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5章

それぞれの想い

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 ユリシーズが話し終えると、裁判所は静寂に包まれた。
 弁護士も被告側も、誰も手を挙げない。

「異論や反論があればどうぞ」

 裁判官が発言を促しても、被告席は誰も何も言わなかった。
 ユリシーズがそれなりに証拠を集めていることを知り、発言をしたら偽証で罪が重くなることを恐れているのかもしれない。

「もう、伝えるべきことは伝えきりましたか?」

 裁判官に尋ねられ、ユリシーズは「いや……」と淀みながら続ける。

「ここまで証拠を揃えて追いつめるようなことをしましたが、私は義理の両親を地獄に落とそうとは思っていません。アイリーンは被告がいなければこの世に存在しなかったのですから、穏便な判決を望みます。……とはいえ、娘を抵当に入れるのは帝国法に大きく違反しますし、虐待の内容も人道的に大変まずい行いですから余罪も含めて帝国にはしっかりと調査をしていただき……できれば終身刑あたりで、一生をかけて改心していただければと思うのですが」

 ユリシーズは温情を見せようとしながらも、一生悔いながら生きろと言いたげで迫力がある。
 お父様は真っ青になって俯いていた。

「オルブライト伯爵、判決についての意見は結構だ。確かに今回の件は更なる調査を必要とするものに違いないが……証人が口を挟むことではない」

 ヒュー皇子殿下は静かにユリシーズを責める。
 二人の間に、ばちばちと火花が散っているのは何故かしら。

 証言台のユリシーズと裁判長であるヒュー皇子の睨み合っていた時間が暫く続き、「ふん」と皇子殿下はユリシーズから視線を外した。

「それでは、判決を言い渡す」

 皇子殿下は小槌を二回叩く。

「原告の希望である接触禁止を認め、被告は帝国の監視下に置かれることになるだろう。被告の違法行為に調査が必要だと判断した。本裁判はこれにて終了とし、被告には引き続き帝国の調査と裁判を受けてもらう。以上だ」

 お父様とお母様は、その場で頭を抱えていた。
 私を痛めつけて喜んでいた両親が、この時間ですっかり老け込んだように見える。二人は、ユリシーズと同じ甲冑を身に着けた兵士に連れられて行った。


「アイリーン!」

 証言台にいたユリシーズが、またしても一直線にこちらに向かってきた。
 柵や机は飛び越えないで回り込んで歩くものよ、と教えた方がいいのだろうか。

 ともあれ、私に被さるように抱き着くユリシーズは、尻尾こそ出ていなかったけれど喜びが全く隠れていなくてかわいい。

「アイリーンの希望は叶えられたか?」
「ありがとう。よく、あんなに証拠を集められたわね?」
「俺は、鼻が利くからな」
「……この日のために、姿を現せなかったの?」
「この件の情報収集に色々と手間取ったというのもある。死ななければならなかったのは別件だ。これからゆっくりとその辺の話をしよう」

 ユリシーズは、さも当然のように私の腰を抱き出口まで向かおうとする。

「ちょっと待って、クリスティーナと話してきてもいい?」
「……」

 良いとは言ってくれなかったけれど、私はユリシーズから離れて二階の傍聴席にいるクリスティーナの方に向かった。

「アイリーン、おめでとう」
「クリスティーナ……」
「オルブライト伯爵と幸せにね」

 なんとなく、クリスティーナの表情がこれまでと違う。

「クリスティーナも……」
「ええ、アイリーンを見て覚悟が決まったわ」
「覚悟……?」

 そこで、クリスティーナは私をそっと抱きしめ、耳元で囁いた。

「ヒューったら、女には色んな顔があることすら知らないんだもの。このまま諦めるのは悔しいでしょう?」
「そうですね」
「あなたとオルブライト伯爵みたいになることはできないかもしれないけれど、ヒューはもう、アイリーンを諦めなくちゃいけないのだし」

 どうして私が? と聞きたかったのに、クリスティーナはそこでヒュー皇子殿下の方に向かって急ぐ。

「ヒュー! アイリーンたちは暫くここには来なくなると思うの。何か言っておくことは無いの?」

 ヒュー皇子はそこで立ち止まり、振りかえった。

「オルブライト伯爵は、余の護衛を務める気は無いか?」

 皇子殿下……このタイミングで、それを言うのね……。

「何度誘われても変わりません。私は妻のアイリーン以外の護衛をするつもりは無いですし、妻と離れる任務には就きません」
「そうか。以前なら、才能を勝手にくすぶらせるなと叱ったところだ」
「ひとつ殿下に忠告しますが、アイリーンのような妻が欲しければ、まずはご自身が変わられることですね」
「オルブライト伯爵のようになれと言いたいなら、余は、お前のような男が一番嫌いだ」

 皇子殿下はそう言ってユリシーズから私に視線を移す。

「達者で」

 別れの言葉を口にすると、さっさと裁判所を出て行ってしまった。

「この度は、お世話になりました!」

 背中に声を届けようとしたけれど、皇子殿下は全く反応してくれない。
 その後をクリスティーナが追いかけていった。

「ユリシーズったら、何をしたら皇子殿下に嫌われるの?」
「アイリーンには分からないか。まあ、それならそれでいい」

 まるで子ども扱いじゃないのと不機嫌になると、ユリシーズは私の手を取って歩き出す。

「なによ、バカにして」
「魅力的な妻を持つってことは、こういうことなんだなと納得しただけだ。これを機に、もう少し人の心ってもんが分かるようになるだろ、あの皇子様も」

 ひとりで納得しているユリシーズに引っ張られて歩く。そこに、バートレットとシンシアが付いてきた。

「留守の間、苦労をさせたな」

 ユリシーズが二人に声を掛けると、バートレットはそこで初めて目尻に涙を溜める。

「冗談も度が過ぎます。もうこれ以上、主人を失う気持ちを味わわせるのはお止めください」
「そうだな。お前より長生きしてやるから安心しろ」
「絶対ですからね?!」
「当たり前だ。俺はアイリーンと少しでも長く一緒にいたいからな」

 そういえば、ユリシーズのお父様やお兄様が亡くなった話を聞いたことがあった。その度に、バートレットはどんどん若くなる主人に仕えてきたのかもしれない。
 ここ数カ月のバートレットが感情を押し殺したようにしながら、一生懸命私を支えてくれたことにも納得が行く。

「バートレットは、ユリシーズが裁判所にいることを知っていたの?」
「いえ、裁判の途中からです。匂いで気付きました」
「ああ、そういうことね……」

 甲冑に全身を包まれていようが、匂いで分かってしまったのね。

「ご主人様、奥様はずっと寂しがっていたのです! 反省して、奥様に償って差し上げてくださいね!」
「勿論、この先、一生をかけても償うつもりだ。シンシアは俺のいないところでアイリーンに甘えていたくせに偉そうだな」
「わ、わたしが奥様に甘えていたのはご主人様とは関係ないですっ!」

 私たちは賑やかに廊下を歩く。
 すると、見知った顔が何事かとこちらを見ていた。

「あら、執事長様!」

 良いところにいてくれたじゃないの、と私はユリシーズに腕を絡めながら呼び止める。

「オルブライト伯爵夫人と……まさか、そちらは……」
「うふふ、私を傷つけた人を成敗しに、夫が地獄から戻ってきてくれたのです」

 執事長様は、「ヒイ!」と声を上げて飛び上がり、どこかに向かって走って行ってしまった。肥満体型のようだけれど、逃げ足が速いわね。

「おい、アイリーン。その冗談は嫌いじゃなかったのか?」
「そうね、使われる側からしたら趣味が悪くて嫌いよ。ただ、使う側になったら別じゃない??」
「ほう?」

 走って逃げて行った執事長様を見ながら、ユリシーズは納得したようにうなずき、そして繋いだ私の手を持ち上げて私の指に口づける。

「これまでのことをじっくり二人きりで話そう。そんなわけだから、バートレットとシンシアは一足先に帰っていてくれないか?」
「つまりそれは、暫く二人きりにしろということかと存じますが……奥様に侍女が付かなくて大丈夫なのですか?」
「いい。侍女の代わりも護衛も俺がやる。あと、シンシアはアイリーンの着替えを置いていけ」
「はぁーい」
「返事が悪い」
「だって、ご主人様が奥様を独り占めしそうなので、気が乗りません」
「独り占めするために命令しているからな」
「はぁーい」
「返事が悪い」

 私たちはガヤガヤとお城の廊下を歩く。
 ここ数カ月で一番気分が晴れやかで、心から笑っていた。
 これから私は、ユリシーズの事情とやらを聞かせてもらうつもりだ。
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