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88話「何よりも幸せなのだと感じた」
しおりを挟む宿に着いた途端、暑さを感じて外套を脱いでアイテムボックスに収納した。
弱まっていたとは言え吹雪の中でずっと外に居たにも関わらず、うっすらと汗すらかいている。
その理由はまぁ、うん。ずっと心臓がフル稼働してたからだろうな。
結局宿に着くまでずっとジュレと手を繋いだままだったし、腕は柔らかくて大きな胸に埋まったままだったし。
なんて言うか、決して嫌な時間ではなかったけれど、妙に疲れてしまった。
そもそも魔力が枯渇気味でもあるし、今日は飯を食ったら早めに寝るとしよう。
なんて、思っていたのだけれど。
「おい。動けないんだが」
宿に併設された食堂で席に座った直後、いつものようにサウレが膝に飛び乗って来た。
それは良いんだが、何故か俺の左右の腕をアルとクレアが抱え込んでいて、言葉通り身動き一つとれない状態だ。
なんだこれ。拷問でも始まるのか?
「人肌恋しかったので!」
「同じく!」
「……ここは私の特等席」
うん、なんて言うか。
正直邪魔なんだけど……言っても聞かないだろうしなぁ。
「あー。飯が来る前には離れてくれよ?」
「それは約束できませんね! 何ならこのまま食べさせてあげます!」
「良い提案だね! じゃあボクもそうしようかな!」
「……仕方がないから私はライ成分を補給する事にする」
「いや、意味分からん事を言い出すな」
特にサウレ。ライ成分ってなんだよ。
「ほら皆さん、食事が来ましたよ。席にお戻りください」
「くっ……デート直後の人は余裕がありますね!」
「くそう! ボクも王都に戻ったらデートするんだからね!」
悔しそうに呻きながら離れる二人。しかし。
「やっぱりお前はそこから動かないのな」
「……この場所を譲るつもりはない」
俺の膝の上にちょこんと座るサウレの宣言に苦笑し、運ばれて来た夕飯を食べることにした。
ちなみに夕飯はフリドール名物の雪熊のシチューであり、中々の美味さだったと付け加えておく。
※
部屋に戻った後、さすがに疲れを感じてベッドに倒れこんだ。
色々と、濃い一日だったな。
全力で戦闘したのはいつぶりだろうか。
『竜の牙』に入る前だから、かなり昔の事だ。
それでも一度身に着けた技術はなかなか忘れることが無いようで、何とも言えない気分になった。
多分俺はこの先もずっと、呪いのような記憶と共に生きていくんだろう。
けれど。俺は一人ではない。
傍で支えてくれる人がいる。
それなら俺はきっと、人間で居続けることが出来ると思える。
気が付くと、俺は笑みを浮かべていた。
最近こういう事が増えた気がするな。
思わず感情が表に出る、そんな時が。
これもみんなの影響なのかね、なんて事を考えていると。
コンコンとドアをノックされた。
この気配は……アルか?
「どうした?」
「ちょっと用があるんですけど、いま大丈夫ですか?」
「あぁ、入って良いぞ」
「ではお邪魔します」
ドアを開け、ぴょこりと部屋に入ってくる。
それが何だか可笑しくて、浮かんだ笑みを手で隠した。
「ライさん?」
「いや、何でもない。用ってのは?」
「いえ、約束を守ってもらおうかと」
……あーうん。そうだな、宿を出る時に約束してたもんな。
後で部屋に行こうかと思ってたけど、まさかアルの方から来るとは思わなかった。
「……そう言えばちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「その、なんだ。俺が他の奴とキスしたりするのは、アル的にはどうなんだ?」
いや、だいぶ今更な気はするけど。
動物でも番は一匹ずつだし、この世界は女性の比率が高いとは言え、一対多というのは普通なんだろうか。
俺には恋愛ってもんがよく分からないし、それならば当事者に聞くのが一番確実だろう。
「え? 嬉しいですよ?」
「そうなのか?」
「だってライさんがそれだけ魅力的って事ですし。二人きりの時間も欲しいですけど、みんなで居る時間も大好きです」
なるほど、そういうものなのか。
確かにこの国では多夫多妻制が法で認められてる訳だし、それが普通なのかもしれないな。
「あ、でもルミィさんは怖いです」
「……いや、あれは別枠じゃないか?」
一人だけガチのホラーじゃねぇか。
アル達と一緒の括りには……いや、アルも近いものがある気がするけど。
隙を見せたら首を取りに来るからな、こいつ。
「そんなことよりほら、他にやる事があるんじゃないですか?」
アルがはにかみながらこちらを見上げ、人差し指を唇に着ける。
その顔は少し紅潮していて、そして何かを期待するかのように目が潤んでいて。
その分かりやすい態度に思わず苦笑しながら、彼女を優しく抱き寄せた。
愛しいと、素直にそう思う。
アルが欲しいと、純粋に願う。
その気持ちから彼女を抱きしめる力が強まり、触れたい一心で目の前にあるサラサラした金髪を撫でた。
指触りが心地よく、同時にアルの甘い香りがふわりと立ち上る。
くらりと理性が揺れる。思わず彼女の頬に触れると、柔らかで暖かな感触。
そして俺の手を包むように、アルの小さな手が重ねられる。
その表情は本当に幸せそうで、悦びに満ちていて。
多分俺も同じ顔をしているんだろうな、と思いながら。そっと顔を寄せた。
三度目のキスはやはり甘く、息を止めていたアルが息継ぎをするまで続いた。
何とも愛らしく感じて笑うと、アルも幸せそうに笑う。
そんな他愛もない時間が、俺たちにとって。
何よりも幸せなのだと感じた。
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