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季節は暦の上で春になったばかりで、夕方になると肌寒い。ニコルは縦に長く伸びる列塔を見上げながら冷えた手のひらを擦り合わせた。
(ああ、来てしまった……とにかく将軍には、誠心誠意謝ることにしよう)
善は急げとばかりに、その日のうちに追い出されるようにして送り出されたニコルは、子爵家の馬車窓から伯爵領内をのぞき見ながらここまで来た。
コーエン子爵家の屋敷から北に半日ほど行くと、ベルクード・ハモロワファ伯爵の領地に入る。
将軍の治める領地は、ノエ連合国との国境にまたがるノーシェ山脈に、半分埋もれるような形で存在していた。
伯爵領の城は森を背景にするようにしてそびえたっている。夕日に照らされた灰色の城はどことなく不気味で、ニコルは身震いした。
(ベルクード将軍……どんな方だろうか)
王都では突如戦争に加勢した謎の鳥人として、彼の噂で持ちきりだった。貴族達の話を思い出してみる。
『すごいらしいな、異形将軍の活躍』
『王は彼のために新しく空軍を設立したらしいぞ。空軍将軍として抜擢するって。弓の腕前が素晴らしく、狙った獲物は決して逃さないとか』
『顔に見るに耐えない傷があるそうじゃない。獣人の爪にやられたから、復讐のために人間側について参戦したって、本当なのかしら』
『そうなの? 私は想い人がいるから人間に味方したって噂を聞いたのだけれど』
『今は人間の味方をしているが、敵だと思われたらひとたまりもないな。気がついた時には息の根を止められていそうだ』
そこまで思い出して、ニコルは背筋が寒くなった。
(将軍はカエラを見初めて、結婚を申し込んだのだろうか)
コーエン領の森の上空に飛び交う鳥人の姿が見えるのは日常茶飯事だったし、将軍が一方的にカエラに一目惚れすることだってありえる。なにせカエラは美人なのだから。
だとしたらカエラではなくニコルがやってきたと知って、話が違うと怒り出さないだろうか。
いや、怒るだけならまだいい。最悪会った瞬間に無礼だと、弓を射かけられるかもしれないと身震いをした。
(帰りたくなってきた……しかし今帰るのも失礼にあたるし、会うしかないのだろうな)
先触れは届いていたらしく、ニコルは城の敷地内に招き入れられた。城に近づくにつれて緊張感が高まっていく。
(馬車から降りて顔をあわせたらまずは名前を告げて謝って、それから事情を説明して……)
脳内でとるべき行動の順番を組み立てていると、何やら馬車の外が騒がしくなった。
「あの子はどこにいる」
「ベルクード様、お待ちください!」
馬車が停止し、外から低く深みのある声がかけられる。
「中にいるんだな? どうか顔を見せてくれないか」
突然のことに何度も瞬きをしながら狼狽え、恐る恐る扉を開いて外に出た。
目の前にいたのは灰色の髪を後ろに撫でつけた、黒い瞳の偉丈夫だった。馬車のタラップの上にいるのに、目の前に顔があって面食らう。
彼の右頬には鉤爪で引っ掻かれたような大きな傷跡が残っている。この方がベルクード将軍なのかと息を呑んだ。
きりりと眉を上げ、真面目な様子でニコルへと語りかけてくる。
「ベルクード・ハモロワファだ。縁談の申し込みを早々に受け入れてもらえたこと、誠に嬉しく思う。長時間の移動で疲れただろう、休める場所へ案内しよう」
会ったら謝ろうと思っていたのに、とっさに言葉が出てこない。ニコルはベルクード将軍の傷跡が予想していたよりも大きくて動揺していた。
(獣の爪痕だろうか、見ているだけで痛々しい)
切長の瞳は両目ともニコルに真っ直ぐ向いており、傷跡は目尻まで及んでいるものの視力に問題はなさそうだ。
手を差し出されて、おっかなびっくり指先を乗せる。力強く手のひらを握りこまれて動揺したが、なんとか引き攣った声が出るのを抑え込むことに成功した。
手を引かれてタラップを降りると、一層背の高さが際立って見える。背中から生えた灰色の羽は鱗のように連なっていて、畳んだ状態でも大きいと感じた。
立っているだけで恐怖を抱くほどの巨躯だ。下から見ると迫力があり、余計に恐ろしいと感じてしまう。
しかし近づくと彼から心地のいい匂いがした。深く安心感のある木々のような香りが、彼自身から漂ってくる。
(この匂い、微かにフェロモンのような……もしかしてアルファか)
こんなにも威圧感のある人なのに、香りは心地よくて脳が混乱した。
(ああ、来てしまった……とにかく将軍には、誠心誠意謝ることにしよう)
善は急げとばかりに、その日のうちに追い出されるようにして送り出されたニコルは、子爵家の馬車窓から伯爵領内をのぞき見ながらここまで来た。
コーエン子爵家の屋敷から北に半日ほど行くと、ベルクード・ハモロワファ伯爵の領地に入る。
将軍の治める領地は、ノエ連合国との国境にまたがるノーシェ山脈に、半分埋もれるような形で存在していた。
伯爵領の城は森を背景にするようにしてそびえたっている。夕日に照らされた灰色の城はどことなく不気味で、ニコルは身震いした。
(ベルクード将軍……どんな方だろうか)
王都では突如戦争に加勢した謎の鳥人として、彼の噂で持ちきりだった。貴族達の話を思い出してみる。
『すごいらしいな、異形将軍の活躍』
『王は彼のために新しく空軍を設立したらしいぞ。空軍将軍として抜擢するって。弓の腕前が素晴らしく、狙った獲物は決して逃さないとか』
『顔に見るに耐えない傷があるそうじゃない。獣人の爪にやられたから、復讐のために人間側について参戦したって、本当なのかしら』
『そうなの? 私は想い人がいるから人間に味方したって噂を聞いたのだけれど』
『今は人間の味方をしているが、敵だと思われたらひとたまりもないな。気がついた時には息の根を止められていそうだ』
そこまで思い出して、ニコルは背筋が寒くなった。
(将軍はカエラを見初めて、結婚を申し込んだのだろうか)
コーエン領の森の上空に飛び交う鳥人の姿が見えるのは日常茶飯事だったし、将軍が一方的にカエラに一目惚れすることだってありえる。なにせカエラは美人なのだから。
だとしたらカエラではなくニコルがやってきたと知って、話が違うと怒り出さないだろうか。
いや、怒るだけならまだいい。最悪会った瞬間に無礼だと、弓を射かけられるかもしれないと身震いをした。
(帰りたくなってきた……しかし今帰るのも失礼にあたるし、会うしかないのだろうな)
先触れは届いていたらしく、ニコルは城の敷地内に招き入れられた。城に近づくにつれて緊張感が高まっていく。
(馬車から降りて顔をあわせたらまずは名前を告げて謝って、それから事情を説明して……)
脳内でとるべき行動の順番を組み立てていると、何やら馬車の外が騒がしくなった。
「あの子はどこにいる」
「ベルクード様、お待ちください!」
馬車が停止し、外から低く深みのある声がかけられる。
「中にいるんだな? どうか顔を見せてくれないか」
突然のことに何度も瞬きをしながら狼狽え、恐る恐る扉を開いて外に出た。
目の前にいたのは灰色の髪を後ろに撫でつけた、黒い瞳の偉丈夫だった。馬車のタラップの上にいるのに、目の前に顔があって面食らう。
彼の右頬には鉤爪で引っ掻かれたような大きな傷跡が残っている。この方がベルクード将軍なのかと息を呑んだ。
きりりと眉を上げ、真面目な様子でニコルへと語りかけてくる。
「ベルクード・ハモロワファだ。縁談の申し込みを早々に受け入れてもらえたこと、誠に嬉しく思う。長時間の移動で疲れただろう、休める場所へ案内しよう」
会ったら謝ろうと思っていたのに、とっさに言葉が出てこない。ニコルはベルクード将軍の傷跡が予想していたよりも大きくて動揺していた。
(獣の爪痕だろうか、見ているだけで痛々しい)
切長の瞳は両目ともニコルに真っ直ぐ向いており、傷跡は目尻まで及んでいるものの視力に問題はなさそうだ。
手を差し出されて、おっかなびっくり指先を乗せる。力強く手のひらを握りこまれて動揺したが、なんとか引き攣った声が出るのを抑え込むことに成功した。
手を引かれてタラップを降りると、一層背の高さが際立って見える。背中から生えた灰色の羽は鱗のように連なっていて、畳んだ状態でも大きいと感じた。
立っているだけで恐怖を抱くほどの巨躯だ。下から見ると迫力があり、余計に恐ろしいと感じてしまう。
しかし近づくと彼から心地のいい匂いがした。深く安心感のある木々のような香りが、彼自身から漂ってくる。
(この匂い、微かにフェロモンのような……もしかしてアルファか)
こんなにも威圧感のある人なのに、香りは心地よくて脳が混乱した。
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