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★番外編 エリーゼのために③
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フロックは数日、腑抜けて過ごした。
日の光が前以上に厭わしくて、しかし夜になっても飛ぶ気になれない。
ぷつんと糸が切れてしまったような感覚だった。
さみしがりのちいさな小鳥が、風来坊の梟の脚に結えた糸。
結ばれた時こそ煩わしかった。
機嫌よく過ごしているようで、ひととの関係が強く絡みはじめると、衝動的に振り捨ててしまう性分だった。
縛られたら、飛べなくなると思っていた。
それが、エリーゼとの繋がりだけは、枷ではなく拠り所になっていた。
結婚なんて口にしては、一生忘れられなくなるのはわかりきっていたのに、言わずにいられなかった。なにより大切にしてきた自由を捨てて、やれるものなら命までやりたいと思った女だった。
なのに、断ち切れてしまった。
あまりの喪失感に茫然としていた。
自由どころか、自分はこうなりたくなくて、逃げ続けていたのだと気づいた。
このままでは、生きたまま死ぬ。
どこか遠くへ行こうと思った。
結局、そこに行き着いてしまう。
ただし、根無草のろくでなしなりに、いくつか、つけておきたいけじめがあった。
山ほど嘘をついた。
しかし、それだけは嘘にしてはいけないという考えから逃げられなかった。
―― 朝になったらエリーゼのパパとママに挨拶に行こう。
遅刻もいいところだった。
初めて昼間に小夜啼鳥の屋敷を訪ねた。
喪服に花束を携えて、黒いリボンのかかったリースの下がった門の前に立った。
地上から見れば、改めて、随分と立派な屋敷だ。
用向きを聞いてもらえれば有難いが、さて門前払いか、自警団を呼ばれるかと覚悟して、ハットを取って呼び鈴を鳴らした。
出てきた老齢の執事もまた、小鳥族の一種だった。
「どちらさまでしょう」
梟を見上げる顔に、隠しきれない怯えがある。そりゃそうだと気の毒に思いつつ、答えた。
「お嬢さんに縁があったものです。花を」
「……こちらへ」
意外なことに、執事は震え上がりながらも、応接に通してくれた。
大きく開かれた窓に招かれた風に、レースのカーテンが揺れている。青磁の壺に、白百合が活けられている。
部屋の調度はどれもよく手入れされたアンティークで、品の良さが滲んでいた。
しかし、全てが、フロックの感覚を混乱させるほど、こじんまりとしていた。
エリーゼの部屋も子供部屋のように感じていたのを思い出した。
今更ながら場違いさに気付かされて、主人を待たずに帰りたくなった。何を血迷って訪ねてしまったのだろうと、後悔しはじめていた。
しかし。
「まあ、まあ、あなた!」
取次がれてやってきた小夜啼鳥の老女は、彼を見るなり嬉しそうに声を上げた。
伸びやかなソプラノに、彼女がエリーゼの母だと知った。
「待っていましたよ、ふくろうさん。やっと、玄関から訪ねてきてくれましたね」
同じ小夜啼鳥の、丸い眼鏡を嘴の付け根に乗せた老人が、エリーゼの父だった。
「フロックといいます。お嬢さんと、お付き合いをしていました」
まるで罪を告白するような彼とは対照的に、老夫婦はにこやかに答えた。
「ふふ、存じ上げていますわ!」
「ええ、でも、確かにはじめましてと言うべきだった。私はミヒェルといいます。こちらは妻のカトリーン」
「お二人に、謝りに来ました。俺、お嬢さんに、無理をさせました」
フロックは立ったまま頭を下げた。
「どうぞおかけください。綺麗なお花だ。ありがとうございます。エリーゼが喜びますよ」
ミヒェルは花束を受け取って、控えていたメイドに、エリーゼの部屋に活けるようにと言いつけた。
「そんな顔をなさらないで? 私たち、ずっとあなたにお会いしたかったのです。でも、年頃の娘が紹介してくれないのに親が嘴を突っ込むのも、ねえ? 無粋じゃないですか」
カトリーンは冗談めかして笑い、重ねて椅子を勧めた。
「あら、これじゃフロックさんにはちいさいんじゃなくって? もっと大きいのを持ってこさせましょう!」
「……お気遣いなく」
ようやくフロックが椅子に身体を押し込むと、小夜啼鳥の老夫婦は向いの長椅子に並んで、歌いかけ合うように話しだした。
「フロックさん。確かに夜更かしは体に障りますが、私たちは、エリーゼが見つけた幸せを見守りたかったのです」
「エリーゼはね、夜になるとお部屋に鍵をかけてしまって。大切なお客様との時間、邪魔されたくなかったんでしょう」
夫婦は彼らの目から見た出来事を、明かし始める。
「私たちは出会うのが遅くて、卵もずっと孵らなかったんです。やっと授かったあの子を、どうにかして長らえたくて、あれこれ治療を受けさせてねえ……ずいぶん辛い思いを、させてしまいました」
「春ごろから、夜の眠りが浅くなってしまったようでね、可哀想で……でも、あの子、ふくろうさんが飛んでいるのを見つけたって言い出したんですよ。とっても気持ちよさそうって、羨ましそうでしたわねえ」
「よその人にむやみに声をかけちゃいけないよって、注意はしていたんですが」
「ふふ、聞く子ではなかったわね。ずうっとうちでお姫様扱いしたものですから、怖いもの知らずに育ってしまいました」
娘のことを言っているようで、カトリーンの自己紹介でもあるようだった。幼心のまま歳をとったような無邪気さに、エリーゼが重なった。
「その次は、せっせと押し花を作り始めたのに気付きました。それが、お花屋さんに頼んでいるものとは違う、野の花で。エリーゼは出歩かないのに、どこで見つけたんだろうって不思議でね。聞いても内緒だと言うんです」
「素敵な春のコレクション、全部綺麗にとってありますよ。それに、ほら、いつのまにか、お部屋にかわいらしいリスのぬいぐるみ!」
カトリーンは鈴を振るような声で笑う。
一方で、ミヒェルの表情はふと真面目になった。
「正直、気づいたときは、心臓が止まりそうになりましたよ。自警団に相談しようか、本気で悩んでね……結局、人に頼んで、あなたの身元を調べました。失礼をお許しください」
ミヒェルに頭を下げられて、フロックは立つ瀬がなかった。
「当たり前のご心配と思います」
「ご理解いただけると嬉しい。……私たちは本能的に、肉食の鳥族は怖いんです。でも、あなたの残していった気配は、どこまでも優しかった。エリーゼはあなたを信じきっていた。だから、私たちも信じることにしました。……間違っていなかった。そうでしょう?」
ミヒェルは眼鏡の奥の小さな目を、和らげた。
「エリーゼはね、ちいさいころから、たわいない曲を作っては、私たちに歌ってくれとせがみました。でも、あのころ、ずいぶん悩みながら、特別な曲を作りはじめていた。そちらはね、恥ずかしがって隠すんです。今も楽譜はあるんですが、そういうものは、たとえ親でも勝手に歌ってはいけませんから。あなたはお聴きになりましたか」
フロックが頷くと、夫婦は揃って笑みを深くした。
「よかった、エリーゼは歌えたんですね」
「ええ、恋の歌ですもの。好きなひとに聴いてもらって、やっと完成するんですわ!」
「ああ、本当に、よかったねえ……身体に恵まれなかった子でしたが、最期は微笑んで眠っていました。白い綺麗なお花を抱かせてもらって……あなたが看取ってくれたのでしょう?」
「申し訳ありません」
「責めていませんよ。きっとそれがエリーゼの望みだったんです。ありがとうございます」
どこまでも穏やかな夫婦だった。
彼らは、フロックよりもずっと長い間、エリーゼが生を受けたときから、愛して、守って、そして避けがたく訪れる別れの心づもりをしてきたのだ。
「エリーゼの魂と身体は、火と風に導かれて大いなるかたの御許に還りました。これだけどうか、あなたの側に」
カトリーンが小箱を差し出した。
中に入っていたのは、守石のペンダントだ。
その透明な魔力の結晶に封じられていたのは、一度きりでも確かに、風に抱かれて空を飛んだ、薄茶色の羽根だった。
「こちらから届けるのは、気が引けましてね。来てくれたら、お渡ししたいと思っていたのです」
「俺なんかが、いただいていいんですか」
「どうか。お若いあなたに、受け取ったのだからずっと義理立てしてくれなんて、言いません。ただ心の片隅に、ちいさなあの子の場所を残してやってもらえたら、それ以上嬉しいことはありません」
ミヒェルが言った。カトリーンは立ち上がって、フロックにペンダントの箱を預けた。短い翼でそっと、フロックの雨覆に触れた。
「傭兵さんなんでしょう、立派な身体……。隠れることなんてなかったんですわ。わたし、エリーゼとあなたが一緒にいる様子を見てみたかった。あの子、きっとたくさん甘えていたんでしょう。あなたみたいな頼もしいひとが、お婿さんに来てくれたら、嬉しかったんですけどねえ」
ミヒェルも立ち上がって、妻に寄り添った。
「おやめよ、カトリーン。フロックさんを困らせるばっかりだよ。エリーゼの大切な秘密だったんだ、あの子は私たちの手の中の、かわいいばっかりの雛じゃなくなっていたんだよ。巣立つことなんてないって諦めていたのにね。……嬉しいじゃないか」
「ええ、ええ、そうねミヒェル。フロックさん、エリーゼを愛してくれて、ありがとう。危ないお仕事でしょうけれど、どうかお気をつけて、長生きなさってね」
「……フロックさん、お喋りな老人に付き合わせて、すみませんね。来てくださって本当に、ありがとう」
顔を覆った翼の下から、フロックは声を絞った。
「違うんだ。……俺は、なにも、してやれなかった」
花をくれたのはリファリールだ。
フロックは嘘を並べて最後に甘い夢を見せた、それだけだ。
こうしてエリーゼの両親に会いに来たところで、約束した言葉は口にできなかった。
もういないエリーゼと結婚したかったなどと、今更、彼らに願えなかった。
全部、もう遅い。
ミヒェルは答えた。
「まさか。あなたは、エリーゼのために泣いてくださる。それで充分です」
屋敷を出て、黒のネクタイを抜いて、かわりにシャツの下にペンダントをつけた。チェーンも羽根の入ったトップも、ふわふわの羽毛に吸い込まれるように埋もれていった。
羽根の持ち主の、聴くものを魅了する囁きが、蘇る。
――これからずっと、一緒よ。
格好をつけてお嬢さんを射止めた、報いだった。
フロックは、この先一生、どこにいようがなにをしようが、エリーゼが好いてくれた『優しくて強いふくろうさん』だ。
「……死んでも逃しちゃくれないな」
望むところだと、彼は一人、クルクル喉を鳴らして、ハットを頭に乗せる。
真白く眩い夏の光の中、翼を広げて風を掴んだ。
救護室にやってきた黒服の梟を見て、医者はリファリールを振り返って言った。
「これ、僕いたほうがいいやつ?」
「俺はどっちでも構わないが」
フロックは言い添えたが、リファリールは首を横に振った。
「先生、少し外で話してきていいですか」
「……いってらっしゃい」
肩をすくめた医者に送り出された。
二人、ギルドの前のベンチに並んだ。
ハットの影からでも眩しい光に目を細めて、フロックは言った。
「ありがとう。あんたのおかげで、エリーゼはやりたかったことをやれたよ。多分、怖がらずに、幸せな気持ちの中で、逝った」
リファリールはしばらく首を傾げて、言葉を探すようだった。
「……わたし、なにもしてないです。エリーゼさんが幸せだったなら、それはフロックさんがいたからです」
「どうだろうなあ……」
フロックは翼の先で、自身の胸元を軽く叩く。
つけなければいけない、もうひとつのけじめ。
「俺はひどい真似をしたな。あんたみたいな子、夜中に連れ出して、脅し付けて、花を取って……ユールに蹴っ飛ばされても、文句言わないよ」
「ユールさんなら、知ってます」
リファリールは、小声で答えた。
「フロックさんに大切な人の治療を頼まれましたって言いました。上手くできなかったことも、花をあげたことも……ユールさん、怒ってないです。別にわたしも、怖くなかったです。フロックさんは、エリーゼさんを助けたいだけだって、わかってたから」
治療師の少女は、白いエプロンの膝を握りしめて、俯いていた。
「……治してあげられなくて、ごめんなさい」
フロックはその髪の奇跡の花を見つめていた。
いいんだとは、言ってやれなかった。
蜜ひとしずくであの効き目だ。
こんなところに無防備に咲いていていい代物ではなかった。
知ったらどんな手を使ってでも手に入れようとするものが、魔物と同じように際限なく湧くだろう。
フロックも、もっと早く知っていたら、さらに残酷な仕打ちをしなかったとは言えなかった。
彼女は、この先も、強すぎる力のために、身勝手なものの願いに巻き込まれて苦しむのだろう。
「……俺なんかもう信用できないだろうが、困ったことがあったら、言ってくれ。受けた恩は返すことにしてる」
リファリールは顔を上げた。
「あのとき、ユールさんを運んでくれて、ありがとうございます。フロックさんの風の魔力が残ってて、おかげで、ユールさんはまだ息をしてました」
「……ああ、ありゃダメだと思ったけどな」
「フロックさんの大切な人を助けられなかったのに勝手だと、思いますけど。お願い、これからも、ユールさんを助けてあげてください」
フロックは罪滅ぼしに請け負った。
「ああ、約束するよ。俺がいる間は、あいつは死なせてやらないよ」
無鉄砲の黒山羊ユールも、惚れた女を守りたいなら、おちおち死んでいられないというものだ。
梟族の傭兵、フロックの胸にはいつも、薄茶色の羽根が入った守石のペンダントが下がっている。
心底惚れた女の形見だ。
朝も昼も夜も。どんなときでも。
ペンダントはふかふかの羽毛に沈んで、彼の鼓動を、聴いている。
番外編「エリーゼのために」
おしまい
日の光が前以上に厭わしくて、しかし夜になっても飛ぶ気になれない。
ぷつんと糸が切れてしまったような感覚だった。
さみしがりのちいさな小鳥が、風来坊の梟の脚に結えた糸。
結ばれた時こそ煩わしかった。
機嫌よく過ごしているようで、ひととの関係が強く絡みはじめると、衝動的に振り捨ててしまう性分だった。
縛られたら、飛べなくなると思っていた。
それが、エリーゼとの繋がりだけは、枷ではなく拠り所になっていた。
結婚なんて口にしては、一生忘れられなくなるのはわかりきっていたのに、言わずにいられなかった。なにより大切にしてきた自由を捨てて、やれるものなら命までやりたいと思った女だった。
なのに、断ち切れてしまった。
あまりの喪失感に茫然としていた。
自由どころか、自分はこうなりたくなくて、逃げ続けていたのだと気づいた。
このままでは、生きたまま死ぬ。
どこか遠くへ行こうと思った。
結局、そこに行き着いてしまう。
ただし、根無草のろくでなしなりに、いくつか、つけておきたいけじめがあった。
山ほど嘘をついた。
しかし、それだけは嘘にしてはいけないという考えから逃げられなかった。
―― 朝になったらエリーゼのパパとママに挨拶に行こう。
遅刻もいいところだった。
初めて昼間に小夜啼鳥の屋敷を訪ねた。
喪服に花束を携えて、黒いリボンのかかったリースの下がった門の前に立った。
地上から見れば、改めて、随分と立派な屋敷だ。
用向きを聞いてもらえれば有難いが、さて門前払いか、自警団を呼ばれるかと覚悟して、ハットを取って呼び鈴を鳴らした。
出てきた老齢の執事もまた、小鳥族の一種だった。
「どちらさまでしょう」
梟を見上げる顔に、隠しきれない怯えがある。そりゃそうだと気の毒に思いつつ、答えた。
「お嬢さんに縁があったものです。花を」
「……こちらへ」
意外なことに、執事は震え上がりながらも、応接に通してくれた。
大きく開かれた窓に招かれた風に、レースのカーテンが揺れている。青磁の壺に、白百合が活けられている。
部屋の調度はどれもよく手入れされたアンティークで、品の良さが滲んでいた。
しかし、全てが、フロックの感覚を混乱させるほど、こじんまりとしていた。
エリーゼの部屋も子供部屋のように感じていたのを思い出した。
今更ながら場違いさに気付かされて、主人を待たずに帰りたくなった。何を血迷って訪ねてしまったのだろうと、後悔しはじめていた。
しかし。
「まあ、まあ、あなた!」
取次がれてやってきた小夜啼鳥の老女は、彼を見るなり嬉しそうに声を上げた。
伸びやかなソプラノに、彼女がエリーゼの母だと知った。
「待っていましたよ、ふくろうさん。やっと、玄関から訪ねてきてくれましたね」
同じ小夜啼鳥の、丸い眼鏡を嘴の付け根に乗せた老人が、エリーゼの父だった。
「フロックといいます。お嬢さんと、お付き合いをしていました」
まるで罪を告白するような彼とは対照的に、老夫婦はにこやかに答えた。
「ふふ、存じ上げていますわ!」
「ええ、でも、確かにはじめましてと言うべきだった。私はミヒェルといいます。こちらは妻のカトリーン」
「お二人に、謝りに来ました。俺、お嬢さんに、無理をさせました」
フロックは立ったまま頭を下げた。
「どうぞおかけください。綺麗なお花だ。ありがとうございます。エリーゼが喜びますよ」
ミヒェルは花束を受け取って、控えていたメイドに、エリーゼの部屋に活けるようにと言いつけた。
「そんな顔をなさらないで? 私たち、ずっとあなたにお会いしたかったのです。でも、年頃の娘が紹介してくれないのに親が嘴を突っ込むのも、ねえ? 無粋じゃないですか」
カトリーンは冗談めかして笑い、重ねて椅子を勧めた。
「あら、これじゃフロックさんにはちいさいんじゃなくって? もっと大きいのを持ってこさせましょう!」
「……お気遣いなく」
ようやくフロックが椅子に身体を押し込むと、小夜啼鳥の老夫婦は向いの長椅子に並んで、歌いかけ合うように話しだした。
「フロックさん。確かに夜更かしは体に障りますが、私たちは、エリーゼが見つけた幸せを見守りたかったのです」
「エリーゼはね、夜になるとお部屋に鍵をかけてしまって。大切なお客様との時間、邪魔されたくなかったんでしょう」
夫婦は彼らの目から見た出来事を、明かし始める。
「私たちは出会うのが遅くて、卵もずっと孵らなかったんです。やっと授かったあの子を、どうにかして長らえたくて、あれこれ治療を受けさせてねえ……ずいぶん辛い思いを、させてしまいました」
「春ごろから、夜の眠りが浅くなってしまったようでね、可哀想で……でも、あの子、ふくろうさんが飛んでいるのを見つけたって言い出したんですよ。とっても気持ちよさそうって、羨ましそうでしたわねえ」
「よその人にむやみに声をかけちゃいけないよって、注意はしていたんですが」
「ふふ、聞く子ではなかったわね。ずうっとうちでお姫様扱いしたものですから、怖いもの知らずに育ってしまいました」
娘のことを言っているようで、カトリーンの自己紹介でもあるようだった。幼心のまま歳をとったような無邪気さに、エリーゼが重なった。
「その次は、せっせと押し花を作り始めたのに気付きました。それが、お花屋さんに頼んでいるものとは違う、野の花で。エリーゼは出歩かないのに、どこで見つけたんだろうって不思議でね。聞いても内緒だと言うんです」
「素敵な春のコレクション、全部綺麗にとってありますよ。それに、ほら、いつのまにか、お部屋にかわいらしいリスのぬいぐるみ!」
カトリーンは鈴を振るような声で笑う。
一方で、ミヒェルの表情はふと真面目になった。
「正直、気づいたときは、心臓が止まりそうになりましたよ。自警団に相談しようか、本気で悩んでね……結局、人に頼んで、あなたの身元を調べました。失礼をお許しください」
ミヒェルに頭を下げられて、フロックは立つ瀬がなかった。
「当たり前のご心配と思います」
「ご理解いただけると嬉しい。……私たちは本能的に、肉食の鳥族は怖いんです。でも、あなたの残していった気配は、どこまでも優しかった。エリーゼはあなたを信じきっていた。だから、私たちも信じることにしました。……間違っていなかった。そうでしょう?」
ミヒェルは眼鏡の奥の小さな目を、和らげた。
「エリーゼはね、ちいさいころから、たわいない曲を作っては、私たちに歌ってくれとせがみました。でも、あのころ、ずいぶん悩みながら、特別な曲を作りはじめていた。そちらはね、恥ずかしがって隠すんです。今も楽譜はあるんですが、そういうものは、たとえ親でも勝手に歌ってはいけませんから。あなたはお聴きになりましたか」
フロックが頷くと、夫婦は揃って笑みを深くした。
「よかった、エリーゼは歌えたんですね」
「ええ、恋の歌ですもの。好きなひとに聴いてもらって、やっと完成するんですわ!」
「ああ、本当に、よかったねえ……身体に恵まれなかった子でしたが、最期は微笑んで眠っていました。白い綺麗なお花を抱かせてもらって……あなたが看取ってくれたのでしょう?」
「申し訳ありません」
「責めていませんよ。きっとそれがエリーゼの望みだったんです。ありがとうございます」
どこまでも穏やかな夫婦だった。
彼らは、フロックよりもずっと長い間、エリーゼが生を受けたときから、愛して、守って、そして避けがたく訪れる別れの心づもりをしてきたのだ。
「エリーゼの魂と身体は、火と風に導かれて大いなるかたの御許に還りました。これだけどうか、あなたの側に」
カトリーンが小箱を差し出した。
中に入っていたのは、守石のペンダントだ。
その透明な魔力の結晶に封じられていたのは、一度きりでも確かに、風に抱かれて空を飛んだ、薄茶色の羽根だった。
「こちらから届けるのは、気が引けましてね。来てくれたら、お渡ししたいと思っていたのです」
「俺なんかが、いただいていいんですか」
「どうか。お若いあなたに、受け取ったのだからずっと義理立てしてくれなんて、言いません。ただ心の片隅に、ちいさなあの子の場所を残してやってもらえたら、それ以上嬉しいことはありません」
ミヒェルが言った。カトリーンは立ち上がって、フロックにペンダントの箱を預けた。短い翼でそっと、フロックの雨覆に触れた。
「傭兵さんなんでしょう、立派な身体……。隠れることなんてなかったんですわ。わたし、エリーゼとあなたが一緒にいる様子を見てみたかった。あの子、きっとたくさん甘えていたんでしょう。あなたみたいな頼もしいひとが、お婿さんに来てくれたら、嬉しかったんですけどねえ」
ミヒェルも立ち上がって、妻に寄り添った。
「おやめよ、カトリーン。フロックさんを困らせるばっかりだよ。エリーゼの大切な秘密だったんだ、あの子は私たちの手の中の、かわいいばっかりの雛じゃなくなっていたんだよ。巣立つことなんてないって諦めていたのにね。……嬉しいじゃないか」
「ええ、ええ、そうねミヒェル。フロックさん、エリーゼを愛してくれて、ありがとう。危ないお仕事でしょうけれど、どうかお気をつけて、長生きなさってね」
「……フロックさん、お喋りな老人に付き合わせて、すみませんね。来てくださって本当に、ありがとう」
顔を覆った翼の下から、フロックは声を絞った。
「違うんだ。……俺は、なにも、してやれなかった」
花をくれたのはリファリールだ。
フロックは嘘を並べて最後に甘い夢を見せた、それだけだ。
こうしてエリーゼの両親に会いに来たところで、約束した言葉は口にできなかった。
もういないエリーゼと結婚したかったなどと、今更、彼らに願えなかった。
全部、もう遅い。
ミヒェルは答えた。
「まさか。あなたは、エリーゼのために泣いてくださる。それで充分です」
屋敷を出て、黒のネクタイを抜いて、かわりにシャツの下にペンダントをつけた。チェーンも羽根の入ったトップも、ふわふわの羽毛に吸い込まれるように埋もれていった。
羽根の持ち主の、聴くものを魅了する囁きが、蘇る。
――これからずっと、一緒よ。
格好をつけてお嬢さんを射止めた、報いだった。
フロックは、この先一生、どこにいようがなにをしようが、エリーゼが好いてくれた『優しくて強いふくろうさん』だ。
「……死んでも逃しちゃくれないな」
望むところだと、彼は一人、クルクル喉を鳴らして、ハットを頭に乗せる。
真白く眩い夏の光の中、翼を広げて風を掴んだ。
救護室にやってきた黒服の梟を見て、医者はリファリールを振り返って言った。
「これ、僕いたほうがいいやつ?」
「俺はどっちでも構わないが」
フロックは言い添えたが、リファリールは首を横に振った。
「先生、少し外で話してきていいですか」
「……いってらっしゃい」
肩をすくめた医者に送り出された。
二人、ギルドの前のベンチに並んだ。
ハットの影からでも眩しい光に目を細めて、フロックは言った。
「ありがとう。あんたのおかげで、エリーゼはやりたかったことをやれたよ。多分、怖がらずに、幸せな気持ちの中で、逝った」
リファリールはしばらく首を傾げて、言葉を探すようだった。
「……わたし、なにもしてないです。エリーゼさんが幸せだったなら、それはフロックさんがいたからです」
「どうだろうなあ……」
フロックは翼の先で、自身の胸元を軽く叩く。
つけなければいけない、もうひとつのけじめ。
「俺はひどい真似をしたな。あんたみたいな子、夜中に連れ出して、脅し付けて、花を取って……ユールに蹴っ飛ばされても、文句言わないよ」
「ユールさんなら、知ってます」
リファリールは、小声で答えた。
「フロックさんに大切な人の治療を頼まれましたって言いました。上手くできなかったことも、花をあげたことも……ユールさん、怒ってないです。別にわたしも、怖くなかったです。フロックさんは、エリーゼさんを助けたいだけだって、わかってたから」
治療師の少女は、白いエプロンの膝を握りしめて、俯いていた。
「……治してあげられなくて、ごめんなさい」
フロックはその髪の奇跡の花を見つめていた。
いいんだとは、言ってやれなかった。
蜜ひとしずくであの効き目だ。
こんなところに無防備に咲いていていい代物ではなかった。
知ったらどんな手を使ってでも手に入れようとするものが、魔物と同じように際限なく湧くだろう。
フロックも、もっと早く知っていたら、さらに残酷な仕打ちをしなかったとは言えなかった。
彼女は、この先も、強すぎる力のために、身勝手なものの願いに巻き込まれて苦しむのだろう。
「……俺なんかもう信用できないだろうが、困ったことがあったら、言ってくれ。受けた恩は返すことにしてる」
リファリールは顔を上げた。
「あのとき、ユールさんを運んでくれて、ありがとうございます。フロックさんの風の魔力が残ってて、おかげで、ユールさんはまだ息をしてました」
「……ああ、ありゃダメだと思ったけどな」
「フロックさんの大切な人を助けられなかったのに勝手だと、思いますけど。お願い、これからも、ユールさんを助けてあげてください」
フロックは罪滅ぼしに請け負った。
「ああ、約束するよ。俺がいる間は、あいつは死なせてやらないよ」
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梟族の傭兵、フロックの胸にはいつも、薄茶色の羽根が入った守石のペンダントが下がっている。
心底惚れた女の形見だ。
朝も昼も夜も。どんなときでも。
ペンダントはふかふかの羽毛に沈んで、彼の鼓動を、聴いている。
番外編「エリーゼのために」
おしまい
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【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
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