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2章
奉仕
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執事のバートレットが突然ユリシーズの部屋に現れた。
私がクリスティーナ姫とは別人だというニュアンスのことを言ってくれるから、周りにいる人狼の使用人に聞かれるのではないかしらと戸惑うばかり。
部屋の中の会話であっても、人狼は耳が良いから他の場所から聞き取ることができるらしい。
気軽に会話もできやしないわ。
「変なことを言わないで。誰かに聞かれたらどうするのよ?!」
思わず大きな声が出てしまう。ユリシーズは「まあまあ」と私を落ち着かせようとした。
一体あなたはどっちの味方なの?
「この屋敷の使用人は、皆とっくに気付いておりますよ」
当然のように執事に言われ、耳を疑う。
「え?」
「どうしてご主人様にあっさり見破られたのに、他の人狼にはバレないと思えるのですか?」
「だって、面識が……」
「奥様に公爵家らしい高貴な匂いがしないことくらい、すぐに分かります」
そうだった、そういえばノクスに初めて会ったときにそんなニュアンスのことを言われた。
安い飯しか食ってない匂いがするって……。
「えっ?! みんな匂いで気付いてたってこと?」
「気付かない方がおかしいのではないでしょうか? さらに言うと、身体に異様な古傷をお持ちなことも分かります……」
執事にさらりと言われ、そんなことまで把握されていたの? と恥ずかしくなる。
出自が公爵家でないばかりか、私は親にも愛されず身体には古い虐待の痕がいくつか残っていた。
そんな匂いって何? ……私ですら、すっかり傷痕のことなんか忘れていたのに。
「クリスティーナ姫のふりをしていて……ごめんなさい」
「気になさらないでください。クリスティーナ様だろうがアイリーン様だろうが、奥様は奥様、最初からなんら変わっておりません」
「ありがとう……」
私に対して割と失礼な執事が、いつもよりなんだか優しい。
本当は、意外といい人なのかしら。
「おい、そんな風に馴れ馴れしく話すな」
突然、ユリシーズからぶっきらぼうな声が聞こえてはっとした。
ふさふさの耳と尻尾が生えた姿になっていて、どう見てもこれはノクス……。陽が沈んだのね……。
「申し訳ございません」
頭に耳が生えた執事は普段見てきた姿に比べてずっと腰が低くなっている。
この人が、こんな風にユリシーズに服従するところを初めて見た。
「アイリーンは俺の女だ。軽々しく扱うつもりなら容赦しない。俺を軽く見ているということだからな」
「はっ」
明確なヒエラルキー。これが群れのリーダー、ユリシーズ……。
ディエスが以前、ノクスの力は圧倒的だと言っていた。ノクスのお陰で一族がまとまっているようなことを……。
「今度の満月前は、猪にしろ。生き血はともかく、アイリーンに食わせてやりたい。ちゃんと生け捕りにするんだぞ。家で数日飼うんだ」
「かしこまりました」
「苦戦したら俺に報告しろ。すぐに捕まえてきてやる」
「そうならないよう、善処します」
「ふん」
なによ、ノクスったら。普段あんなに甘えん坊なくせして、やたら偉そうじゃない。
もっとかわいげがある言い方はできないの?
「アイリーンはこれから俺の部屋で一緒に過ごすんだったな」
「そうだったかしら?」
「照れてるのか? 宿でもずっと一緒だっただろ」
執事の前で、ノクスは私に抱きついて強めの頬ずりをする。
ちょっとちょっと、痛いんですけど。
「あなたって、随分偉そうね?」
「偉そう、じゃなくて実際に偉いんだ」
「オルブライト家の当主だから?」
「人狼族で一番強い。族長だからな」
「当主と族長は違うの?」
「当主は伯爵家の血統で決まるが、族長は力がなければなれない。当主と族長を同時に務めたのは、俺で史上二人目だ」
そんな風に得意げに言って執事に「しっ」と手で退室を促すと、執事はあっという間に部屋を出て行ってしまった。
ああ、あの灰色の尻尾に触りたい。いいえ、今はユリシーズの黒いふさふさ尻尾が近くに……。
「んああああっ?!」
大きな尻尾を付け根から軽く握って手を滑らせたら、叫び声みたいなものが上がった。
そっかあ、ユリシーズも尻尾は敏感かあ。犬と一緒なのね。
「アイリーン?!」
「ごめんなさい、尻尾がふさふさしててかわいかったから、つい」
「できれば事前に声がけをしてくれないか……心臓に悪い」
「心の準備がいるのね」
「尻尾だぞ?」
そんなこと言われても。人狼の尻尾がどんな刺激なのかなんて分からないし。
「分かった。これからは触りたくなったら事前に言うわ」
「触りたくなるのか……まあ、アイリーンがそこまで言うなら触らせてやってもいい」
「じゃあ、もう一度触らせて?」
「しょ、しょうがねえな……」
ユリシーズは尻尾を自由に動かせるのか、ぶん、と振って身体の前に持ってくる。私の前に差し出してくれたらしい。
そっと両手で掴むと、ふわふわとした毛の中に指が埋まる。
「やあーん、ふっかふかじゃないの-」
「言っておくが、尻尾は誰にも触らせたことないんだからな?」
「ふふ、分かったわ。夫婦だから特別ね?」
「まあ、そうだな、夫婦だからな」
いちいち照れてくれるノクス。ほんと、かわいいところあるのよね。
よく見ると眉がピクピクしている。私が尻尾をふかふかしているから?
「どうして尻尾を触られるのがあんまり得意じゃないの?」
「むずむずするんだよ。くすぐったいのとはまた違って」
ふーん、眉がピクピクしているのはむずむずしているってことなのかしら。
「って話を俺がしても触り続けるのか?」
「だって、気持ちいいんだもの」
「……俺はアイリーンの愛玩動物になったつもりはない」
「撫でてあげる?」
「寝かしつけるのもやめろ」
はあ、とノクスは横を向いて息を吐いた。
ため息? そんなに嫌?
じっと観察していると「ここまで言うことをきいたんだから、俺にも権利はあるはずだ」と聞き捨てならない独り言を聞こえるように言ってくる。
咄嗟に尻尾を握る手を離して作り笑いを浮かべた。
目の前にいるノクス、ここは彼の部屋、尻尾を握らせてもらうことで我慢させてしまった私……。
まずい。
「じゃあ、もうやめるわね」
「いや、そういう問題じゃない」
私はノクスと距離を取ろうと後ずさりをする。どうしよう、ノクスの目がなんだか本気で獲物を見るような目をしている。
ノクスはジリジリと私を追い詰め、私が壁際まで追い込まれると嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべる。
「なんで逃げる? 俺がアイリーンを傷つけるとでも?」
「怒らせるつもりは無かったの。冷静になって欲しいっていうか」
「冷静だ。ただ、そろそろ俺のターンだろ?」
私の顔の横にある壁に肘を当てたユリシーズ。
身体が密着して逃げられない状態になった。
「俺は、尻尾を触らせたんだ」
目の前で舌なめずりをされ、鋭い犬歯がこっちを向いている。緊張で身体が動かない。
「アイリーン、夫に対して奉仕が足りないんじゃないか?」
「奉仕……」
「俺はアイリーンを喜ばせただろう。アイリーンは、どうする?」
え? ユリシーズを喜ばせること?
確かに、撫でてあげれば喜ぶのかと思いきや、寝ちゃうからダメだって言われているし……。
どうしよう、どうしたらこの飢えた様子のノクスを止められるのかしら。
私がクリスティーナ姫とは別人だというニュアンスのことを言ってくれるから、周りにいる人狼の使用人に聞かれるのではないかしらと戸惑うばかり。
部屋の中の会話であっても、人狼は耳が良いから他の場所から聞き取ることができるらしい。
気軽に会話もできやしないわ。
「変なことを言わないで。誰かに聞かれたらどうするのよ?!」
思わず大きな声が出てしまう。ユリシーズは「まあまあ」と私を落ち着かせようとした。
一体あなたはどっちの味方なの?
「この屋敷の使用人は、皆とっくに気付いておりますよ」
当然のように執事に言われ、耳を疑う。
「え?」
「どうしてご主人様にあっさり見破られたのに、他の人狼にはバレないと思えるのですか?」
「だって、面識が……」
「奥様に公爵家らしい高貴な匂いがしないことくらい、すぐに分かります」
そうだった、そういえばノクスに初めて会ったときにそんなニュアンスのことを言われた。
安い飯しか食ってない匂いがするって……。
「えっ?! みんな匂いで気付いてたってこと?」
「気付かない方がおかしいのではないでしょうか? さらに言うと、身体に異様な古傷をお持ちなことも分かります……」
執事にさらりと言われ、そんなことまで把握されていたの? と恥ずかしくなる。
出自が公爵家でないばかりか、私は親にも愛されず身体には古い虐待の痕がいくつか残っていた。
そんな匂いって何? ……私ですら、すっかり傷痕のことなんか忘れていたのに。
「クリスティーナ姫のふりをしていて……ごめんなさい」
「気になさらないでください。クリスティーナ様だろうがアイリーン様だろうが、奥様は奥様、最初からなんら変わっておりません」
「ありがとう……」
私に対して割と失礼な執事が、いつもよりなんだか優しい。
本当は、意外といい人なのかしら。
「おい、そんな風に馴れ馴れしく話すな」
突然、ユリシーズからぶっきらぼうな声が聞こえてはっとした。
ふさふさの耳と尻尾が生えた姿になっていて、どう見てもこれはノクス……。陽が沈んだのね……。
「申し訳ございません」
頭に耳が生えた執事は普段見てきた姿に比べてずっと腰が低くなっている。
この人が、こんな風にユリシーズに服従するところを初めて見た。
「アイリーンは俺の女だ。軽々しく扱うつもりなら容赦しない。俺を軽く見ているということだからな」
「はっ」
明確なヒエラルキー。これが群れのリーダー、ユリシーズ……。
ディエスが以前、ノクスの力は圧倒的だと言っていた。ノクスのお陰で一族がまとまっているようなことを……。
「今度の満月前は、猪にしろ。生き血はともかく、アイリーンに食わせてやりたい。ちゃんと生け捕りにするんだぞ。家で数日飼うんだ」
「かしこまりました」
「苦戦したら俺に報告しろ。すぐに捕まえてきてやる」
「そうならないよう、善処します」
「ふん」
なによ、ノクスったら。普段あんなに甘えん坊なくせして、やたら偉そうじゃない。
もっとかわいげがある言い方はできないの?
「アイリーンはこれから俺の部屋で一緒に過ごすんだったな」
「そうだったかしら?」
「照れてるのか? 宿でもずっと一緒だっただろ」
執事の前で、ノクスは私に抱きついて強めの頬ずりをする。
ちょっとちょっと、痛いんですけど。
「あなたって、随分偉そうね?」
「偉そう、じゃなくて実際に偉いんだ」
「オルブライト家の当主だから?」
「人狼族で一番強い。族長だからな」
「当主と族長は違うの?」
「当主は伯爵家の血統で決まるが、族長は力がなければなれない。当主と族長を同時に務めたのは、俺で史上二人目だ」
そんな風に得意げに言って執事に「しっ」と手で退室を促すと、執事はあっという間に部屋を出て行ってしまった。
ああ、あの灰色の尻尾に触りたい。いいえ、今はユリシーズの黒いふさふさ尻尾が近くに……。
「んああああっ?!」
大きな尻尾を付け根から軽く握って手を滑らせたら、叫び声みたいなものが上がった。
そっかあ、ユリシーズも尻尾は敏感かあ。犬と一緒なのね。
「アイリーン?!」
「ごめんなさい、尻尾がふさふさしててかわいかったから、つい」
「できれば事前に声がけをしてくれないか……心臓に悪い」
「心の準備がいるのね」
「尻尾だぞ?」
そんなこと言われても。人狼の尻尾がどんな刺激なのかなんて分からないし。
「分かった。これからは触りたくなったら事前に言うわ」
「触りたくなるのか……まあ、アイリーンがそこまで言うなら触らせてやってもいい」
「じゃあ、もう一度触らせて?」
「しょ、しょうがねえな……」
ユリシーズは尻尾を自由に動かせるのか、ぶん、と振って身体の前に持ってくる。私の前に差し出してくれたらしい。
そっと両手で掴むと、ふわふわとした毛の中に指が埋まる。
「やあーん、ふっかふかじゃないの-」
「言っておくが、尻尾は誰にも触らせたことないんだからな?」
「ふふ、分かったわ。夫婦だから特別ね?」
「まあ、そうだな、夫婦だからな」
いちいち照れてくれるノクス。ほんと、かわいいところあるのよね。
よく見ると眉がピクピクしている。私が尻尾をふかふかしているから?
「どうして尻尾を触られるのがあんまり得意じゃないの?」
「むずむずするんだよ。くすぐったいのとはまた違って」
ふーん、眉がピクピクしているのはむずむずしているってことなのかしら。
「って話を俺がしても触り続けるのか?」
「だって、気持ちいいんだもの」
「……俺はアイリーンの愛玩動物になったつもりはない」
「撫でてあげる?」
「寝かしつけるのもやめろ」
はあ、とノクスは横を向いて息を吐いた。
ため息? そんなに嫌?
じっと観察していると「ここまで言うことをきいたんだから、俺にも権利はあるはずだ」と聞き捨てならない独り言を聞こえるように言ってくる。
咄嗟に尻尾を握る手を離して作り笑いを浮かべた。
目の前にいるノクス、ここは彼の部屋、尻尾を握らせてもらうことで我慢させてしまった私……。
まずい。
「じゃあ、もうやめるわね」
「いや、そういう問題じゃない」
私はノクスと距離を取ろうと後ずさりをする。どうしよう、ノクスの目がなんだか本気で獲物を見るような目をしている。
ノクスはジリジリと私を追い詰め、私が壁際まで追い込まれると嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべる。
「なんで逃げる? 俺がアイリーンを傷つけるとでも?」
「怒らせるつもりは無かったの。冷静になって欲しいっていうか」
「冷静だ。ただ、そろそろ俺のターンだろ?」
私の顔の横にある壁に肘を当てたユリシーズ。
身体が密着して逃げられない状態になった。
「俺は、尻尾を触らせたんだ」
目の前で舌なめずりをされ、鋭い犬歯がこっちを向いている。緊張で身体が動かない。
「アイリーン、夫に対して奉仕が足りないんじゃないか?」
「奉仕……」
「俺はアイリーンを喜ばせただろう。アイリーンは、どうする?」
え? ユリシーズを喜ばせること?
確かに、撫でてあげれば喜ぶのかと思いきや、寝ちゃうからダメだって言われているし……。
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