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第1章 規律の汚染
食事という名の管理
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食事という名の管理
マッサージで血流が戻り、蒼白だった頬に少しだけ赤みが差した彼女を、ダイニングへと誘導する。彼女の足取りはまだ覚束ない。突然軽くなった肩の荷の重さに、平衡感覚を失っているようだ。
「さあ、食べて。温かいうちに。君の脳と体に、一番必要なものを詰め込んでおいたから」
アイランドキッチンには、すでに調理を終えた鍋がセットされている。カボチャと人参、そして玉ねぎをベースにした、濃厚なオレンジ色のポタージュだ。ただし、市販のルーを使ったような代物ではない。彼女の現在の極度な栄養失調状態――低血糖、鉄分不足、タンパク質欠乏――を補うために、成分単位で計算し尽くした「高栄養流動食」に近いものだ。
今の彼女の胃腸は、ストレスと疲労で機能不全を起こしている。ステーキのような固形物や、繊維質の多い野菜を与えれば、消化不良を起こして逆に体力を奪うだろう。今の彼女に必要なのは、咀嚼の必要がなく、飲むだけで脳と内臓に染み渡るエネルギーだ。
「……いただきます」
彼女はスプーンを手に取るが、その手は小刻みに震えていた。空腹だからではない。極度の疲労と、僕に与えられすぎた「救済」への動揺、そして「こんなに幸せでいいのだろうか」という罪悪感で、自律神経がショートしているのだ。
カチャ、とスプーンが皿の縁に当たる音が響く。すくったスープが、口元に運ばれる前にこぼれ落ち、テーブルクロスに黄色い染みを作る。
「あ……ごめんなさい、私……また汚して。せっかく用意してくれたのに……」
彼女が泣きそうな顔で謝る。完璧に振る舞えない自分への嫌悪。「ちゃんとしなさい」と自分を律してきた呪いが、彼女を縛り付けている。
「謝らなくていい。僕がやるよ」
僕は彼女の隣に椅子を引き寄せ、座る。そして、彼女の手からスプーンを優しく、しかし強引に取り上げた。
「手が震えているじゃないか。誰かに食べさせてもらうのは、恥ずかしいことじゃない。君はいつも、誰かに食べさせてあげる側だった。でも今は、僕に甘える側だよ。……ほら、口を開けて」
「そ、そんな……子供じゃないのに……」
「君は今は、何もできないただの女の子でいいんだ。僕の前だけではね。……上手だ、いい子だね、英里」
僕はスプーンにスープをすくい、彼女の乾いた唇に押し当てる。彼女は躊躇い、視線を彷徨わせ、そして諦めたように小さく口を開いた。
とろりとした液体が、彼女の口腔へと消える。嚥下を確認。
<<診断: 血糖値の上昇に伴う、エンドルフィンの分泌開始。被介護体験による退行現象の誘発>>
「……美味しい。すごく、優しい味がする」
彼女が、今日初めて心からの声を漏らす。その声は震えていた。
コンビニのおにぎりを流し込むだけの「給油」のような食事ではない。自分のためだけに、自分の体調を完璧に把握した人間が作った、適温の食事。それがどれほど、孤独な彼女の魂を溶かすか。
「カボチャの甘みだけじゃない。なんだか、包まれているみたいな味」
「隠し味に、君の好きなハチミツを少し入れたんだ。疲れた脳には糖分が必要だからね。……美味しいかい?」
「……うん。すごく。たーくん、私の好み、全部知ってるんだね」
「当然だろ。君のことなら、君以上に知っている」
次の一口を運ぶ。彼女はもう抵抗しない。雛鳥のように、僕が差し出すスプーンを待ち、受け入れる。
一口、また一口と飲み込むたびに、彼女の瞳から「しっかり者の長女」の光が消え、無防備な少女の色が濃くなっていく。この役割の逆転こそが、彼女の精神構造を書き換えるための重要なプロセスだ。
「守る側」から「守られる側」へ。
「管理する側」から「管理される側」へ。
器が空になる頃には、彼女の目はとろんと潤み、頬にははっきりとした血色が戻っていた。満腹と安堵による、幸福な酩酊状態。
「ごちそうさまでした……」
彼女が恥ずかしそうに呟く。口元に、黄色いスープが一滴、拭い忘れたように残っている。
「可哀想に。……僕が食べさせてあげないと、君は息をするのも忘れそうだ。……これからは、呼吸も、食事も、全部僕が管理してあげるから。君はただ、僕の腕の中で、名前も役割も忘れてしまえばいいんだ」
僕は指先で、その雫を拭い、そのまま自分の口へと運んだ。
甘い。カボチャの甘みと、彼女の唾液の味。そして、彼女を完璧に掌握しつつあるという支配の快感。
<<観測: 栄養摂取完了。検体のバイタルは安定域に移行。人格定義の書き換え(再定義)の準備が整った>>
さあ、心と体のメンテナンスの序盤は終わった。次は、よりプライベートな領域、彼女の「皮膚」そのものに刻まれた社会の規律を、僕の色で塗り替える番だ。
マッサージで血流が戻り、蒼白だった頬に少しだけ赤みが差した彼女を、ダイニングへと誘導する。彼女の足取りはまだ覚束ない。突然軽くなった肩の荷の重さに、平衡感覚を失っているようだ。
「さあ、食べて。温かいうちに。君の脳と体に、一番必要なものを詰め込んでおいたから」
アイランドキッチンには、すでに調理を終えた鍋がセットされている。カボチャと人参、そして玉ねぎをベースにした、濃厚なオレンジ色のポタージュだ。ただし、市販のルーを使ったような代物ではない。彼女の現在の極度な栄養失調状態――低血糖、鉄分不足、タンパク質欠乏――を補うために、成分単位で計算し尽くした「高栄養流動食」に近いものだ。
今の彼女の胃腸は、ストレスと疲労で機能不全を起こしている。ステーキのような固形物や、繊維質の多い野菜を与えれば、消化不良を起こして逆に体力を奪うだろう。今の彼女に必要なのは、咀嚼の必要がなく、飲むだけで脳と内臓に染み渡るエネルギーだ。
「……いただきます」
彼女はスプーンを手に取るが、その手は小刻みに震えていた。空腹だからではない。極度の疲労と、僕に与えられすぎた「救済」への動揺、そして「こんなに幸せでいいのだろうか」という罪悪感で、自律神経がショートしているのだ。
カチャ、とスプーンが皿の縁に当たる音が響く。すくったスープが、口元に運ばれる前にこぼれ落ち、テーブルクロスに黄色い染みを作る。
「あ……ごめんなさい、私……また汚して。せっかく用意してくれたのに……」
彼女が泣きそうな顔で謝る。完璧に振る舞えない自分への嫌悪。「ちゃんとしなさい」と自分を律してきた呪いが、彼女を縛り付けている。
「謝らなくていい。僕がやるよ」
僕は彼女の隣に椅子を引き寄せ、座る。そして、彼女の手からスプーンを優しく、しかし強引に取り上げた。
「手が震えているじゃないか。誰かに食べさせてもらうのは、恥ずかしいことじゃない。君はいつも、誰かに食べさせてあげる側だった。でも今は、僕に甘える側だよ。……ほら、口を開けて」
「そ、そんな……子供じゃないのに……」
「君は今は、何もできないただの女の子でいいんだ。僕の前だけではね。……上手だ、いい子だね、英里」
僕はスプーンにスープをすくい、彼女の乾いた唇に押し当てる。彼女は躊躇い、視線を彷徨わせ、そして諦めたように小さく口を開いた。
とろりとした液体が、彼女の口腔へと消える。嚥下を確認。
<<診断: 血糖値の上昇に伴う、エンドルフィンの分泌開始。被介護体験による退行現象の誘発>>
「……美味しい。すごく、優しい味がする」
彼女が、今日初めて心からの声を漏らす。その声は震えていた。
コンビニのおにぎりを流し込むだけの「給油」のような食事ではない。自分のためだけに、自分の体調を完璧に把握した人間が作った、適温の食事。それがどれほど、孤独な彼女の魂を溶かすか。
「カボチャの甘みだけじゃない。なんだか、包まれているみたいな味」
「隠し味に、君の好きなハチミツを少し入れたんだ。疲れた脳には糖分が必要だからね。……美味しいかい?」
「……うん。すごく。たーくん、私の好み、全部知ってるんだね」
「当然だろ。君のことなら、君以上に知っている」
次の一口を運ぶ。彼女はもう抵抗しない。雛鳥のように、僕が差し出すスプーンを待ち、受け入れる。
一口、また一口と飲み込むたびに、彼女の瞳から「しっかり者の長女」の光が消え、無防備な少女の色が濃くなっていく。この役割の逆転こそが、彼女の精神構造を書き換えるための重要なプロセスだ。
「守る側」から「守られる側」へ。
「管理する側」から「管理される側」へ。
器が空になる頃には、彼女の目はとろんと潤み、頬にははっきりとした血色が戻っていた。満腹と安堵による、幸福な酩酊状態。
「ごちそうさまでした……」
彼女が恥ずかしそうに呟く。口元に、黄色いスープが一滴、拭い忘れたように残っている。
「可哀想に。……僕が食べさせてあげないと、君は息をするのも忘れそうだ。……これからは、呼吸も、食事も、全部僕が管理してあげるから。君はただ、僕の腕の中で、名前も役割も忘れてしまえばいいんだ」
僕は指先で、その雫を拭い、そのまま自分の口へと運んだ。
甘い。カボチャの甘みと、彼女の唾液の味。そして、彼女を完璧に掌握しつつあるという支配の快感。
<<観測: 栄養摂取完了。検体のバイタルは安定域に移行。人格定義の書き換え(再定義)の準備が整った>>
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