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夜、バルコニーにて。

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「困ったわ…………。本当、どうしましょう」

  祭りが正式に開催されることが決まった夜、アルテイシアはベッドに横になっても一向に眠りにつくことが出来なかった。
  王都では既に商工ギルドが『オラのかぼちゃパイが一番だ大会』なるものが開催されることが決定しているそうだ。
  商店も職人もその他の仕事をしている人も、我こそはと名乗りを上げているそうだ。
  かぼちゃパイはママの味なのだという。
  それに合わせて冒険者ギルドでは『かぼちゃパイのマエニハこれだろ大会』というよく分からない大会も開かれるという。
  こちらは主に肉料理を競う大会だそうだ。冒険者らしい内容である。
  それはそれとして。
  目下の問題は城内有志のパーティーにアルテイシアが参加することだった。
  アルテイシアだけでなく、シルヴィオも参加する。
  シルヴィオはお茶会の最後の方になると諦めムードになっていた。昔からクロフォードに振り回されてるからこその諦めだった。
  こうなったら仕方がない。腹を括ろう。
  そんな思いがありありと伝わってきたのである。
  早々に諦めがついたのはクロフォードの無茶振りに慣れているのもあるが、シルヴィオは頻繁に厨房に立っていることも起因しているようだった。
  かぼちゃパイは彼にとって作り慣れたお菓子なのである。
  かたやアルテイシアは調理もお菓子作りも慣れていない。
  もっというなら他人任せであった。
  その分、事務処理能力や計算力を身に付けることに苦心していたのである。
  それが裏目に出たのだ。
  カイルがヴァカンスに行くまでには最低限の料理やお菓子作りをマスターするべくラトーヤに稽古をつけて貰っているが、今のところハーブクッキーがどうにか出来る程度である。

「よくよく考えなくても、シルヴィオ様に試作品を渡したのは不敬だったわ…………」

  勢いとは恐ろしい。最早黒歴史であった。
  悩むのは若人の特権である。
  とはいえ眠れないのは苛立ちと焦燥感を募らせるだけだった。
  こういう時は覚悟を決めて起きてしまった方がいい。
  アルテイシアは踏ん切りをつけて起き上がると、バルコニーに出た。
  夜の城内を歩くのは危険が伴う。
  だが、バルコニーで夜風に当たる程度なら許されるだろう。此処が使用人宿舎なら仲良くなった誰彼に相談をするところだが、アルテイシアが寝起きしているのは城内の一室である。
  ラトーヤの元へ行ってみようか。
  いや、それはやめておこう。彼女は現在恒例のネズミ退治で忙しい。余計なことに時間を割いて欲しくはなかった。
  エンシャントの夜空はオリタリアよりも星の数が多い。
  これはオリタリアの王都が眠らぬ都であった為だ。
  毎夜、どこかしらで舞踏会や懇親会が開かれ、街から灯りが消えることはなかった。
  アルテイシアは夜会に参加したことはあまりない。
  参加する機会はあったのだろうが、例によって継母と異母妹が成り代わって出席していたのである。
  参加出来たのはエリオットの付き添い時のみ。それとて次第に異母妹に取って代わられた。
  その事実を嘆くつもりはない。
  そんなのに参加するくらいなら仕事するわボケ(意訳)状態だったのだ。立派な社畜である。
  なので、というか、実はというか、祭り自体は楽しみなのだ。自分が醜態を晒すのが決定しているのがやるせないだけである。

「アルテイシア孃?」
「?!」

    下から声が聞こえて、体がびくりと大きく震えた。
    辺りを見回してみると、特徴的な赤い髪が見える。
   よくよく見てみるとシルヴィオの同僚のヤシュマが親しみやすい笑みを浮かべて手を振っていた。

「なにしてるんですか、こんな時間に」
「ごめんなさい。どうにも寝付けなくて」
「寝付けないって、またなん…………ははーん、例のお祭りですか。アルテイシア孃も参加するんですっけ」

  あたりをつけたヤシュマは顎に手をあててうんうん頷く。
  ちらりと見えた八重歯が彼の悪戯っ子ぽさを強調していた。

「此処だと話し辛いでしょう。ちょっと待ってくださいます?」

  そちらに行きますから、とヤシュマは言うと2歩3歩と後ろに下がると軽く助走をつけて飛び上がった。
  するとどうだろう。あっさりとバルコニーの手摺(てすり)を飛び越えてアルテイシアの隣に立っていた。

「ん、今日も絶好調!」
「……………………」
「あれ? アルテイシア孃?」
「あ、あの………」
「はい?」
「エンシャントの騎士は皆様、このように高く飛べるのですか? 私、驚いてしまいました……!」

  言って、アルテイシアは地面と2階にあるバルコニーとを見比べる。
  その様子を見て、ヤシュマは「出来ると思うよ」と言った。

「まあ、一回は壁を蹴って勢いつけなきゃいけないかもしれないけど。
  俺は、ほら、先祖が鬼人だから」
「なるほど………。では、いざという時、階段を登らずに現場に行くことも可能ですね」
「そんな事態が起きないことを祈るよ」

  ヤシュマの言葉にアルテイシアも頷く。
  危険はないのが一番良い。

「で、アルテイシア孃も参加されるんですよね。お祭り」

  ヤシュマの問い掛けに、アルテイシアは小さく頷いた。

「はい。シルヴィオ様に聞いたのですか?
  というか、あの、ヤシュマ様はこんな夜中に何をされておられたのですか?」
「俺は夜警ですよ」
「でしたら見回りを続けないと」
「我らが王子殿下の侍女が思い悩んでるですから、ちょっと留まるくらいどうってことないですよ。
  貴女の憂い顔を晴らしてこそ、騎士の誉れ、なんてね」
「まあ、お上手ですこと」

  軽口を叩くヤシュマに、アルテイシアは暫くやっていなかった言葉遊びをしている気分になった。
  人をあしらうのに慣れていると思っていると、ヤシュマは手摺にもたれかかりながらアルテイシアを見つめて言った。

「シルヴィオの奴、貴女のお菓子が食べれるのはいいけど、自分が作るのは嫌だなんて愚痴ってましたよ」
「そんな。私、お菓子はひとつしか作れないのに」
「ひとつでも極めたら立派な特技でしょ。お悩みはそれですか?」
「ええ。」
「俺なんか、菓子は食う専門です。菓子は材料を計らなきゃいけないでしょう?  あれがどうにも苦手で。
  肉焼くのなら自信あるんですけどね」
「ヤシュマ様はお菓子を作られたことがお有りなのですか?」
「妹が菓子屋やってるんですよ。飴細工が得意でね。
  ガキの頃なんか、指図されながら手伝わされたもんです。
  あとはシルヴィオにちゃちゃ入れしようとしたら逆に取っ捕まって一緒に作ったくらいかな。
  あの時は大変だったんです。シブーストとかいう、やたらめったら手順の多いホールケーキを作ったんで終わる頃には明け方になってたんですよ」
「明け方………ということは、夜から作り始めた?」

  疑問を口にするとヤシュマは「そうです」と肯定した。

「昼間は仕事や訓練がありますからね。どうしたって趣味でなにかするなら夜しかないんですよ。
  おかげで寄宿舎の厨房は朝から甘い匂いで充満してるんです。その分、かまどは温まってるんで料理人方から文句はないらしいですけど」
「でしたら、シルヴィオ様がお食事を疎かにするのはお菓子を作って食べてるから、なのでしょうか」
「どうかなあ。アイツ、作ったあと食うまでに時間空くんですよね。食事が疎かなのは、料理に興味ないからだと思いますよ。神殿暮らしだったんで、食事は何時も決まったのしか食べなかったって言ってたし」
「決まったもの?」
「五穀粥とドライフルーツ、干し肉って生活だったらしいです。
  モストゥルム様も食事はしないではないけど、何か食べる行為そのものが嗜好的な行いなんですよ。本来は喰わなくても生きていけるんです。マナを取り込んで活力にしてる方なんで。霞食って生きてるような感じというか………イメージ、湧きます?」
「なんとなくは…………」

  戸惑いつつ答えるアルテイシアに、ヤシュマは苦笑いした。

「モストゥルム様も色々知ってるけど、実際に子どもをイチから育てたことはなかったんで献立とかまで気が回らなかったんでしょうね。愛情深くお育てになってたのは傍目から見ても分かりましたけど。
  なもんで、シルヴィオは王都に来て食事より食後のデザートの方に目覚めちまった」
「お待ち下さい。神殿にはモストゥルム様だけがお住みなんですか?」

  神官たちがいると疑いもしなかったが違うのだろうか。
  アルテイシアの問いにヤシュマは「そうですよ」と肯定した。

「モストゥルム様は此処何百年かはずっとおひとりでお過ごしになってますよ。
  シルヴィオって例外の前は、帝国時代に短期間異世界人を寝泊まりさせたくらいじゃなかったかな。
  大昔には神官や司祭が居たそうですけど、神殿を満たすマナは特異なんで、段々人が住めなくなったそうです。
  逆に、シルヴィオは神殿のマナを取り込まないと死ぬところだったから神殿で暮らしてたんですけどね」
「そうなんですか」

  シルヴィオはなかなか複雑な出自なのだと理解して相槌を打つと、ヤシュマは思い立ったように指を鳴らした。

「レシピをひとつしかお持ちでないなら、シルヴィオに聞いたらどうです。
  殿下がお稽古の間は、後ろにふたりとも後ろに控えてることも多いんでしょう?
  その間に、ちょこちょこっと内緒話をするとか」
「考えなくはなかったのですけれど、その、なんといいますか、シルヴィオ様や殿下を当日驚かせたくて」
「出来るなら秘密にして他のを作りたい、と」

  引き継ぐように言葉を紡ぐヤシュマに、アルテイシアは頷く。
  と、ヤシュマはひとしきり唸ったあと「それじゃあ」と切り出した。

「城内の図書室で初心者用の本があった筈です。
  俺で、良ければ借りてきましょうか」
「えっ、宜しいのですか?」

  城に従事する者なら誰もが利用出来る図書室があるのはアルテイシアも知っている。
  常日頃から行こうとは思っていたが、仕事が忙しくてなかなか足が運べなかった場所だ。

「でも、ヤシュマ様もお忙しいでしょう?」
「俺はシルヴィオと違って誰のお傍に侍って警護してるわけじゃないんで、比較的暇なんですよ。
  ネズミ退治はラトーヤの領分だし、訓練が日頃の仕事みたいなもんでして」

  だから本を借りるくらいわけないんです、とヤシュマは朗らかに言う。
  警邏(けいら)任務は本来の物ではないということか。
  鬼人の末裔ということだし、彼の本来の任務は力仕事や荒事なのかもしれない。
  気にはなるが、詮索しすぎてもいけない。ここはグッと我慢してアルテイシアはヤシュマの提案に乗ることにした。
  ヤシュマに迷惑を掛けてしまうのは心苦しいが、新しいレシピを手に入れるには他に方法が考えつかなかった。夜間に図書室に忍び込むのは流石に危険過ぎる行いである。
  こうして夜中に逢引のような状況になっていることも不味いが、気付かない振りをしてしまおう。今だけの小さな悪事である。

「それでは、お願いしても宜しいですか」
「いいですよ。そのかわり、ひとつお願いがあるんですが」
「なんでしょうか?」

  せっかく協力してもらうのだ。叶えられる願いならなんでもしたい。
  そう思いヤシュマの様子をうかがうと、ヤシュマは少し照れくさそうに頬を掻きながら口を開いた。

「何か作るか決まったら、練習をしますよね?
  そうしたら、その試作品を全部貰えないかなあ、と」
「全部、ですか?」
「はい、全部」

  粉とバター、ミルクを混ぜて焼くだけだと侮ってはいけない。お菓子作りは材料を入れるタイミングで如何様にも変化するのだ。クッキーはまだ修正が効くから初心者でもどうにか作れるが、調理初心者のアルテイシアにとっては全てが難解である。はじめは生焼けや焼け焦げばかりになるだろう。
  それを渡すのは如何なものかと訝しんでいると、グゴオと凄まじい音が何処からともなく響いてアルテイシアは目を見開いた。
  すると、ヤシュマは恥ずかしそうに自身の腹を擦って「宿舎だけの飯じゃ足らなくて………」と呟いた。

「身体能力が通常の人よりも高い分、食った物の消化も早いらしくて、この時間になると何時も腹が減るんです」
「普段はどうされているんですか」
「それこそアレです。携帯栄養食の力を借りてます。
  栄養食は騎士団内で各々支給されるんですけど、物事には限度があるでしょう?
  俺とシルヴィオは限度超えしたら給料から天引きされるようになってて、またその出費がなかなか馬鹿にならない額でして………」

  聞けば、シルヴィオはカイルの護衛で特別手当が出るが、本来の任務行う機会が少ないヤシュマは特別手当がなかなか付かないのだという。その為、シルヴィオよりも金銭面では切迫しており、日々の生活もカツカツなのだそうだ。節約もしているが、それも万策尽きかけているという。
  ならば助けてやりたくなるのが人間の本能である。
  アルテイシアは自分の作った物で良ければと喜んで受け入れた。

「練習品でも誰かに食べて貰えるのは気合いが入りますね。失敗が軽度になるよう、頑張りますね!」
「はははっ。そいつは嬉しいや。でも、生焼け黒焦げどんとこいですからね。胃は丈夫なんで」
「あら、そんなことを仰るなら、そういった物ばかりお渡ししようかしら」
「ちょっ、それは酷いな!」
「冗談です」
「そうですか!」

  意地悪ですねとわざとらしく言われ、アルテイシアは可笑しくて笑うと、ヤシュマもつられたように笑った。
  眠れない夜は、こうしてふけていったのだった。
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