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2章
動き
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自分の部屋に逃げ込むと、ユリシーズが扉の向こうから私を呼ぶ。
「すいませんでした。そんなに怒らせるとは思わなくて……」
声が明らかに困っている。何が私を怒らせたのか分かっていない。
「この家の主人だというのに、軽率です」
「軽率? 私がですか?」
「怪我をしても当たり前みたいにしないで」
「いや、その……かすり傷ですから」
かすり傷を何でもないと受け入れてしまったら、この先に大きな怪我をされて止めなかった自分に後悔をするだろう。
だから、このくらい大丈夫、というのがどうしても受け入れられない。
ベッドの上に腰掛けて、扉の方に向かって声を張り上げる。
「あなたは、自分が狙われている立場だと言ったわ。狩りに行くことでより危険が増すのではないの?」
「いや、そんなことはないと思うのですが……」
「だから軽率だと言うんです!」
「あの、ここから出てきてください。直接話しましょう」
「嫌よ。考えを改めてくれるまであなたとは口を利きたくないわ」
「そんな……」
暫くユリシーズは黙っていたけれど、「頭を冷やします」と扉の向こうで声がして廊下を歩いて行く足音が響いた。
こんなに心配しているのに自ら危険な目に遭いに行くところにイライラしてしまうし、命を狙われているのに猟に出かけるなんて無謀すぎる。
私を未亡人にするつもりかしら。
ユリシーズが殺されたら公爵家に無理矢理戻されて、第二の政略結婚が待っているかもしれない。
公爵家とユリシーズの間でどんな契約が交わされているか分からないけれど、あの公爵様が不利な条件でユリシーズとの結婚を了承したとは思えない。
まだズキズキと痛む筋肉痛に、昨日のボール遊びを思い出す。
伯爵家の奥様なんて柄じゃない私だけど、人狼と一緒に過ごす心地よい時間に慣れ始めていた。
どこに嫁いでも、大して変わらないと思っていたのに。
「お嬢さま、入ってもよろしいですか?」
エイミーの声がする。腰掛けていたベッドから立ち上がり、ゆっくりと扉まで歩くと、静かに鍵のつまみを回して内開きの扉を開ける。
「どうぞ」
見知ったエイミーの緑色の目。私を見て一回頭を下げると、そっと部屋に入って「旦那様と喧嘩ですか?」と静かに尋ねてくる。
「これが夫婦げんかなのかしら? ユリシーズが自分の過ちに気付いてくれるまで、根気よくストライキをするしかないわ」
「ストライキ?」
「食事も睡眠も、自分の部屋で完結させるの。暫く顔を合わせない」
「……徹底的ですね」
「そのくらいしないと、あの人は頑固だから気付かないもの」
ユリシーズは戦場をくぐり抜けてきたせいで、自分は死なないような感覚をもっているのかもしれない。
だけど、そういう油断が一番怖いのよ。
「分かってもらうためだから、夫教育よ」
「大丈夫ですか? 追い出されたりはしないのでしょうか?」
「ユリシーズは私を追い出したりなんかできないわ」
生涯の伴侶を簡単に追い出すとは思えない。
少しは反省して、無謀な行動を慎んで欲しい。これは私の意地であり、彼のための賭け。
この生活を、ユリシーズを、失いたくないから……。
***
結局、昼間から夜まで私のストライキは続いた。
エイミーが食事を運んでくれたから、特別不自由は無い。
夜になってノクスが「無理矢理開けて連れ去ってやるぞ」と脅しに来たけれど、「そんなことをするなら公爵家に帰らせてもらうわ」と返事をしたら、簡単に諦めて自分の部屋に戻っていった。
「ディエスに対する怒りを俺にぶつけるな!」と負け犬の遠吠えみたいなことをしていたけれど、「あなたが猪を狩るのを諦めたらそっちに行くわよ!」と言い返したらそれ以上は何も言ってこなかった。
私よりも猪狩りを優先しているところが気に入らない。
生涯の伴侶だとか、甘いことを言ってくるくせに。
生涯の伴侶は猪肉以下なのかしら?
そんなことを考えながら、むかむかとした怒りを抱えてベッドに潜り込む。
隣に誰もいないベッドに入るのが久しぶりで、妙にヒンヤリしているのが気になった。
丸まって見上げれば、微笑んでくれるあの笑顔がそばにない。
夜のユリシーズは、私の顔を甘噛みしてから抱きしめてくれたのに。
寂しくなんか……と何度も心の中で唱えて、「寂しい」と口から声が漏れた。
しまった、と気付く。
人狼相手なら声が聞こえてしまう。
だけど、ノクスは私の部屋には訪ねてこなかった。
私が人質になるのをあんなに怖がっていたくせに。
そう思ったら、じわりと目尻に涙がたまった。
眠りが浅かったのだと思う。
陽が登り切る前の時間に、ユリシーズが狩りに向かった馬車の音がして目が覚める。
そっとベッドから起き上がって、窓から外を見た。
私があんなに抵抗して嫌がったというのに、ユリシーズは出掛けて行った。
そのこだわりに、昨晩感じた寂しさを思い出す。
「どうして……?」
ユリシーズという人を理解したいと思った。
復讐心に駆られてしまった過去も含めて、パートナーとして彼の味わった悔しさを全部受け止めようとしたのに。
分からない。
そこまでして私が嫌がる猪狩りに出掛けていくのか。
心の中に風が吹いた。
このお屋敷に、ユリシーズの隣に、私は居場所を見つけたつもりだったのに。それがまさか幻だったなんて。
まだ自分の体温の残るベッドに急いで戻って、頭の中の悪い考えを忘れたい。
「お嬢様、朝食のお時間です」
エイミーに声をかけられて、重い身体をベッドから起こす。
扉の鍵を開けると、部屋に入ってくるエイミーに「朝食もこの部屋に持ってきてもらおうかしら」と話しかけた。
「それなのですが、旦那様は朝食も外で取られるそうで……」
「いないのね。そう、私ひとりなら食堂に行くわ」
その事実に自分が想像した以上のショックを受けていた。
どんなに私に対して怒っていても、食事の時間には帰ってきてくれる人だと思ったのに。
でも、ユリシーズを責めることはできない。
昨日の昼と夜、彼をひとりきりにさせて自分の部屋に立てこもったのは私だ。
着替えて食堂に着くと、いつもこちらを見てにっこりと笑うユリシーズの姿がない。
空席を見つめ、そして向かいの席に座る。
「食事にして」
私が誰にでも無く言うと、ジュディの伴侶でシンシアの父親である料理長が厨房から食堂にやってきた。
ふっくらとした体形の料理長が、目尻に皺を浮かべている。
「奥様、もし何かご希望があれば今からでも作らせていただきますが」
いつもの食事はユリシーズが予め指示していたに違いない。
今日は私しか朝食をいただかないから、希望を聞きに来てくれたのだ。
「ありがとう。でも、既に作ってあるのであればそれでいいのよ。嫌いなものはないから」
料理長は、「かしこまりました」と言うと目が無くなる笑顔を作り、軽くお辞儀をする。
その仕草と柔らかい顔に、シンシアの面影を見た。彼女は父親似らしい。
そうして、ポーチドエッグとサラダの朝食をいただいているときだった。
「奥様、あの……」
エイミーが食堂に入って来て、ビクビクしながら私の耳元で囁く。
「旦那様の従妹、ペトラ様がいらしております」
「え? 私に会いに??」
そういえば、数日前に小旅行に行く道で彼女に出くわした。あの時は捨て台詞を言って林の中に逃げていったけれど。
「仕方ないわね……もうすぐ食事も終わるから、通していいわ」
そう言うとエイミーは申し訳なさそうな顔をして「はい」と返事をして食堂を出て行く。
ユリシーズの居ないときに来るなんて。
一体何をしたいのかしら。
「おはようございます、奥様」
相変わらず男装をしているペトラは、食堂に着いて開口一番、礼儀正しく挨拶をした。
わざわざ側頭部の髪を固めていて、どこかの貴族男性のように前髪だけがさらりと額にたれるようにセットされている。
「なあに? あなたを呼んだ覚えはないのですが」
ナプキンで口を拭い、入口からやってきたペトラを軽く睨む。
今までの登場に比べて丁寧すぎて怪しい。
「奥様を呼んでいる『旦那様』のところに行きませんか?」
歪んだ笑みが私を捉える。
旦那様、の意味を考えようとしたとき、ペトラが人差し指と中指に挟んだ手紙をチラリと私に向けた。
「――!!」
封筒に押されていた封蝋印は、何度かやり取りをした時に押されていたものと同じ。
――獅子の家紋だ。
「すいませんでした。そんなに怒らせるとは思わなくて……」
声が明らかに困っている。何が私を怒らせたのか分かっていない。
「この家の主人だというのに、軽率です」
「軽率? 私がですか?」
「怪我をしても当たり前みたいにしないで」
「いや、その……かすり傷ですから」
かすり傷を何でもないと受け入れてしまったら、この先に大きな怪我をされて止めなかった自分に後悔をするだろう。
だから、このくらい大丈夫、というのがどうしても受け入れられない。
ベッドの上に腰掛けて、扉の方に向かって声を張り上げる。
「あなたは、自分が狙われている立場だと言ったわ。狩りに行くことでより危険が増すのではないの?」
「いや、そんなことはないと思うのですが……」
「だから軽率だと言うんです!」
「あの、ここから出てきてください。直接話しましょう」
「嫌よ。考えを改めてくれるまであなたとは口を利きたくないわ」
「そんな……」
暫くユリシーズは黙っていたけれど、「頭を冷やします」と扉の向こうで声がして廊下を歩いて行く足音が響いた。
こんなに心配しているのに自ら危険な目に遭いに行くところにイライラしてしまうし、命を狙われているのに猟に出かけるなんて無謀すぎる。
私を未亡人にするつもりかしら。
ユリシーズが殺されたら公爵家に無理矢理戻されて、第二の政略結婚が待っているかもしれない。
公爵家とユリシーズの間でどんな契約が交わされているか分からないけれど、あの公爵様が不利な条件でユリシーズとの結婚を了承したとは思えない。
まだズキズキと痛む筋肉痛に、昨日のボール遊びを思い出す。
伯爵家の奥様なんて柄じゃない私だけど、人狼と一緒に過ごす心地よい時間に慣れ始めていた。
どこに嫁いでも、大して変わらないと思っていたのに。
「お嬢さま、入ってもよろしいですか?」
エイミーの声がする。腰掛けていたベッドから立ち上がり、ゆっくりと扉まで歩くと、静かに鍵のつまみを回して内開きの扉を開ける。
「どうぞ」
見知ったエイミーの緑色の目。私を見て一回頭を下げると、そっと部屋に入って「旦那様と喧嘩ですか?」と静かに尋ねてくる。
「これが夫婦げんかなのかしら? ユリシーズが自分の過ちに気付いてくれるまで、根気よくストライキをするしかないわ」
「ストライキ?」
「食事も睡眠も、自分の部屋で完結させるの。暫く顔を合わせない」
「……徹底的ですね」
「そのくらいしないと、あの人は頑固だから気付かないもの」
ユリシーズは戦場をくぐり抜けてきたせいで、自分は死なないような感覚をもっているのかもしれない。
だけど、そういう油断が一番怖いのよ。
「分かってもらうためだから、夫教育よ」
「大丈夫ですか? 追い出されたりはしないのでしょうか?」
「ユリシーズは私を追い出したりなんかできないわ」
生涯の伴侶を簡単に追い出すとは思えない。
少しは反省して、無謀な行動を慎んで欲しい。これは私の意地であり、彼のための賭け。
この生活を、ユリシーズを、失いたくないから……。
***
結局、昼間から夜まで私のストライキは続いた。
エイミーが食事を運んでくれたから、特別不自由は無い。
夜になってノクスが「無理矢理開けて連れ去ってやるぞ」と脅しに来たけれど、「そんなことをするなら公爵家に帰らせてもらうわ」と返事をしたら、簡単に諦めて自分の部屋に戻っていった。
「ディエスに対する怒りを俺にぶつけるな!」と負け犬の遠吠えみたいなことをしていたけれど、「あなたが猪を狩るのを諦めたらそっちに行くわよ!」と言い返したらそれ以上は何も言ってこなかった。
私よりも猪狩りを優先しているところが気に入らない。
生涯の伴侶だとか、甘いことを言ってくるくせに。
生涯の伴侶は猪肉以下なのかしら?
そんなことを考えながら、むかむかとした怒りを抱えてベッドに潜り込む。
隣に誰もいないベッドに入るのが久しぶりで、妙にヒンヤリしているのが気になった。
丸まって見上げれば、微笑んでくれるあの笑顔がそばにない。
夜のユリシーズは、私の顔を甘噛みしてから抱きしめてくれたのに。
寂しくなんか……と何度も心の中で唱えて、「寂しい」と口から声が漏れた。
しまった、と気付く。
人狼相手なら声が聞こえてしまう。
だけど、ノクスは私の部屋には訪ねてこなかった。
私が人質になるのをあんなに怖がっていたくせに。
そう思ったら、じわりと目尻に涙がたまった。
眠りが浅かったのだと思う。
陽が登り切る前の時間に、ユリシーズが狩りに向かった馬車の音がして目が覚める。
そっとベッドから起き上がって、窓から外を見た。
私があんなに抵抗して嫌がったというのに、ユリシーズは出掛けて行った。
そのこだわりに、昨晩感じた寂しさを思い出す。
「どうして……?」
ユリシーズという人を理解したいと思った。
復讐心に駆られてしまった過去も含めて、パートナーとして彼の味わった悔しさを全部受け止めようとしたのに。
分からない。
そこまでして私が嫌がる猪狩りに出掛けていくのか。
心の中に風が吹いた。
このお屋敷に、ユリシーズの隣に、私は居場所を見つけたつもりだったのに。それがまさか幻だったなんて。
まだ自分の体温の残るベッドに急いで戻って、頭の中の悪い考えを忘れたい。
「お嬢様、朝食のお時間です」
エイミーに声をかけられて、重い身体をベッドから起こす。
扉の鍵を開けると、部屋に入ってくるエイミーに「朝食もこの部屋に持ってきてもらおうかしら」と話しかけた。
「それなのですが、旦那様は朝食も外で取られるそうで……」
「いないのね。そう、私ひとりなら食堂に行くわ」
その事実に自分が想像した以上のショックを受けていた。
どんなに私に対して怒っていても、食事の時間には帰ってきてくれる人だと思ったのに。
でも、ユリシーズを責めることはできない。
昨日の昼と夜、彼をひとりきりにさせて自分の部屋に立てこもったのは私だ。
着替えて食堂に着くと、いつもこちらを見てにっこりと笑うユリシーズの姿がない。
空席を見つめ、そして向かいの席に座る。
「食事にして」
私が誰にでも無く言うと、ジュディの伴侶でシンシアの父親である料理長が厨房から食堂にやってきた。
ふっくらとした体形の料理長が、目尻に皺を浮かべている。
「奥様、もし何かご希望があれば今からでも作らせていただきますが」
いつもの食事はユリシーズが予め指示していたに違いない。
今日は私しか朝食をいただかないから、希望を聞きに来てくれたのだ。
「ありがとう。でも、既に作ってあるのであればそれでいいのよ。嫌いなものはないから」
料理長は、「かしこまりました」と言うと目が無くなる笑顔を作り、軽くお辞儀をする。
その仕草と柔らかい顔に、シンシアの面影を見た。彼女は父親似らしい。
そうして、ポーチドエッグとサラダの朝食をいただいているときだった。
「奥様、あの……」
エイミーが食堂に入って来て、ビクビクしながら私の耳元で囁く。
「旦那様の従妹、ペトラ様がいらしております」
「え? 私に会いに??」
そういえば、数日前に小旅行に行く道で彼女に出くわした。あの時は捨て台詞を言って林の中に逃げていったけれど。
「仕方ないわね……もうすぐ食事も終わるから、通していいわ」
そう言うとエイミーは申し訳なさそうな顔をして「はい」と返事をして食堂を出て行く。
ユリシーズの居ないときに来るなんて。
一体何をしたいのかしら。
「おはようございます、奥様」
相変わらず男装をしているペトラは、食堂に着いて開口一番、礼儀正しく挨拶をした。
わざわざ側頭部の髪を固めていて、どこかの貴族男性のように前髪だけがさらりと額にたれるようにセットされている。
「なあに? あなたを呼んだ覚えはないのですが」
ナプキンで口を拭い、入口からやってきたペトラを軽く睨む。
今までの登場に比べて丁寧すぎて怪しい。
「奥様を呼んでいる『旦那様』のところに行きませんか?」
歪んだ笑みが私を捉える。
旦那様、の意味を考えようとしたとき、ペトラが人差し指と中指に挟んだ手紙をチラリと私に向けた。
「――!!」
封筒に押されていた封蝋印は、何度かやり取りをした時に押されていたものと同じ。
――獅子の家紋だ。
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