売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

文字の大きさ
99 / 134
4章

笑い上戸とアイリーン

しおりを挟む
 目の前でこらえた笑いを時々漏らしながら震えている皇子殿下。
 こんなことでこれだけ笑うのであれば、毎日笑いをこらえるのに苦労しそうですね、と思うだけに留める。

「失礼、オルブライト伯爵夫人。夫が切られて大変なところだというのに、帝国の皇族としてあるまじき反応をしてしまった」
「私に悪いという意識でこらえてらっしゃったのですか?」
「いや、余を頼ってこちらに訪れているのが分かりながら、笑うというのはよくなかった」
「いえ、ご配慮感謝いたします。笑っていただけてなんだか緊張が解けました」
「伯爵が夫人に夢中だというのは聞こえて来ていた。確認をちゃんとしておきたかっただけなのだ。あれほど怖い男と結婚生活を送れているとは、恐れ入る」

 聞こえて来ていた……。果たしてどこからどう漏れて皇子殿下にそんな話が入るのかしら。

「夫は怖くなどございません。飼い主を亡くした飼い犬だと思えばかわいいものです」
「飼い犬……ふっ」

 また皇子殿下が黙ってしまった。笑いをこらえると静かになるタイプらしい。

「失礼。公爵はさぞ悔しかっただろう。送り込んだ捨て駒に、恐れた男があっさりと飼い馴らされたのだからな」
「だからと言って、私もろとも夫を葬るなんてこと……」
「それだけオルブライト伯爵が脅威だったのだ。オルブライト伯爵は、公爵家の由緒正しい姫君が嫁いだ先、つまり義理の息子ということになっているわけだからな」
「……私がいなくなった方が、ユリシーズとの関係が切れて都合が良かったのですね」

 そうか。私もろとも切り捨てた方が、余計な縁戚を排除できるという意味もあったのね。
 全然気が付かなかった。悔しい。

「ごめんなさいね、アイリーン。お父様は他人の命に無頓着なところがあるから……」

 クリスティーナに謝られたけれど、こちらを見ている顔に首を振って笑顔を返す。

「私の両親も人間の汚いところを煮詰めたような性格をしておりますから、クリスティーナが謝る必要などないというのは理解しています」
「人間の汚いところを煮詰めたような性格か……」

 小さく呟いた皇子がまた震えている。
 そんなに面白いことは言っていない。

「アイリーン、びっくりしたでしょう? ヒューは笑ってはいけないところで笑うから、気にしないで頂戴ね」
「大変そうですね、公務の最中ですとか……」
「心配いただき痛み入るが、公務中に笑ったりはしない」

 そうなんですか? こんなに笑い上戸なのに??

「クリスティーナといる時には笑い上戸になるということでしょうか?」
「……アイリーンといる時が一番笑い上戸だと思うけれど」
「??」
「こんなに笑っているヒューを見たのは初めてよ」

 クリスティーナとは子どものころからよく知った同士だったらしいから、普段はこんな風に笑う方ではないということなら……どうして笑いの沸点がこんなに低いのかしら?

「まさかオルブライト伯爵のような寡黙で何を考えているか分からない男の最愛の夫人がこのような楽しい女性だとは思わなかった」
「ユリシーズがどんな印象なのか存じ上げませんが、懐いていない犬というのは攻撃的で怖いものですからね。野犬状態の時にユリシーズと出会っていらっしゃったのであれば、殿下の印象もよく分かります」
「野犬を手懐けたか……優秀なブリーダーらしい」
「アイリーン、さきほどからオルブライト伯爵のことを本当に犬扱いしているように聞こえるのですけれど」

 クリスティーナに指摘されて固まってしまった。ユリシーズがあまりにも自分を私の犬だと主張するから忘れていたけれど……。

「えっと……伯爵様を犬扱いするのはまずかったでしょうか?」
「いまさらか?」

 違う、さっきまで笑われていたのは……皇子殿下に、ものすごく変な女だと思われているからだわ。

「一応弁解をしておきますと、私は犬がとても好きなので……」

 こんなどうでもいい話を皇子殿下との謁見の間でしていいのだろうかと思いつつ、私は赤い絨毯を踏みしめながら広い空間に声を響かせている。

「それは伝わっている」

 皇子殿下は自分の席に戻って腰を下ろしながら、冷静に答えた。

「そのせいで、夫のユリシーズは犬になろうとしてしまって」
「……あのオルブライト伯爵が犬になろうとしている?!」

 あ、この話、しちゃだめだったやつかもしれない。びっくりしたのか、皇子殿下の腰が浮いた。

 伯爵様が夫人の犬になりたいと本気で願い、あらゆる使用人にまで嫉妬心をむき出しにしているなんて事実、どう考えても痛々しいのだから外で話すべきじゃなかった。

 事実だけれど。

「申し訳ございません。聞かなかったことにしていただけますでしょうか」
「脳裏に刻み込まれてしまったが、善処しよう」
「アイリーン、本題に入りましょう。このままではヒューが伯爵のことを聞きたがるだけで時間が経ってしまうでしょうから」

 クリスティーナに促され、そうだ本題、と思い出す。

「皇子殿下にお願いがあって参りました。公爵閣下を止めて下さらないでしょうか?」

 頭を下げてお願いをして、そのまま皇子殿下の言葉を待つ。

「面を上げよ、アイリーン。まず結論から申し上げると、余にそこまでの権力はない」

 きっぱりと言い切られて、目の前が白くなった。
 皇子殿下でも、あの人を止めるのは無理なんだ……。

「相手は公爵。政治力も軍事力も経済力も、私人の中で一番大きな力を持っている。状況次第では公人という立場も持っている公爵は、個人で動ける範囲が広い」
「皇室の方が個人の意思で動くのは難しく、公爵は私人という立場を使えるため自由に動けるということでしょうか?」
「余は公務の範囲で貴人の取り締まりを行うことは可能。伯爵を襲った護衛を捕えることはできるだろうが、現在の状態で公爵本人を止めるのは難しい」
「ユリシーズが、あんな目に遭っていてもですか……」
「公爵が何かした証拠があれば別だが」

 私を訪ねてきた公爵家の護衛は、ユリシーズを狙っていた。
 それが公爵様の命令によるものは間違いないと想像ができるのに、証拠と言われてしまうとどうしたらいいのか分からない。

「落ち込むことは無いでしょう? アイリーン。条件次第ではヒューがお父様を捕まえることも可能ということよ」
「……確かに、そういうことですね」
「ただし、公にあなたがクリスティーナを名乗っているということは、お父様が捕まったら立場が悪くなるのだけれど、それは分かっているの?」

 私がはっとすると、皇子殿下が静かにうなずいた。

「公爵家に強く出られないのは、そういった事情もある。余はアイリーンを始めとした、公爵家の被害者を案じている。これ以上、被害を大きくしてはならない。特にアイリーンの立場は複雑だ」
「もし、私の立場が悪くなったら……ユリシーズも困りますか?」
「オルブライト伯爵家は由緒正しい家柄だ。公爵が捕まったくらいで困りはしないだろうが、犯罪者の娘を妻にしているのは体裁が悪い。すぐにでも離縁したくなるだろう」

 皇子殿下は確信を持って言い切った。
 私が公爵様の娘として生きていくのであれば、公爵様の立場が悪くなった途端にユリシーズから離縁を言い渡されることになるだろう、という意味らしい。

「ユリシーズは私と離縁などできませんが」
「……すごい自信だな」
「あの人は、私がいなければ幸せになれません」

 半ばやけになって言い切ってしまうと、隣に立っていたクリスティーナが「ああ、そうなのでしょうね。分かるわ」と深い藍の目をキラキラさせながら私の両手を握ってきた。

「死神伯が死にかけているのは、私を庇ったからです。ユリシーズにとって命よりも大切なのが私なのです」
「ほう……」

 皇子殿下は抑揚のない声を静かに漏らす。
 謁見の前が先ほどまでと同じ静寂に包まれ、吐息のひとつすら聞こえない空間に戻ってしまった。

 重い空気を感じて押しつぶされそうになるけれど、私の手を握ってくれているクリスティーナが静かに微笑んでくれた。
 まだ大丈夫だ。

「私にとっても、夫がいないのは辛すぎます。あのひとを腕に抱きしめて、嬉しそうに微笑む姿をずっと見ていたいの……」

 ユリシーズの笑顔を思い出したら、ただただ寂しくて泣けて来てしまうのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

お飾りの妃をやめたら、文官様の溺愛が始まりました 【完結】

日下奈緒
恋愛
後宮に入り、妃となって二年。 それなのに一度も皇帝に抱かれぬまま、沈翠蘭は“お飾りの妃”としてひっそりと日々を過ごしていた。 ある日、文部大臣の周景文が現れ、こう告げる。 「このままでは、あなたは後宮から追い出される」 実家に帰れば、出世を望む幼い弟たちに顔向けできない――。 迷いの中で手を差し伸べた彼にすがるように身を預けた翠蘭。 けれど、彼には誰も知らない秘密があった。 冷たい後宮から始まる、甘くて熱い溺愛の物語。

ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~

水無月礼人
恋愛
 私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!  素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。  しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!  ……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?  私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!! ※【エブリスタ】でも公開しています。  【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。

平穏な生活を望む美貌の子爵令嬢は、王太子様に嫌われたくて必死です

美並ナナ
恋愛
類稀なる美貌を誇る子爵令嬢シェイラは、 社交界デビューとなる15歳のデビュタントで 公爵令息のギルバートに見初められ、 彼の婚約者となる。 下級貴族である子爵家の令嬢と 上級貴族の中でも位の高い公爵家との婚約は、 異例の玉の輿を将来約束された意味を持つ。 そんな多くの女性が羨む婚約から2年が経ったある日、 シェイラはギルバートが他の令嬢と 熱い抱擁と口づけを交わしている場面を目撃。 その場で婚約破棄を告げられる。 その美貌を翳らせて、悲しみに暮れるシェイラ。 だが、その心の内は歓喜に沸いていた。 身の丈に合った平穏な暮らしを望むシェイラは この婚約を破棄したいとずっと願っていたのだ。 ようやくこの時が来たと内心喜ぶシェイラだったが、 その時予想外の人物が現れる。 なぜか王太子フェリクスが颯爽と姿を現し、 後で揉めないように王族である自分が この婚約破棄の証人になると笑顔で宣言したのだ。 しかもその日以降、 フェリクスはなにかとシェイラに構ってくるように。 公爵子息以上に高貴な身分である王太子とは 絶対に関わり合いになりたくないシェイラは 策を打つことにして――? ※設定がゆるい部分もあると思いますので、気楽にお読み頂ければ幸いです。 ※本作品は、エブリスタ様・小説家になろう様でも掲載しています。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

処理中です...