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ego
花の記憶
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若田邸が、風穴だらけになって二日が経とうとしていた。家がお陀仏になったということは、やはり、
「そう、そのとおり。タンスの服もお皿もみんなダメになちゃったからね。まあ、許可は取ってあるし少しの間。我慢してくれ」
真理亜に残った服は、パジャマと制服と、下着類。若に残った服は、白衣と下着類。しかしこちらの事務所に、若の服はたくさんあるので問題外。だが、私に残った服はというと、ゴシックなフリルのついた服とパジャマの上と下着一セットという惨憺たる状況なのである。コイオスとクリオス、あと、オケアノスはしばらく、心象世界に閉じこもるつもりらしいので、服などどうでもいいようだ。
「しかしだな、この格好でうろつくのは、その、恥ずかしいのだが」
「確かに目立つだろうけど、家の修理費と生活費でいっぱい、いっぱいなんだ。それにお嬢さんが飛び出して戻ってきたら制服がぼろぼろになってるなんて思わなかったんだ」
それもそうだ。なにも言わずにあの時は、ただ必死になって逃げていた。家がどういう状況だったのか把握していなかったのだ。加えて、着ている服がまさか制服だったとわつゆ知らず、激しい戦闘をしてしまったのだ。ブレザーのポケットは取れ、スカートはチャイナドレスのような裂け目があり、左の脚が露わになっていた。そう言えば、髪の毛も荒れ放題だったな。だがしかし、
「許可を取ったとは、言ってもゴスロリで登校は不味くないか」
「私は、いいと思いますよ。ゴスロリ。ヒルデさんとっても似合いますし」
真理亜さんよ、そういう問題じゃないんですけど。
「ホントに我慢してくれ、して下さいお願いします」
顔の前で手を合わせて、お願いしてくる。こんなに頼まれたのは初めてだ。文句ばかり言う私は、少し情けないと思った。
「ふぅ、今回だけよ」
「ホントに」
「苦しいことは、私にも分かるし。それに、制服、ぼろぼろにしたのは、私だし。ゴスロリを着ていくのは、個人的に・・・恥ずかしいだけだから」
「いやー良かったよ。通帳無くしたからポケットマネーしかなくて」
「はぁあ」
「ウソ」
私は呆れ、真理亜は仰天する。この後真理亜のお説教が続いたことは、言うまでもない。
なぜか、二日前が終業式だったのに学校へと登校しなければならない。担任の日出陽菜から、連絡があった。
〈もしもし~。若田さ~ん。明日から、補習がありますので、登校して下さいね~。フフフッ〉
最後の不敵な笑いは分からないが、なんでも、補習というものがあるらしい。正直よくわからん。ということで、いつも通り行くしかあるまい。だが、今日は、ゴスロリだ。鏡の前に立ってみても、やはり気恥ずかしい。
「いつも通り、普段通り、堂々としていればいいのよ」
と一人でパチンと、頬を叩いてやる気を無理に出す。
少し人目を避けたいと思った私は、三十分早くに登校した。すると校門に田島奏花と美沢華蓮の姿があった。
「あっ、若田さん。おはよう」
「これは、これは。一昨日姿が見えず皆さん心配してましたよ。特に男子が」
最後は嫌味っぽく華蓮が言ったのは聞き流すとしよう。
「実は、家が火事になってしまいまして」
「あら、そうだったの、ただの風邪かと思ってたけど、大変だったのね。先ほどの嫌味は、お詫びするわ」
嫌味だったんだ。
「へぇー。だからゴスロリなんだね」
「ええ、どういう訳か、私服がこれしかまともなのがなくて。制服は、少し溶けて着れませんし。新しい物を用意するまでの間、特別に許可して頂きました」
「でも、本当に似合ってるわ。私、結構ゴシックって好きなのよ。奏花、今度私たちも着てみる」
「珍しいね、華蓮ちゃんからのお誘いなんて」
「ところで、お二人はこれから」
「私たちね。これから児童館でクリスマスパーティのお手伝いしに行くんだよ」
「お手伝い、ですか」
「そう、部活動よ。地域ボランティア活動部。子供たちに、絵本読んだり、遊んだり。お祭りの準備したり、老人ホームのお掃除したり。そこそこ、やり甲斐のある部活よ」
「そうなんですか」
「若田さんこそどうして、こんなに早く学校に来たの?」
奏花が不思議そうに聞いてくる。
「私は、補習があるそうなのです」
なぜか納得という顔をする二人。
「まっ頑張ってね」
「バイバーイ」
「あなたたちもお気をつけて」
二人と話し始めて五分ほどで別れ、まづ、職員室に立ち寄った。ノックしようと手を伸ばすと、ガラッとドアがいきなり開いて、日出陽菜が飛び出して来た。
「先生どうしたんです。いきなり」
なにやら、先生は、興奮状態にあるようだ。その証拠に、鼻息が荒く頬が赤い。
「すはー、すはー、すぅぅはー」
「先生?」
(ゴスロリ少女)
「へっ?」
「いえ、本物のゴスロリ美少女やー」
先生は、いきなり抱きついてきた。それもかなりきつく。
「先生もう離さない」
「いえ、離して下さい」
「はっ!」
今度はなんだ。
「ゴホン、ごめんなさい。先生昔から、フランス人形とか好きで、目がなくてね。どうしても抱きついてしまうの、いつもは、我慢するんだけど、今回は抑えられないほど強烈な美しさだったわ」
私は、危機を感じる。この人の前でゴスロリを着てはならないと。冷汗が頬を伝う。普段は、ふわりとした面持ちの印象だが、今は、支配欲にまみれた領主のような邪悪な顔をしている。
「駄目よ陽菜。我慢するの、この子は私の教え子、魅了に負けてはダメ。でも、写真ぐらいは」
と取り出したのは、高性能な一眼レフである。あっ、ダメだこの人からなんとかして逃げなきゃ。私はホームルームへと駆け出した。
「あ、待って。まだレンズ交換してないの、一枚ぐらいお願いよー」
と先生が叫ぶ声を背に受けながら、二階へと続く階段を登り、ホームルームに辿り着いた。
「はぁー。危なかったわ、先生地味にボイスレコーダーも持ってたし、何をさせられるかわかったもんじゃない」
その後、補習は、無事終わった。内容は、日本語の文法とかいろいろ。外国人留学生という設定にしてしまった異常それは仕方のないことであるのだが、講義中、やけに視線を感じたのは言うまでもなく、日出陽菜の視線だ。しかし、講義をしてくれたベテランそうな男性教員が、日出陽菜に喝を入れたのもまた然り。授業は午前だけだったので、ここからは自由な時間だ。窓の方を見ると、雪が降っていた。気づかなかったけど、今日は、クリスマスである。ふと、窓の外、校庭の端の鉄柵のそばに誰かいるのを見つけた。ちょっと気になったので、その人物の元まで行くと、だんだん姿がはっきりしてきて男子生徒であることがわかった。
「何をしているのです?」
「うわっ、て脅かさないでくれ」
驚いて振り向いた彼は、神田聖司だった。
「あら、神田君でしたの」
「ああ、って、若田」
私の顔に何か付いているのか、まじまじと見つめる。神田君は、次第に色白の頬を赤くして、目を背けてしまった。
「それで、何をしているのです」
「あ、ああこれ、花に雪除けのカバーをかけているんだ」
「カバーですか?」
「この雪じゃ、積もったら枯れちゃうだろ、だからせめて雪除けをと思ってさ」
そうか、彼は優しいんだな。もう冬休みなのにわざわざ学校に来てまで、その辺の雑草と一緒に生えているような花を気にかけるなんて。
「どうしてそこまで」
聞かずにわいられないことだった。
「どうしかって?そうだなぁ、しいて言うなら、ばあちゃんの遺言かな」
「お婆さんの」
神田は、曇った空を見つめどこか遠くを見ている。いや、探しているのだろうか。
「ばあちゃんはさ、花が好きだった。庭には、俺の知らない花がたくさん咲いていて、太陽の光が、滴に反射して眩しかった」
「・・・」
「でも、俺が中学を卒業してすぐに、病気で死んじまった。そのときの最後が、花を愛してくれだなんて、本当に花が好きだったんだなって、花見てるとそんなばあちゃんを思い出して、今でもこうして花の世話をしてやるんだ。おかしな話だろ」
彼にとって、祖母との別れは、悲しいことであっても、花が今でも二人を繋いでいるのだな。
「いいえ、とても良い話だったわ。きっと花も喜んでいるわね」
「そ、そうか」
彼は、またどこか遠くを見て、
「俺、そろそろ帰るから。若田も冷えないうちに帰ったほうがいいぞ」
そう言って、そそくさと校門の方に小走りで行ってしまった。彼が作った雪除けのカバーは、ペットボトルの上の部分を切り取って、小さな穴を開けてあるだけの簡易なものだったが、花にとっては、ありがたいものに違いない。そして、花をよく見ようと、座り込むと、
「貴女、何者ですか?」
と、優しくも敵意のこもった声が聞こえ、スッと立ち上がり、振り返る。
「あっ」
顔と顔との距離がわずか数センチくらいまで、顔近づけていた。そして問いかけてきた者が
「あら、貴女は例の」
「・・・」
「失礼、貴女が何者か確認しました。ですので、名のる必要性は、ありません」
「そう、じゃあ私が聞くわ。貴女はなんて名前?」
「私、天使この度、我が主テテュス様より勅命を受け降臨しました」
「勅命」
「はい」
私より少し背が高い。天使にしては、大人しいというか、忠誠的というか、今までにはいないタイプの天使だ。彼女も観測対象なのだろうか。そうであるなら、早速、詠唱準備にはいらなくては、
「待って下さい。貴女は数々の天使を観測なされてきた。しかし、残念ながら私は、観測対象ではありません」
「どういうことかしら」
辺りは、いっそう暗くなり、やや吹雪いてきた。
「今日は、辞めておきましょう。この吹雪ですから」
「確かに」
腑に落ちないところはあるが、この天候の中ゆっくり話すことは困難を極めそうな予感がするのは、私もこの天使同じであった。「ささ、お帰りなさいな、オブザーバー様。私は、逃げも隠れもいたしません」
「あなたも帰るのか?」
「いえ私は・・・するのが役目ですから。ではさようなら」
物凄い風が吹き肝心なことをはっきりと聞き取れなかったが、どうやら彼女は、明日もあの場所で待っていてくれるらしいので、明日、朝一で訪ねてみよう。
はぁーと吐く息は白くまた、歩く道も真っ白だ。補習が始まる一時間前に学校にやって来ると、
「あら、こんな早くに、おはようございます」
「おはよう」
「では、手短に済ませてしまいましょう。私の役目について、私はこの花に呼ばれたのです。実際には、この花が、テテュス様に願い私が参上した訳ですが・・・・・」
彼女は急に語りを止めて、私を睨む。
「どうしたの?」
「敵襲です」
「へっ」
「逃げてください」
天使は、積もった雪に触れると、固く尖った氷柱が私の頭上を越えて、飛んで行く。私もつられて氷の矢を目で追いかけると、そこには、別の天使の姿があった。新しく現れた天使は、ナイフのような小刀で、氷柱をすべて粉々に砕いて、身を伏せ改めて戦闘態勢をとる。いやこの場合は、こちらの体勢かしら。など、どうでも良いことを考えていると、敵は、姿勢を低くしたまま突貫してきた。
「あなた今日は運が無かったようね」
今日は何かあると思い、聖剣を持ってきておいて良かった。そのまま剣を引き抜き、敵の勢いを断ち切るが、やはりナイフと剣とでは、振り下ろすのにタイムラグがあるため、防戦一方である。
「速い、でも軽い」
ちょこまかと動く天使を、思うように捉えられない。先日の邪神の気持ちが少し分かった気がする。
「ここは、私が時間を稼ぐから貴女は早く逃げて」
上手く動けないと見抜いたのか、ここが好機とばかりに追撃を仕掛けてくる。しかし、敵は今までにないほど大きくナイフを振り上げた。このチャンスを逃す手は無い。
「そこ」
剣の先を、相手の心臓目掛けて突くけれど、私は、チャンスを逃した。いや、元からチャンスなど無かった。
「フェイント!うぐっ!」
ちょうど、みぞおちのところに重い一撃を喰らってその場にうずくまる。このままじゃ、チラリと花の前に立つ彼女を見ると私の想像する最悪のケースとなってしまった。
「ぐッ、ゴブゥ・・・・、はぁはぁはぁ、ゲホッゲホッ」
血を吐き崩れ落ちるテテュスの使い。
それをただ見ていただけの私。
ああ、なんて無力。
戦えないくせに強がって。
みすみす死なせてしまった。
彼女は、最後に私に向かって「花を大切に」だなんて、それは貴女の仕事でしょ、なら私に託すんじゃなくて、いきて、
「生きて最後までやり遂げなさいよ」
敵は依然とたたずんで動かない。まで何かの悦に浸っているようだった。
同じように、あの身を串刺しにして、
その場に棄てるように切り払えば、少しは、少しは、・・・・。
「楽にはなりませんよ」
誰。
「私は貴女に救いをあげましょう。私の使いが貴女を狂わせるなら、私が貴女をその苦しみから解き放ちます」
いつの間にか花の前に、さっき亡くなったはずの彼女が、立っていた。
「なん、で」
「貴女ですね。わたくしの可愛い子を殺したのは」
「フッ」
優しそうな口調の奥にある殺気は、あの天使と瓜二つ。むしろ、今いる彼女の方が、上かもしれない。
「いま、笑いましたね。命を弄ぶ者に行き場などありません。汝、悔い改めること能わず、死を快楽とする者よ、救いも無ければ、苦も無い無へと、私が返そう。さあ、行きなさい」
天使を手に掛けた天使に手をかざすと、今まで学校の運動場の隅っこだった場所が、いつの間にか真夏の砂浜に私を含めた三人がぽつんと、立っていた。すると、海を背にしていた天使が、突如大波にさらわれてしまった。手で身を守ろうとするが、巨大な波の前では、力無くそして、波の音で、叫び声すら聞こえず、跡形もなく消えてしまった。
「あっ」
と、束の間の出来事に言葉が出ない私に新しく現れた何者かが、手を差し伸べてくれた。
「立てますでしょうか」
「ええ、ありがと」
「どうやら、いろいろとご迷惑をおかけしたようですね。改めて自己紹介を。わたくしは、テテュスと申します。一応、救いの神を仰せつかっております。以後お見知りおきを」
「私は、ヒルデ。本当の名前は、知らないからそう呼ばれてる」
「そうですか。では、わたくしも、ヒルデと、呼ばさせていただきますね」
「どうぞ、お好きに」
「はい」
テテュスと名のった神は、人差し指を立てて、花に向かって弧を描く。
「何してるの?」
「ああ、これですか。これは、花を守るおまじないをしていたのです。こうやって、こうです。フフフッ」
「へっ、へー。そうなんだ」
楽しそうに人差し指を立て弧を描いて見せる。
「ここではなんですので、この建物の中に入りましょう」
そこは、使われていない旧校舎であった。
旧校舎は、木造平屋のおんぼろ建築物だ。しかし、取り壊さずに、七十年記念として、今でも変わらず、運動場の奥に建っている。ここには、ほとんど誰も立ち寄らない。なぜなら、遠い事と荒れ放題の木々が校舎を取り囲んでいて、少々不気味なのだ。なので年に一度の点検日以外は、誰も敢えて来ようとはしない。まあ、冬休みなのでそんなことは、最初から気にしなくていいことなのだ。
「まずは、先程のことお詫び致します」
「いいよ、そんな丁寧に。こんな事は、慣れっこだし。まあ、でも誰かがいなくなっちゃうのは、初めてだったけど、なんだか前から、嫌だった気がするな」
そうだ。私は、どうしてか前から、失うことが怖かった気がする。自分が傷つくことよりも、大切な人がいなくなることが、無性に恐怖を感じるのだ。
「そうですか。それは、辛い思いをさせてしましましたね」
テテュスは、旧校舎の図書室に入って、近くにある椅子にこしかけた。
「わたくしは、あの子、殺された天使に花を守る命を与えました。ある少年が、花を守るように願ったからです」
「だから、あの子は、降りてきたのね」
「はい、そしてまた。わたくしは、少年を守るように花に願われたのです」
んっ、ちょっとまて、花が神に願い事をした。そんな馬鹿な。
「ええ、そうですね。そう思われるのも無理はないですね。花は、言葉を話さない。考える脳も無い。ですが、花は、生きています。生き物ならば、願いという清い欲の一つや、二つあるでしょう」
なるほど、生きている者皆、平等ということか。確かに、小説や歌の中では、花が歌うや、語りかけてくる。なんて表現がされているくらいだ。本当に、何かを願っていても不思議は無い。むしろ、そう考えてみると、花だって効率よく繁殖しようと、進化するのだ。何も考えて無いわけじゃない。
だとすると、花が守って欲しい少年は、ただ一人しかいない。神田聖司だ。
「あら、何かわかったようなお顔をなされましたね」
「ええ、その花が、守りたい少年が誰かわかったの」
「ほう、それはどなたです?」
「神田聖司っていう男の子よ」
「おうちは、どちらに?」
「知らないわ、どうしてそんなことまで聞くの」
「いえいえ、ただ気になっただけですわ」
少し取り乱して言う彼女が、怪しく見えた。何かを隠してる。そう感じずにはいられなかった。
「知っていますか?花には、未来を示す、予知することができると」
「それって、花が明日のこととか教えてくれるってこと」
「ちょっと違いますわね。実際には、人がその花の咲く時期を計って、この月は雨が多いとか、気温が高くなるだとかを預言として、神官と呼ばれる方々が民衆たちに教えたそうです」
「へぇーそうなんだ。でも何でそんな話を」
テテュスは、俯いて長い髪で顔を隠した。すると、どういう訳か、テテュスは突然泣き出してしまった。
「えっ、どうしたの、私なんか変なこと言ったかしら」
「いいえ、いいえ。貴女が悪いのではありません。わたくしには、どうしてもこの結末が、悲しすぎます」
「それ、どういうこと」
「花がわたくしに教えてくれるのです。その少年は、おそらく近いうちに花の前で亡くなってしまうでしょう。わたくしの、妹の手によって」
私は、テテュスの言葉に面食らった。どうしていきなりそういう話になるのだ。だって昨日だって、あいつはあんなに元気だったし、何より「花を守ってやるんだ」って、意気込んでいたではないか。そんな優しい奴が、どうしていきなり殺されることになっているんだ。
「何かその預言を変える方法は?」
テテュスは、静かに首を横に振る。
「そんな」
黙って誰かが、死ぬのを指をくわえて見てろというのか。嫌だ。そんなこと、
「嫌だ」
「わたくしも、救いの神ですが、世界が、運命が相手では手の打ちようがありません」
その時、携帯端末の無感情な音が鳴り響いた。
「ごめんなさい。ちょっと席を外すわ」
「どうぞおかまいなく」
端末の電源を入れると、メッセージが再生される。
〈お嬢さん、天使のコールがあったけど、大丈夫かい。君の気配が薄くなってきたって言って、コイオスちゃんとクリオスちゃんがそっちに向かったから、合流したらまた、連絡しておくれよ〉
電源を切る。
「お迎えが、いらっしゃるようですね今日のところは、ここまでと致しますか」
テテュスは、私を気遣ってそう言ってくれているのだろうが、どうも腑に落ちない。一抹の不安というのだろうか。
「とりあえず、表に出ましょう。お迎えの方が分かりやすいように」
「それもそうね」
旧校舎の玄関の戸を開けると、茂みが音を立てて揺れる。すると右の茂みから、コイオスが葉にまみれて飛び出てきた。左からはやはり、クリオスがと思ったがなかなか出て来ない。いっそのこと呼んでみるか。
「クリ」
「ひゃー、あふっ」
左の木の上からクリオスが降ってきて無様にも、逆さまに落ちてきたみたいだ。クリオスは絶賛目を回し中である。
「クリオス、クリオス」
「あいたたたた、むー、痛いですぅ」
「クリオス、しっかりなさい。申し訳ない。姉様」
「心配してきてくれたの?」
「それもありますが、誰か神が、あっテテュス」
コイオスがテテュスを見るやいなや、顔を青くして、私の影に隠れた。
「あら、もしかしてコリオスなの、きゃあ可愛くなってしまって」
「一つ上の姉です」
「そうなんだ。でも何であんた隠れてるのよ」
無理やりコイオスを私の前に引っ張り出すと、テテュスがコイオスに抱きついて話さない。
「こうなるからです」
明らかに嫌そうな顔をして、私に抗議するが、コイオスはなんとか自力でテテュスを引き剥がした。
「どうしてまた、女の子になってしまったの」
「テテュス、コリオスは、コイオスとクリオスに分裂して、子供たちに夢を見せる神となったのですよ」
「あら、わたくしが知らない間に、大変なことになっていたのですね」
コイオスは首を横にふるふると振って、
「今は、姉様がいるので、大変では、ないのです。毎日が楽しい」
コイオスは、コイオスなりにこの世界を楽しんでいると言う。私はどうだろうか。いや、考えるまでもなくこの世界は楽しい。楽しいことの裏返しに辛いこともあるけれど、せっかくこうして生活している以上楽しまなくては、損ではないか。
「そうだ。楽しいんだ」
「どうされました。姉様」
「テテュス、コイオス。この世界は楽しいんだよね。なら悲しい事を増やしちゃいけない」
「もちろんですとも」
「ええ、そうですね」
クリオスも起き上がって、
「私も楽しい方がいい」
「テテュス、神田聖司の家を探そう、花のために、命のために、願いのために。誰かが泣く世界なんて、誰も望まない」
「人だろうと花だろうとですか?」
私は静かに頷く。
「よーし、人助けするぞー」
クリオスが張り切って声を上げたが、「おー」の掛け声をする間もなく、
「でも家ってどう探すの?」
と、クリオスは、自らの発言で最大な壁を構築してしまった。そう、私たちは、この世界での住所の特定の仕方を、だれも知らないことを今知ったのである。
「「あっ」」
一同が、悲嘆の声を漏らしたことは、言うまでもない。
「そう、そのとおり。タンスの服もお皿もみんなダメになちゃったからね。まあ、許可は取ってあるし少しの間。我慢してくれ」
真理亜に残った服は、パジャマと制服と、下着類。若に残った服は、白衣と下着類。しかしこちらの事務所に、若の服はたくさんあるので問題外。だが、私に残った服はというと、ゴシックなフリルのついた服とパジャマの上と下着一セットという惨憺たる状況なのである。コイオスとクリオス、あと、オケアノスはしばらく、心象世界に閉じこもるつもりらしいので、服などどうでもいいようだ。
「しかしだな、この格好でうろつくのは、その、恥ずかしいのだが」
「確かに目立つだろうけど、家の修理費と生活費でいっぱい、いっぱいなんだ。それにお嬢さんが飛び出して戻ってきたら制服がぼろぼろになってるなんて思わなかったんだ」
それもそうだ。なにも言わずにあの時は、ただ必死になって逃げていた。家がどういう状況だったのか把握していなかったのだ。加えて、着ている服がまさか制服だったとわつゆ知らず、激しい戦闘をしてしまったのだ。ブレザーのポケットは取れ、スカートはチャイナドレスのような裂け目があり、左の脚が露わになっていた。そう言えば、髪の毛も荒れ放題だったな。だがしかし、
「許可を取ったとは、言ってもゴスロリで登校は不味くないか」
「私は、いいと思いますよ。ゴスロリ。ヒルデさんとっても似合いますし」
真理亜さんよ、そういう問題じゃないんですけど。
「ホントに我慢してくれ、して下さいお願いします」
顔の前で手を合わせて、お願いしてくる。こんなに頼まれたのは初めてだ。文句ばかり言う私は、少し情けないと思った。
「ふぅ、今回だけよ」
「ホントに」
「苦しいことは、私にも分かるし。それに、制服、ぼろぼろにしたのは、私だし。ゴスロリを着ていくのは、個人的に・・・恥ずかしいだけだから」
「いやー良かったよ。通帳無くしたからポケットマネーしかなくて」
「はぁあ」
「ウソ」
私は呆れ、真理亜は仰天する。この後真理亜のお説教が続いたことは、言うまでもない。
なぜか、二日前が終業式だったのに学校へと登校しなければならない。担任の日出陽菜から、連絡があった。
〈もしもし~。若田さ~ん。明日から、補習がありますので、登校して下さいね~。フフフッ〉
最後の不敵な笑いは分からないが、なんでも、補習というものがあるらしい。正直よくわからん。ということで、いつも通り行くしかあるまい。だが、今日は、ゴスロリだ。鏡の前に立ってみても、やはり気恥ずかしい。
「いつも通り、普段通り、堂々としていればいいのよ」
と一人でパチンと、頬を叩いてやる気を無理に出す。
少し人目を避けたいと思った私は、三十分早くに登校した。すると校門に田島奏花と美沢華蓮の姿があった。
「あっ、若田さん。おはよう」
「これは、これは。一昨日姿が見えず皆さん心配してましたよ。特に男子が」
最後は嫌味っぽく華蓮が言ったのは聞き流すとしよう。
「実は、家が火事になってしまいまして」
「あら、そうだったの、ただの風邪かと思ってたけど、大変だったのね。先ほどの嫌味は、お詫びするわ」
嫌味だったんだ。
「へぇー。だからゴスロリなんだね」
「ええ、どういう訳か、私服がこれしかまともなのがなくて。制服は、少し溶けて着れませんし。新しい物を用意するまでの間、特別に許可して頂きました」
「でも、本当に似合ってるわ。私、結構ゴシックって好きなのよ。奏花、今度私たちも着てみる」
「珍しいね、華蓮ちゃんからのお誘いなんて」
「ところで、お二人はこれから」
「私たちね。これから児童館でクリスマスパーティのお手伝いしに行くんだよ」
「お手伝い、ですか」
「そう、部活動よ。地域ボランティア活動部。子供たちに、絵本読んだり、遊んだり。お祭りの準備したり、老人ホームのお掃除したり。そこそこ、やり甲斐のある部活よ」
「そうなんですか」
「若田さんこそどうして、こんなに早く学校に来たの?」
奏花が不思議そうに聞いてくる。
「私は、補習があるそうなのです」
なぜか納得という顔をする二人。
「まっ頑張ってね」
「バイバーイ」
「あなたたちもお気をつけて」
二人と話し始めて五分ほどで別れ、まづ、職員室に立ち寄った。ノックしようと手を伸ばすと、ガラッとドアがいきなり開いて、日出陽菜が飛び出して来た。
「先生どうしたんです。いきなり」
なにやら、先生は、興奮状態にあるようだ。その証拠に、鼻息が荒く頬が赤い。
「すはー、すはー、すぅぅはー」
「先生?」
(ゴスロリ少女)
「へっ?」
「いえ、本物のゴスロリ美少女やー」
先生は、いきなり抱きついてきた。それもかなりきつく。
「先生もう離さない」
「いえ、離して下さい」
「はっ!」
今度はなんだ。
「ゴホン、ごめんなさい。先生昔から、フランス人形とか好きで、目がなくてね。どうしても抱きついてしまうの、いつもは、我慢するんだけど、今回は抑えられないほど強烈な美しさだったわ」
私は、危機を感じる。この人の前でゴスロリを着てはならないと。冷汗が頬を伝う。普段は、ふわりとした面持ちの印象だが、今は、支配欲にまみれた領主のような邪悪な顔をしている。
「駄目よ陽菜。我慢するの、この子は私の教え子、魅了に負けてはダメ。でも、写真ぐらいは」
と取り出したのは、高性能な一眼レフである。あっ、ダメだこの人からなんとかして逃げなきゃ。私はホームルームへと駆け出した。
「あ、待って。まだレンズ交換してないの、一枚ぐらいお願いよー」
と先生が叫ぶ声を背に受けながら、二階へと続く階段を登り、ホームルームに辿り着いた。
「はぁー。危なかったわ、先生地味にボイスレコーダーも持ってたし、何をさせられるかわかったもんじゃない」
その後、補習は、無事終わった。内容は、日本語の文法とかいろいろ。外国人留学生という設定にしてしまった異常それは仕方のないことであるのだが、講義中、やけに視線を感じたのは言うまでもなく、日出陽菜の視線だ。しかし、講義をしてくれたベテランそうな男性教員が、日出陽菜に喝を入れたのもまた然り。授業は午前だけだったので、ここからは自由な時間だ。窓の方を見ると、雪が降っていた。気づかなかったけど、今日は、クリスマスである。ふと、窓の外、校庭の端の鉄柵のそばに誰かいるのを見つけた。ちょっと気になったので、その人物の元まで行くと、だんだん姿がはっきりしてきて男子生徒であることがわかった。
「何をしているのです?」
「うわっ、て脅かさないでくれ」
驚いて振り向いた彼は、神田聖司だった。
「あら、神田君でしたの」
「ああ、って、若田」
私の顔に何か付いているのか、まじまじと見つめる。神田君は、次第に色白の頬を赤くして、目を背けてしまった。
「それで、何をしているのです」
「あ、ああこれ、花に雪除けのカバーをかけているんだ」
「カバーですか?」
「この雪じゃ、積もったら枯れちゃうだろ、だからせめて雪除けをと思ってさ」
そうか、彼は優しいんだな。もう冬休みなのにわざわざ学校に来てまで、その辺の雑草と一緒に生えているような花を気にかけるなんて。
「どうしてそこまで」
聞かずにわいられないことだった。
「どうしかって?そうだなぁ、しいて言うなら、ばあちゃんの遺言かな」
「お婆さんの」
神田は、曇った空を見つめどこか遠くを見ている。いや、探しているのだろうか。
「ばあちゃんはさ、花が好きだった。庭には、俺の知らない花がたくさん咲いていて、太陽の光が、滴に反射して眩しかった」
「・・・」
「でも、俺が中学を卒業してすぐに、病気で死んじまった。そのときの最後が、花を愛してくれだなんて、本当に花が好きだったんだなって、花見てるとそんなばあちゃんを思い出して、今でもこうして花の世話をしてやるんだ。おかしな話だろ」
彼にとって、祖母との別れは、悲しいことであっても、花が今でも二人を繋いでいるのだな。
「いいえ、とても良い話だったわ。きっと花も喜んでいるわね」
「そ、そうか」
彼は、またどこか遠くを見て、
「俺、そろそろ帰るから。若田も冷えないうちに帰ったほうがいいぞ」
そう言って、そそくさと校門の方に小走りで行ってしまった。彼が作った雪除けのカバーは、ペットボトルの上の部分を切り取って、小さな穴を開けてあるだけの簡易なものだったが、花にとっては、ありがたいものに違いない。そして、花をよく見ようと、座り込むと、
「貴女、何者ですか?」
と、優しくも敵意のこもった声が聞こえ、スッと立ち上がり、振り返る。
「あっ」
顔と顔との距離がわずか数センチくらいまで、顔近づけていた。そして問いかけてきた者が
「あら、貴女は例の」
「・・・」
「失礼、貴女が何者か確認しました。ですので、名のる必要性は、ありません」
「そう、じゃあ私が聞くわ。貴女はなんて名前?」
「私、天使この度、我が主テテュス様より勅命を受け降臨しました」
「勅命」
「はい」
私より少し背が高い。天使にしては、大人しいというか、忠誠的というか、今までにはいないタイプの天使だ。彼女も観測対象なのだろうか。そうであるなら、早速、詠唱準備にはいらなくては、
「待って下さい。貴女は数々の天使を観測なされてきた。しかし、残念ながら私は、観測対象ではありません」
「どういうことかしら」
辺りは、いっそう暗くなり、やや吹雪いてきた。
「今日は、辞めておきましょう。この吹雪ですから」
「確かに」
腑に落ちないところはあるが、この天候の中ゆっくり話すことは困難を極めそうな予感がするのは、私もこの天使同じであった。「ささ、お帰りなさいな、オブザーバー様。私は、逃げも隠れもいたしません」
「あなたも帰るのか?」
「いえ私は・・・するのが役目ですから。ではさようなら」
物凄い風が吹き肝心なことをはっきりと聞き取れなかったが、どうやら彼女は、明日もあの場所で待っていてくれるらしいので、明日、朝一で訪ねてみよう。
はぁーと吐く息は白くまた、歩く道も真っ白だ。補習が始まる一時間前に学校にやって来ると、
「あら、こんな早くに、おはようございます」
「おはよう」
「では、手短に済ませてしまいましょう。私の役目について、私はこの花に呼ばれたのです。実際には、この花が、テテュス様に願い私が参上した訳ですが・・・・・」
彼女は急に語りを止めて、私を睨む。
「どうしたの?」
「敵襲です」
「へっ」
「逃げてください」
天使は、積もった雪に触れると、固く尖った氷柱が私の頭上を越えて、飛んで行く。私もつられて氷の矢を目で追いかけると、そこには、別の天使の姿があった。新しく現れた天使は、ナイフのような小刀で、氷柱をすべて粉々に砕いて、身を伏せ改めて戦闘態勢をとる。いやこの場合は、こちらの体勢かしら。など、どうでも良いことを考えていると、敵は、姿勢を低くしたまま突貫してきた。
「あなた今日は運が無かったようね」
今日は何かあると思い、聖剣を持ってきておいて良かった。そのまま剣を引き抜き、敵の勢いを断ち切るが、やはりナイフと剣とでは、振り下ろすのにタイムラグがあるため、防戦一方である。
「速い、でも軽い」
ちょこまかと動く天使を、思うように捉えられない。先日の邪神の気持ちが少し分かった気がする。
「ここは、私が時間を稼ぐから貴女は早く逃げて」
上手く動けないと見抜いたのか、ここが好機とばかりに追撃を仕掛けてくる。しかし、敵は今までにないほど大きくナイフを振り上げた。このチャンスを逃す手は無い。
「そこ」
剣の先を、相手の心臓目掛けて突くけれど、私は、チャンスを逃した。いや、元からチャンスなど無かった。
「フェイント!うぐっ!」
ちょうど、みぞおちのところに重い一撃を喰らってその場にうずくまる。このままじゃ、チラリと花の前に立つ彼女を見ると私の想像する最悪のケースとなってしまった。
「ぐッ、ゴブゥ・・・・、はぁはぁはぁ、ゲホッゲホッ」
血を吐き崩れ落ちるテテュスの使い。
それをただ見ていただけの私。
ああ、なんて無力。
戦えないくせに強がって。
みすみす死なせてしまった。
彼女は、最後に私に向かって「花を大切に」だなんて、それは貴女の仕事でしょ、なら私に託すんじゃなくて、いきて、
「生きて最後までやり遂げなさいよ」
敵は依然とたたずんで動かない。まで何かの悦に浸っているようだった。
同じように、あの身を串刺しにして、
その場に棄てるように切り払えば、少しは、少しは、・・・・。
「楽にはなりませんよ」
誰。
「私は貴女に救いをあげましょう。私の使いが貴女を狂わせるなら、私が貴女をその苦しみから解き放ちます」
いつの間にか花の前に、さっき亡くなったはずの彼女が、立っていた。
「なん、で」
「貴女ですね。わたくしの可愛い子を殺したのは」
「フッ」
優しそうな口調の奥にある殺気は、あの天使と瓜二つ。むしろ、今いる彼女の方が、上かもしれない。
「いま、笑いましたね。命を弄ぶ者に行き場などありません。汝、悔い改めること能わず、死を快楽とする者よ、救いも無ければ、苦も無い無へと、私が返そう。さあ、行きなさい」
天使を手に掛けた天使に手をかざすと、今まで学校の運動場の隅っこだった場所が、いつの間にか真夏の砂浜に私を含めた三人がぽつんと、立っていた。すると、海を背にしていた天使が、突如大波にさらわれてしまった。手で身を守ろうとするが、巨大な波の前では、力無くそして、波の音で、叫び声すら聞こえず、跡形もなく消えてしまった。
「あっ」
と、束の間の出来事に言葉が出ない私に新しく現れた何者かが、手を差し伸べてくれた。
「立てますでしょうか」
「ええ、ありがと」
「どうやら、いろいろとご迷惑をおかけしたようですね。改めて自己紹介を。わたくしは、テテュスと申します。一応、救いの神を仰せつかっております。以後お見知りおきを」
「私は、ヒルデ。本当の名前は、知らないからそう呼ばれてる」
「そうですか。では、わたくしも、ヒルデと、呼ばさせていただきますね」
「どうぞ、お好きに」
「はい」
テテュスと名のった神は、人差し指を立てて、花に向かって弧を描く。
「何してるの?」
「ああ、これですか。これは、花を守るおまじないをしていたのです。こうやって、こうです。フフフッ」
「へっ、へー。そうなんだ」
楽しそうに人差し指を立て弧を描いて見せる。
「ここではなんですので、この建物の中に入りましょう」
そこは、使われていない旧校舎であった。
旧校舎は、木造平屋のおんぼろ建築物だ。しかし、取り壊さずに、七十年記念として、今でも変わらず、運動場の奥に建っている。ここには、ほとんど誰も立ち寄らない。なぜなら、遠い事と荒れ放題の木々が校舎を取り囲んでいて、少々不気味なのだ。なので年に一度の点検日以外は、誰も敢えて来ようとはしない。まあ、冬休みなのでそんなことは、最初から気にしなくていいことなのだ。
「まずは、先程のことお詫び致します」
「いいよ、そんな丁寧に。こんな事は、慣れっこだし。まあ、でも誰かがいなくなっちゃうのは、初めてだったけど、なんだか前から、嫌だった気がするな」
そうだ。私は、どうしてか前から、失うことが怖かった気がする。自分が傷つくことよりも、大切な人がいなくなることが、無性に恐怖を感じるのだ。
「そうですか。それは、辛い思いをさせてしましましたね」
テテュスは、旧校舎の図書室に入って、近くにある椅子にこしかけた。
「わたくしは、あの子、殺された天使に花を守る命を与えました。ある少年が、花を守るように願ったからです」
「だから、あの子は、降りてきたのね」
「はい、そしてまた。わたくしは、少年を守るように花に願われたのです」
んっ、ちょっとまて、花が神に願い事をした。そんな馬鹿な。
「ええ、そうですね。そう思われるのも無理はないですね。花は、言葉を話さない。考える脳も無い。ですが、花は、生きています。生き物ならば、願いという清い欲の一つや、二つあるでしょう」
なるほど、生きている者皆、平等ということか。確かに、小説や歌の中では、花が歌うや、語りかけてくる。なんて表現がされているくらいだ。本当に、何かを願っていても不思議は無い。むしろ、そう考えてみると、花だって効率よく繁殖しようと、進化するのだ。何も考えて無いわけじゃない。
だとすると、花が守って欲しい少年は、ただ一人しかいない。神田聖司だ。
「あら、何かわかったようなお顔をなされましたね」
「ええ、その花が、守りたい少年が誰かわかったの」
「ほう、それはどなたです?」
「神田聖司っていう男の子よ」
「おうちは、どちらに?」
「知らないわ、どうしてそんなことまで聞くの」
「いえいえ、ただ気になっただけですわ」
少し取り乱して言う彼女が、怪しく見えた。何かを隠してる。そう感じずにはいられなかった。
「知っていますか?花には、未来を示す、予知することができると」
「それって、花が明日のこととか教えてくれるってこと」
「ちょっと違いますわね。実際には、人がその花の咲く時期を計って、この月は雨が多いとか、気温が高くなるだとかを預言として、神官と呼ばれる方々が民衆たちに教えたそうです」
「へぇーそうなんだ。でも何でそんな話を」
テテュスは、俯いて長い髪で顔を隠した。すると、どういう訳か、テテュスは突然泣き出してしまった。
「えっ、どうしたの、私なんか変なこと言ったかしら」
「いいえ、いいえ。貴女が悪いのではありません。わたくしには、どうしてもこの結末が、悲しすぎます」
「それ、どういうこと」
「花がわたくしに教えてくれるのです。その少年は、おそらく近いうちに花の前で亡くなってしまうでしょう。わたくしの、妹の手によって」
私は、テテュスの言葉に面食らった。どうしていきなりそういう話になるのだ。だって昨日だって、あいつはあんなに元気だったし、何より「花を守ってやるんだ」って、意気込んでいたではないか。そんな優しい奴が、どうしていきなり殺されることになっているんだ。
「何かその預言を変える方法は?」
テテュスは、静かに首を横に振る。
「そんな」
黙って誰かが、死ぬのを指をくわえて見てろというのか。嫌だ。そんなこと、
「嫌だ」
「わたくしも、救いの神ですが、世界が、運命が相手では手の打ちようがありません」
その時、携帯端末の無感情な音が鳴り響いた。
「ごめんなさい。ちょっと席を外すわ」
「どうぞおかまいなく」
端末の電源を入れると、メッセージが再生される。
〈お嬢さん、天使のコールがあったけど、大丈夫かい。君の気配が薄くなってきたって言って、コイオスちゃんとクリオスちゃんがそっちに向かったから、合流したらまた、連絡しておくれよ〉
電源を切る。
「お迎えが、いらっしゃるようですね今日のところは、ここまでと致しますか」
テテュスは、私を気遣ってそう言ってくれているのだろうが、どうも腑に落ちない。一抹の不安というのだろうか。
「とりあえず、表に出ましょう。お迎えの方が分かりやすいように」
「それもそうね」
旧校舎の玄関の戸を開けると、茂みが音を立てて揺れる。すると右の茂みから、コイオスが葉にまみれて飛び出てきた。左からはやはり、クリオスがと思ったがなかなか出て来ない。いっそのこと呼んでみるか。
「クリ」
「ひゃー、あふっ」
左の木の上からクリオスが降ってきて無様にも、逆さまに落ちてきたみたいだ。クリオスは絶賛目を回し中である。
「クリオス、クリオス」
「あいたたたた、むー、痛いですぅ」
「クリオス、しっかりなさい。申し訳ない。姉様」
「心配してきてくれたの?」
「それもありますが、誰か神が、あっテテュス」
コイオスがテテュスを見るやいなや、顔を青くして、私の影に隠れた。
「あら、もしかしてコリオスなの、きゃあ可愛くなってしまって」
「一つ上の姉です」
「そうなんだ。でも何であんた隠れてるのよ」
無理やりコイオスを私の前に引っ張り出すと、テテュスがコイオスに抱きついて話さない。
「こうなるからです」
明らかに嫌そうな顔をして、私に抗議するが、コイオスはなんとか自力でテテュスを引き剥がした。
「どうしてまた、女の子になってしまったの」
「テテュス、コリオスは、コイオスとクリオスに分裂して、子供たちに夢を見せる神となったのですよ」
「あら、わたくしが知らない間に、大変なことになっていたのですね」
コイオスは首を横にふるふると振って、
「今は、姉様がいるので、大変では、ないのです。毎日が楽しい」
コイオスは、コイオスなりにこの世界を楽しんでいると言う。私はどうだろうか。いや、考えるまでもなくこの世界は楽しい。楽しいことの裏返しに辛いこともあるけれど、せっかくこうして生活している以上楽しまなくては、損ではないか。
「そうだ。楽しいんだ」
「どうされました。姉様」
「テテュス、コイオス。この世界は楽しいんだよね。なら悲しい事を増やしちゃいけない」
「もちろんですとも」
「ええ、そうですね」
クリオスも起き上がって、
「私も楽しい方がいい」
「テテュス、神田聖司の家を探そう、花のために、命のために、願いのために。誰かが泣く世界なんて、誰も望まない」
「人だろうと花だろうとですか?」
私は静かに頷く。
「よーし、人助けするぞー」
クリオスが張り切って声を上げたが、「おー」の掛け声をする間もなく、
「でも家ってどう探すの?」
と、クリオスは、自らの発言で最大な壁を構築してしまった。そう、私たちは、この世界での住所の特定の仕方を、だれも知らないことを今知ったのである。
「「あっ」」
一同が、悲嘆の声を漏らしたことは、言うまでもない。
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