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1章

あなたを想う

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 ノクスと一緒に小旅行先の民宿にいる。それも、都合が悪いことにベッドの上で乗りかかられながら。
 ノクスは、狼の耳と大きな尻尾がついていて、人狼化している夜のユリシーズ。

 ここはお城だったところに村長さん家族が住んでいて、その一室を貸してくれるような場所。
 傍から見るとロマンチックな新婚旅行の夫婦だけれど、私はノクスに頬を噛まれていて、現在この状況をどうするべきか困っている。

「狼って、頬を噛み合うものなの?」
「愛情表現だが、あんまり伝わらないか?」
「……」

 伝わらないというか、むしろ食べられそうで怖い。
 ノクスは牙のような犬歯が目立つ。あれが刺さったらきっと大変なことになる。

「ディエスは俺がアイリーンと寝るのを嫌がらなかったんだな」
「制御できるからって言ってたわ」
「それにしたって、ずっとアイリーンと一緒にいられる場をみすみす作るなんて腑に落ちねえって話」

 ノクスが急に昼間の自分であるディエスを疑い始めた。
 私にはその違和感が分からない。

「ディエスは、俺たちを二人きりにして試しているのかもな」
「何を?」
「アイリーンをだよ。簡単に俺に手を出されないか、ディエスに対する誠実さ? みたいなやつを」
「私??」
「俺の感覚だし、勘だけどな」

 ってことは、万が一ノクスとそういう関係になったら……。

「もしかして私、ディエスに殺される?」
「死神伯が妻殺しか。さすがにディエスでもアイリーンがクリスティーナの偽物だと気付かない限りそこまではしないだろう」
「じゃあ、何を?」
「アイリーンに傷ついた自分を見せて、俺から引き離す計画、とか?」

 引き離す、か。確かにディエスはノクスのことを獣って蔑んでいたみたいだったわね。

「引き離せる?」
「やろうと思えば方法はある」
「黒魔術?」
「そうだ」

 ディエスが詳細を教えてくれなかった黒魔術……。

「でも、ディエスだってノクスの力がないと困るんでしょ?」
「力だけ使えるようにしながら、俺を封じ込めることはできる」
「そうなの?」
「戦場ではそうしたんだ。人間の生き血を使って」
「?!」

 人間の生き血?! 穏やかじゃないわね。

「戦場で生き血は手に入りやすい。人狼の能力を引き出しながら、黒魔術で俺が出てくるのを止めた」
「……やっぱり戦場にいたのは……」
「ディエスだ。帝国の前線で決して倒れることのない兵士として、生き血を浴び続けて人殺しを続けた」
「あんなに穏やかな人が?」
「あんなに穏やか、か。狼のくせに演技が上手いんだな」

 信じられない。
 でも、ノクスの行動がディエスの監視の中だとしたら……。

「私たち、ディエスが嫌がることはできないわよ?」
「俺がアイリーンにしたいことは全部嫌がるだろ、ディエスは」

 ノクスは悔しそうな顔を浮かべてため息をつく。
 母性本能のようなものがうずいて抱きしめたくなってしまうけれど。
 私に乗りかかっているノクス。背中に伸ばしかけた手が躊躇して、そっと触れるように着地する。
 広い背中が温かい。

「俺たちは生涯の伴侶で、アイリーンの気持ちだってここにあるのにな」
「……まだ始まったばかりで、これからいくらでも時間があるでしょ?」
「酷なこと言うなよ。ディエスに封じられたら会えなくなるかもしれない」
「ノクスを封じないように私からもお願いするわ」

 ノクスは無言で私の顔を舐め、頬や唇や鼻を噛んでから遠慮がちに唇を重ねる。

「つらいな」
「ディエスを気にしなきゃいけないのが?」
「アイリーンの全部が欲しい」
「ノクス……」
「子どもだって……新しい家族だって望んでしまう」

 胸が苦しい。ぎゅっと締め付けられて、その後で大きく高鳴る。
 夫婦なのだからこれからの家族計画もある。ディエスは自分の子を持つ気がなさそうだったけれど。

 この先、私に子どもができるとしたら、どちらかの子ってことになるのかしら。
 一人の夫しかいないのに酷だわ。

「ディエスに向き合ってみるから」
「……無茶するなよ? アイリーンに何かあったら俺は生きていけない」
「そうだったわね」

 人狼は伴侶を失ったら後を追うように衰弱死してしまうと聞いた。

「今日のことが懐かしくなる日が来るわよ」
「そう願ってるけどな」

 長い長いキスをして、時々噛み合う。
 その行為のひとつひとつに、本物の愛情を感じた。
 そっとノクスの髪に触れ、頭を撫でる。

「その撫で方、今はやめろ」
「なによ、昨日はかわいく鳴いたくせに」
「今夜は寝たくない。朝がくるまで起きているつもりなんだ」
「でも、私、久しぶりの乗馬で疲れていて……眠いの」

 ノクスは私の額に口付けた。

「アイリーンの寝顔を見て、時々話しかけながら過ごすから」
「そんなの恥ずかしいわ。変な寝言を言うかも」
「楽しみだな」
「意地悪言わないで」

 頬を膨らませると、ノクスがその頬に噛みつく。
 優しく咥えられた頬に、牙の感触はなかった。

「アイリーンは、どんな家族が欲しい?」
「家族……」
「欲しかった家族は?」
「……私を愛してくれる家族が欲しかった」
「それはもう手に入っただろ」
「もう……?」
「夫は家族だろ? 俺はアイリーンが大好きだ。愛しているし、生涯ずっと愛し抜く」
「……ありがとう」

 心がほかほかしてきたから、ノクスの頬を噛んでみた。
 不意打ちに「わぅん」と小さな鳴き声が漏れて、尻尾が激しく振れた。

「かわいい」
「恰好いいの間違いだろ」

 ベッドで他愛のない話をする。
 ノクスは頭に生えた黒い耳を動かしながら、私の話を聞いていた。
 第一印象とは違い穏やかなノクスが、鋭く光る銀色の目をじっとこちらに向けて楽しそうに笑う様子をずっと見ていたい。

 今日は夜更かししたいと思っていたのに、いつの間にか瞼が重くなってきた。

「無理して起きていなくていい」

 ノクスの腕に包まれて、心地よさで私は眠りの中に落ちていく。
 意識の遠くで、ノクスの鼻が鼻に触れた気がする。

 ああ、あなたに一度も好きと言ったことがない。
 失いかけた言葉でノクスを想った。
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