上 下
29 / 78
第五章 聖龍連峰

麗しき太陽の化身

しおりを挟む
 全裸のキーラが『巨大化』を解除し、笑顔でナナシたちの方へと駆け寄る。モニカ、フリーダ、レジオナの順でハイタッチを交わすと、目をつぶり顔をそむけたまま手を差し出しているナナシに向かって豪快なドロップキックを浴びせた。
「ナンデ!?」と叫びながらゴロゴロ転がっていくナナシ。キーラは手早く上着を羽織るとナナシに怒鳴る。
「上を見んなつっただろーが! 今回だけは許してやるけど次はねーぞ!」
 ナナシはよろよろと起き上がり、キーラに謝罪する。
「ううっ、つい声に反応して……ごめんなさい」
 そんなナナシをモニカが擁護する。
「あれはキーラの指示が悪いわよねえ。最初に上って言ったら上に目をやっちゃうでしょ。下を向けか目をつぶれが正解よね」
「うっせーな。あたいは指揮官タイプじゃねーんだよ」
「まあそれは置いといて、あなたさっきの『巨大化』凄かったじゃない。大司教の神聖干渉レベルの倍率だったんじゃないの?」
 モニカがメガネを光らせて問うと、キーラはちょっと得意げに答える。
「まーな。倍率を上げれば制限時間がそんだけ短くなるけどよ。8倍までは試した事あったけど、16倍でも楽勝だったな」
「ふむふむ、混沌浸食を退けた功績に見合ったぶっ壊れ性能ね。ちなみに制限時間と倍率の関係は? あと何倍まで可能なの?」
「教えるわけないだろ! 何考えてんだおめー!」
「えぇ……調子に乗って答えると思ったのに、さすが腐っても元特級ね」
「腐ってねーし! おめーはほんっとそういうトコだぞ」
 命のやり取りが日常茶飯事である冒険者にとって自分の能力は軽々に明かす物ではない。キーラが答えた範囲も、モニカと共に死線をくぐり抜けある程度の信頼関係があるからこそと言える。
 恩寵ギフトとしてキーラが賜った『巨大化』の性能は、倍率2倍で1日の制限時間20分、倍率が2倍になるごとに制限時間は半減してゆくというものである。つまり身長32メートル時の倍率は16倍、制限時間は2分30秒となる。某巨大ヒーローに比べるとやや短いと言えるだろう。ちなみに制限時間内であれば何度でも使用可能であり、倍率に制限はない。
 ぼやきながら服を着るキーラに、フリーダが尋ねる。
「義手を外したのは龍のエネルギー体を殴る為だったのは解るんだけど、なんで服まで脱いだの?」
 キーラは意外な質問にきょとんとした表情でフリーダを見る。それを見ていたレジオナがふにゃふにゃと横から口を出す。
「それはね~、キーラちんが裸族だから!」
「ちげーよ! 服が破れたらもったいないだろーが! 鎧の修理だって金がかかるしよ」
 しかしフリーダはキーラの答えに首をかしげる。
「え……だって混沌の使徒と戦った時、巨大化したナナシのふんどし破れなかったと思うんだけど?」
「えっ?」
「えっ?」
 真顔で見つめ合うキーラとフリーダ。レジオナが残念そうにため息をつく。
「あ~あ、言っちゃった~。ほっとけばキーラちんの裸族っぷりが楽しめたのにね~ナナシたん」
「えっ! まってまって知らなかったからね! 今気づいた!」
 慌てて言いつくろうナナシ。あわあわと手をばたつかせるナナシをキッと睨んだキーラは、プルプルと体を震わせながら顔を上気させる。すでに若干涙目だ。そこへモニカが追い打ちをかける。
「あら、まさか気付いてなかったの? てっきり趣味で脱いでるんだと思ってたわ」
 キーラは両手で顔を覆うとその場にしゃがみ込む。
「あーもー! あーーーーーもおーーーーーー! ああああああああああ!」
 聖龍連峰にキーラの絶叫が木霊した。


 意識を取り戻した赤龍の咆哮が木々を震わせる。のそりと起き上がった赤龍はナナシたちを見据え忌々しげに唸った。
「よくもやってくれたなゴミ虫どもが。もう許さんぞ!」
 赤龍の言葉に、レジオナがやれやれと言った様子で首を振り、肩をすくめてふにゃふにゃと諭す。
「あんね~、そ~ゆ~のを負け犬の遠吠えっていうんよ~。殺すのは勘弁してやったのにさ~、その言いぐさはなんなんよ~」
「それはお前たちが貧弱だったが故に我を殺し切れなかっただけだろうが」
「あ~はいはい。ほんじゃもうすぐあんたを殺し切れる存在がやって来るからさ~、ふるえて待つがいいよ~」
「なん……だと?」
 赤龍が訝しげに聞き返すと同時に、聖龍連峰の頂から風切り音と共に巨大な黒い影が飛来する。それは赤龍を遥かに上回る巨躯の黒い龍だった。
 頭胴長60メートル、全長120メートル、翼開長140メートルの黒龍は、赤龍を睨み付けると轟くような叫び声を上げる。
「こんのバカチンがー!」
 黒龍は飛来する勢いそのままに空中でくるりと半回転し、赤龍に豪快なドロップキックを浴びせた。8倍もの質量に蹴り飛ばされた赤龍は地面を削りながら弾き飛ばされ、山肌に深々とめり込む。しかし黒龍の追撃は止まらない。よろよろと這い出した赤龍の頭をこれでもかと踏みつける。
「お楽しみ箱には手を出すなつったわよねえ!? 馬鹿なの? ねえ馬鹿なの!? あんたのエネルギー体に呪紋で刻まないと覚えないの? 何とか言いなさいよコラァ!!」
 大地を震わせながら執拗に赤龍の頭部を蹴り続ける黒龍にナナシたちもドン引きである。しかし頭胴長60メートルの龍種が相手では呆然と見守るしかない。
 そこへ今度はさらに巨大な龍が、全身を金色に輝かせながら優雅に飛来する。その頭胴長は実に120メートル。全長に至っては240メートルという、もはや軽空母並のサイズである。
 黄金龍はサイズに見合わぬふわりとした動きで停止すると、全く風圧を感じさせず静かに降下する。周囲の風の精霊シルフを完璧に支配しているのだ。さながら風の精霊にエスコートされる貴婦人のごとく着地した黄金龍の口から、澄んだ女性の声が発せられる。
漆黒シューグオ、その辺にしておきなさい。灼熱カーグルが本当に死んでしまうわ」
 言葉自体は龍語ドラゴンズロアであるが、黄金龍のスキル『魂の歌声』によりその意味するところは全員に伝わる。漆黒と呼ばれた黒龍は、灼熱と呼ばれた赤龍を蹴る足を止め、荒い息をつく。
「だって~クーねえ、カー公ったらひどいんだよ! 人類の産んだ文化の極みを灰にしようとしたんだから! 万死に値すると思わない!?」
「あらあらまあまあ、それはいけない事ね。でももう十分反省したと思うから、許してあげなさい。ね?」
 黄金龍になだめられたものの、まだ不満げに唸る黒龍にレジオナがふにゃふにゃと叫ぶ。
「ノワ先生てんてー! も~カーグルなんかほっといてさ~、さっさとお楽しみ箱運んじゃおうよ~」
「うう~、赤レジちゃんがそう言うなら……」
 黒龍はレジオナの言葉に従い、いそいそと馬車からお楽しみ箱をつまみ出すと、大事そうに抱えて静かに飛び去っていった。
 後に残った黄金龍は改めてナナシたちに向き合うと、美しい声で謝罪する。
「うちの末弟がご迷惑をおかけしたわね。数千年ぶりに生まれた雄だから甘やかされて育ったせいで、少しわがままな所があるの。ごめんなさいね」
 しかしさっきの扱いを見る限りとても甘やかされてるようには見えない。それとも姉弟というものはどこの世界でも同じようなものなのだろうか。頭胴長120メートルの龍種からの謝罪に呆気にとられる一同。その中でレジオナだけがふにゃふにゃと笑っている。 
「いいんよいいんよ~、私たちも思いっきりぶん殴ったしさ~。カーグルもこんだけ痛い目見れば少しはおとなしくなるでしょ~」
 気安く応対するレジオナを見て我に返ったモニカが、メガネを光らせ黄金龍に話しかける。
「お初にお目にかかります。私は知識の女神の開拓者、名をモニカ・ベアールと申します。貴女様はもしや聖龍連峰の女王ハガールキュラ・ドゥオェー・グァ・クゲーラ陛下であらせられますか」
 知識の女神の大司教の面目躍如たる流麗な龍語ドラゴンズロアで話すモニカに対し、面白がるように目を細めて黄金龍が答える。
「いかにも、私は黄金に輝くハガールキュラ・麗しき太陽のドゥオェー・グァ・化身クゲーラです。漆黒の夜にギュークルゴォ・潜みし大いなるガーラグ・ギィ・狩人シューグオへの届け物を邪魔した事、愚弟灼熱カーグルに代わりお詫びいたします」
「これは勿体なきお言葉を賜り、誠に恐れ入ります」
 洗練された動作で深々と礼をするモニカを見て、黄金クゲーラはふと疑問を口にする。
「これはけして自惚れから言う事ではないのだけれど、あなたたち私の前で随分と平静にしていますね。身長100メートルを超える龍種に対峙すれば、普通はもっとこう『ビビる』ものではなくて? まあレジオナが気安いからというのもあるのでしょうけれど……」
 黄金龍の言葉にキーラが腕組みをして考え込む。
「言われてみりゃー確かにな。いくら女王陛下から敵意を感じないつっても、存在感だけでもっとビビってても不思議はねーな。あれか、さっき賜った『龍種を倒せし者ドラゴンスレイヤー』の称号がなんか関係あんのか?」
 モニカは『並列思考』により『虚空録』にアクセスし、称号を検索していた。『龍種を倒せし者ドラゴンスレイヤー』の称号を手に入れた者は過去に数人確認されているものの、サンプルが少なすぎて称号の効果は解明しきれていない。
「ちょっと調べてみたけど、この称号はまだ全容が解明されてないのよね。でもまあとりあえず龍種への耐性が上がる効果はあるみたい。龍種を見てもビビッて動けなくなる事は無さそうね」
 その会話を聞いていたレジオナがふにゃふにゃと抗議の声を上げる。
「え~っ、まってまって~! まさかみんなドラゴンスレイヤーなんてカッコよさ気な称号もらってんじゃないでしょ~ね~!?」
「あのカーグルって野郎ブッ飛ばしたときにもらったぜ」
「私も授かったわね。こんなレア称号もらったら研究が捗るわー!」
「あっ、自分ももらってた。カッコいいよね『龍種を倒せし者ドラゴンスレイヤー』」
 キーラ、モニカ、ナナシの答えに、恐る恐るフリーダを見るレジオナ。若干涙目なレジオナからそっと顔を背け、フリーダが答える。
「ごめんね、私ももらってるわ」
 それを聞いたレジオナは髪の毛をかきむしりながら虚空に向かって叫ぶ。
「もぉ~~~~~~! なんなんよ~~~~~~! 毎度毎度私たちだけのけ者にしてさ~! チームレジオナで倒したんだから全員にくれてもいいじゃんよ~! ず~る~い~!」
 駄々をこねるレジオナの前に、またも銅貨が3枚落ちてくる。レジオナは軽く舌打ちをして虚空を睨むと億劫そうに銅貨を拾い始める。
 そこへ、遥か100メートル上空より裏返った声が振って来た。
「きゃー! まってまって! それまさか神造硬貨!?」
 威厳も何もかなぐり捨てたような調子っぱずれの声に思わず一同が黄金龍を見あげる。すると黄金龍の姿が一瞬揺らぎ、パタパタと内側に折りたたまれたかと思うと、次の瞬間には輝くような金髪を長く伸ばした絶世の美女がたたずんでいた。
 女神もかくやと思われる美貌と完璧なプロポーションが身長170センチとは思えぬ存在感を醸し出している。黄金龍が「折りたたまれた」その美女は、見るからに高級そうなチュニックを翻し、レジオナへと駆け寄った。
「レジオナ! 見せて見せてお願いよ~! 1万年生きてて初めてよ、神造硬貨が現れる所見たの!」
 興奮に顔を上気させ、目をキラキラと輝かせながら迫る黄金龍にさすがのレジオナもちょっと引き気味である。レジオナがそっと銅貨を1枚差し出すと、黄金龍はどこからともなく取り出した手袋をはめ、慎重に銅貨を受け取った。
「はァ~、なにこれすっごい~。見てるだけでとろけそうだわ~。ヤバいヤバい、目から幸福が染み込んできてつらいの~。もう無理~、尊すぎて死にそう~」
 銅貨をためすがめつ鑑賞しながら黄金龍がため息をつく。もはや語彙がとても威厳ある龍種の女王のものではなくなっているが、本人は全く気付いていないようだ。黄金龍の痴態に、最初は引き気味だったレジオナの表情が徐々に悪い笑顔へ染まってゆく。
 ひとしきり銅貨を堪能した黄金龍は、潤んだ目でレジオナを見ると媚を売るようにすり寄る。
「ねぇ~、レジオナちゃん。お願いだからこの神造硬貨譲ってくれないかしら。言い値で払うから!」
 身をかがめて哀願する黄金龍に対し、満面の笑みでレジオナは肩を組む。
「クゲーラ様~、たった1枚でいいのかにゃ~? 保管用と、観賞用と、自慢用に3枚はいるんじゃないの~?」
「レジオナちゃんったら、まさか……まさか3枚も譲ってくれるの!? いくら? いくら積めばいいの!?」
「んっふっふ~、何言ってんのクゲーラ様~。私たち親友でしょ~? 友情のあかしに、なんとタダでお譲りするんよ~!」
 レジオナの申し出に感極まった黄金龍は、レジオナをぎゅっと抱きしめ頬ずりする。
「レジオナちゃん! そうよね、私たち親友よね! クゲーラ様なんて他人行儀な呼び方はやめて、これからはクーちゃんと呼んで!」
「了解だにゃ~クーちん。親友だもんね~。さあさあ、この出来たてほやほやの神造硬貨をどうぞ~」
「ふああああああぁ。神造硬貨が3枚っ……! 圧倒的っ……! 圧倒的神々しさっ……!」
 黄金龍は銅貨を捧げ持つと、どこからともなく取り出した高級な布で包み、うやうやしく謎の収納空間にしまい込んだ。これは龍種における宝物への恐るべき執着心がスキルへと昇華された収納空間であり、千歳以下で発現する事はまず無いレアスキルである。空間内部では時間が止まっており、宝物の経年劣化を防ぐ。
 本人が死なない限り他人からは絶対に干渉出来ない収納空間に仕舞い込んだ安心感から、ようやく周りを気にする余裕の出来た黄金龍。自らに向けられる残念な子を見る視線に気付き、こほんとひとつ咳払いをして、何事も無かったかのような表情で一同に語りかける。
「レジオナちゃんのお友達に不快な思いをさせたままお帰り頂くわけにはいきませんね。どうぞ私の居城にお寄りくださいな。心を込めておもてなしいたしますわ」
 その声はどこまでも澄み切っていて流麗ではあるものの、痴態を見られて残念な印象のまま帰らせる訳にはいかぬという恐ろしいまでのプレッシャーが込められており、『龍種を倒せし者ドラゴンスレイヤー』の耐性すら凌駕して一同の心胆を寒からしめた。
 改めて、目の前にいるのは残念美女ではなく龍種の女王が人化した姿であり、その気になれば世界を滅ぼせる力の持ち主だという事を思い出した一同は、壊れた玩具のようにぶんぶんと首を縦に振る。ひとりレジオナだけがふにゃふにゃと笑いながら黄金龍の肩を叩く。
「あはは、そ~ゆ~のよくないよ~クーちん。器がちっちゃく見えちゃうからさ~」
「だって~、龍種の女王たる者が実は残念だったなんて噂が広がったら、もう人類を滅ぼすしかなくなっちゃうじゃないの!」
 さらりと恐ろしい事を言い放つ黄金龍。もはや冗談なのか本気なのかわからない。
「まあまあ、物騒なこといってないでさ~、さっさとお城いこうよ~」
 レジオナのスルースキルに一同は心の中で喝采を送る。このスライム、たった銅貨3枚で龍種の女王の友情を買った手腕は伊達ではない。聖龍連峰を我が物顔で闊歩しているのもうなずけると言うものである。
 こうしてナナシたち一同は、聖龍連峰の奥深く、龍種の住まう場所へ足を踏み入れる事となった。
しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...