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夜、バルコニーにて:2

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  ヤシュマの仕事は迅速で、話をした次の日には初心者用のレシピ集がアルテイシアの手元に届けられた。
  届けたのは騎士団のヤシュマ付きの見習いで手紙と共にレシピ集は届けられたのだった。
  手紙には連絡には彼付きの見習いかマリベルというメイドを使ってくれと記されていた。
  件の品物は連絡後直接取りに来たい旨も記されていた。
  それに併せてラトーヤとシルヴィオには内密に、とも。
  シルヴィオに内密にするのは分かるが、ラトーヤにもという部分に引っ掛かりを感じた。
  そういえば、ヤシュマはラトーヤのことを呼び捨てていたことを思い出す。名を呼び捨てる程度には親しいということか、はたまた苦手ということか。
  確認しようにも本人は此処にはおらず、ラトーヤに確認するのは憚られた。ヤシュマとの約束を破ることになる。それは避けたい。
  なにはともあれレシピは手に入れた。
  次はこの中からどれをピックアップするかである。
  候補は直ぐに見つかった。木ノ実を砕いて生地に混ぜたクッキーである。ココア生地もそそられるものがあったが、練習のしやすさや材料の入手方法などを鑑みた結果、木ノ実のクッキーに狙いを定めた。
  これと、ラトーヤに習ったハーブクッキーを振る舞うのだ。ラトーヤも参加するが、アルテイシアに気を使ってくれてクッキーではなくケーキを出品すると言ってくれている。
  ラトーヤにも成長したところを見せたい。2つクッキーを作るのはそういった思いもあった。

「アルテイシア嬢、何かありましたか?」
「そのように見えますか?」
「ええ、なんというか、足取りが軽いように見えます」

  カイルの自習勉強を見守る傍らでシルヴィオが囁く。
  アルテイシアは否定する必要はないかと思い、柔和に笑って頷いた。

「お祭りなど久々ですから、指折り数えているのです」
「オリタリアではお祭りはなかったのですか?」
「ありましたけど、仕事にかまけていてきちんと参加したのは随分前です。主催者側でてんてこ舞いしてたことはあるんですけれど、参加者の一部となるのは本当に久しぶりで。
  ですから、陛下ご命令には困惑もしますが、嬉しい気持ちもあるのです。
  なにより、シルヴィオ様のお菓子が食べられるのが楽しみで」

  アルテイシアの言葉に、シルヴィオはほんの少しだけ頬を赤らめた。

「そう言っていただけるのはありがたいですが………ありきたりなかぼちゃのパイですよ?」
「エンシャントの伝統的な味でもあるでしょう?」
「そうですね。家庭ごとにスパイスの配合が違うとは思いますが」
「オリタリアは大国ですが、代にしてまだ3代の若い国です。ですから『伝統』やオリタリア発信の『寓話』がありません。家庭の味も、あるようでないのが現実です。
  そのせいか、私も『伝統』という言葉に惹かれやすいところがあるんです」
「なるほど。しかし、新興国には古い国にはない柔軟さがあるのではないですか?」
「目新しさを求めるのはいいのですけれど、それで好き勝手し過ぎる方も多いのです」
「ああ、それはいけませんね」
「はい。大問題です」

  エリオットが廃嫡、シュタイナー家が断絶確実であるのは、オリタリアが若い国であることも関係する。
  虐殺は未だ領民を増やさねばならぬ段階での愚行であった。庇う意見があれば、それはオリタリアの内情を知らぬが故に言えることであった。

「アルテイシア嬢はハーブクッキーを作るのでしたね?」
「はい。その予定です。前回にお渡しした物より数段美味しい物をお渡し出来るよう、練習いたしますね」

  木ノ実のクッキーも作ることはアルテイシアの中では機密中の機密になっていた。
  他にも作るだなんて微塵にも出さず言うと、シルヴィオは「楽しみにしています」と明るく言った。
  クッキーの練習は夜に行われることが多かった。
  やはり昼は仕事の関係で纏まった空き時間が取れない。
  どうしても夜を活用するしかなかった。
  初回は案の定酷い状況となった。
  木ノ実を素焼きするところから作業は開始となるが、焼入れから手間取ってしまった。
  だがそれも回数をこなせばどうにかなっていくもので、5回目にもなると誰に出しても恥ずかしくない物が出来上がるようになっていた。

「こちらが、今回の試作品になります」
「はい、どうも」

  ヤシュマに試作品を渡すのは、もっぱらアルテイシアの部屋に続くバルコニーであった。
  夜の巡回を利用して引き取りに来ていることもあれば、お忍びでやってくることもあった。
  渡すのに使っているのは大きな麻袋だ。
  箱だと持ち歩きにくいかろうと思って麻袋にしたのだが、ヤシュマの機敏さならあまり関係ないかもしれないと今更ながら思っていたりする。

「おおっ、美味そう!」
「今回は自信作ですよ」

  麻袋の中を覗くヤシュマに、アルテイシアも得意顔で言う。
  その言葉に、ヤシュマは堪らずといった調子で袋からクッキーを1枚取り出すと口に放り込んでバリバリと咀嚼した。

「ん、美味い! 腕を上げましたね、アルテイシア嬢!
  これなら陛下をギャフンと言わせられますよ!」
「陛下、ですか?」
「ことの始まりは陛下の無茶振りでしょう?」
「そうですけれど………」
「お恨みになってないんですか」

  2枚、3枚と続けて食べるヤシュマに、アルテイシアは首を傾げて考え込んだ。
  確かに、クロフォードの思い付きには最初は困ったが、恨む程ではない。無茶振りはされただろうが、それ以上にエンシャントに慣れるようにという気遣いも感じられたからだ。
  何より、アルテイシアが扱える技術がひとつ増えたのである。感謝こそすれど恨むというのは違う気がした。

「恨んではいません。腕を上げたと驚いてはいただきたいですが………」
「人がいいなあ、アルテイシア嬢は。
  そんなんじゃ、変な奴につけ入れられちゃいますよ」
「その時は、必死に対処いたしますわ」
「そこはつけ入れられないようになりましょうよ」
 
  危なっかしいなと言いながら、ヤシュマはそれでもクッキーを食べる手を止めることはなかった。

「俺と貴女の逢引は誰にも言ってませんね?」
「逢引だなんて、そんな、もっと言い方があるでしょうに」
「独り身の男と女が秘密裏に会ってるのを逢引と言わずになんというんですか」
「それはそうですけれど………」

  恋愛感情はないのである。
  どちらかもいうと密会が正しい。

「自覚はあるんですね。良かった。徹頭徹尾否定されたら立ち直れなくなるところだった」

  にっこりと笑うヤシュマに、アルテイシアはどういうことだと首をかしげる。
  すると、ヤシュマは距離を詰めてきたかと思うとアルテイシアを抱き寄せて額を合わせた。

「シルヴィオに貴女を盗られたくないんですよ」
「……………はい?」

  髪と同じ夕陽色の瞳がアルテイシアを射抜く。
  言葉の意味を図りかねてヤシュマを見つめていると、彼は静かに笑ってアルテイシアの額にキスをした。

「油断大敵! なんてね」
「もう、ヤシュマ様!」 

  いたずらが成功した子どものように笑うヤシュマを、アルテイシアは呆れ含みで叱ったのだった。
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