多機能型特別公衆便所 ==特便==

辻 野乃子

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case1 ~人形少女と虚空リーマン~ #1

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ガタンッ―――。ゴトッ―――。
 陰鬱な空気の漂う電車内。目の前の車窓に映るのは、つり革に両手で掴まり肩甲骨のストレッチを行う、くたびれた三十路みそじサラリーマンの姿。そう―――この俺だ。

 自主性の「じ」の字もない後輩に指示を出し、学級会さながらの基本的に進展しない会議に参加し、無駄をこよなく愛する上司の的外れな命令に従う。そんな日常を終えて帰路に着いている。
「・・・疲れたし今日も便でサッと抜いてメシ食って風呂入って寝よ。」

 特便・・・。"とくびん" ではない.. "とくべん" だ。"多機能型特別公衆便所"の略称である。【特便】は平たく言えば…まあ、男性が性的な用を足す所だ。

 二年程前から、政府が性犯罪の抑制と少子化対策のためと称して設置を進めており、現在では全国で300を超えるまでに普及している。……とは言え、そのほとんどが必要最低限の物とスペースしかない簡素な造りである。

 最もメジャーな【個室型】は、既存の個室トイレを一部改修して作られたもので、元々あった洋式便器の他に"洗い場"があり、ティッシュ・ボディソープ・ペーパータオル・専用の消臭スプレー等が備え付けられている。お供として申し訳程度に――少々世代を感じる成年向けの本や雑誌、あまり使う気の起きない...洗って繰り返し使えるタイプのオモチャが置いてあったりもするが、大抵の場合は自室の方が遥かに環境が良いため、目的というよりも出先での軽いのために用いられることが多い。

「まもなくぅ~~、○○○ーー。○○○ーー。ゥお出口はーー左側ぁ~~左側ぁ~~。」
 自宅の最寄り駅への到着を知らせるアナウンスが流れたため、ストレッチを終了して棚から荷物を降ろす。

 電車を降り、改札を抜け、普段使っている駅前の公衆トイレの入り口に目を見やる。ここには2種類の特便があり、一つは先ほど説明した【個室型】で、もう一つは【仮設型】と呼ばれるタイプの特便だ。

【仮設型】は仮設トイレ...もとい仮設シャワー室のような造りで【個室型】と比較して、便器は設置されていないが、広さや衛生面、お供の質等が若干優れており、個室型よりも寄りの機能性をしている。因みに俺は椅子よりベッド派なので、基本的にはマットが敷いてある【仮設型】を使用している。空いていればの話だが...。

 例に漏れず目の前では、3人の男性が退屈そうにスマホを眺めたり、腕組みしてつま先で地面を何度も鳴らしたり、そわそわと落ち着かない様子でキョロキョロしたりしながら、【仮設型】の特便が空くのを待ちわびている。

「3人ね…ま、△△公園でいっか。」
 3人であればいつもなら並んでいるところだが、あいにく今はそんな気力は残っておらず、近所の公園で事を済ませることとした。

 △△公園のトイレは、個室:2,仮設:1で計3の特便があり、チープだが最もオーソドックスな構成である。駅前の特便よりは流石に色々な面で劣るが、利用者が少ない分、仮設型の特便が使える可能性が高いのが良い。

「わざわざ近所の特便で致すくらいなら帰ってスればいい」などと言う方もいるかもしれない。この俺が、そんな数分程度の我慢もきかない性欲大魔神だと思われたようであれば心外である。断じて違う。あるのだ...事情が。。。

 と言うのも俺は、非常に『情』の深い人間である。その深さ故、家で一度ネットの世界にダイブしてしまうと、当てもなくインターネットの海を漂流する"カノジョ"らに対して、無限とも言える程の愛と熱量と時間を注がずには居られなくなるのだ。
 だが俺も人間だ。それでは明日の仕事に支障をきたす。だからこうして【特便】を利用し、内より湧き上がる溢れんばかりの『情』をコントロールしているという訳だ。

 これでこの俺が、すぐに劣情でいっぱいになる浅いバケツを抱え、所構わずに吐き出さずにはいられない『欲』に塗れた哀しい獣共と違い、しっかりと自制心を持ちながら、懐の深い『情』に溢れた紳士であることがお分かり頂けただろう。

 意外に思われるかもしれないが、一応、念のため言っておくと――現在は妻や交際をしている女性はいない。過去にもそういった、特定の女性とお付き合いをしたいという感情を持ったことはない。なぜなら、俺の底なしの深い深いこの『情』は、ただ一人の女性だけに向けるにはあまりに大き過ぎるのだ……。

 おっと…そうこうしている内に公園に到着したようだ。ふと入り口を見ると、『3』という数字の下に【清掃中】と書かれた札が風で揺れていた。
「お!珍しい。またあの【清掃員】の来てるのかな?」
 僥倖にほんの少しだけ心躍らせつつ、3番トイレの鍵を受け取るべく端末の操作に向かった。

 札に書かれている【清掃中】の文字は、「清掃中につき使用不可」ではなく「員在」という意味だ。専用のアプリを開きQRコードを表示させ端末にかざす。ログインが完了したので"3"のパネルをタッチし次の画面へ進む。

 表示された【Hand】【Oral】【other】【Free】とそれぞれ書かれた4つのアイコンの内、【Free】のアイコン以外は灰色になっていて押しても反応しなくなっている。
「おぉ!やっぱ来てるっぽいな。ラッキー♪」

 "おばさん"は、何処にでもいるような普通のおばさんだが、その年齢に裏付けされた確かな技術を有する【清掃員】の中ではかなりの優良株だ。先に言っておくが、俺は別に熟女好きという訳ではない。そもそも、【清掃員】に外見の良さを求めるのはお門違いもいいところである。

 第一に俺は、作業中はオフラインでも会えるようにしてある、お気に入りのカノジョ達を眺めていることが多いので、見た目の良し悪しはさほど重要ではないのだ。そういう態度でいると中には、へそを曲げて作業を止めてしまう困った【清掃員】もいるが、"おばさん"はその辺もきちんと理解があり、そういった面でも「大当たり」と言わざるを得ない貴重な人材である。

 色の付いた【Free】と書かれたアイコンをタップし、端末の下部から出てきた無骨な鍵を受け取る。入り口の【清掃中】の札を裏返して無地の面を表に向けると、下腹部から湧き上がる『情』を抑えつつ、軽やかなフットワークで公衆トイレ内へと入っていく・・・。

 スマホにプラグを挿入し、イヤホンを両耳に装着する。「お気に入り」フォルダを開けば準備は万端だ。

 ドアを2回ノックする。トイレに入室する際の正式な作法である。返事はない・・・というか聞こえない。特便はその多くが防音室となっており、余程大きな音でなければ普通外に漏れることはない。こうして【清掃員】のプライバシーは厳重に守られているのだ。

 ドア上部の緑のランプが灯りGOサインが出される。ポケットから鍵を取り出し一度深呼吸する・・・。完全に落ち着きを取り戻した穏やかな心で目の前の扉を解錠した。扉を開くと同時に「お邪魔しま~す。」と普段よりワントーン低いダンディな声で、の来訪を待ち侘びていたであろうに語り掛ける。が、次の瞬間―――。
 眼前に飛び込んできた理解の範疇を大幅に超える光景に、俺の心は再び揺らぎ始めるのであった―――。
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