黒の少女と弟子の俺

第10話・闇の中の戦い

　街に溢れている風邪の人達を救う為、俺は仙草せんそうムーンティアーの採取作戦に参加する事にした。
　作戦参加当日の朝。
　ベッドの上で目覚めた俺は、風邪で寝ているはずのティアがベッドの上に居ない事に気付いて困惑した。俺は掛け布団を手で薙ぎ払い、慌ててベッドから下りて姿の見えないティアを捜そうとした。

「あっ、お兄ちゃん。起きたんだね。ゴホゴホッ！」
「師匠！　そんな身体で何してたんですか！？」
「うん。ちょっとね、これを作ってたんだよ」

　フラフラの身体を俺に支えられると、ティアは浅く早い呼吸を繰り返しながらも柔らかに微笑み、その手に持っていた白銀色の星形ペンダントを手渡してきた。

「これは？」
「私が作った特製のお守り。お兄ちゃんの為に作ったんだよ？」
「俺の為にわざわざ？」
「うん。今回私はついて行けないから……だからそれを私の代わりにつれて行って。絶対に私がお兄ちゃんを守るから」
「師匠……ありがとうございます！」
「うん♪　ゴホゴホッ！」
「ほらっ、早くベッドで寝て下さい」
「あっ……」

　俺はフラフラとして足下がおぼつかないティアを素早く抱き上げ、そのままベッドへと運んで寝かせた。

「あ、ありがとう……お兄ちゃん」
「お守りはありがたいですけど、もう無理はしないで下さいね？　師匠」
「うん。分かったよ」
「それじゃあ、俺はそろそろ行きますね」
「お兄ちゃん。気を付けてね？」
「はい。気を付けます」

　俺はティアから受け取ったペンダントを首に掛け、装備と道具袋を手に持ってから部屋を出ようとした。

「エリオス。修行の成果を存分に発揮してきなさい」

　ベッドに横たわったままこちらを向く事なく、そんな言葉をユキは投げかけてきた。

「頑張って来るよ。ユキ」

　その言葉にユキは背中を向けたままでコクンと頭を頷かせた。
　俺は２人の師匠に向けて頭を下げた後、集合場所である街門まちもんへと向かった。
　風邪で寝込んでいる人が多いせいか、街中に居る人は極端に少ない。その様はとても寂しく、まるでこの街からごっそりと人が居なくなってしまったかの様な錯覚さえ感じる。
　そんな寂さびれた様子の街中を歩いて街門の近くまで来ると、そこには今回のムーンティアー採取作戦に参加する事を決意した者達の姿があった。
　俺は街門の近くに集まっている集団に近付きつつ、その数をざっと数え始めた。

　――10、20、30、40……ざっと50人くらいってところか？

「この度は仙草ムーンティアー採取作戦にご参加いただき、誠にありがとうございます。新しくやって来られた人もいますので、改めて今回の作戦の概要を説明したいと思います。どうか集中力を持ってお聞き下さい！」

　俺が街門に集まっている集団へ近付くと、昨日薬屋で今回の件の事を説明してくれた人が大きな声で作戦の説明を始めた。
　ムーンティアーはその名に『月』が入っている様に、成長には月の光が必要だ。
　そしてムーンティアーは夜にしか花を咲かせず、採取法を間違えばあっと言う間に枯れるので、その採取には細心の注意が必要になる。だからムーンティアーの採取には、熟練の採取者の手が絶対必要になる。
　つまり俺達が今回の採取作戦でやる事は、モンスターの排除はもちろん、採取者を絶対に守りきらないといけないわけだ。もしも採取者が負傷する様な事があれば、誰もムーンティアーの採取を行えなくなり、作戦自体が失敗に終わる。それだけは絶対に避けなければいけない。
　しかし、それを可能にするには絶対的に人数が足りない。通常ムーンティアーの採取には最低１００人単位でのパーティー編成が必要になる。
　だが、今回の採取パーティーに参加した戦力は自分を含めて４８名で、通常の半分にも満たない人数だ。その上、必ず１人は居るはずのモンスタースレイヤーが居ない。この尋常じゃないハンデは誰がどう考えても厳しい。
　しかし俺達はその厳しいハンデを乗り越え、仙草ムーンティアーを持って帰らなければいけないのだ。
　誰もが逃げ出したくなる様な圧倒的不利な状況だが、誰１人として帰る者は居ない。みんなこのエオスに生きる者として、誇り高くこの作戦に挑もうとしているのだろう。
　こうして採取者を含めた総勢５３名のパーティーは、ムーンティアーがある山へと向けて出発を始めた。

×　×　×　×

　即席のパーティーでは上手く連携を取れず、モンスターを蹴散らしながら進むのはかなり骨が折れた。しかしそれにもかかわらず、１人の離脱者も出さずにムーンティアーが採取できる山の山頂付近へと辿り着けたのは幸運だったと言えるかもしれない。

「それでは今からムーンティアーの採取を始めます。護衛のみなさんはさきほど言ったとおりに我々を中心にして二重円形状に広がり、モンスターの進入を防いで下さい。では、よろしくお願いします」

　陽が沈む前に山頂付近へと辿り着いていた俺達は、そこから採取者の更なる説明を受けて夜になるのを待っていた。
　そして待望の夜を迎えて月明かりが山の上へと来た頃、いよいよ今回の作戦の要であるムーンティアーの採取が始まった。
　月明かりだけが山を明るく照らす中、俺は不気味に静まり返る山の中をあちらこちらと見回していた。モンスターはいつどこから襲いかかって来るか分からないから、決して油断はできない。
　ムーンティアーの採取は、月が山頂を一番明るく照らす頃から約２時間くらいが目安と言われている。その時に採取するのが一番薬効が高いからだそうだ。
　つまり今から２時間の間モンスターの進行を防げれば、今回の作戦は成功したと言っても過言ではない。俺は気合を入れ、あちらこちらに視線を送って周囲を観察する。

「モンスターが来たぞー！」

　かなり離れた場所からモンスターの出現を知らせる声が響いた。
　俺達はその声が聞こえた方へと少しずつ移動を始め、守りの円陣形の位置をずらす。
　基本的にモンスターが襲来した場合は、その周辺を担当する者達が最低３人一組でモンスターを迎え撃ち、残りの者が薄くなった円陣形を広げて警戒を続ける。仮にモンスターが強くて人手が居る場合は近場から人数を割き、更に残った者で守りの陣形を広げる。
　このやり方は多方向から攻められると弱いし、モンスターを倒すのに時間がかかるとそれだけ防御が薄くなる。あまり効率の良いやり方ではないけど、守りを中心としたやり方になるとどうしてもこうなってしまう。
　俺達はなるべく早く襲って来たモンスターを倒し、元の円陣形を維持する必要があるのだ。

「モンスター撃破！　陣形位置を狭めてくれ！」

　モンスターの襲来から５分後。
　遠くから聞こえてきたモンスター撃破の声と共に俺達は陣形を狭め、再び守りを固めた。そこからちょこちょことモンスターの襲来があり、その度に俺達の間で緊張が走ったが、幸いな事に多方向からの攻めがほとんど無かったから何とか凌げていた。
　そしてこのまま行けば何とか凌げるかもしれないと思い始めていたその時、とんでもない事態が起こった。

「ス、スライムだ――――っ！！　スライムが攻めて来たぞ――――っ！」
「こっちもだ！」
「こっちからも攻めて来たぞ！　しかも複数だっ！」

　――スライムだとっ！？　よりにもよってスライムが来るなんて。

　エオスに居るモンスターの中でも最強に位置するドラゴン。そのドラゴンに勝るとも劣らない強敵であるスライムは、ある意味でドラゴンよりも手強いと言われている。
　なぜなら基本的に武器を使った攻撃がほぼ効かないし、そのカラー特性によってはドラゴンよりも遥かに厄介だからだ。
　そんなスライムを倒すには、ブヨブヨとした粘液状の身体の中にある核コアを破壊しなければいけないわけだが、スライムはこの核を身体の中で自在に移動させる為、その破壊も難しい。まさに俺達モンスターを狩る者にとって、難敵とも言えるモンスターだろう。

「魔法だ！　魔法を使える奴は魔法で応戦して、使えない奴は止めを刺せそうな状況になったら素早く止めを刺すんだ！　とにかくここから中へ１匹も通すんじゃない！」

　戦っている者の１人がそう声を上げると、近場に居た人達が大声を上げてそれに答えた。俺もそんな声に反応し、魔法攻撃の準備を始める。

「ダークオブセイバー！」

　師匠直伝の闇魔法を繰り出し、俺は迫り来るスライムへとその闇の刃を突き刺した。
　闇の刃に貫かれたスライムは二つに切れ分かれたが、核が無事だったせいかすぐに切れた部分を取り込んで元に戻った。

「くそっ！　これじゃあ埒らちが明かない！」

　その状況を見た俺は、かつてティアがスライムと戦っていた時の事を思い出し、すぐに使う魔法を変更した。

「ディープフリーズ！！」

　俺は闇魔法から氷結魔法へと使う魔法を変え、先ほど討ちもらしたスライムを狙った。
　前へと突き出した両手から放たれる強烈な冷気が、スライムの身体を徐々に凍りつかせていく。そして俺の氷結魔法で完全に凍り付いてその動きが止まった時、俺は大きく声を上げた。

「今です！　誰か凍りついたスライムを砕いて下さい！」
「うおおおおおおおおおおおっ！！」

　俺の出した声に反応し、１人の人物が凍りついたスライムに目がけて飛び掛った。
　そしてスライムに飛び掛ったその人物は、持っていた巨大なハンマーを振り下ろし、凍り付いていたスライムの身体を粉々に打ち砕いた。

「ありがとうございます！」
「おうっ！　その調子でバンバン凍らせてくれっ！　俺が片っ端から砕いて行くからよっ！」
「はいっ！」

　その後、スライムとの戦いは混迷を極めたが、お互いが相性の良いパートナーを戦いの中で見つけて組む事により、少しずつだがスライムの数を減らす事はできていた。
　そして現れたスライムの数もだいぶ減り、これなら何とか押し返せると思ったその時、悪夢の様な出来事が起こってしまった。

「ダークカラーだ！　ダークカラーのスライムが来てるぞ――――っ！」
「ダークカラー！？」

　戦っているみんなは俺も含めて既に疲弊しきっている者が多い。そんな状況でよりにもよってダークカラーのスライムが来るなんて、運が悪過ぎるにもほどがある。

「くそっ……こんな状況でダークカラーのスライムとはな。どうする？　兄ちゃんよ？」
「……やるしかないでしょうね。俺達がアレを止めないと、師匠達が、街のみんなが困るんですから」
「そうだな。それじゃあ、いっちょ行くかっ！」
「はいっ！」

　俺は即席で組んだおじさんと一緒に黒のスライムを倒す為に走った。

「止まれえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――っ！！　ディープフリ――――ズ！！」

　何匹かのスライムを凍り付かせてきた氷結魔法をスライムに向かって放つ。
　この攻撃にスライムは一瞬たじろぐ様な動きを見せたが、すぐに何でも無かったかの様にして前進を始めた。

「くそっ！　全然通じてないのか！？」
「流石は全てのカラー要素を含むと言われているダークカラーだな。魔法に対する耐性も半端じゃないって事らしい……」
「それでも俺達が止めないと！」
「ああ！　行くぜっ！」

　そこから俺達のダークカラースライムとの壮絶な戦いは始まった。
　幸いにして相手の進行が鈍いのが救いではあったものの、仲間は次々と手傷を負い、徐々にその守備範囲を侵され、最終的に採取者の居る場所の近くまでその進行を許してしまっていた。

「はあはあっ……おいっ、兄ちゃん、大丈夫か？」
「え、ええっ……何とか」
「どうやらまともに戦えるのは、俺と兄ちゃんだけになっちまったみたいだな」
「残念ながらそうみたいですね……」
「これは人生最大のピンチってやつだな。こんな事なら昨日の内に、酒を浴びるほど飲んどきゃ良かった」
「…………」

　このおじさんはもう分かっているんだと思う。今のこの状況を覆し様が無い事に。
　でも、このままむざむざと負けるわけにはいかない。なんとしても採取者の採ったムーンティアーを街まで届けなければいけないのだから。

「おじさん、一つお願いしていいですか？」
「ああ？　何だ？」
「これから一か八か、アイツを倒せるかもしれない魔法を使います。ですから、周囲に居る人達を連れて急いで避難して下さい」
「何言ってんだ？　正気か！？　モンスタースレイヤーが２人居ても苦戦するのがダークカラーなんだぜ！？　しかも相手はスライムだ。お前１人で倒せるはず無いだろ！？　無駄死にするだけだ！」
「俺は最強のモンスタースレイヤー、ダークネス・ティアと白薔薇姫しろばらひめ白薔薇姫の弟子なんです！　こんな所で死にはしませんっ！！」
「…………分かったよ。だが、絶対に死ぬなよ？　絶対に生きて帰って来い！」
「ええ。もちろんですよ」

　俺がそう言うと、おじさんは素早く駆け出して周囲に居る人達に声をかけ、動ける人達の協力を得てその場から避難を始めた。

「よしっ、これでみんなを巻き込まずに済むな……」

　周囲に人の気配がなくなった事を感じた俺は、最後の手段を取る為に精神の集中を始めた。

「我が内にある全ての力を解放し、仇なす敵を消し滅ぼす！　ディストラクション！！」

　俺の中に残っている全ての力を集め、それをスライムに向かって解き放った。すると激しい稲光が周囲を照らし、俺の中にある力の全てを込めた一撃が黒のスライムを一瞬にして吹き飛ばした。
　辺りにはディストラクションの一撃により四散したスライムの一部が張り付き、妙に酸っぱい匂いを放ち始めている。

「はあはあっ……やったか？」

　そんな様子を見た俺は力なくその場に座り込み、なんとかスライムを倒す事に成功したと安堵して大きな息を吐く。
　だが、そんな安堵の息を吐いた瞬間、周囲に四散したスライムの破片が動き始め、一つの場所に集まり始めた。そして集まり始めた破片はやがて重なり合い、一つの大きな黒い塊りとなった。

「まさか、あれでも核を破壊できてなかったのか！？　くそっ……」

　俺はもう力の全てを使い果たし、その場から動く事すらできない状態だった。
　この場には誰も居ない。俺独り。助けてくれる者など存在しない。それはつまり、俺がここで死んでしまう事を意味する。

「くそっ……絶対に帰るって約束したのに。ティアとユキに約束したのにっ！」

　こんな事を言っている間にも、再生を終えた黒のスライムは俺の方へと向かって来ている。
　それを見て死の恐怖はもちろんあったけど、それよりも、俺を信じて送り出してくれたティアとユキとの約束を果たせなくなるのが悔しくてしょうがなかった。
　そしてそんな時に浮かんだのは、ティアの優しく明るいあの笑顔だった。

「こんな所で死ぬのかよっ……ティア――――――――ッ！！」

　有りっ丈たけの悔しさを込めた叫びを上げた次の瞬間、ティアから貰っていた首飾りが突然明るく輝き始め、俺はその眩しさに思いっきり目を瞑った。

「お兄ちゃんを死なせはしないよ。だって、お兄ちゃんは私が絶対に守るんだからっ！！」
「えっ！？」

　その聞き慣れた声を聞いた瞬間、俺は幻聴を聞いたのだと自分の耳を疑った。
　しかし、眩しさで瞑っていた両目を開いたその時に見えたのは、小さくも大きいティアの後ろ姿だった。

「し、師匠？　どうしてここに？」
「どうして？　そんなの決まってるよ。私はお兄ちゃんの師匠なんだよ？　だからお兄ちゃんのピンチには必ず駆けつけるんだからっ♪」

　突然目の前に現れたティアが振り返って満面の笑顔でそう言った後、今度はこちらに迫って来ていたスライムに視線を向けて右手を前へと突き出した。

「私のお兄ちゃんをこんなにした罪はしっかりと償ってもらうんだからねっ！！　ダークネスフォグペイン！」

　突き出したティアの右手から夜の闇よりも更に暗い漆黒の霧が放たれ、あっと言う間にその霧はスライムを包み込んだ。
　するとスライムは人が痛みで身体をよじらせる様な感じで大きく揺れ始め、その進行が止まった。俺達が全力を出して進行を防ごうとし、結果的にその進行を押さえる事ができなかったスライム。そのスライムの進行を、ティアはいともあっさりと止めた。
　流石はモンスタースレイヤーとは言え、ダークカラーのモンスターをここまで完全に押さえ込める者はそう居ないだろう。
　だが、ティアの出したその漆黒の霧が晴れた後、俺はそこにまだスライムが生きて存在している事に驚いた。

「あれをくらってまだ生きてるのか！？」

　本来なら漆黒の霧が晴れたあとにはその原型すら残さないティアのダークネスフォグペインだが、スライムはダメージこそあれど、その魔法の一撃を見事に耐え切っていた。
　ティアお得意の闇魔法を受けて無事で済むモンスターは居ない。ティアの闇魔法はどれも、並のモンスターなら一撃で倒してしまう必殺魔法なのだから。
　しかしそれをこうして耐えるあたり、流石はダークカラーと言えるだろう。

「ありゃりゃ。今のを耐えるなんて、流石はダークカラーだね。でも、この後もまだあるし、時間も無いから次で決めちゃうよっ！」

　そう言うとティアは両手を高く掲げ、その先に魔力を集中し始めた。

「混沌より生まれし怪物よ。我の真なる闇の力で地獄の深淵へと消え去れっ！　ダークディストラクション！！」

　掲げていた両手に集められていた漆黒の魔力が球状になってスライムへと素早く飛び、一瞬にしてその身体を突き破ってその中心で止まった。

「フラッシング！！」

　スライムの身体の中心で止まった魔力の塊りが、ティアの合図によって漆黒の闇を放ちながら弾け飛んだ。
　するとスライムは、その漆黒の光に飲み込まれる様にして綺麗さっぱりとその姿をこの世界から消した。

「大勝利っ！！」

　スライムが消え去った後、ティアは俺の方を向いて右手を突き出し、満面の笑顔でブイサインをした。

　――まったく、俺の師匠は最高だぜっ！

「お兄ちゃん、大丈夫だった？」
「は、はいっ！　ありがとうございます。師匠」
「うんうん。お兄ちゃんが無事で本当に良かったよ」
「でも、どうして宿で寝てるはずの師匠がここに？」
「詳しく話をしてあげたいけど、それは後でね。今は時間が無いから、負傷者を集めてすぐに街に戻るよ。ほらっ、お兄ちゃんも頑張って立って」
「はい。分かりました」

　こうして突然現れたティアの登場によりダークカラーのスライムは討伐され、俺達はティアの完璧な護衛の下で無事に街へと戻る事ができた。
　しかし街へと無事に着いた途端、それまで元気な様子を見せていたティアが突然気を失って倒れた。俺はそんなティアを抱え上げ、急いで宿へと戻った。

「――師匠！　しっかりして下さいっ！」

　俺は疲れ果てた身体の事も忘れて必死に宿屋へと戻り、急いでベッドにティアを寝かせた。なぜか部屋に居るはずのユキの姿が見えない事が気にかかったけど、今は辛そうな表情で苦しむティアの事が気になり、そっちの方を優先させた。
　しかし俺の問い掛けに対してティアは答える事ができず、ずっと表情を歪ませて苦しんでいるだけだった。

「やっぱりそうなったわね」

　その声に後ろを振り向くと、そこには扉を開けて中へと入って来ていたユキの姿があった。

「ユキ！？　大変なんだ！　ティアが！」
「分かってるわ。どうせこんな事になるだろうと思っていたから」

　そう言うとユキはフラフラしながらティアへと近付き、右手に持っていた綺麗な小瓶の蓋を開け、中に入っている液体をゆっくりとティアに飲ませた。
　すると荒かったティアの呼吸が少し良くなり、苦痛に満ちていたその表情も多少だが和らいだ。

「ううっ……」
「ユキッ！　大丈夫！？」
「ええ。でも、さすがにちょっとキツイわね。悪いけど、ベッドまで肩を貸してくれないかしら？」
「肩なんて言わなくていいよ。俺が運ぶから」
「ちょ、ちょっと、そんな事しなくていいからっ」
「すぐそこなんだから大人しくしてて」

　俺はふらつくユキを抱き上げ、そのままベッドへと運んだ。

「あ、ありがとう……」
「ううん、こっちこそありがとう。ティアを助けてくれて。迷惑かけたね」
「本当よ。あなた達――特にあっちで寝ている子には、本当に苦労させられるわ。頑固で言い出したら聞かないし、ずっと『お兄ちゃんが心配』ってブツブツ言ってるし。あれじゃあ静かに寝てもいられないわ」
「……そう言うユキだって、お兄ちゃんの事をずっと心配してたくせに」
「師匠！　大丈夫ですか！？」
「うん。ユキのおかげでさっきよりはだいぶいいよ。それよりもユキ、ありがとう。色々と協力してくれて」
「わ、私はただ、自分のやっていた錬金術の成果を試したかっただけよ。別にあなた達の為じゃないわ」
「もう、相変わらず素直じゃないなあ。ユキだってお兄ちゃんが出発してから、ずっと落ち着きなく部屋をウロウロしてたくせに」
「そ、それはあなただって同じでしょ！？　エリオスが出発してからずっと、ペンダントを通じてエリオスの声を聞いて、何かある度に『お兄ちゃん大丈夫かな？』とか言って涙目になってたくせにっ！」
「そ、そんな事ないもん！　涙目になんてなってないもんっ！」
「なってたわよ！　ずっとずっと涙目だったわよっ！」
「そう言うユキだって、お兄ちゃんがスライムの群れと戦い始めてからずっと慌ててたじゃないっ！」
「私が慌てるはずないでしょ！？　変な言いがかりを付けないでっ！」
「あ、あの、２人共落ち着いて――」
「お兄ちゃんは黙っててっ！」「エリオスは黙ってなさいっ！」

　止めようとした俺に向かって同時にそう言う２人。
　そして未だ病気にもかかわらず、言い合いを再開するティアとユキ。
　それを見ている俺は２人の体調が心配でしょうがなかったんだけど、２人の言い争いはそれからしばらくの間続いた。