩くユリシーズが話し始める。
「ノクスを封じたいと研究もしたのですが、大きな問題もありまして」
「ノクスを封じる問題、ですか?」
「はい。人狼は群れの序列が大事です。ノクスは中でも圧倒的な強さを持っていて、普段の私では到底その域に行けない。領地の秩序が乱れます」
ってことは……この領地内には他にも人狼の人がいて、ノクスの力で「群れの」秩序が保たれているっていう意味?
「それに、帝国のためとはいえノクスの力に頼り切って生き延びましたから」
「わたくしは、ノクスのことも好きですよ」
「ノクスのことも?」
ユリシーズが勢いよくこちらを振り返る。
驚いていると、「それはつまり、私のことも好きだということでしょうか?」と真顔で聞かれた。
「そうですね、ユリシーズは……ディエスは、かわいいですから」
私が笑うと、ユリシーズは少しだけ残念そうな顔をする。
まだ、この気持ちがどんな感情なのか分からないけれど。
穏やかな「好き」だから、私がクリスティーナ姫に感じた「好き」と同じようなものなのかもしれないけれど。
あなたが人狼だと知っても、私が今まで出会って来た嫌な視線を向ける人たちよりもよっぽど……伴侶としては好ましいと思える。
繋がれた手が、絡められた。
私たちの距離が、ほんの少しだけ近づいた気がする。
まっすぐ前を見て私の手を引くユリシーズの耳が、火がついたように赤くなっているのが見えた。
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※本作品は、エブリスタ様・小説家になろう様でも掲載しています。
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