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4.エリックの秘密
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転機は荒々しく訪れた。
街と街の間を馬車で移動しているとき、野盗に襲われたのだ。
「必ずお守りします。私が呼ぶまで、決して外に出てはいけませんよ」
わたしが止めるのも聞かず、エリックは剣をとって出ていってしまった。
怒号、絶叫、馬のいななき。剣の打ち合う金属音。
窓にカーテンのおりた馬車の中で、わたしは震えていた。
何かがぶつかってきて、馬車がひっくりかえってしまうのではないかと思うほど、大きく揺れた。はずみでドアが開いた。
地面に転がる人間が、何人も見えた。臭気が鼻をついた。あちこちに赤黒いシミが飛び散っていた。
わたしは恐怖の中で、彼の名を叫んだ。
暴漢の一人が、わたしに向かってきた。
「ヴァイオレット様!」
エリックは、その身を盾にわたしを守った。
わたしは、彼の背を突き通った刃の切っ先を確かに見た。
彼が剣を振るい、相手は倒れた。
わたしは崩折れた彼に駆け寄った。
愛しい彼の左胸を、無骨な剣が貫いていた。
「エリック、しっかりして!」
彼は息をしていた。顔を歪め、剣の柄に手をかけて、引き抜いた。溢れ出したのは、血ではなかった。黒く冷たい、ドロドロしたものだ。
わたしは目を見張った。
その黒いものは、グニャグニャと蠢いて、彼の身体に戻っていった。上着もシャツも裂けていたけれど、その身体に傷はなかった。
「大丈夫です、ヴァイオレット様……ああ、でも、知られたくなかった」
彼は苦しげに、そう言った。
一旦、街に戻り、ホテルに落ち着いてから、彼は告白した。
「……私は、人ならざるものなのです。死なず、老いない。悪魔です」
国を転々と旅するのも、そのためだ。不滅の芸術を慰めにしながらも、彼は孤独だった。
「でも、私は恋をしてしまった。レディ・ヴァイオレット……貴女の、暮れゆく空のような菫色の瞳に。……この穢らわしい身で、貴女の側にいたいと願ったことを、どうか、許して……」
彼は、罪人のように床に膝をつき、うなだれていた。
わたしは胸が締め付けられて、息がしにくいほどだった。
それが、彼が纏う憂いの理由。
なんて寂しく、悲しい方!
わたしは、取り繕うことも忘れて、自分から彼を抱きしめていた。
「怖かったわ。貴方が死んでしまうと思って、今まで生きてきて一番、怖かった」
「ヴァイオレット様……」
「死んでしまわなくてよかった。愛しているのよ、エリック。わたしは、貴方がなんであったって受け入れるわ」
彼の腕が、ゆっくりと回ってきて、強くわたしを抱きしめ返してくれた。
彼は、わたしの名を切なげに何度も呼んだ。わたしは、彼がわたしの身体にはたらく狼藉を、喜びをもって許した。
翌朝、彼はひどく恥じ入りながら言った。
「嬉しくて、耐えられなかったんです。……貴女を軽んじるつもりなんて、誓ってひとかけらもありません」
「ふふ、わかっているわよ」
古風な彼に、わたしの方が笑いを抑えられなかった。
「ヴァイオレット様、どうか聞いてください」
「ええ」
「愛しています。結婚してください」
この美しい純粋な男を、悪魔でも化け物でも、どうして拒めるだろう。
生涯で一番、幸せな朝だった。
街と街の間を馬車で移動しているとき、野盗に襲われたのだ。
「必ずお守りします。私が呼ぶまで、決して外に出てはいけませんよ」
わたしが止めるのも聞かず、エリックは剣をとって出ていってしまった。
怒号、絶叫、馬のいななき。剣の打ち合う金属音。
窓にカーテンのおりた馬車の中で、わたしは震えていた。
何かがぶつかってきて、馬車がひっくりかえってしまうのではないかと思うほど、大きく揺れた。はずみでドアが開いた。
地面に転がる人間が、何人も見えた。臭気が鼻をついた。あちこちに赤黒いシミが飛び散っていた。
わたしは恐怖の中で、彼の名を叫んだ。
暴漢の一人が、わたしに向かってきた。
「ヴァイオレット様!」
エリックは、その身を盾にわたしを守った。
わたしは、彼の背を突き通った刃の切っ先を確かに見た。
彼が剣を振るい、相手は倒れた。
わたしは崩折れた彼に駆け寄った。
愛しい彼の左胸を、無骨な剣が貫いていた。
「エリック、しっかりして!」
彼は息をしていた。顔を歪め、剣の柄に手をかけて、引き抜いた。溢れ出したのは、血ではなかった。黒く冷たい、ドロドロしたものだ。
わたしは目を見張った。
その黒いものは、グニャグニャと蠢いて、彼の身体に戻っていった。上着もシャツも裂けていたけれど、その身体に傷はなかった。
「大丈夫です、ヴァイオレット様……ああ、でも、知られたくなかった」
彼は苦しげに、そう言った。
一旦、街に戻り、ホテルに落ち着いてから、彼は告白した。
「……私は、人ならざるものなのです。死なず、老いない。悪魔です」
国を転々と旅するのも、そのためだ。不滅の芸術を慰めにしながらも、彼は孤独だった。
「でも、私は恋をしてしまった。レディ・ヴァイオレット……貴女の、暮れゆく空のような菫色の瞳に。……この穢らわしい身で、貴女の側にいたいと願ったことを、どうか、許して……」
彼は、罪人のように床に膝をつき、うなだれていた。
わたしは胸が締め付けられて、息がしにくいほどだった。
それが、彼が纏う憂いの理由。
なんて寂しく、悲しい方!
わたしは、取り繕うことも忘れて、自分から彼を抱きしめていた。
「怖かったわ。貴方が死んでしまうと思って、今まで生きてきて一番、怖かった」
「ヴァイオレット様……」
「死んでしまわなくてよかった。愛しているのよ、エリック。わたしは、貴方がなんであったって受け入れるわ」
彼の腕が、ゆっくりと回ってきて、強くわたしを抱きしめ返してくれた。
彼は、わたしの名を切なげに何度も呼んだ。わたしは、彼がわたしの身体にはたらく狼藉を、喜びをもって許した。
翌朝、彼はひどく恥じ入りながら言った。
「嬉しくて、耐えられなかったんです。……貴女を軽んじるつもりなんて、誓ってひとかけらもありません」
「ふふ、わかっているわよ」
古風な彼に、わたしの方が笑いを抑えられなかった。
「ヴァイオレット様、どうか聞いてください」
「ええ」
「愛しています。結婚してください」
この美しい純粋な男を、悪魔でも化け物でも、どうして拒めるだろう。
生涯で一番、幸せな朝だった。
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