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ふたりの約束
ふたりの約束 8
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家業で多忙な両親ゆえ、マリアは幼少期、特に夏休みは児童館で夕方まで過ごすことが多かった。
とはいえ、大人びていた彼女は同年代の友人たちと過ごすことは少なく、併設された図書館から借りた本を読むことが多かった。
「マリアちゃん、今日は何読んでるの?」
「……実験の本」
「好きだねえ」
話しかけてきたのは、胸まで伸びた髪を一つに束ねた少年。
聞いた話によると、夏休みの間、ボランティアで児童館の運営を手伝っている高校生だという。
「ちょっと小学生には難しいんじゃない?」
「何となく分かる。もうすぐ中学生だし」
「そうだね、失礼なこと言っちゃったね」
彼は、マリアが孤立しているように見えるのか、こうしてよくちょっかいをかけに来ていた。
ただ、マリアの話を聞き入れてくれる――両親とは異なり――存在だったこともあり、まあ、夏休みの間だけだからと、あまり邪険にも扱っていなかった。
「綺羅くんは学校で実験する?」
「うん、時々するよ。ちょうどこの絵みたいにいろんな薬品混ぜたり。俺はちょっと苦手だけど、俺の友達は毎回テンション上がってる」
「実験、面白そう。見てるだけで楽しい」
「マリアちゃんは好奇心旺盛だから、向いてそうだね」
そう言って、目を細めて笑う。
「うん。でも、親はあんまり面白くないみたいで」
「家、お医者さんだっけ?」
「うん。昔から、あなたはお医者さんになるのよって。一回、学者になりたいって言ったら笑ってごまかされた」
素直な告白に、綺羅はうーん、とうなる。
「イメージ、遠からずだと思うけど」
「ママの中じゃ全然ちがうみたい」
「そっか」
「ねえ、それより、これわかる? 中和の話は学校でも習ったけど、こんな数式見たことなくて」
本の中の一部を指差すと、そこには数式が記されていた。
何となく分かると言うが、数式は別らしい。
「ああ、これはちょっと、3年くらい先に習うことかも」
「ざっくりでいいから。綺羅さん、そういうの得意でしょ」
「買いかぶられてんな……簡単に言うと、右肩の数字足せば良いって感じだよ」
「へえ、なんで?」
「う~ん、まず指数の説明しないとだから、話が長くなるけど……」
少年は、実験は苦手と言っていたが、数学は好きなのだという。
だから、マリアが要求すると、いつも絵や算数を交えて、数学の話をしていた。
マリアがわかるまで、時々遠回りしたり、数日かかったりもしたけど、ごまかしたりせず、それなりに丁寧に答えてくれたのが、マリアも喜ばしかった。
「学校の先生になったらいいのに」
そう言うと、綺羅は少し寂しそうな顔で苦笑いする。
「俺もできたらなりたいけど」
「どうしてなれないの? ……あ」
聞き返して、マリアは察する。
「俺たち、似た者同士だな」
彼も自らと同じく、夢を追えない立場にあるのだろう。
そう考えたマリアは、願いも込めて返す。
「先生になってほしいな。そうしたら私も、あきらめないでいい気がするから」
その言葉に、綺羅は朗らかに笑いかけた。
「そう言われたら、俺も頑張らないとね」
――帰り道、マリアはぼんやりと昔話を思い出す。
ああ、少なからず自分の人生に影響を与えた人間を、すっかり忘れていたとは。
しかし、あの家庭教師から彼ほどの気概がみられるかというと、少し首をかしげる。
やっぱり、人違いかと、もう一度もやもやを胸の奥にしまい込んだのだった。
とはいえ、大人びていた彼女は同年代の友人たちと過ごすことは少なく、併設された図書館から借りた本を読むことが多かった。
「マリアちゃん、今日は何読んでるの?」
「……実験の本」
「好きだねえ」
話しかけてきたのは、胸まで伸びた髪を一つに束ねた少年。
聞いた話によると、夏休みの間、ボランティアで児童館の運営を手伝っている高校生だという。
「ちょっと小学生には難しいんじゃない?」
「何となく分かる。もうすぐ中学生だし」
「そうだね、失礼なこと言っちゃったね」
彼は、マリアが孤立しているように見えるのか、こうしてよくちょっかいをかけに来ていた。
ただ、マリアの話を聞き入れてくれる――両親とは異なり――存在だったこともあり、まあ、夏休みの間だけだからと、あまり邪険にも扱っていなかった。
「綺羅くんは学校で実験する?」
「うん、時々するよ。ちょうどこの絵みたいにいろんな薬品混ぜたり。俺はちょっと苦手だけど、俺の友達は毎回テンション上がってる」
「実験、面白そう。見てるだけで楽しい」
「マリアちゃんは好奇心旺盛だから、向いてそうだね」
そう言って、目を細めて笑う。
「うん。でも、親はあんまり面白くないみたいで」
「家、お医者さんだっけ?」
「うん。昔から、あなたはお医者さんになるのよって。一回、学者になりたいって言ったら笑ってごまかされた」
素直な告白に、綺羅はうーん、とうなる。
「イメージ、遠からずだと思うけど」
「ママの中じゃ全然ちがうみたい」
「そっか」
「ねえ、それより、これわかる? 中和の話は学校でも習ったけど、こんな数式見たことなくて」
本の中の一部を指差すと、そこには数式が記されていた。
何となく分かると言うが、数式は別らしい。
「ああ、これはちょっと、3年くらい先に習うことかも」
「ざっくりでいいから。綺羅さん、そういうの得意でしょ」
「買いかぶられてんな……簡単に言うと、右肩の数字足せば良いって感じだよ」
「へえ、なんで?」
「う~ん、まず指数の説明しないとだから、話が長くなるけど……」
少年は、実験は苦手と言っていたが、数学は好きなのだという。
だから、マリアが要求すると、いつも絵や算数を交えて、数学の話をしていた。
マリアがわかるまで、時々遠回りしたり、数日かかったりもしたけど、ごまかしたりせず、それなりに丁寧に答えてくれたのが、マリアも喜ばしかった。
「学校の先生になったらいいのに」
そう言うと、綺羅は少し寂しそうな顔で苦笑いする。
「俺もできたらなりたいけど」
「どうしてなれないの? ……あ」
聞き返して、マリアは察する。
「俺たち、似た者同士だな」
彼も自らと同じく、夢を追えない立場にあるのだろう。
そう考えたマリアは、願いも込めて返す。
「先生になってほしいな。そうしたら私も、あきらめないでいい気がするから」
その言葉に、綺羅は朗らかに笑いかけた。
「そう言われたら、俺も頑張らないとね」
――帰り道、マリアはぼんやりと昔話を思い出す。
ああ、少なからず自分の人生に影響を与えた人間を、すっかり忘れていたとは。
しかし、あの家庭教師から彼ほどの気概がみられるかというと、少し首をかしげる。
やっぱり、人違いかと、もう一度もやもやを胸の奥にしまい込んだのだった。
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