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3章

たいせつ

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 オルガさんの表情は、優しいままだった。
 この家にいることが幸せだと伝えたら、公爵様に報告されてしまうかもしれない。
 私がユリシーズに惹かれているのを知られたら、使えない駒だと思われたりしないかしら。

「かしこまりました。それでは、公爵様にはうまくやっているようだと伝えておきます。伯爵様の寵愛を受けて大切にされていると言えばよろしいですか?」
「一緒に同行した侍女が危険な薬物を使用しそうになったのが見つかって捕まったというのと、伯爵が妻に惑わされているという点も加えておいてくれ」

 ノクスが肩を震わせてくつくつと笑いながら言った。
 私の言ったことを引用して楽しむなんて、随分と余裕がある。

「どんな状況で薬物が見つかったとお伝えしますか?」
「食事に盛ろうとしたのが見つかったと伝えておいてもらえれば結構だ」

 オルガさんはうなずいていた。
 この人は、本当に信用していいのだろうか。ノクスはどういうつもりなのかしら。

 ***

「恐らく、公爵家の目があるところでは無関心を装わないと危険なんだろうな」

 ノクスの推理はそういうことらしい。
 私が公爵家で受けた扱いと、オルガさんへの違和感を「肩入れしていると思われると問題になりやすいんだろう。オルガは嘘をついていない」と言って否定した。
 私は匂いで嘘をついているかなんて分からないから、ノクスの言うことを信じるしかない。

「まさか仮装をしている体で乗り切るなんて思わなかった」

 耳の付いたカチューシャを外すと、「アイリーンが同族の女を演じてくれたら最高だと思っただけだ」と言いながらそっと顔に触れられ、キスをされた。

「オルガさんにあんな恰好をさせるのもどうかと思うわ」
「隠してコソコソするよりも、堂々としていた方が怪しくないだろ」

 ノクスは、匂いで相手の感情や状態が把握できるらしい。だからオルガさんが怪しんでいなかったと自信を持っている。

「どうしたら、あなたが狙われなくなるのかしら。公爵様をどうにかするなんて現実的じゃないでしょう?」
「自爆してもらうのが一番だが、そう簡単にはいかないだろうな」

 ノクスにぎゅうっと抱きしめられた。
 ふさふさの尻尾が私に巻き付いてくる。かわいい。

「今日はあんな風に乗り切れると思わなかった。偉かったわね」
「アイリーン。俺は犬じゃないぞ」
「ワンって鳴くくせに」
「狼だってワンって鳴くんだよ」
「かわいい」

 私がノクスに対してかわいいと言うと、複雑な顔をされる。

「狼をかわいいと言うのは感心しない。犬よりずっと残酷で獰猛な生き物だ。俺じゃなかったら噛み殺されてる」

 優しい顔で微笑まれて、頬を舐められた。

「あなたは、私を傷つけないもの」
「アイリーンに嫌われたら生きていけない身だ。絶対に傷つけたりしない」
「あなたを惑わせていればいい?」
「惑わせでもなんでも構わない。一緒にいてくれるのなら、暗殺しにきてくれてもいい」

 この人は、本当に甘い。人狼はパートナーに対して甘すぎると思う。
 普段周りに向けられている鋭い銀色の目が優しく光る時、その中にいるのが私であることを知ってしまった。

「いやよ、私があなたを暗殺だなんて」
「遺書には全ての財産を妻に譲ると書いてあるから不自由しないぞ?」
「そんなの嬉しくない……」

 既に遺書にそんなことを書いていたのだと分かって、悲しくなった。

「人狼でなくても、伴侶がいなくなったら辛いんだから……」

 下を向いて歯を食いしばる。

「分かってる」

 ノクスが私の頭にキスをしている。
 ——人生で初めて、失いたくない人ができた。


 朝日が部屋に入っている。眩しくて目が覚めた。

「ディエス、寝ているの?」
「……」
「オルガさんがいるのだから、早めに起きた方が良いわね」
「……」

 背を向けたディエスが起きようとしない。

「体調が悪いので寝ています」
「嘘をつかないで。お腹の音がしているわよ」

 ユリシーズは夜行性のノクスと身体を共有しているので、朝はいつもお腹を空かせている。
 人狼は人間よりも睡眠時間が短くて活動時間が長い分だけ食事は多く要るらしいのに、食事を私と一緒のタイミングで食べたいと意地を張るのでこうなってしまう。

 くぅーというお腹の音がしていてかわいい。

 ディエスって、犬にみたいに構ってあげないと元気が無くなるのかもしれないわね。
 背を向けてふて寝をしているディエスの髪を撫でて、そっと背中にしがみついてみる。

「……」
「どうしたの?」
「人狼に化けたアイリーンとノクスがお似合いだったと使用人たちが噂をしていました……」
「それで落ち込んでいるの?」
「……」

 ノクスと私がお似合いって、あなたと私がお似合いだったってことだと思うのだけれど?
 あなたが思うほど、ノクスとディエスは違わないわよ。

「普段の私は人間の姿をしているのだから、ディエスとお似合いってことじゃないの?」
「いえ、普段はアイリーンの美しさを引き立てる役目です」
「言っておくけれど、あなたは綺麗だと思うわ。私よりも」
「何を言ってるんですか!」

 あ、こっち見た。しまったって顔してるし。

「ふふふっ」
「なんで笑っているんですか?」
「変なことで拗ねるのね」

 自己評価が低いのか、私に対する評価が高いのか、ディエスは私と似合いの夫婦だとは思っていないらしい。

「美しい妻を持つと不安です。人間は移り気ですし、もっといい人が現れたら……」
「そんなにいい加減な妻だと思っているの? 失礼よ」
「私が不甲斐ないのです」
「ノクスは自信家なのに、あなたには自信がないのね」

 ディエスが起き上がったから、私も身体を起こした。
 ゴツゴツとした手が、私の両手で包んでくる。
 真剣な目で見つめられてしまい、ドクンと胸が音を立てて苦しくなった。

「自信なんか持てません。アイリーンは、私以外の男性をも魅了する美しさなのですから。ノクスは思い込みが激しいだけです」
「ノクスを全否定しないの。あなたは素敵よ、ユリシーズ。昼も夜も、私はあなたの妻なのだから、もっと私の夫として堂々としていて頂戴」

 ディエスは私の髪に手を通して髪を一束掴むと、それを自分の口元に持って行く。
 多分、嗅いでいるのだけれど……髪にキスを落とされているともいえる。

「オルガさんが来ているのだから、起きましょ?」
「アイリーン……あなたの気持ちを言葉にしていただけませんか?」
「……いま?」

 ディエスは静かにうなずいている。
 いや、あの……どうしてこうなるのかしら。でも、ディエスって一度言ったら動かないのよねえ……。

「あなたが好きよ、ディエス。愛しているわ」

 はっきりと伝えてみたら、勢いよく抱きしめられて身体がベッドに沈む。
 訳も分からないうちに口を塞がれて、息がうまくできなくて苦しい。

「待っ……」

 早く起きなきゃと思うのに、ディエスがそれどころではない。
 あなた、お腹が空いているんじゃなかったの?
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