売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

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4章

皇子殿下との謁見

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 クリスティーナは周りの視線を受けながら堂々と歩いている。その後ろには二名の護衛がつき、私が最後に続く。

「夫のところへ向かいます」
「はっ」

 クリスティーナが護衛に言うと、まるで練習していたみたいに同時に声が上がった。これまで私が会った護衛に比べて、私情だとか感情といったものが全く見えない。

 ――公爵家の護衛たちって、一体なんだったのかしら。

 空気を切るようにきびきびと歩くクリスティーナは、波打つ赤毛を揺らしながら前に前に向かう。彼女を見たお城の使用人らしき人たちは、頭を下げて敬意を示していた。

 やっぱり、かっこいいな、と思う。
 クリスティーナと一緒だったら、何とかなりそうな気がする。
 これから会う皇子様が一体どんな方なのか想像もつかないけれど。

「アイリーン、ひとつだけ言っていないことがあったわ」

 クリスティーナは後ろを歩くこちらを振りかえらずに、まっすぐ前を向いたまま言う。
 声が遠くて「はい?」と聞き逃してしまうと、こちらをちらりと振り返った。

「夫が何を言っても、怯まずに立ち向かって頂戴」
「……何を言われるのでしょうか?」

 どうしよう。急に不安になってきたのですが。

  ***

 クリスティーナは暫く歩いて、私の背の三倍はある両開きの扉の前で止まった。
 この扉の両脇にも護衛の方が立っていたけれど、クリスティーナを見て立膝をつく。

「妃殿下、ようこそお越しくださいました」
「ええ。ご苦労様」

 クリスティーナは両脇に立つ護衛に優しく声をかけると、「わたくしです、殿下」と扉の向こうに向かって声を上げた。

「……クリスティーナか」

 扉の向こうから、抑揚のない声が聞こえる。
 クリスティーナなんだ、やっぱり、なんて事実を噛みしめて、私はアイリーンのままでいいのか迷う。

 城門が開くかのように、ゆっくりと内開きに扉が開いた。
 扉から部屋の奥に一直線に敷かれた赤い絨毯の先には、玉座のような椅子に男性が座っていて、こちらを見ているようだ。

「急に訪ねる無礼をお許しください」

 クリスティーナがドレスをつまんで頭を下げたので、私も習って殿下の方を向いて頭を下げた。まだ扉の中には入っていないから、皇子殿下は顔が認識できない程度に遠くにいる。

「珍しいな。急用か。中に入るがいい」

 皇子様の声が遠くですると、クリスティーナのドレスが衣擦れの音を立てる。
 もう頭を上げていいのかなと正面を向くと、クリスティーナはゆっくりと絨毯を踏みしめて部屋を歩き始めていた。

 私も良いってことかしらと戸惑いながら、クリスティーナについていく。
 天井の高い部屋に入ったというのに、実家で閉じ込められた屋根裏部屋のような圧迫感を感じてぞわりと身体が寒気に震えた。

「こうして訪ねて来るのは初めてだな」

 広い空間に響き渡る抑揚のない声。
 クリスティーナにとっても、この行動は大胆なものなのだろうか。

「本日は、皇子殿下にご紹介したい者をお連れしました」
「そうか。おおかた予想はついているが、こうして見てみると滑稽な二人だ」

 滑稽な二人ですって??
 覚悟はしていたけれど、親しみやすい方ではなさそう。

 赤い絨毯を踏みしめていると、いくつかの視線に気づく。
 皇子殿下を護るためなのか、この部屋には至る所に甲冑を身に着けて槍を構えた兵士の方が立っていた。

 ――公爵様のところよりも、物々しいなんて。

 クリスティーナの背中を見ながら前に進んでいるけれど、風を切る赤毛の向こうでどんな顔をしているのかと考えるだけで胸が痛い。
 私きっと、クリスティーナに無理をさせている。

 クリスティーナは皇子殿下の座る場所まで歩いて行き、腰を落として皇子の羽織っているマントの裾に口づけをした。
 恐らく皇族の敬礼なのだろうと思うけれど、初めて見た挨拶だ。
 私がそれを真似した方がいいのか、しない方が良いのか分からない。

「そこで困っているのがアイリーンか。余は気にしないのでそのままでいい」

 クリスティーナが立ち上がって私の隣に戻ってくると、皇子殿下は栗色の長髪を軽く揺らし、冷ややかな灰色がかったブルーの目を細めて小さく笑った。

「愚かな両親から産まれた割に、まともな令嬢そうだ」

 皇子殿下に言われて耳を疑う。それって……。

「ああ、親の質で言えば我が妻も変わらなかったな」

 私がきょとんとしていると、皇子はそう言ってクリスティーナを静かに見つめていた。


 私とクリスティーナがいる場所は、恐らく謁見のなのだろう。
 皇子殿下の公務が何なのかは無知で分からないけれど、皇族は国内の公務に就いているはず。
 だからこういう謁見の間があって、関係者が絶えず訪れるに違いない。

 高い天井に広い空間。
 その中で響くのは感情が読めない皇子殿下の声。

「両親に恵まれなかった者同士で結託したか」

 皇子殿下が続けると、「結果的には」とクリスティーナがようやく口を開いた。
 そこで皇子殿下は鼻をふんと鳴らして面白くなさそうな顔をする。

「それで? なんの要件もなく余を訪ねて来るとは思えないのだが?」
「……はい」

 クリスティーナは小さな声で答えた。今まで知っている彼女とは違う、弱弱しい声。

「隣にいるアイリーン絡みか」
「お察しの通りでございます」
「申してみよ」

 皇子は席を立ちあがり、私とクリスティーナの前までゆっくりと歩いてきた。
 正装なのか、赤い軍服に身を包んでいて威圧感がある。

「わたくしの父がオルブライト伯爵を討ち取るために迷走しておりまして、アイリーンまでもが危険に晒されてしまっているのです」

 クリスティーナがはっきりと公爵様のことを口にした。そんなことを言ってしまって大丈夫なのかしらと心配していると、「その話は本当か? オルブライト伯爵夫人」と皇子様に声を掛けられて思わずびくりとしてしまう。

「は、はいっ。クリスティーナ様のおっしゃる通り、私は公爵様の護衛に狙われ、私を庇った夫が切られてしまいました」
「……あのオルブライト伯爵が、か」
「それは一体どういう……?」

 皇子殿下が驚いているので、私はつい意味を尋ねてしまって無礼だったかもしれないと焦る。

「戦場で誰よりもしぶとかったオルブライト伯爵が、公爵のイチ護衛に切られたというのが信じられないのだ」
「夫は、声も発せないくらいの怪我を負いました。今もきっと苦しんでいるはずです」
「それは、何故だと思っている?」

 急に質問されて小さく首をかしげてしまったけれど、ユリシーズが切られた理由を聞かれているのだろうか?

「分かりづらかったか……。何故オルブライト伯爵ほどの武人が、易々と切られたか夫人は理解できているのか? と問うている」
「あ、はい。理解なら」
「申してみろ」

 ええ……。こんな声が響くところで発言しなくちゃいけないの……?

「夫は私がいないと生きていけないからです……が」

 仕方がないから渋々発言をすると、「くはっ」と変な声が上がった。
 何かと思って皇子殿下を見ると横を向いて肩を震わせている。

「不意打ちで笑わせて来るとは卑怯な……」

 皇子殿下は震えながら下を見ている。笑顔を見せたら負けみたいなルールでもおありなのだろうか。

「卑怯とおっしゃられましても、素直に答えただけなのでどうしたら良いのでしょうか……」
「ふはははははは」
「ヒュー、アイリーンが困っておいでです」
「クリスティーナ、どこにこんな逸材を隠していた……」
「だから言ったではないですか、アイリーンは素敵な女性だと」

 よく状況が飲み込めないまま、「ヒュー」と呼ばれた皇子殿下は私の発言でずっと笑っている。

 ……笑い上戸なのかしら。
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