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初めまして、モス先生:3

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「驚きましたか」

  カイルが問題にうんうん唸りながら対峙する姿を見守りながら練習場の入り口で控えていると、不意にシルヴィオが口を開いた。
  問いかけの意図が分かりかねてシルヴィオに目を向ける。
  すると、シルヴィオは「モストゥルム様です」と穏やかな目線で師である聖獣にして神獣とカイルを眺めていた。

「はい。不敬ですが、驚いてしまいました。
  実在した方だったのですね。それも、人間の姿であらせられた」
「現人神というわけではないんですよ。
  本来は殿下がお持ちになっているぬいぐるみのような獣の姿です。
  必要な時に人の身になられるのです」
「なるほど」

  頷いて、アルテイシアはそっと息を吐く。
  アルテイシアは色々なことを知っているようでいて、エンシャントのことを全く理解してないことを改めて思い知った。

「これは私もエンシャントについて更に学んでいかねばなりません。モストゥルム様のこともそうですが、風習や文化も」

  今までは食べ物が美味しさに夢中になっていたが、それではいけない。
  エンシャントは古い国だ。
  式典や祭りひとつとっても紐解けば様々なことが分かるだろう。カイルは好奇心旺盛だから、ことある毎に問いかけもしてくる。今まで困らなかったことは運がいいだけだったのだ。問われた時に答えられるようにもなっておかねばと胸中で奮起していると、目の前でカイルが小さな氷の塊を作り上げたのが知れて、羨みと誇らしさが同時に込上がり感情を上書きしていった。

「美しい氷………」
「ほお、これを美しいと言えるか。清い娘だな」

  小さな呟きだった筈なのに、モストゥルムにはしっかり聞こえていたようだ。
  暖かな眼差しをアルテイシアに向け、氷が出来たと喜ぶカイルを促してアルテイシアの元へと向かわせる。
  カイルは素直に頷いて両手に収まった氷を差し出すと、氷は七色に輝いて宝石のようだった。

「持ってみて!」
「宜しいのですか?」
「うん! 食べちゃっても、いいからね」
「魔法で作った氷は食べられるのですか?」

  オリタリアではそんなことは習わなかった。魔法で作った氷はあくまで物体を冷やす為の物だ。それだって氷嚢(ひょうのう)のように一度袋にいれて直に物体には触れさせない。飲食にそのまま活用するとは思いもよらず声が出ると、カイルは確認するようにシルヴィオとモストゥルムを交互に見た。

「体内に入れても有害ではない。まあ、直接手で触った物を差し出すのは流石に看過できないがな」
「ぼくのお手々、ばっちくないよ?」
「それでも嫌がる人はいる。誰かに食べさせたり飲ませたりするなら、予(あらかじ)め容器を用意してそこに発生させねばならない」
「そっか。気を付けます!」
「うむ。よい返事だ」
  
  モストゥルムはカイルの返事に満足気に頷いて七色に輝く氷を手に取るとそっとアルテイシアの手に落とす。
  指で摘める程度の大きさだ。
  しかし、この程度の大きさですら作れないアルテイシアにとってはとてつもない奇跡を見せられている気になってしまった。

「殿下は凄いですね。氷を作ることが出来るなんて、魔法は太古の時代奇跡だと言われていたそうですが、何もない場所から現れるのを実際に見ると、本当に奇跡を目にした気持ちになります」
「アルテは出来ないの?」

  カイルの無邪気な問い掛けに、アルテイシアはどうしたものか考えあぐねいだ。
  だが、秘密にしたところで何時かは露呈してしまうことを思えば、今、自らの口で説明した方が傷も浅く済むと考え直し、アルテイシアは己の不出来を告白した。

「……………お恥ずかしながら、アルテイシアの使える魔法はおかしな物ばかりです。
  花びらを散らすとか、動物の色を変えるとか」
「大道芸が好む術式だな」
と、モストゥルムが相槌を打つ。
「母が、継母が実用的な術式を覚えることを許してくれませんでした。女が魔法を使えたら男が拗ねるから、と」
「それは随分歪んだ思想ですね」

  シルヴィオの言葉に、アルテイシアは静かに頷いた。

「女は男の稼いだ金を使って着飾り愛想を振りまくのが役目という考えの人でした。
  殿下はそんな女性に引っかからないでくださいね?」
「アルテがいるから平気だよ」

  言って、カイルはアルテイシアの手を取りそっと手の甲にキスをした。

「ぼくに悪いことを勧めたり教えたりしないもの」

  きっぱりと宣言して、アルテイシアの手の中にあった氷を摘むとおもむろに息を吹きかける。
  すると、氷は光の粒となって消え去ってしまった。

「そのようなことも出来るのですね」
「まだまだだよ。父上や、シルヴィオは呪文もなしに大っきい氷を幾つも作れるんだから」
「鍛錬あるのみだな、カイル」
「はい、先生」

  肯定するカイルの頭をモストゥルムは優しく撫でる。
  その手付きは孫を可愛がる祖父そのものだった。
  だが、穏やかな会話はここまでだった。
  モストゥルムが何を思ったか、こんなことを言い出したのである。

「アルテイシア、と言ったな」
「はい」
「次からはカイルと共に参加するといい。お前をメルヴェーユ・ビダンの如き魔法の使い手にしてみせようぞ」

  一瞬、何を言われたのか分からなかった。
  ちょっと訳してみよう。
  世界の管理者が自分に魔法を教えようとしています。
  わあ、すごい!(白目)
  こんな展開は望んでいなかったよ!(意訳)

「モストゥルム様!  なにを仰っているのですか!」

  先に我に返ったのはシルヴィオであった。
  カイルはことの重大さを理解しきれてないのか感嘆符を素直に言っただけである。
  アルテイシアに至ってはこれが現実に起きたのかいまいち信じきれてなかった。
  一方、余裕綽々なのはモストゥルムである。
  モストゥルムは慌てふためくシルヴィオを制して口を開いた。

「そのような情けない声を出すな、シルヴィオ。
  騎士たるもの、何時如何なる時も悠然と構えなければならん」
「貴方が私の心を乱しているのです、父上!」
「おお、父上か。懐かしい響きよ。もっと言っておくれ」
「そういう悪巫山戯はおやめになってください。
  そうではなく、侍女と王子を同時に教育など聞いたことがありません。
  慣例がないも同然が我が国の特徴であるにしても、流石にこれは見過ごせません。お考え直しください」
「不敬罪を疑っているのか? クロフォードはこの程度で不敬罪を適用する小さな男ではないぞ」

  シレッと言い切るモストゥルムに「だからこそです!」とシルヴィオは声を荒らげた。

「面白がって自分も参加すると陛下なら言い出しかねません。そうなったら殿下やアルテイシア嬢への悪影響は計り知れないのです。どうか、今一度、御一考を!」
「それはそれで随分な物言いだぞ」
「王妃殿下まで参戦したらどうしてくれるのです」
「………………そこまでは考えてなかったな」

  なんだろう。王妃を出した途端、モストゥルムの勢いがなくなった。
  過去になにかあったのだろうかと胸中をざわつかせていると「しかし」とモストゥルムは言葉を続けた。

「攻撃、防御、回復、補助、生活。実用性の高い魔法はカイルの為にも使えたほうが良かろう。
  大道芸系は人を楽しませることは出来ても守ることとなると少し不安が残る。
  ここはエンシャント。他の国とは違うのだ。誰であれ、魔法は使えぬと後で自身が困ることになる」
「そう、ですが…………」

  言いよどむシルヴィオから覇気がなくなる。
  と、ジッと様子をうかがっていたカイルがシルヴィオの袖を引きながら言った。

「シルヴィオが教えることはできないの?」
「私が、ですか?」
「うん。ぼくの授業中、ふたりはここで授業が終わるのを待ってくれているでしょ。ここは練習場だもの。騎士団の人も魔法の練習に使っているし、緊急事態訓練でラトーヤたちも使ってるよ。
  ここは、必要なら、お城の人は誰でも使えてる。そうでしょ」
「そうですが…………」

  戸惑うシルヴィオに、カイルは更に続けて言った。

「ねえ、お願い。シルヴィオ。
  ぼくは自分を守れるように、人の役に立てるように、魔法を習っているよ。沢山のことを覚える、準備の準備をしてるんだ。
  その権利はぼくだけじゃなくて、あらゆる人にあっても良いと思うの。
  だから、モス先生が教えるのが駄目だったらシルヴィオが教えて、アルテをもっと素敵にして欲しいんだ。アルテが、自分の力で、自分を守れるようになれたら、色んな所に行けるようになるし」
「………殿下」
「ドノーバンや父上、騎士団長の許可がいるなら、ぼくが説得してみせるから!」

  お願いします、と頭を下げるカイルに、アルテイシアはやめてくれと言おうとするが、モストゥルムが制して首を横に振る。
  
「必要なのは自覚しているだろう?」
「ですが………」

  初歩的な魔法なら独学でどうにかするつもりだった。
  逆を言えば、独学では初歩的な魔法しか覚えられないと理解もしていた。
  そうして、秘密裏にするつもりでいた。
  なんて浅はかだったのだろう。
  時間が出来たら内緒で勉強するつもりだったので、みんなには言わないでくださいね、と、さっさと言ってしまえば良かった。
  まさか、このごにおよんでモストゥルムの師事できる事を無意識に期待していたというのか。
  なんて悍(おぞ)ましい。なんて愚かしい。
  アルテイシアは自分の暗い期待を理解して背筋が寒くなった。

  その時だった。
  練習室のノックもなしに勢いよく開かれたのである。
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