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炎と煙で辺りの状況は確認できない。ここにいるのは、私と彼女、邪神化したムネモシュネのみである。
「Gaaaaー」(熱い)
「熱いよね」
「Auuuuuuー」(苦しい)
「苦しいよね」
私は目に涙を溜めたが、こぼすわけにはいかない。だって、私が泣いてしまったら、彼女がもっと苦しむから。
「Haaaaaー」(痛い)
「うん、うん。泣かない。この剣を手にしている時は、私は戦うって決めたから」
彼女の湾刀は、一層黒々と邪気を放つ。私の手の甲の光は、聖剣の鍔に嵌め込まれた宝石に吸い込まれていく。
「まだ足りない。あの邪気を払うには」
剣と剣が何度ぶつかり合っただろうか。生憎と私たちを邪魔するものは何もない。だが、邪気に取り込まれる前のムネモシュネとの太刀合いとは、打って変わって、繰り出される剣戟には、悪意や憎悪といった負の念しか感じられず。磨き合い、高め合うような楽しさはどこにもなかった。
「WOOOOOーーー」
邪神が一際大きな雄叫びをあげる。拍子に後方へと吹き飛ばされ地面を転がる。
「ぐぅ、なんだ」
その時、心の中に入ってくる存在に気づいた。
「はう、痛い。苦しい」
これが彼女の今の感情。
(憎い憎い憎い憎い。熱い熱い熱い熱い。痛い痛い痛い痛い。苦しい苦しい苦しい苦しい。消えろ消えろ消えろ消えろ。助けて助けて助けて助けて。怖い怖い怖い怖い。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ)
こんな気持ちで戦っているのか。肩が震えるのがわかった。おそらく今私は怒っている。彼女を邪に変えたもへの怒りと、彼女の気持ちの半分も理解できなかった自分に。何も見えないなんて、何が観測者だ。よろめきながら立ち上がり、覚悟を新たにする。
「ごめんね。あなたを助けるって決めたのに、まだ迷ってた。いくよ」
その掛け声に応えるように、腰のホルダーにある本が、バラバラとページが激しくめくられていく。
「天使たちよ、今一度ここに集え。はっ」
空で激動を繰り広げる天使たちを、本が吸収していく。
「angel NO.10~1000 observe complete 重ねて告げる。我が聖剣よかの天使の力を持って、かの神々の力を解き放たん。Candenti Salutem Gratia(光り輝く救いの一撃)」
炎の檻は吹き飛び、空を覆う黒くて分厚い雲に穴穿った。その穴からはちょうど月の光が街を照らしていた。ムネモシュネは、その場に倒れ気を失っていた。前回とは違い、まだ消滅していなかった。これは、あの本による効果だということは、言わずもがな分かることである。
「うっ、あなたの光、暖かかった。私は、早とちりをしていたようね。テテュス姉様なら、うまく、やったのでしょうね」
「神も人も、他人の心を全て理解できるものじゃない。テテュスのしようとしたことも善行だし、貴女がしようとしたことも誰かにとっては善行だった。だけど貴女の方法では、誰かが犠牲になる方法だった」
「そうね、私はそこを間違えて、あっ危ない」
ムネモシュネが私をいきなり突き飛ばした。何が起こったと彼女を見ると背中からザックリと大きな鎌で、彼女の心臓部を抉っていた。
「がはっ」
口から大量の血を吐き出した。胸からも水風船を割ったように飛び散った血液が、私を赤く染めた。私はその光景を理解できなかった。
「はや、く、逃げな、さい」
こちらを見て微笑するムネモシュネ。
強がって場合じゃないはずなのに、強がって見せる。
「チッ、外したか。ムネモシュネめこざかしい真似をする」
私は、絶望した。声にもならない嘆きの叫びを上げる。
「あっああああ。私のせいで、また、いやああああ」
「そうだ、お前のせいでこいつは死んだ。お前は悪魔だな。不幸を振りまき他人を蝕み、肥やしとする。悪魔の所業と言わずして何と言う」
「私は、悪魔」
「「それは違います」」
私の目の前にコイオスとクリオスが、降り立った。2人の融合体であるコリオスの活動限界により、分裂したのだろう。
「おや、誰かと思えば兄様、いや今は姉様ですかな?」
「どういう了見でこの場に踏み入った」
「ムネモシュネに、手をかけただけでなく、関係のない姉様にまで」
「貴方は、神として力も才能もなかった。だから、転生したのではないのですか?その貴方たちが、私に勝てるとでも、ティタン神族の長であるこの私に」
高らかと発言する男の後ろにオケアノスがいた。
「それはどうかな。長男である私にも試させて欲しいものだが、いかがかな」
「くっ、上兄様もこちらにいらしていたとは、こちらが不利か。小僧命拾いしたな、さらばだ」
最後に私を指差して、去っていった。
私の心は、空っぽになる寸前だった。
「ヒルデさん、しっかり。ヒルデしっかりなさい」
テテュスが戻ってきて、呆然としていた私の頬を強くぶった。驚きと戸惑いが一度やって来た。
「ムネモシュネは、貴女にそんな顔をさせるために命を落としたのではありません。そんな顔しては、妹は、妹は・・・・・」
そうか。そうだった。彼女の最後の微笑みの意味は、私が一番よくわかっているはずだ。泣いて欲しいから、身を投げ出したんじゃない。私に生きて欲しいと、精一杯の愛情を向けられたのだ。
「ごめん私、テテュス、ありがとう」
「わかったのなら、しゃんとしてくださいね」
ムネモシュネは、身に付けていた紅い宝石のピアスを片方だけ残して、既に姿を消していた。そのピアスを手に取り、自分の左耳に身に付けた。
「ムネモシュネ、私は負けないよ。よしっ」
気合いを入れ直して、神田 聖司の待つ部屋へと向かった。
爆発したのは、隣の建物だったため、マンションは実質的には無事だった。面倒だったので、コイオスとクリオスに手を引いてもらい、ベランダから室内に入った。
「うわっひっでーなこれ。何があったんだ。って若田まだいたのかよ」
「治ったのね。良かった」
嬉しさのあまり、彼を強く抱いた。体も無事のようだ。彼の心臓もしっかりと脈打って、健康そのものであることを伝えていた。
「えっ、あっちょ、わ、かたさん」
「んっ顔が紅いわよ。まだ熱があるのかしら?」
私は首を傾げて彼を観察した。
「若田は、どうしてたんだ?」
「うーんそうね。いきなり倒れて病院に連れて行こうとしたら、大きな地震があって、隣の建物が爆発したから、ここでじっとしていたのよ」
「あー、そりゃ穏やかじゃないな。俺面倒かけちまったようで、悪い」
「いいのよ。こうして元気でいてくれるなら」
また、彼は顔お赤くして台所へ向かった。
「もう夜だし、なんか食ってけよ。大したもんはできねぇけど」
どうやら、コイオスとクリオスの姿は見えてないようだった。
「姉様」
「一度」
「「戻るべきです」」
とここで食事して行くことを止めさせようとする。
「今後の方針についてのこともあります」
「何よりこのクリオス、目の前の食事にありつけないとあっては、黙っていられる自信がありません」
相変わらず、真面目なコイオスと自分に正直なクリオスなのである。色々と考えたいことがあるのは、確かなことだった。神田 聖司の元気な姿を確認できただけでし良しとしよう。
「ごめんなさい、今日は、お暇するわまた別の機会に」
「そうか。少し残念だが、まあこんな時間だし、しょうがないよな」
「ええ、それじゃあ良いお年を神田君」
「ああ」
玄関から廊下に出るとテテュスが待っていた。心なしか、ホッとした表情を浮かべている気がした。
「彼は」
「ええ、元気そうだったわよ。感情も元に戻ってたし。私たちが、訪ねたことも忘れてるし。ただ、私だけ訪ねたことになっていたわ」
「そうですか。お身体に何もなくて良かったですわ。ムネモシュネとは」
テテュスは、少し間を空けて次の言葉を言うか言うまいか、迷っていた。
「私なら大丈夫よ。言って」
「ムネモシュネとは、できることなら和解をしてこの問題を解決したかったです。ごめんなさい」
言い終わると同時に、テテュスは大粒の涙を流し出した。それを私は、そっと抱き寄せた。私の頬にも涙が伝うのがわかった。コイオスは俯き、クリオスは、両手で目を押さえて泣いていた。雲はすっかり晴れて、月光が涙を照らしている。互いに同じ願いを聞き届けようとして、すれ違うという今回は、そんな悲しい出来事だった。
「そうか、そんなことが。それは辛かっただろうね。人も神も、完璧じゃない。未だ発展途上ということか」
わかたと若田 敏彦は、感慨深げに頷いて語る。
「善意の基準は、受け取る側にある。そんなことを大学の教授に言われたことがあるよ。いくら善意を尽くそうとも、受け取り手がその行いを善行と認めなければ、善意として成り立たない。そのムネモシュネという神様は、テテュスという神様の行為を善行だと認めることができなかったんだろうね。お嬢さんは、その神様の最後の言葉をどう受け止めるのか、じっくり考えるといいよ」
「わかった」
若の言葉は、やけに私の心に突き刺さる。既にその解を得ているのかもしれない。
真理亜は、今夕飯の後片付けをしている。応接室には、オケアノス、テテュス、コイオス、クリオスが何やら激しい議論を続けている。コイオスとクリオスは、普段あえて人間にも見えるようにしていたが、今は、若にも、真理亜にも、見えないし声も聞こえないので、何人増えようとあまり関係がないのだ。
「みんな、ちょっと出てくるから」
「なら私がついて行きましょう」
クリオスがヒョコヒョコ寄ってきた。まあいいか。今日は、久しぶりに1人の時間を過ごそうと思ったが、話し相手がいた方が、私にとってはやはりいい。
私とクリオスは、近くのファーストフード店の二階にある窓際にいた。私は、クリオスにハンバーガーとジュースを買ってやった。今は、クリオスの姿を誰でも見れるようになっていた。なので、どこからどう見てもその辺にいる小学校の低学年という感じだった。服は、若が用意した水色のワンピースに黒のコートを羽織っていた。
「キャハー。ジャンク、ジャンクと言われますが、この強いパンチの味付けは、舌を唸らせますぅー」
ご満悦のようでなによりだ。
「真理亜のご飯食べなかったの?今日はあんたの好きなシチューだったでしょ」
「食べたかったですよぉ~。しかし、姿を隠していたのを忘れていましたので、突然、術を解くとかなりオカルトなことになりますよ」
それもそうか。突然、いないはずの人物が、そこに現れるというのは、いかにもSFという奴だな。
「ですが姉様のおかげで、お腹が満たされました」
「話は、変わるんだが、この本について聞きたいんだけど」
ハンバーガーを頬張る手を止めて、私の差し出した本を見つめる。
「ちょっと開けてみても?」
「いいわよ」
ぺらんぺらんと1ページずつ開けていく。クリオスは、あるページでその手を止めて、私をみた。
「この本は、私の見立てでは、おそらく『天使観察記録帳』といったところですかねえ。私の、コリオスだった頃に作成した。天使の記録がありましたので」
懐かしそうに、そのページを眺めていた。
「それで、私がその本の天使を呼び出すことができるみたいなの」
「ほう、それはまた、趣深い話ですね。知的な姉様にぴったりのお力だと思いますが」
「そうかしら。天使を呼び出して何するの?面倒なだけじゃない」
クリオスは、最後の一口を飲み込んで、腕でバツのポーズをとった。
「ブッブブーなのです。姉様、天使はただの使い魔か何かだとお思いではありませんか?」
「そうじゃないの?」
「兄様もおしゃっていましたが、天使とは、神の力を付与できる媒体なのですよ」
ああ、そうか。天使がいれば、神がわざわざ出向かなくとも、地上の出来事を解決してくれる。オケアノスの言っていたように、より良い素材とやらを使えば、面倒ごとも天使たちが、あたかも神が解決したかのように行動してくれるということか。
「察しがついたようですね」
「それから、あと1つ聞くけど、その本の天使に与えられた力を、私が使えたのだけれど、これはどういうことなのかしら?」
「なんと、予想外の質問です」
むむー。と唸りながら考えるクリオス。しかし待てども待てども、返事は返ってこない。
「ねぇ、クリオス?」
「今しばらくお待ちを」
すると、何かに行き当たったのか、ぶつぶつと呟き始めたのち、
「仮説としてなら答が出ました」
「いいわ、教えて」
「私の立てた仮説では、おそらく姉様の本来の力、つまり固有能力の1つと考えるのが妥当でしょう。確かに、姉様は聖剣とリンクするという力を既にお持ちであり、また神には、1人に1つの力という定義がありますが、なにせ、姉様は特異体質であられます。人間をはるかに超える人体の耐久性、並びに、神聖力。しかしどこからどう見ても、人間としてのオーラを放っていらっしゃる。本当に知ろうとお思いでしたら解剖、いえいえこれは違う。お一人で、ご自分の心象に潜るしかありませんね。私も転生後、自らの心象に潜ることで、私という概念を取り戻しましたから」
「自らの心象に潜る」
「そうです。人間風に言えば、心と向き合う、です」
心と向き合う。私にそんなことが可能だろうか。人とは向き合ってきた。この2年でそれは十分に分かった。でも自分と向き合う。とは、なかなかに難しそうだ。
「私も自分と向き合いました」
背後から突然、声が発せられた。振り返るとそこには、バーガーショップの店員服に身を包んだ。水季が立っていた。
「水季さん、その格好」
「これですか?私ここでアルバイトしているんです」
「アルバイト?」
「アルバイトはですね。働いて、えっと働いてですね、お客様を笑顔にする仕事なんですよ」
「そうなんですか。それはたいへん立派なことですね」
「えへへ、そうですかねぇ。じゃない、何か悩み事ですか?私もよく自分と向き合ってました」
なんか、心強いような悩ましいような。しかし経験豊富というのなら、少し向き合い方を尋ねてみようか。
「心と向き合うとは、どんな感じなのです?」
「はい、心と向き合うということはですね、その日その日、自分は何ができて、何ができなかったんだろうって振り返ることです。できたのは誰か他の人が手を貸してくれだからとか、できなかったとことを人のせいにしていないかとかも考えたりします」
真剣な眼差しで、語る水季が、本当に苦労していたのだと改めて実感した。やはりこの子は、強い。簡単に砕けるタマじゃない葦のように踏まれても踏まれても、立ち直り決してへたることのない強い心だ。と私は思った。
店を出ると、月が西に傾きかけていた。「ありがとうございました」という水季の明るい声とともに店から送り出される。
「随分と話し込んでしまったな。なあクリオス」
「はいなんでしょう」
「私、向き合ってみる。自分の心と」
「お心のままに」
私は、皆にしばらく寝ていると伝えるように、クリオスに言って、事務所に帰るなり、仮眠室の布団に横たわった。あとは、クリオスに教えてもらった手順どおりに、潜るだけだ。
「heart in deep ,dive start」
視界は、真っ黒でどこまでも闇、この先に私の心象があると思うと、わずかな緊張と不安を覚えるのだった。
「Gaaaaー」(熱い)
「熱いよね」
「Auuuuuuー」(苦しい)
「苦しいよね」
私は目に涙を溜めたが、こぼすわけにはいかない。だって、私が泣いてしまったら、彼女がもっと苦しむから。
「Haaaaaー」(痛い)
「うん、うん。泣かない。この剣を手にしている時は、私は戦うって決めたから」
彼女の湾刀は、一層黒々と邪気を放つ。私の手の甲の光は、聖剣の鍔に嵌め込まれた宝石に吸い込まれていく。
「まだ足りない。あの邪気を払うには」
剣と剣が何度ぶつかり合っただろうか。生憎と私たちを邪魔するものは何もない。だが、邪気に取り込まれる前のムネモシュネとの太刀合いとは、打って変わって、繰り出される剣戟には、悪意や憎悪といった負の念しか感じられず。磨き合い、高め合うような楽しさはどこにもなかった。
「WOOOOOーーー」
邪神が一際大きな雄叫びをあげる。拍子に後方へと吹き飛ばされ地面を転がる。
「ぐぅ、なんだ」
その時、心の中に入ってくる存在に気づいた。
「はう、痛い。苦しい」
これが彼女の今の感情。
(憎い憎い憎い憎い。熱い熱い熱い熱い。痛い痛い痛い痛い。苦しい苦しい苦しい苦しい。消えろ消えろ消えろ消えろ。助けて助けて助けて助けて。怖い怖い怖い怖い。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ)
こんな気持ちで戦っているのか。肩が震えるのがわかった。おそらく今私は怒っている。彼女を邪に変えたもへの怒りと、彼女の気持ちの半分も理解できなかった自分に。何も見えないなんて、何が観測者だ。よろめきながら立ち上がり、覚悟を新たにする。
「ごめんね。あなたを助けるって決めたのに、まだ迷ってた。いくよ」
その掛け声に応えるように、腰のホルダーにある本が、バラバラとページが激しくめくられていく。
「天使たちよ、今一度ここに集え。はっ」
空で激動を繰り広げる天使たちを、本が吸収していく。
「angel NO.10~1000 observe complete 重ねて告げる。我が聖剣よかの天使の力を持って、かの神々の力を解き放たん。Candenti Salutem Gratia(光り輝く救いの一撃)」
炎の檻は吹き飛び、空を覆う黒くて分厚い雲に穴穿った。その穴からはちょうど月の光が街を照らしていた。ムネモシュネは、その場に倒れ気を失っていた。前回とは違い、まだ消滅していなかった。これは、あの本による効果だということは、言わずもがな分かることである。
「うっ、あなたの光、暖かかった。私は、早とちりをしていたようね。テテュス姉様なら、うまく、やったのでしょうね」
「神も人も、他人の心を全て理解できるものじゃない。テテュスのしようとしたことも善行だし、貴女がしようとしたことも誰かにとっては善行だった。だけど貴女の方法では、誰かが犠牲になる方法だった」
「そうね、私はそこを間違えて、あっ危ない」
ムネモシュネが私をいきなり突き飛ばした。何が起こったと彼女を見ると背中からザックリと大きな鎌で、彼女の心臓部を抉っていた。
「がはっ」
口から大量の血を吐き出した。胸からも水風船を割ったように飛び散った血液が、私を赤く染めた。私はその光景を理解できなかった。
「はや、く、逃げな、さい」
こちらを見て微笑するムネモシュネ。
強がって場合じゃないはずなのに、強がって見せる。
「チッ、外したか。ムネモシュネめこざかしい真似をする」
私は、絶望した。声にもならない嘆きの叫びを上げる。
「あっああああ。私のせいで、また、いやああああ」
「そうだ、お前のせいでこいつは死んだ。お前は悪魔だな。不幸を振りまき他人を蝕み、肥やしとする。悪魔の所業と言わずして何と言う」
「私は、悪魔」
「「それは違います」」
私の目の前にコイオスとクリオスが、降り立った。2人の融合体であるコリオスの活動限界により、分裂したのだろう。
「おや、誰かと思えば兄様、いや今は姉様ですかな?」
「どういう了見でこの場に踏み入った」
「ムネモシュネに、手をかけただけでなく、関係のない姉様にまで」
「貴方は、神として力も才能もなかった。だから、転生したのではないのですか?その貴方たちが、私に勝てるとでも、ティタン神族の長であるこの私に」
高らかと発言する男の後ろにオケアノスがいた。
「それはどうかな。長男である私にも試させて欲しいものだが、いかがかな」
「くっ、上兄様もこちらにいらしていたとは、こちらが不利か。小僧命拾いしたな、さらばだ」
最後に私を指差して、去っていった。
私の心は、空っぽになる寸前だった。
「ヒルデさん、しっかり。ヒルデしっかりなさい」
テテュスが戻ってきて、呆然としていた私の頬を強くぶった。驚きと戸惑いが一度やって来た。
「ムネモシュネは、貴女にそんな顔をさせるために命を落としたのではありません。そんな顔しては、妹は、妹は・・・・・」
そうか。そうだった。彼女の最後の微笑みの意味は、私が一番よくわかっているはずだ。泣いて欲しいから、身を投げ出したんじゃない。私に生きて欲しいと、精一杯の愛情を向けられたのだ。
「ごめん私、テテュス、ありがとう」
「わかったのなら、しゃんとしてくださいね」
ムネモシュネは、身に付けていた紅い宝石のピアスを片方だけ残して、既に姿を消していた。そのピアスを手に取り、自分の左耳に身に付けた。
「ムネモシュネ、私は負けないよ。よしっ」
気合いを入れ直して、神田 聖司の待つ部屋へと向かった。
爆発したのは、隣の建物だったため、マンションは実質的には無事だった。面倒だったので、コイオスとクリオスに手を引いてもらい、ベランダから室内に入った。
「うわっひっでーなこれ。何があったんだ。って若田まだいたのかよ」
「治ったのね。良かった」
嬉しさのあまり、彼を強く抱いた。体も無事のようだ。彼の心臓もしっかりと脈打って、健康そのものであることを伝えていた。
「えっ、あっちょ、わ、かたさん」
「んっ顔が紅いわよ。まだ熱があるのかしら?」
私は首を傾げて彼を観察した。
「若田は、どうしてたんだ?」
「うーんそうね。いきなり倒れて病院に連れて行こうとしたら、大きな地震があって、隣の建物が爆発したから、ここでじっとしていたのよ」
「あー、そりゃ穏やかじゃないな。俺面倒かけちまったようで、悪い」
「いいのよ。こうして元気でいてくれるなら」
また、彼は顔お赤くして台所へ向かった。
「もう夜だし、なんか食ってけよ。大したもんはできねぇけど」
どうやら、コイオスとクリオスの姿は見えてないようだった。
「姉様」
「一度」
「「戻るべきです」」
とここで食事して行くことを止めさせようとする。
「今後の方針についてのこともあります」
「何よりこのクリオス、目の前の食事にありつけないとあっては、黙っていられる自信がありません」
相変わらず、真面目なコイオスと自分に正直なクリオスなのである。色々と考えたいことがあるのは、確かなことだった。神田 聖司の元気な姿を確認できただけでし良しとしよう。
「ごめんなさい、今日は、お暇するわまた別の機会に」
「そうか。少し残念だが、まあこんな時間だし、しょうがないよな」
「ええ、それじゃあ良いお年を神田君」
「ああ」
玄関から廊下に出るとテテュスが待っていた。心なしか、ホッとした表情を浮かべている気がした。
「彼は」
「ええ、元気そうだったわよ。感情も元に戻ってたし。私たちが、訪ねたことも忘れてるし。ただ、私だけ訪ねたことになっていたわ」
「そうですか。お身体に何もなくて良かったですわ。ムネモシュネとは」
テテュスは、少し間を空けて次の言葉を言うか言うまいか、迷っていた。
「私なら大丈夫よ。言って」
「ムネモシュネとは、できることなら和解をしてこの問題を解決したかったです。ごめんなさい」
言い終わると同時に、テテュスは大粒の涙を流し出した。それを私は、そっと抱き寄せた。私の頬にも涙が伝うのがわかった。コイオスは俯き、クリオスは、両手で目を押さえて泣いていた。雲はすっかり晴れて、月光が涙を照らしている。互いに同じ願いを聞き届けようとして、すれ違うという今回は、そんな悲しい出来事だった。
「そうか、そんなことが。それは辛かっただろうね。人も神も、完璧じゃない。未だ発展途上ということか」
わかたと若田 敏彦は、感慨深げに頷いて語る。
「善意の基準は、受け取る側にある。そんなことを大学の教授に言われたことがあるよ。いくら善意を尽くそうとも、受け取り手がその行いを善行と認めなければ、善意として成り立たない。そのムネモシュネという神様は、テテュスという神様の行為を善行だと認めることができなかったんだろうね。お嬢さんは、その神様の最後の言葉をどう受け止めるのか、じっくり考えるといいよ」
「わかった」
若の言葉は、やけに私の心に突き刺さる。既にその解を得ているのかもしれない。
真理亜は、今夕飯の後片付けをしている。応接室には、オケアノス、テテュス、コイオス、クリオスが何やら激しい議論を続けている。コイオスとクリオスは、普段あえて人間にも見えるようにしていたが、今は、若にも、真理亜にも、見えないし声も聞こえないので、何人増えようとあまり関係がないのだ。
「みんな、ちょっと出てくるから」
「なら私がついて行きましょう」
クリオスがヒョコヒョコ寄ってきた。まあいいか。今日は、久しぶりに1人の時間を過ごそうと思ったが、話し相手がいた方が、私にとってはやはりいい。
私とクリオスは、近くのファーストフード店の二階にある窓際にいた。私は、クリオスにハンバーガーとジュースを買ってやった。今は、クリオスの姿を誰でも見れるようになっていた。なので、どこからどう見てもその辺にいる小学校の低学年という感じだった。服は、若が用意した水色のワンピースに黒のコートを羽織っていた。
「キャハー。ジャンク、ジャンクと言われますが、この強いパンチの味付けは、舌を唸らせますぅー」
ご満悦のようでなによりだ。
「真理亜のご飯食べなかったの?今日はあんたの好きなシチューだったでしょ」
「食べたかったですよぉ~。しかし、姿を隠していたのを忘れていましたので、突然、術を解くとかなりオカルトなことになりますよ」
それもそうか。突然、いないはずの人物が、そこに現れるというのは、いかにもSFという奴だな。
「ですが姉様のおかげで、お腹が満たされました」
「話は、変わるんだが、この本について聞きたいんだけど」
ハンバーガーを頬張る手を止めて、私の差し出した本を見つめる。
「ちょっと開けてみても?」
「いいわよ」
ぺらんぺらんと1ページずつ開けていく。クリオスは、あるページでその手を止めて、私をみた。
「この本は、私の見立てでは、おそらく『天使観察記録帳』といったところですかねえ。私の、コリオスだった頃に作成した。天使の記録がありましたので」
懐かしそうに、そのページを眺めていた。
「それで、私がその本の天使を呼び出すことができるみたいなの」
「ほう、それはまた、趣深い話ですね。知的な姉様にぴったりのお力だと思いますが」
「そうかしら。天使を呼び出して何するの?面倒なだけじゃない」
クリオスは、最後の一口を飲み込んで、腕でバツのポーズをとった。
「ブッブブーなのです。姉様、天使はただの使い魔か何かだとお思いではありませんか?」
「そうじゃないの?」
「兄様もおしゃっていましたが、天使とは、神の力を付与できる媒体なのですよ」
ああ、そうか。天使がいれば、神がわざわざ出向かなくとも、地上の出来事を解決してくれる。オケアノスの言っていたように、より良い素材とやらを使えば、面倒ごとも天使たちが、あたかも神が解決したかのように行動してくれるということか。
「察しがついたようですね」
「それから、あと1つ聞くけど、その本の天使に与えられた力を、私が使えたのだけれど、これはどういうことなのかしら?」
「なんと、予想外の質問です」
むむー。と唸りながら考えるクリオス。しかし待てども待てども、返事は返ってこない。
「ねぇ、クリオス?」
「今しばらくお待ちを」
すると、何かに行き当たったのか、ぶつぶつと呟き始めたのち、
「仮説としてなら答が出ました」
「いいわ、教えて」
「私の立てた仮説では、おそらく姉様の本来の力、つまり固有能力の1つと考えるのが妥当でしょう。確かに、姉様は聖剣とリンクするという力を既にお持ちであり、また神には、1人に1つの力という定義がありますが、なにせ、姉様は特異体質であられます。人間をはるかに超える人体の耐久性、並びに、神聖力。しかしどこからどう見ても、人間としてのオーラを放っていらっしゃる。本当に知ろうとお思いでしたら解剖、いえいえこれは違う。お一人で、ご自分の心象に潜るしかありませんね。私も転生後、自らの心象に潜ることで、私という概念を取り戻しましたから」
「自らの心象に潜る」
「そうです。人間風に言えば、心と向き合う、です」
心と向き合う。私にそんなことが可能だろうか。人とは向き合ってきた。この2年でそれは十分に分かった。でも自分と向き合う。とは、なかなかに難しそうだ。
「私も自分と向き合いました」
背後から突然、声が発せられた。振り返るとそこには、バーガーショップの店員服に身を包んだ。水季が立っていた。
「水季さん、その格好」
「これですか?私ここでアルバイトしているんです」
「アルバイト?」
「アルバイトはですね。働いて、えっと働いてですね、お客様を笑顔にする仕事なんですよ」
「そうなんですか。それはたいへん立派なことですね」
「えへへ、そうですかねぇ。じゃない、何か悩み事ですか?私もよく自分と向き合ってました」
なんか、心強いような悩ましいような。しかし経験豊富というのなら、少し向き合い方を尋ねてみようか。
「心と向き合うとは、どんな感じなのです?」
「はい、心と向き合うということはですね、その日その日、自分は何ができて、何ができなかったんだろうって振り返ることです。できたのは誰か他の人が手を貸してくれだからとか、できなかったとことを人のせいにしていないかとかも考えたりします」
真剣な眼差しで、語る水季が、本当に苦労していたのだと改めて実感した。やはりこの子は、強い。簡単に砕けるタマじゃない葦のように踏まれても踏まれても、立ち直り決してへたることのない強い心だ。と私は思った。
店を出ると、月が西に傾きかけていた。「ありがとうございました」という水季の明るい声とともに店から送り出される。
「随分と話し込んでしまったな。なあクリオス」
「はいなんでしょう」
「私、向き合ってみる。自分の心と」
「お心のままに」
私は、皆にしばらく寝ていると伝えるように、クリオスに言って、事務所に帰るなり、仮眠室の布団に横たわった。あとは、クリオスに教えてもらった手順どおりに、潜るだけだ。
「heart in deep ,dive start」
視界は、真っ黒でどこまでも闇、この先に私の心象があると思うと、わずかな緊張と不安を覚えるのだった。
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