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急な呼び出し

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  練習室にやって来たのはアルテイシアと同じく城で働きだして日の浅い少年であった。
  ノックもなしに入ってきたので一同は彼に一斉に目を向ける形になった。
  その仕草に少年は最初驚いていたが、己の失態を理解して頭を何度も下げると、モストゥルムが悠然とした構えで何用かと促せば、クロフォードがアルテイシアを呼んでいると告げた。
  なんでも緊急の用事であるとのことで、アルテイシアはシルヴィオたちにカイルを頼むと練習室から出ていくしかなかった。
  早足で向かった先は謁見室ではなく、クロフォードの執務室である。
  そして中に入ると、クロフォードはある紙束をアルテイシアに渡してきたのだった。

「これは………」
「取り敢えず、目を通してくれ。話はそれからだ」

  促されるまま、アルテイシアは書類に目を通す。
  書類を読むのは得意だ。速読に近い速さで書類を読み進むみ、最後のページを閉じると思わず溜息が溢れた。

「これは、庇いようがありませんね」

  アルテイシアが一刀両断すると、クロフォードは肯定するように頷いた。
  クロフォードが見せてきたのはオリタリア王国シュタイナー領での出来事を記したものだった。
  シュタイナー公爵家が自領の独自産業をエリオットとその取り巻きたちとの共同事業に変更し範囲を広げた結果、ものの見事に頓挫したのが発端のようだった。
  強引な事業拡大により住む場所を追われた領民が盗賊化したことに始まり、街や村のスラム化による環境悪化による疫病発生、疫病治療時に起きた選民騒動などなど、公爵家の領地とは思えぬ事件がこれでもかと書き連ねてあった。
  極めつけは治療施設をエリオットの取り巻きたちが喜々として燃やしたその側で疫病退散の宴を開いたことだろう。
  当然これは国王の耳に入り、現在、エリオット一派は取り調べの最中だという。
  シュタイナー家もエリオットの横暴を止めず煽っていた証拠が複数見つかっており、自領民をなんと心得るかと国王は大層立腹していると記されていた。
  真の臣下は、王の間違いを正すものである。
  しかし、シュタイナー家は揃って選民意識を誇示し、病に苦しむ人を虐げ治療も施さず名ばかりの施設に幽閉し、生きたまま焼き殺すのを黙認したのである。
  いくら病の蔓延を止める為と弁明したところで許されるわけがなった。

「エリオット様はどうなるのです」
「少なくとも、廃嫡は確実だろう。良くて孤島の離宮に永久隔離、悪くて処刑だろうが…………ギルバート殿の性格から考えるに極刑だろうね」
「ギルバート様は民を大事にしておられました。常に、民の為に王はいると仰っていました」

  ギルバート・オリタリアは尊敬出来る国王だ。アルテイシアを王妃と共にシュタイナー家の代わりに見守り、叱咤激励してくれていた人である。
  生真面目で、愛情深い人でもあった。
  故に、アルテイシアと婚約破棄をした式典の粗相ではエリオットを廃嫡に出来なかった。
  それが悲劇を生んだ。
  可能なら、ギルバートも責任を取り退位したいに違いない。しかし、それは出来ない。次代の王になるだろう第2王子はまだ5つ。カイルと同じ歳だ。王位に就かせるにはあまりに幼い。傀儡政権を生み出しかねず、それはそれでオリタリアに混乱を招く。
  民の安寧を願うなら、ギルバートは玉座に座り続けるしかない。

「政治的に見ても離宮隔離は国民が許さない。隔離にすれば最悪、反乱が起きて王朝が潰される」
「やはり、そうなりますか」

  オリタリアは大陸で2番目に大きな国だ。
  他国への影響も鑑みれば、エリオットの処刑は避けられないこととも言えた。

「取り巻きの子爵や男爵、その子どもたちも似たようなものでしょうね」
「そうだねえ。取り巻きというと品がないけど、ようはエリオット殿の『寄り子』みたいなものだからね。一蓮托生、連帯責任。同じく極刑になる者は多いだろう。
  シュタイナー家は権利剥奪、財産没収の上で取潰し、国外追放か極刑だろうね。
  問題は、彼らが国外追放で済んでしまった場合だ」
「私を頼ってくるかもしれない、ですか?」

  アルテイシアの問い掛けに、クロフォードは神妙な表情で頷く。アルテイシアも知らず表情を引き締めた。

「互いの情報交換も禁止しているし、接触だって禁止した証書があるけれど、今のシュタイナー家にその辺りの良識を求めるのは無理だ。シュタイナー家については他にも書類があるが、所業はとても受け入れ難い内容だよ。君に見せるのもはばかれる」
「大方、継母の異母妹の仕業ではありませんか?」
「その通り。シュタイナー公爵はある意味被害者だが……同情の余地はないかな」

  すげなく言って、クロフォードは小さく肩を上下させる。
  そして直ぐに「問題はそれだけではなくてね」と続けた。

「環境悪化の発端になったシュタイナー家の独自産業がかなり不味い状況になっているそうでね」

  言いながら、クロフォードは別の書類の束をアルテイシアに渡す。目を通せということらしい。
  アルテイシアは急いで読み始めると、その悲惨さに胸が締め付けられる思いがした。

「シュタイナーの独自産業は、公爵家のお抱え事業でもあったよね?」
「はい」

  否定する必要はないので書類を目に通しながら肯定する。
  独自産業、お抱え事業と仰々しくいうが、端的に言えば領に古くからある工芸品を現代に合うデザインにし販売する商店を営む者なら誰でも思いつきそうな事業である。
  発案は先代のシュタイナー公爵だが、形になったのは当代の公爵になってからだった。
  しかし、公爵は伝統工芸に理解がなく、片手間に物見遊山宜しく行っていたものだから事業は直ぐに立ち行かなくなった。そこを継母に命令され、アルテイシアが職人や商人たちと切磋琢磨した結果、経営はV字回復したのである。
  思い入れもある事業である。国外追放された際、皆に挨拶できなかったのが心残りでもあった。
  その面々が、エリオットとミレニアの愚策により苦しんでいることが書類には延々と書かれてあった。

「そして、件の事業は君が立て直した」
「私だけではありません。職人と、商人、皆で掴んだ勝利です」
「その職人たちが書類にある通り謂れのない差別に直面してる。シュタイナー家やエリオット殿を止められなかったという虐殺の被害者遺族たちの憤りから始まったことだが、今では何ら関係ない者も事業の参加者たちを非難し、侮蔑し、傷つけていると報告があがってる。
  これは由々しき事態だ。細い糸での国交だが、我が国も何か出来ないかと考えている」
「………つまり?」
「移民として、彼らを受け入れる計画が宮中で上がっている」
「…………………!!」

  クロフォードの言葉に、アルテイシアは息を飲んだ。

「ギルバート殿からも救援の文を貰っている。
  その中には、君に直接謝れないことを嘆く箇所もあった。
   国から追い出しただけでなく、大切な事業まで穢してしまったと。
  幸い、我が国は工芸品の素材である樹木が沢山ある。
  工芸品は間伐材から作るのだったね?」
「左様でございます。間伐材の表皮、切り出した木材を用いて組木細工を作るのです」
「なら、こちらとしては尚更問題はないんだ。あとは、君の心情を確認しておきたくてね」

  アルテイシアは事業を回復させた後、継母や異母妹の計略により責任者から外された為に今回の差別とは無関係である。
  だが、人の心というのは変化するものである。
  アルテイシアがいなくなってから事業は再び落ち込んだ。それどころか無理に事業を拡大した為に環境が悪化し、疫病が流行り、虐殺まで起きた。
  アルテイシアがいなくならなければと恨む者が出て来ても不思議ではない。追放されたとはいえ、血脈はシュタイナーの人間である。その点においても、誰かに恨まれている可能性があった。
  その点を踏まえ、クロフォードはシュタイナー領の話をしたのである。
  アルテイシアの感情や立場など無視して移住を遂行しても良かったのに、律儀な人だと思いつつアルテイシアは口を開いた。

「結果が出なければどうなりますか」
「結果が出るよう、皆で努力するまでさ。
  余程酷ければ職人たちには悪いが別の職業に就いてもらうことになるだろう。
  取り敢えず、10年計画で考えてるから直ぐに結果が出ないのは折り込み済みだよ。心配しないで」

  クロフォードはさらりと言ってアルテイシアを見つめる。
  アルテイシアの答えはひとつしかなかった。

「皆を、助けてください。陛下」

  深々と頭を下げるアルテイシアに、クロフォードは「承知した」と言って大きく頷いた。
  
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