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第一幕
⑳ 死者は故郷へ、不死者は不滅の地へ 収まるべきところに収まりました。
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男に絡みついた無数の死人の腕は、そのまま男が大地に倒れることを許さずにローランの前へと引きずり出した。
「それではまずは貴方の天魂に聞きましょう」
すっと差し出したローランの右腕が男の額を掴む。するすると死人の影がローランの腕に絡みつき黒に染め上げた。
「あ、ああ……」
ずるりと男からもう1人の男が引き剥がされる。
まるで墨絵を剥がすように、男から男そっくりの男が引き剥がされると少し男の姿が薄くなっていた。
「ロ、ローラン。それはなんだ?」
うわずった声はレオンハルトの声だった。あまりに異質な魔術——否、東方の呪術がレオンハルトの視線を釘付けにしていた。
「この男の天魂でございますわ、殿下。天魂は言葉を持ちませんが、その目で見た景色は忘れません。この男の見た景色の中のどこかにアイラの故郷があるはずです」
「そ、そうか」
それ以上、何と言うべきか言葉を見つけられずレオンハルトは言葉を失った。
「あ、ああ、わからねえだ。あ、あんた誰だ? ひぃあああ! な、なんだべ、その骸骨は! おっかねえだ! そいつをどっかへやってくれ! お願いだよ!」
「何を言っているの、貴方の大事なアイラさんじゃない」
うっそりと微笑みながらローランが男に教えてやる。
「アイラさん? アイラさんなら、よく知ってるだ。けんど、その骸骨は知らねえだ! あんた誰だ!」
「ど、どうなってる? ローラン、この男、どうした? 狂った——いや、元から狂っていたようなものだが。とうとうおかしくなったのか?」
「どうもしておりませんわ。ただ、自分の記憶と見ているものが結びつけられずにいるだけでございます。この方の天魂は私が確かに頂戴しましたから。それでは地魂を頂戴しましょうか」
死人の影で黒く染まった左腕でローランが男の額を掴む。
そして、同じように男からもう1人の男を引きずり出した。
残った墨絵の表面が引き剥がされたかのようにペリペリと音を立てて、男からもう1人の男が引きずり出され、さらに男の姿が薄くなる。
「き、気持ち悪いだ! なんだべ、この地面はオカシイだ! なんべ、このねっとりした空気は! 身体がむず痒いだよ! あんた、オラに何をしただ!」
「地魂、確かに頂戴いたしました。今まで貴方が触れたもの嗅いだ匂い、その記憶はみなこの地魂の中に。その中にアイラの故郷の香りがあるでしょう。アイラが幼い頃に触れた故郷の木々や川の冷たさが残っているかもしれません」
すっかり薄くなった男が、ぼんやりとよだれを流しながら呻いている。それでも、その目の中に熱っぽい執着が燃えているのは、ただ1つ残された人魂にしっかりと根付いているからだろう。
ローランはぽいっと男を放り出すと、黒く染まった腕のままで印を組んだ。
「それでは対価をお支払いたしましょう。お約束通り、貴方の魂を不滅にして差し上げます」
「ほ、本当だか? 本当にオラ死なずにすむんだべな!」
「お約束いたしますわ。貴方はいつまでも変わること無く在り続けます」
ローランの口から異国の呪言が響く。印を次々と組み替える所作は、やがて一差しの舞のように嫋やかに優雅に風をはらんだ。
「目の前が明るくなってきただよ。明るいだ!」
「貴方だけのための世界の光ですわ。そこでは貴方は滅することはありません」
男の姿がどんどんかすれて薄くなっていく。ああ、ああと呻きながら、やがて男の姿はすっかり掻き消えた。
まるで夢から覚めたように、レオンハルトがぼんやりとローランを見つめる。
「あの男はどうなった? 天に還ったのか?」
「まさか。それでは契約に反しますもの。あの男には約束通り、不滅の魂と不滅の世界を与えただけでございます。この世は変遷流転の世界。死なぬものはいませんし、死ねば魂は天と地に還って、新たな魂へと転じます。残った人魂は未練を果たせば、満足して空に溶ける。それがこの世の理でございます」
であれば、あの男はこの世にはいられません。不滅の魂は不滅の地へ。
「それだけです」
「では、あの男はどうなるのだ? あれだけのことをして、兵たちを苦しめ、その娘を拐かした罰は無いのか?」
「殿下。罰というのは許されるために存在しますのよ。償いはいずれは終わるもの。不滅の男には似合いません。あの男は不滅の地で不滅の魂を抱えて在り続けるのです。幾千幾万幾億年、この世が続くかは存じませんが。たとえこの世が滅びしてしまっても、あの男は在り続けるのですよ。まあ、退屈ではございましょうね。不滅の魂など、あの男にしかございませんから」
草もなく木もなく囀る鳥も鬱陶しい虫さえもいない。
そよぐ風も流れる水もありはしない。
ただ、在るだけの男がそこにはいるだけだ。
「そ、それでは永遠に罰をうけているようなものではないか」
「殿下。罰ではありません。あの男の望みでございます。私は対価を払っただけですわ。金貨の代わりにアイラの故郷の記憶。ねえ、アイラ。あとは貴女たちだけ」
気がつけば、残された亡霊は少女と刺客として生きて、刺客のまま生き埋めにされた村人だけが残されていた。
アイラ以外の死人は疲れ切ってすり切れて、もうほとんど人としての容を保てていない。ボンヤリとした影のようだ。
「お姉さん。私はどうなるの? どうですればいいの?」
「アイラ。貴女は貴女の記憶をちゃんと整える必要があるわ。あの男にかき回された思い出を1つ1つ、整えなければね。貴女を攫ったあの男の見た景色、感じた手触り。一緒に埋められた、この村の死人たち。それらと一緒に1つ1つ思い出を繕うのよ。貴女が今日までしてきたことを逆しまにたどって、行き着く果てが貴女の帰る場所」
それが少女の償いということか。
果たしてそれが少女の犯した罪に相応しいのかレオンハルトにはわからない。わからないが、アイラという少女は1000年におよぶ長い長い死者としての記憶と刺客としての記憶を全てたぐっていかなくてはならないのだ。
「そのための場所は私が与えましょう。呪殺師の一族、最後の1人。呪殺師の長、蒼天の蒼、天青石の娘、深樹の翠、琅玕が伏してお願い申し上げます。この娘と死人たちを、どうぞお受け入れくださいまし。その代価として、私は皆さまのための安息の地となりましょう」
両腕を袖に隠し、深く深く、自分の影法師に頭を垂れる。
おうおうというざわめきと共にローランの影法師が、少女の骸と死人たちを包み込み、しゅるしゅると再びローランの足下へと消えていった。
「終わりか」
「終わりでございます。皆、それぞれ収まるところに収まりました。兵の形見はこれからそれぞれの地へと返さねばなりませんが」
「それは俺の仕事だ。ローラン、お前にはやらんからな」
気がつけば、下弦の月も夜も消え、晴れかけた霧の向こうからルドルフの胴間声が聞こえてきた。
この地から形見が運び出されそれぞれの故郷へと帰されるには今しばらくの時を必要としたが、それはまた別の誰かの物語となる。
「それではまずは貴方の天魂に聞きましょう」
すっと差し出したローランの右腕が男の額を掴む。するすると死人の影がローランの腕に絡みつき黒に染め上げた。
「あ、ああ……」
ずるりと男からもう1人の男が引き剥がされる。
まるで墨絵を剥がすように、男から男そっくりの男が引き剥がされると少し男の姿が薄くなっていた。
「ロ、ローラン。それはなんだ?」
うわずった声はレオンハルトの声だった。あまりに異質な魔術——否、東方の呪術がレオンハルトの視線を釘付けにしていた。
「この男の天魂でございますわ、殿下。天魂は言葉を持ちませんが、その目で見た景色は忘れません。この男の見た景色の中のどこかにアイラの故郷があるはずです」
「そ、そうか」
それ以上、何と言うべきか言葉を見つけられずレオンハルトは言葉を失った。
「あ、ああ、わからねえだ。あ、あんた誰だ? ひぃあああ! な、なんだべ、その骸骨は! おっかねえだ! そいつをどっかへやってくれ! お願いだよ!」
「何を言っているの、貴方の大事なアイラさんじゃない」
うっそりと微笑みながらローランが男に教えてやる。
「アイラさん? アイラさんなら、よく知ってるだ。けんど、その骸骨は知らねえだ! あんた誰だ!」
「ど、どうなってる? ローラン、この男、どうした? 狂った——いや、元から狂っていたようなものだが。とうとうおかしくなったのか?」
「どうもしておりませんわ。ただ、自分の記憶と見ているものが結びつけられずにいるだけでございます。この方の天魂は私が確かに頂戴しましたから。それでは地魂を頂戴しましょうか」
死人の影で黒く染まった左腕でローランが男の額を掴む。
そして、同じように男からもう1人の男を引きずり出した。
残った墨絵の表面が引き剥がされたかのようにペリペリと音を立てて、男からもう1人の男が引きずり出され、さらに男の姿が薄くなる。
「き、気持ち悪いだ! なんだべ、この地面はオカシイだ! なんべ、このねっとりした空気は! 身体がむず痒いだよ! あんた、オラに何をしただ!」
「地魂、確かに頂戴いたしました。今まで貴方が触れたもの嗅いだ匂い、その記憶はみなこの地魂の中に。その中にアイラの故郷の香りがあるでしょう。アイラが幼い頃に触れた故郷の木々や川の冷たさが残っているかもしれません」
すっかり薄くなった男が、ぼんやりとよだれを流しながら呻いている。それでも、その目の中に熱っぽい執着が燃えているのは、ただ1つ残された人魂にしっかりと根付いているからだろう。
ローランはぽいっと男を放り出すと、黒く染まった腕のままで印を組んだ。
「それでは対価をお支払いたしましょう。お約束通り、貴方の魂を不滅にして差し上げます」
「ほ、本当だか? 本当にオラ死なずにすむんだべな!」
「お約束いたしますわ。貴方はいつまでも変わること無く在り続けます」
ローランの口から異国の呪言が響く。印を次々と組み替える所作は、やがて一差しの舞のように嫋やかに優雅に風をはらんだ。
「目の前が明るくなってきただよ。明るいだ!」
「貴方だけのための世界の光ですわ。そこでは貴方は滅することはありません」
男の姿がどんどんかすれて薄くなっていく。ああ、ああと呻きながら、やがて男の姿はすっかり掻き消えた。
まるで夢から覚めたように、レオンハルトがぼんやりとローランを見つめる。
「あの男はどうなった? 天に還ったのか?」
「まさか。それでは契約に反しますもの。あの男には約束通り、不滅の魂と不滅の世界を与えただけでございます。この世は変遷流転の世界。死なぬものはいませんし、死ねば魂は天と地に還って、新たな魂へと転じます。残った人魂は未練を果たせば、満足して空に溶ける。それがこの世の理でございます」
であれば、あの男はこの世にはいられません。不滅の魂は不滅の地へ。
「それだけです」
「では、あの男はどうなるのだ? あれだけのことをして、兵たちを苦しめ、その娘を拐かした罰は無いのか?」
「殿下。罰というのは許されるために存在しますのよ。償いはいずれは終わるもの。不滅の男には似合いません。あの男は不滅の地で不滅の魂を抱えて在り続けるのです。幾千幾万幾億年、この世が続くかは存じませんが。たとえこの世が滅びしてしまっても、あの男は在り続けるのですよ。まあ、退屈ではございましょうね。不滅の魂など、あの男にしかございませんから」
草もなく木もなく囀る鳥も鬱陶しい虫さえもいない。
そよぐ風も流れる水もありはしない。
ただ、在るだけの男がそこにはいるだけだ。
「そ、それでは永遠に罰をうけているようなものではないか」
「殿下。罰ではありません。あの男の望みでございます。私は対価を払っただけですわ。金貨の代わりにアイラの故郷の記憶。ねえ、アイラ。あとは貴女たちだけ」
気がつけば、残された亡霊は少女と刺客として生きて、刺客のまま生き埋めにされた村人だけが残されていた。
アイラ以外の死人は疲れ切ってすり切れて、もうほとんど人としての容を保てていない。ボンヤリとした影のようだ。
「お姉さん。私はどうなるの? どうですればいいの?」
「アイラ。貴女は貴女の記憶をちゃんと整える必要があるわ。あの男にかき回された思い出を1つ1つ、整えなければね。貴女を攫ったあの男の見た景色、感じた手触り。一緒に埋められた、この村の死人たち。それらと一緒に1つ1つ思い出を繕うのよ。貴女が今日までしてきたことを逆しまにたどって、行き着く果てが貴女の帰る場所」
それが少女の償いということか。
果たしてそれが少女の犯した罪に相応しいのかレオンハルトにはわからない。わからないが、アイラという少女は1000年におよぶ長い長い死者としての記憶と刺客としての記憶を全てたぐっていかなくてはならないのだ。
「そのための場所は私が与えましょう。呪殺師の一族、最後の1人。呪殺師の長、蒼天の蒼、天青石の娘、深樹の翠、琅玕が伏してお願い申し上げます。この娘と死人たちを、どうぞお受け入れくださいまし。その代価として、私は皆さまのための安息の地となりましょう」
両腕を袖に隠し、深く深く、自分の影法師に頭を垂れる。
おうおうというざわめきと共にローランの影法師が、少女の骸と死人たちを包み込み、しゅるしゅると再びローランの足下へと消えていった。
「終わりか」
「終わりでございます。皆、それぞれ収まるところに収まりました。兵の形見はこれからそれぞれの地へと返さねばなりませんが」
「それは俺の仕事だ。ローラン、お前にはやらんからな」
気がつけば、下弦の月も夜も消え、晴れかけた霧の向こうからルドルフの胴間声が聞こえてきた。
この地から形見が運び出されそれぞれの故郷へと帰されるには今しばらくの時を必要としたが、それはまた別の誰かの物語となる。
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