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第五章
03-2
しおりを挟む「やっぱり……何となくだけど、わかるもんだね。”同じ人種”みたいな感じ、だからかな……」
佐野が、若い洋太を気遣うように静かな笑みを浮かべた。その大人の包容力を感じさせる顔を見て、洋太は、身近に誰も「同性と交際している」知り合いがいなくて、誰にも相談できない心細さを自分が感じていたことに、初めて気がついた。
低く穏やかな、とても聞き取りやすい声で洋太の眼を見ながら佐野が話を続ける。
「相手は……海で一緒にいたという彼、で合ってるかな?」
「はい……順平って言うんですけど……」
「ショーンに殴りかかったって聞いて、これはただごとじゃないな、とは思ってたよ。普通の日本人は、あの大男相手に喧嘩なんか、まず売らないからね。命が惜しいから……あいつ、ハイスクール時代にボクシングとアメフトをやってて、州内で結構強かったらしいよ」
「え……そうなんですか……? 順平よく無事だったな……」
「ね。ショーンも褒めてたよ。自分のパンチをまともに喰らって、一発でKOされずに立ち上がって向かってきたアジア系は彼だけだって」
二人でちょっと笑った後、洋太がまた俯いて、ぽつりぽつりと話し始めた。
順平とは両想いで、ごく最近つき合い始めたこと。そういう関係になってすぐに、順平から一緒に暮らしたいと言われて、戸惑っていること。自分にもそばにいたい気持ちはあるのだが、家の事情もあり、すぐには難しいと思っているが、それを伝えてがっかりさせるのが、少し不安なこと――。
黙ってじっと話を聞いていた佐野が、穏やかな笑顔を崩さずに、不安げな洋太をいたわるように語り掛けた。
「……言い難いことを、よく話してくれたね。一人で心細かっただろう? 彼のことが、本当に好きなんだね……そして、彼も……」
佐野が太くて長い二本指で眼鏡の位置を直しながら、独り言のように話し始めた。
「個人の事情はそれぞれ違うから、ここで何か先輩ぶった、教訓みたいなことを話すのも違うと思うし。僕らの話を少しだけするね。……ショーンは、アフガニスタンの帰還兵なんだよ。それがどういうことか、まだ若い君には、わかるかな……?」
「帰還兵……マクレガーさんは、戦争に行ってたんですか?」
「ああ。そこで心に深い傷を負って国に帰ってきた。でも結局、本国での新しい生活に、馴染めなかったんだ。無理もないと思うよ。自分の中では、見えない敵から命を狙われる恐怖とか、戦友の体の一部が吹っ飛ぶ光景とか……そういう恐ろしい”戦争の記憶”がちっとも終わらないのに、周囲の皆は誰一人そんなことは知らなくて。街の中を見ても、平和そのものなんだから」
痛ましそうな、遠い目をした佐野の表情を通して、洋太にもそのマクレガーの苦痛が伝わって来る気がした。
「ショーンは、日本にあった米軍基地から戦地へ行ったんだ。それで、戦争を知らなかった頃の楽しい記憶が残ってたんだろうね。傷ついた魂の救いを求めるように日本に来て、それで……共通の知り合いを通じて、僕らは出会ったんだ」
ふいに佐野が言葉を切って、数秒黙り込んだ後、どこか悩ましげに眼を閉じて話を続けた。
「色々あって、交際を始めたんだけど。……彼はね……今でも時折、夜中にうなされて、飛び起きるんだよ。戦場にいた頃の悪夢を見るんだ。PTSDと言ってね、心の傷に現実が侵食されてしまうらしい。だから、怖がって真っ暗な部屋では眠れないんだ」
「暗闇が、怖い……?」
「そう。色んな辛いことを思い出してしまうんだろうね。……ところで、僕は子供の頃から、部屋が暗くないと眠れないんだ。それで、彼と一緒に暮らすことになって、どうしたと思う?」
洋太を安心させるためか、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて佐野が訊いてきた。洋太が首を振ると、笑って答えた。
「アイマスクを使ってるんだよ。長距離バスや飛行機に乗る時とかに着けるのを、僕が。慣れてきたら結構あれでも安眠できるもんだね」
「……でも、それじゃあ佐野さんが、ずっと我慢することに……」
洋太が心配そうに尋ねると、佐野が静かに首を振った。その表情は誠実に見えた。
「僕は、一方的に我慢してるわけじゃない。僕の横で彼が安心して、ぐっすり眠れることのほうが、自分がほんの少し楽に生活できることよりも僕にとっては大切なことだった。それだけだよ。……彼を愛してるからね……苦しむ姿は見たくないんだ」
終始落ち着いて穏やかに話していた佐野が、その時だけ、わずかに顔を紅潮させているように見えた。洋太は、その姿に相手を思いやる深い愛情のようなものを感じて、じんわりと胸を感動が満たしていく気がした。
「それに……僕自身もショーンの存在に救われてるしね。……じつは、僕は元刑事だったんだよ。捜査中の事故で目に怪我をしたせいで、続けられなくなって退職したけど。あいつとは柔道クラブを通して出会ったんだ。子供みたいな素直な奴で――」
佐野がそこまで話した時、急に診療所のドアが開いて、騒々しくマクレガーが帰ってきた。手には美味しそうなパンが何個か入った袋を持っていて、洋太にそれを家に持って帰るように言う。洋太には聞き取れない早口の英語で何かしゃべって、それに苦笑しながら佐野が応じている。
洋太はそんな二人を微笑ましく見つめながら、自分と順平もいつかこんな風になれるかな……と考えていた。無性に、今すぐ順平に会って話したいと思った。
別れ際、挨拶をした洋太に佐野が、気遣うように声を掛けた。
「僕の話は役に立てたかどうかわからないけど……。でも、これだけは前職の経験からも自信を持って言える。人がすることには、何でもそうするだけの理由があるんだと思う。だから、とにかくお互いに思ったことは、何でも正直に話し合うことだよ。また悩み事とかがあったら、いつでもおいで。二人が上手く行くように祈ってるからね」
「ありがとうございます。……順平と、よく話し合ってみようと思います」
夏の夕暮れの中、診療所の入り口に立って手を振る大柄な二人を振り返って頭を下げながら、洋太は何だか晴れやかな気持ちで自転車を漕ぎつつ、家路を急ぐ人々が行きかう商店街の道を帰って行った。
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