22 / 52
★番外編 エリーゼのために③
しおりを挟む
フロックは数日、腑抜けて過ごした。
日の光が前以上に厭わしくて、しかし夜になっても飛ぶ気になれない。
ぷつんと糸が切れてしまったような感覚だった。
さみしがりのちいさな小鳥が、風来坊の梟の脚に結えた糸。
結ばれた時こそ煩わしかった。
機嫌よく過ごしているようで、ひととの関係が強く絡みはじめると、衝動的に振り捨ててしまう性分だった。
縛られたら、飛べなくなると思っていた。
それが、エリーゼとの繋がりだけは、枷ではなく拠り所になっていた。
結婚なんて口にしては、一生忘れられなくなるのはわかりきっていたのに、言わずにいられなかった。なにより大切にしてきた自由を捨てて、やれるものなら命までやりたいと思った女だった。
なのに、断ち切れてしまった。
あまりの喪失感に茫然としていた。
自由どころか、自分はこうなりたくなくて、逃げ続けていたのだと気づいた。
このままでは、生きたまま死ぬ。
どこか遠くへ行こうと思った。
結局、そこに行き着いてしまう。
ただし、根無草のろくでなしなりに、いくつか、つけておきたいけじめがあった。
山ほど嘘をついた。
しかし、それだけは嘘にしてはいけないという考えから逃げられなかった。
―― 朝になったらエリーゼのパパとママに挨拶に行こう。
遅刻もいいところだった。
初めて昼間に小夜啼鳥の屋敷を訪ねた。
喪服に花束を携えて、黒いリボンのかかったリースの下がった門の前に立った。
地上から見れば、改めて、随分と立派な屋敷だ。
用向きを聞いてもらえれば有難いが、さて門前払いか、自警団を呼ばれるかと覚悟して、ハットを取って呼び鈴を鳴らした。
出てきた老齢の執事もまた、小鳥族の一種だった。
「どちらさまでしょう」
梟を見上げる顔に、隠しきれない怯えがある。そりゃそうだと気の毒に思いつつ、答えた。
「お嬢さんに縁があったものです。花を」
「……こちらへ」
意外なことに、執事は震え上がりながらも、応接に通してくれた。
大きく開かれた窓に招かれた風に、レースのカーテンが揺れている。青磁の壺に、白百合が活けられている。
部屋の調度はどれもよく手入れされたアンティークで、品の良さが滲んでいた。
しかし、全てが、フロックの感覚を混乱させるほど、こじんまりとしていた。
エリーゼの部屋も子供部屋のように感じていたのを思い出した。
今更ながら場違いさに気付かされて、主人を待たずに帰りたくなった。何を血迷って訪ねてしまったのだろうと、後悔しはじめていた。
しかし。
「まあ、まあ、あなた!」
取次がれてやってきた小夜啼鳥の老女は、彼を見るなり嬉しそうに声を上げた。
伸びやかなソプラノに、彼女がエリーゼの母だと知った。
「待っていましたよ、ふくろうさん。やっと、玄関から訪ねてきてくれましたね」
同じ小夜啼鳥の、丸い眼鏡を嘴の付け根に乗せた老人が、エリーゼの父だった。
「フロックといいます。お嬢さんと、お付き合いをしていました」
まるで罪を告白するような彼とは対照的に、老夫婦はにこやかに答えた。
「ふふ、存じ上げていますわ!」
「ええ、でも、確かにはじめましてと言うべきだった。私はミヒェルといいます。こちらは妻のカトリーン」
「お二人に、謝りに来ました。俺、お嬢さんに、無理をさせました」
フロックは立ったまま頭を下げた。
「どうぞおかけください。綺麗なお花だ。ありがとうございます。エリーゼが喜びますよ」
ミヒェルは花束を受け取って、控えていたメイドに、エリーゼの部屋に活けるようにと言いつけた。
「そんな顔をなさらないで? 私たち、ずっとあなたにお会いしたかったのです。でも、年頃の娘が紹介してくれないのに親が嘴を突っ込むのも、ねえ? 無粋じゃないですか」
カトリーンは冗談めかして笑い、重ねて椅子を勧めた。
「あら、これじゃフロックさんにはちいさいんじゃなくって? もっと大きいのを持ってこさせましょう!」
「……お気遣いなく」
ようやくフロックが椅子に身体を押し込むと、小夜啼鳥の老夫婦は向いの長椅子に並んで、歌いかけ合うように話しだした。
「フロックさん。確かに夜更かしは体に障りますが、私たちは、エリーゼが見つけた幸せを見守りたかったのです」
「エリーゼはね、夜になるとお部屋に鍵をかけてしまって。大切なお客様との時間、邪魔されたくなかったんでしょう」
夫婦は彼らの目から見た出来事を、明かし始める。
「私たちは出会うのが遅くて、卵もずっと孵らなかったんです。やっと授かったあの子を、どうにかして長らえたくて、あれこれ治療を受けさせてねえ……ずいぶん辛い思いを、させてしまいました」
「春ごろから、夜の眠りが浅くなってしまったようでね、可哀想で……でも、あの子、ふくろうさんが飛んでいるのを見つけたって言い出したんですよ。とっても気持ちよさそうって、羨ましそうでしたわねえ」
「よその人にむやみに声をかけちゃいけないよって、注意はしていたんですが」
「ふふ、聞く子ではなかったわね。ずうっとうちでお姫様扱いしたものですから、怖いもの知らずに育ってしまいました」
娘のことを言っているようで、カトリーンの自己紹介でもあるようだった。幼心のまま歳をとったような無邪気さに、エリーゼが重なった。
「その次は、せっせと押し花を作り始めたのに気付きました。それが、お花屋さんに頼んでいるものとは違う、野の花で。エリーゼは出歩かないのに、どこで見つけたんだろうって不思議でね。聞いても内緒だと言うんです」
「素敵な春のコレクション、全部綺麗にとってありますよ。それに、ほら、いつのまにか、お部屋にかわいらしいリスのぬいぐるみ!」
カトリーンは鈴を振るような声で笑う。
一方で、ミヒェルの表情はふと真面目になった。
「正直、気づいたときは、心臓が止まりそうになりましたよ。自警団に相談しようか、本気で悩んでね……結局、人に頼んで、あなたの身元を調べました。失礼をお許しください」
ミヒェルに頭を下げられて、フロックは立つ瀬がなかった。
「当たり前のご心配と思います」
「ご理解いただけると嬉しい。……私たちは本能的に、肉食の鳥族は怖いんです。でも、あなたの残していった気配は、どこまでも優しかった。エリーゼはあなたを信じきっていた。だから、私たちも信じることにしました。……間違っていなかった。そうでしょう?」
ミヒェルは眼鏡の奥の小さな目を、和らげた。
「エリーゼはね、ちいさいころから、たわいない曲を作っては、私たちに歌ってくれとせがみました。でも、あのころ、ずいぶん悩みながら、特別な曲を作りはじめていた。そちらはね、恥ずかしがって隠すんです。今も楽譜はあるんですが、そういうものは、たとえ親でも勝手に歌ってはいけませんから。あなたはお聴きになりましたか」
フロックが頷くと、夫婦は揃って笑みを深くした。
「よかった、エリーゼは歌えたんですね」
「ええ、恋の歌ですもの。好きなひとに聴いてもらって、やっと完成するんですわ!」
「ああ、本当に、よかったねえ……身体に恵まれなかった子でしたが、最期は微笑んで眠っていました。白い綺麗なお花を抱かせてもらって……あなたが看取ってくれたのでしょう?」
「申し訳ありません」
「責めていませんよ。きっとそれがエリーゼの望みだったんです。ありがとうございます」
どこまでも穏やかな夫婦だった。
彼らは、フロックよりもずっと長い間、エリーゼが生を受けたときから、愛して、守って、そして避けがたく訪れる別れの心づもりをしてきたのだ。
「エリーゼの魂と身体は、火と風に導かれて大いなるかたの御許に還りました。これだけどうか、あなたの側に」
カトリーンが小箱を差し出した。
中に入っていたのは、守石のペンダントだ。
その透明な魔力の結晶に封じられていたのは、一度きりでも確かに、風に抱かれて空を飛んだ、薄茶色の羽根だった。
「こちらから届けるのは、気が引けましてね。来てくれたら、お渡ししたいと思っていたのです」
「俺なんかが、いただいていいんですか」
「どうか。お若いあなたに、受け取ったのだからずっと義理立てしてくれなんて、言いません。ただ心の片隅に、ちいさなあの子の場所を残してやってもらえたら、それ以上嬉しいことはありません」
ミヒェルが言った。カトリーンは立ち上がって、フロックにペンダントの箱を預けた。短い翼でそっと、フロックの雨覆に触れた。
「傭兵さんなんでしょう、立派な身体……。隠れることなんてなかったんですわ。わたし、エリーゼとあなたが一緒にいる様子を見てみたかった。あの子、きっとたくさん甘えていたんでしょう。あなたみたいな頼もしいひとが、お婿さんに来てくれたら、嬉しかったんですけどねえ」
ミヒェルも立ち上がって、妻に寄り添った。
「おやめよ、カトリーン。フロックさんを困らせるばっかりだよ。エリーゼの大切な秘密だったんだ、あの子は私たちの手の中の、かわいいばっかりの雛じゃなくなっていたんだよ。巣立つことなんてないって諦めていたのにね。……嬉しいじゃないか」
「ええ、ええ、そうねミヒェル。フロックさん、エリーゼを愛してくれて、ありがとう。危ないお仕事でしょうけれど、どうかお気をつけて、長生きなさってね」
「……フロックさん、お喋りな老人に付き合わせて、すみませんね。来てくださって本当に、ありがとう」
顔を覆った翼の下から、フロックは声を絞った。
「違うんだ。……俺は、なにも、してやれなかった」
花をくれたのはリファリールだ。
フロックは嘘を並べて最後に甘い夢を見せた、それだけだ。
こうしてエリーゼの両親に会いに来たところで、約束した言葉は口にできなかった。
もういないエリーゼと結婚したかったなどと、今更、彼らに願えなかった。
全部、もう遅い。
ミヒェルは答えた。
「まさか。あなたは、エリーゼのために泣いてくださる。それで充分です」
屋敷を出て、黒のネクタイを抜いて、かわりにシャツの下にペンダントをつけた。チェーンも羽根の入ったトップも、ふわふわの羽毛に吸い込まれるように埋もれていった。
羽根の持ち主の、聴くものを魅了する囁きが、蘇る。
――これからずっと、一緒よ。
格好をつけてお嬢さんを射止めた、報いだった。
フロックは、この先一生、どこにいようがなにをしようが、エリーゼが好いてくれた『優しくて強いふくろうさん』だ。
「……死んでも逃しちゃくれないな」
望むところだと、彼は一人、クルクル喉を鳴らして、ハットを頭に乗せる。
真白く眩い夏の光の中、翼を広げて風を掴んだ。
救護室にやってきた黒服の梟を見て、医者はリファリールを振り返って言った。
「これ、僕いたほうがいいやつ?」
「俺はどっちでも構わないが」
フロックは言い添えたが、リファリールは首を横に振った。
「先生、少し外で話してきていいですか」
「……いってらっしゃい」
肩をすくめた医者に送り出された。
二人、ギルドの前のベンチに並んだ。
ハットの影からでも眩しい光に目を細めて、フロックは言った。
「ありがとう。あんたのおかげで、エリーゼはやりたかったことをやれたよ。多分、怖がらずに、幸せな気持ちの中で、逝った」
リファリールはしばらく首を傾げて、言葉を探すようだった。
「……わたし、なにもしてないです。エリーゼさんが幸せだったなら、それはフロックさんがいたからです」
「どうだろうなあ……」
フロックは翼の先で、自身の胸元を軽く叩く。
つけなければいけない、もうひとつのけじめ。
「俺はひどい真似をしたな。あんたみたいな子、夜中に連れ出して、脅し付けて、花を取って……ユールに蹴っ飛ばされても、文句言わないよ」
「ユールさんなら、知ってます」
リファリールは、小声で答えた。
「フロックさんに大切な人の治療を頼まれましたって言いました。上手くできなかったことも、花をあげたことも……ユールさん、怒ってないです。別にわたしも、怖くなかったです。フロックさんは、エリーゼさんを助けたいだけだって、わかってたから」
治療師の少女は、白いエプロンの膝を握りしめて、俯いていた。
「……治してあげられなくて、ごめんなさい」
フロックはその髪の奇跡の花を見つめていた。
いいんだとは、言ってやれなかった。
蜜ひとしずくであの効き目だ。
こんなところに無防備に咲いていていい代物ではなかった。
知ったらどんな手を使ってでも手に入れようとするものが、魔物と同じように際限なく湧くだろう。
フロックも、もっと早く知っていたら、さらに残酷な仕打ちをしなかったとは言えなかった。
彼女は、この先も、強すぎる力のために、身勝手なものの願いに巻き込まれて苦しむのだろう。
「……俺なんかもう信用できないだろうが、困ったことがあったら、言ってくれ。受けた恩は返すことにしてる」
リファリールは顔を上げた。
「あのとき、ユールさんを運んでくれて、ありがとうございます。フロックさんの風の魔力が残ってて、おかげで、ユールさんはまだ息をしてました」
「……ああ、ありゃダメだと思ったけどな」
「フロックさんの大切な人を助けられなかったのに勝手だと、思いますけど。お願い、これからも、ユールさんを助けてあげてください」
フロックは罪滅ぼしに請け負った。
「ああ、約束するよ。俺がいる間は、あいつは死なせてやらないよ」
無鉄砲の黒山羊ユールも、惚れた女を守りたいなら、おちおち死んでいられないというものだ。
梟族の傭兵、フロックの胸にはいつも、薄茶色の羽根が入った守石のペンダントが下がっている。
心底惚れた女の形見だ。
朝も昼も夜も。どんなときでも。
ペンダントはふかふかの羽毛に沈んで、彼の鼓動を、聴いている。
番外編「エリーゼのために」
おしまい
日の光が前以上に厭わしくて、しかし夜になっても飛ぶ気になれない。
ぷつんと糸が切れてしまったような感覚だった。
さみしがりのちいさな小鳥が、風来坊の梟の脚に結えた糸。
結ばれた時こそ煩わしかった。
機嫌よく過ごしているようで、ひととの関係が強く絡みはじめると、衝動的に振り捨ててしまう性分だった。
縛られたら、飛べなくなると思っていた。
それが、エリーゼとの繋がりだけは、枷ではなく拠り所になっていた。
結婚なんて口にしては、一生忘れられなくなるのはわかりきっていたのに、言わずにいられなかった。なにより大切にしてきた自由を捨てて、やれるものなら命までやりたいと思った女だった。
なのに、断ち切れてしまった。
あまりの喪失感に茫然としていた。
自由どころか、自分はこうなりたくなくて、逃げ続けていたのだと気づいた。
このままでは、生きたまま死ぬ。
どこか遠くへ行こうと思った。
結局、そこに行き着いてしまう。
ただし、根無草のろくでなしなりに、いくつか、つけておきたいけじめがあった。
山ほど嘘をついた。
しかし、それだけは嘘にしてはいけないという考えから逃げられなかった。
―― 朝になったらエリーゼのパパとママに挨拶に行こう。
遅刻もいいところだった。
初めて昼間に小夜啼鳥の屋敷を訪ねた。
喪服に花束を携えて、黒いリボンのかかったリースの下がった門の前に立った。
地上から見れば、改めて、随分と立派な屋敷だ。
用向きを聞いてもらえれば有難いが、さて門前払いか、自警団を呼ばれるかと覚悟して、ハットを取って呼び鈴を鳴らした。
出てきた老齢の執事もまた、小鳥族の一種だった。
「どちらさまでしょう」
梟を見上げる顔に、隠しきれない怯えがある。そりゃそうだと気の毒に思いつつ、答えた。
「お嬢さんに縁があったものです。花を」
「……こちらへ」
意外なことに、執事は震え上がりながらも、応接に通してくれた。
大きく開かれた窓に招かれた風に、レースのカーテンが揺れている。青磁の壺に、白百合が活けられている。
部屋の調度はどれもよく手入れされたアンティークで、品の良さが滲んでいた。
しかし、全てが、フロックの感覚を混乱させるほど、こじんまりとしていた。
エリーゼの部屋も子供部屋のように感じていたのを思い出した。
今更ながら場違いさに気付かされて、主人を待たずに帰りたくなった。何を血迷って訪ねてしまったのだろうと、後悔しはじめていた。
しかし。
「まあ、まあ、あなた!」
取次がれてやってきた小夜啼鳥の老女は、彼を見るなり嬉しそうに声を上げた。
伸びやかなソプラノに、彼女がエリーゼの母だと知った。
「待っていましたよ、ふくろうさん。やっと、玄関から訪ねてきてくれましたね」
同じ小夜啼鳥の、丸い眼鏡を嘴の付け根に乗せた老人が、エリーゼの父だった。
「フロックといいます。お嬢さんと、お付き合いをしていました」
まるで罪を告白するような彼とは対照的に、老夫婦はにこやかに答えた。
「ふふ、存じ上げていますわ!」
「ええ、でも、確かにはじめましてと言うべきだった。私はミヒェルといいます。こちらは妻のカトリーン」
「お二人に、謝りに来ました。俺、お嬢さんに、無理をさせました」
フロックは立ったまま頭を下げた。
「どうぞおかけください。綺麗なお花だ。ありがとうございます。エリーゼが喜びますよ」
ミヒェルは花束を受け取って、控えていたメイドに、エリーゼの部屋に活けるようにと言いつけた。
「そんな顔をなさらないで? 私たち、ずっとあなたにお会いしたかったのです。でも、年頃の娘が紹介してくれないのに親が嘴を突っ込むのも、ねえ? 無粋じゃないですか」
カトリーンは冗談めかして笑い、重ねて椅子を勧めた。
「あら、これじゃフロックさんにはちいさいんじゃなくって? もっと大きいのを持ってこさせましょう!」
「……お気遣いなく」
ようやくフロックが椅子に身体を押し込むと、小夜啼鳥の老夫婦は向いの長椅子に並んで、歌いかけ合うように話しだした。
「フロックさん。確かに夜更かしは体に障りますが、私たちは、エリーゼが見つけた幸せを見守りたかったのです」
「エリーゼはね、夜になるとお部屋に鍵をかけてしまって。大切なお客様との時間、邪魔されたくなかったんでしょう」
夫婦は彼らの目から見た出来事を、明かし始める。
「私たちは出会うのが遅くて、卵もずっと孵らなかったんです。やっと授かったあの子を、どうにかして長らえたくて、あれこれ治療を受けさせてねえ……ずいぶん辛い思いを、させてしまいました」
「春ごろから、夜の眠りが浅くなってしまったようでね、可哀想で……でも、あの子、ふくろうさんが飛んでいるのを見つけたって言い出したんですよ。とっても気持ちよさそうって、羨ましそうでしたわねえ」
「よその人にむやみに声をかけちゃいけないよって、注意はしていたんですが」
「ふふ、聞く子ではなかったわね。ずうっとうちでお姫様扱いしたものですから、怖いもの知らずに育ってしまいました」
娘のことを言っているようで、カトリーンの自己紹介でもあるようだった。幼心のまま歳をとったような無邪気さに、エリーゼが重なった。
「その次は、せっせと押し花を作り始めたのに気付きました。それが、お花屋さんに頼んでいるものとは違う、野の花で。エリーゼは出歩かないのに、どこで見つけたんだろうって不思議でね。聞いても内緒だと言うんです」
「素敵な春のコレクション、全部綺麗にとってありますよ。それに、ほら、いつのまにか、お部屋にかわいらしいリスのぬいぐるみ!」
カトリーンは鈴を振るような声で笑う。
一方で、ミヒェルの表情はふと真面目になった。
「正直、気づいたときは、心臓が止まりそうになりましたよ。自警団に相談しようか、本気で悩んでね……結局、人に頼んで、あなたの身元を調べました。失礼をお許しください」
ミヒェルに頭を下げられて、フロックは立つ瀬がなかった。
「当たり前のご心配と思います」
「ご理解いただけると嬉しい。……私たちは本能的に、肉食の鳥族は怖いんです。でも、あなたの残していった気配は、どこまでも優しかった。エリーゼはあなたを信じきっていた。だから、私たちも信じることにしました。……間違っていなかった。そうでしょう?」
ミヒェルは眼鏡の奥の小さな目を、和らげた。
「エリーゼはね、ちいさいころから、たわいない曲を作っては、私たちに歌ってくれとせがみました。でも、あのころ、ずいぶん悩みながら、特別な曲を作りはじめていた。そちらはね、恥ずかしがって隠すんです。今も楽譜はあるんですが、そういうものは、たとえ親でも勝手に歌ってはいけませんから。あなたはお聴きになりましたか」
フロックが頷くと、夫婦は揃って笑みを深くした。
「よかった、エリーゼは歌えたんですね」
「ええ、恋の歌ですもの。好きなひとに聴いてもらって、やっと完成するんですわ!」
「ああ、本当に、よかったねえ……身体に恵まれなかった子でしたが、最期は微笑んで眠っていました。白い綺麗なお花を抱かせてもらって……あなたが看取ってくれたのでしょう?」
「申し訳ありません」
「責めていませんよ。きっとそれがエリーゼの望みだったんです。ありがとうございます」
どこまでも穏やかな夫婦だった。
彼らは、フロックよりもずっと長い間、エリーゼが生を受けたときから、愛して、守って、そして避けがたく訪れる別れの心づもりをしてきたのだ。
「エリーゼの魂と身体は、火と風に導かれて大いなるかたの御許に還りました。これだけどうか、あなたの側に」
カトリーンが小箱を差し出した。
中に入っていたのは、守石のペンダントだ。
その透明な魔力の結晶に封じられていたのは、一度きりでも確かに、風に抱かれて空を飛んだ、薄茶色の羽根だった。
「こちらから届けるのは、気が引けましてね。来てくれたら、お渡ししたいと思っていたのです」
「俺なんかが、いただいていいんですか」
「どうか。お若いあなたに、受け取ったのだからずっと義理立てしてくれなんて、言いません。ただ心の片隅に、ちいさなあの子の場所を残してやってもらえたら、それ以上嬉しいことはありません」
ミヒェルが言った。カトリーンは立ち上がって、フロックにペンダントの箱を預けた。短い翼でそっと、フロックの雨覆に触れた。
「傭兵さんなんでしょう、立派な身体……。隠れることなんてなかったんですわ。わたし、エリーゼとあなたが一緒にいる様子を見てみたかった。あの子、きっとたくさん甘えていたんでしょう。あなたみたいな頼もしいひとが、お婿さんに来てくれたら、嬉しかったんですけどねえ」
ミヒェルも立ち上がって、妻に寄り添った。
「おやめよ、カトリーン。フロックさんを困らせるばっかりだよ。エリーゼの大切な秘密だったんだ、あの子は私たちの手の中の、かわいいばっかりの雛じゃなくなっていたんだよ。巣立つことなんてないって諦めていたのにね。……嬉しいじゃないか」
「ええ、ええ、そうねミヒェル。フロックさん、エリーゼを愛してくれて、ありがとう。危ないお仕事でしょうけれど、どうかお気をつけて、長生きなさってね」
「……フロックさん、お喋りな老人に付き合わせて、すみませんね。来てくださって本当に、ありがとう」
顔を覆った翼の下から、フロックは声を絞った。
「違うんだ。……俺は、なにも、してやれなかった」
花をくれたのはリファリールだ。
フロックは嘘を並べて最後に甘い夢を見せた、それだけだ。
こうしてエリーゼの両親に会いに来たところで、約束した言葉は口にできなかった。
もういないエリーゼと結婚したかったなどと、今更、彼らに願えなかった。
全部、もう遅い。
ミヒェルは答えた。
「まさか。あなたは、エリーゼのために泣いてくださる。それで充分です」
屋敷を出て、黒のネクタイを抜いて、かわりにシャツの下にペンダントをつけた。チェーンも羽根の入ったトップも、ふわふわの羽毛に吸い込まれるように埋もれていった。
羽根の持ち主の、聴くものを魅了する囁きが、蘇る。
――これからずっと、一緒よ。
格好をつけてお嬢さんを射止めた、報いだった。
フロックは、この先一生、どこにいようがなにをしようが、エリーゼが好いてくれた『優しくて強いふくろうさん』だ。
「……死んでも逃しちゃくれないな」
望むところだと、彼は一人、クルクル喉を鳴らして、ハットを頭に乗せる。
真白く眩い夏の光の中、翼を広げて風を掴んだ。
救護室にやってきた黒服の梟を見て、医者はリファリールを振り返って言った。
「これ、僕いたほうがいいやつ?」
「俺はどっちでも構わないが」
フロックは言い添えたが、リファリールは首を横に振った。
「先生、少し外で話してきていいですか」
「……いってらっしゃい」
肩をすくめた医者に送り出された。
二人、ギルドの前のベンチに並んだ。
ハットの影からでも眩しい光に目を細めて、フロックは言った。
「ありがとう。あんたのおかげで、エリーゼはやりたかったことをやれたよ。多分、怖がらずに、幸せな気持ちの中で、逝った」
リファリールはしばらく首を傾げて、言葉を探すようだった。
「……わたし、なにもしてないです。エリーゼさんが幸せだったなら、それはフロックさんがいたからです」
「どうだろうなあ……」
フロックは翼の先で、自身の胸元を軽く叩く。
つけなければいけない、もうひとつのけじめ。
「俺はひどい真似をしたな。あんたみたいな子、夜中に連れ出して、脅し付けて、花を取って……ユールに蹴っ飛ばされても、文句言わないよ」
「ユールさんなら、知ってます」
リファリールは、小声で答えた。
「フロックさんに大切な人の治療を頼まれましたって言いました。上手くできなかったことも、花をあげたことも……ユールさん、怒ってないです。別にわたしも、怖くなかったです。フロックさんは、エリーゼさんを助けたいだけだって、わかってたから」
治療師の少女は、白いエプロンの膝を握りしめて、俯いていた。
「……治してあげられなくて、ごめんなさい」
フロックはその髪の奇跡の花を見つめていた。
いいんだとは、言ってやれなかった。
蜜ひとしずくであの効き目だ。
こんなところに無防備に咲いていていい代物ではなかった。
知ったらどんな手を使ってでも手に入れようとするものが、魔物と同じように際限なく湧くだろう。
フロックも、もっと早く知っていたら、さらに残酷な仕打ちをしなかったとは言えなかった。
彼女は、この先も、強すぎる力のために、身勝手なものの願いに巻き込まれて苦しむのだろう。
「……俺なんかもう信用できないだろうが、困ったことがあったら、言ってくれ。受けた恩は返すことにしてる」
リファリールは顔を上げた。
「あのとき、ユールさんを運んでくれて、ありがとうございます。フロックさんの風の魔力が残ってて、おかげで、ユールさんはまだ息をしてました」
「……ああ、ありゃダメだと思ったけどな」
「フロックさんの大切な人を助けられなかったのに勝手だと、思いますけど。お願い、これからも、ユールさんを助けてあげてください」
フロックは罪滅ぼしに請け負った。
「ああ、約束するよ。俺がいる間は、あいつは死なせてやらないよ」
無鉄砲の黒山羊ユールも、惚れた女を守りたいなら、おちおち死んでいられないというものだ。
梟族の傭兵、フロックの胸にはいつも、薄茶色の羽根が入った守石のペンダントが下がっている。
心底惚れた女の形見だ。
朝も昼も夜も。どんなときでも。
ペンダントはふかふかの羽毛に沈んで、彼の鼓動を、聴いている。
番外編「エリーゼのために」
おしまい
0
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる