おもいたち

蒼上愛三(あおうえあいみ)

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時を刻むとき

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 真っ黒な不気味な空、アレは雲?
「いいえ、アレは悲しみです」
「あなたはアレの悲しみがわかるの」
「ええわかりますとも。君を見れば嫌でもわかります」
 なんでもない、変哲も無い。そんな少女と私の会話。この島は鉄を得て富を得た。その代わりに空を失った。昼も失った。毎日、毎日、来る日も来る日も闇の様。
 それでも私は彼女と出会ったこの街を、私は嫌いになろうとして諦めた場所を出て行くことができなかった。
 それももう昔のこと、思い出すだけで嫌に悲しくなる。
 アレは五年前のこと、私は路地を駆け回って逃げていた。盗んだパンをお腹に抱えて必死に走った。パン屋のおじさんは初めて盗んだ日はとても怒って追いかけてきたけど、もうそれも三ヶ月くらい経つ。するとパン屋のおじさんは、わざと路地裏のゴミ箱の蓋の上に、フランスパンを丸ごと一本置いてくれる様になった。
 そうして、路上暮らしを十数年続けてしまった私は、もう正しい生き方なんてどうでもよくなっていた。
 ある日、いつも通り私がパン屋に行くとパンがゴミ箱の上に置いていなかった日があった。小窓から見えるおじさんの顔はいつも通り。
 私がおじさんの顔を見ていると、おじさんは私に気づいて小窓の上を指差した。
 指を辿って上を見上げると、声のしゃがれたカラスがパンをツンツク突いて食べていた。
 なるほど、パンは置いておくけどそこから後は自己責任というわけか。ならば仕方ないと、私は諦めて湿った路地裏へ引き返した。
 日も暮れて路上のガス灯がオレンジの光を灯しだす頃。私がふと足を止めた家屋の中にはロウソクの灯りの中、楽しそうに食事をする一家をボーッと見つめていた。そして私がその家を過ぎ去ろうとした時、その家の扉が開きフリルのワンピースを着た少女が顔を出し、手に持っていたパンを差し出した。
「お腹空いているんでしょう」
「・・・・・・・・いらない」
 少女はムキになってパンを私の手に握らせた。
「ノブレスオブリージュのつもりか」
「そんなんじゃ無いわ。君が私からパンを盗んだ。だから私はボランティア精神で君にゴハンをあげたりなんかしていないのよ」
 私は握らされたパンを少しちぎって大きい方を少女に返した。
「私は盗んでいない。お前の落としたパンの破片を拾って持ち去ったんだ」
 そう言って私は駆け足でまた路地裏に逃げるように飛び込んだ。
 その日を境にその少女と度々出会い彼女から逃げる日々が数日続いた頃、パン屋の裏手に行くと彼女がパン屋から出てくるのを見た。案の定逃げようとした私を彼女は呼び止めた。
「お話しない」
「しない」
「そんなつれないこと言わずに」
「忙しいんだ」
「パンを取りに来るのがですか」
「そうだ、悪いか」
「いいえ」
「なら・・・」
「ならパンをお取りになった後はお暇なのでしょう」
 ダメだこのタイプは簡単に引き下がらないタイプだ。少し話をすれば満足して帰るだろう。きっといいとこのお嬢様の暇つぶしだろうから。
 それから、年はいくつかとか好きなものは何かなど素朴な会話をして彼女は満足して帰って行った。私より少し背の高い彼女は私と同い年だった。
 私たちはその後何度かあってはたわいない会話を弾ませた。けれども長くは続かなかった。
「あっ」
「久しぶりね」
 彼女は少し疲れた笑顔で私に声をかけた。
「外は気持ちいいわね」
「そうかな。いつもと変わらないけど」
「私にとってはとっても晴れ晴れした気分よ」
 私は今日も彼女と話ができると思ったがそうはならなかった。彼女は首から下げていた懐中時計を見て「もう帰らなければならないわ」とその懐中時計をあの時のように、私にの手に握らせた。
 戸惑いを隠しきれない私は聞いた。
「何これ」
「時計よ。時間にうるさい人間は賢くなれるそうよ。お父様の口癖よ」
「でも」
「いいの私が落とした時計をあなたが身につけたそれだけの話。それに・・・・・・」
 私は息を飲む。彼女の言い草は全くわからないが、彼女の表情は切なげな目をしていた。細い息はそのか細い声を作り出す。出会いは突然で今の彼女はそんな出会った時のように荘厳に見えた。
「っ・・・・・」
 その身を翻し、明るみの方へ歩み出す彼女を私は声も出せずにただ、ただ見守っていた。
 この時の空はいつもより蒼く大きく見えた気がした。
 数日後、私は港の端の方に咲く一輪の花を見つけ、彼女に見せようと彼女の家へ向かった。すると彼女の家からは黒い服を着た男の人と女の人が出てきてそれから沢山の黒い人が彼女の家から大きな箱を抱えて出てくる。
「・・・あの・・・・・・」
 私は恐る恐るハンカチを目に当てる男の人に声をかけた。
「君は」
「このうちの子はいますか・・・」
「そうか、君が・・・・うぅ。娘は死んだよ。その時計大事にしてくれたまえ。すまない私はこれで」
 この男の人は彼女の父だったらしい。涙を流しながら女の人と肩を抱き寄せあいながら、馬車に乗り込んでいった。
 私の頬にツーっと雫が伝う。
「ああッマッテ、まだ・・・行かない・・・・・で」
 数台の馬車が私を置いて走り去ってしまう。裸足で私は追いかけたが無理なことは目に見えていた。
 馬車の車輪跡が柔らかい土を削っていた。私はそれにつまづき転ぶ。手にしていた花はそれでもなお形を保っている。
 彼女は死んだ。出会いのように別れも突然だった。なぜ死んだ・・・私の方がたくさん悪いこともしてきた。彼女は何も悪く無い、なぜなぜなぜッ。
 グルグルする頭でパン屋の裏手にやってきていた。いつも通り、そういつも通りだ。
 小窓がガタンと音を立て、そこから顔をのぞかせたおじさんが声をかけてきた。
「あそこのお嬢さんは病気だったんだとよ。オメェさんもあんま落ち込みすぎるなよ。パンが塩味になっちまう」
 そう言うとまた小窓がガタンと鳴って閉じた。
 港の桟橋に座り込んで、じっと海を見つめていた。彼女が最後に残した言葉は『それに私の時は止まってしまうもの』であった。彼女は知っていたのだ自分が死んでしまうことを・・・。
「ホレ、お嬢さんからだ」
 後をつけて来たのかパン屋のおじさんがやって来て、一通の手紙を私に差し出した。さっそく私封を開けて中の手紙を読む。そこには一言だけ書いてあった。
「『Move the time of your』by your friend」
 私はスクッと立ち上がり握りしめていた花にキスをして海に投げ入れた。その時の空は明るく、海はより碧く輝いていた。
               END
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