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第陸話:瑠璃色の夜明け
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社に降り立った珀は、ゆっくりと瑠璃を背から下ろすと、人型となったその腕で強く抱き締めた。
冷え切った瑠璃の身体に、珀の熱が伝わる。
「大丈夫か」
「……はい」
「そうか。……怖かっただろう」
自身を殺そうとした村長のことか。それとも、龍へと姿を変え、激昂した珀自身のことか。
珀のこの言葉で、一連の出来事が瑠璃の脳裏に鮮明に蘇った。
怖くなかったといえば嘘になる。けれど、それ以上に、もう二度と珀と会えなくなってしまうことのほうが、ずっと怖かった。
嗚咽を噛み殺し、ふるふるとかぶりを振る。そんな瑠璃を、珀はさらにきつく腕の中へ閉じ込めた。
「二度と……俺の前から、いなくならないでくれ」
瑠璃の耳元で、弱々しく響く珀の声。心なしか震えるそれで紡がれたのは、切なる彼の願いだった。
瑠璃は、黙って頷いた。何度も頷き、彼の胸元に顔を押しつけた。彼のぬくもりが、白檀のような甘く気高い香りが、身体の内側にじわりと染み込んでいく。
鼓動と鼓動が重なる。唇と唇が、重なる。
気持ちが落ち着きを取り戻した頃。
心にかかっていたあることを珀に問うため、瑠璃は意を決して口を開いた。
「あ、あの……」
「……どうした?」
「あの……っ、長の言っていた、二百年ほど前に起こったという出来事を、聞かせていただけませんか……?」
珀の表情が、わずかに翳る。
この出来事は、おそらく珀にとって、凄絶な痛みを伴うものなのだろう。記憶に触れるのも悍ましいほどの。
だが、優しい彼の内なる怒り、その背景にある悲しみを感取していた瑠璃は、どうしても知りたいと思ってしまった。
好奇心などではない。彼の痛みを共有し、彼に寄り添いたいという想いと覚悟。
しばし沈黙した後。
珀は、深く息を吐き出すと、静かに語り始めた。
「あれは、俺の咎だ。……俺が村に戻したせいで、娘は死んだ」
それは、瑠璃と同じく贄として選ばれ、同じく村の理不尽な因習に翻弄された娘の無念。そして、その悲劇の影を、誰にも知られることなく二百年以上も抱え続けてきた珀の孤独。
珀の紡ぐ言葉のひとつひとつが、瑠璃の胸に重く圧しかかる。今度は、瑠璃が珀を抱き締める番だった。
「……ずっと、おひとりで抱えておられたのですね」
目尻に涙を溜め、小さな身体で、精いっぱい、包み込むように腕を回す。
「貴方のせいではありません。貴方は、村に帰りたいという彼女の気持ちを、ただ重んじただけではありませんか」
珀の過去を知り、彼の痛みに触れたことで、瑠璃の中で何かが確実に変わった。
畏敬だけではない。ひと筋の光。
長い長い闇を照らす、確かな愛。
「わたしは、村には戻りません。この先、たとえ短い時間だとしても……貴方のおそばに、いさせてください」
つっと。まるで、星が流れるように。瑠璃の頬を、一縷の雫が伝っていく。
珀の瞳が、わずかに揺れた。
「……っ、瑠璃……!」
琥珀色の虹彩の奥に、激しい焔が明滅する。
情愛と痛みが混ざり合った、まさしく独占欲の表徴ともいうべき焔。腕の中の何よりも愛おしい存在に、心が軋む。
珀は、すっと手を伸ばし、熱を孕んだ指先で瑠璃の左頬をそろりとなぞった。
黒い痣を、慈しむように指の腹でさする。それから、顎へと滑らせ、くすぐるように撫でると、先ほど口づけたばかりの柔らかな口元に触れた。
開かれそうになる瑠璃の唇に、自身のそれをふたたび重ねる。一度目よりも舌をさらに深く絡め、貪るように口内を探った。
乱れた息づかい。
身体が、火照る。
「……んっ、ふ、ぅ……」
瑠璃の朱唇からまろび出る甘い声に、珀の雄が熱くしなった。根元から駆けのぼる疼き。先端は、瑠璃のぬくもりを求め、ずくずくと脈打っている。
名残惜しそうに舌をほどけば、ふたりのあいだに光る銀糸が架かった。
珀は、瑠璃を抱き上げると、社の奥へと向かった。昨夜をともにした寝台の上に瑠璃を横たえ、はだけた小袖に手をかける。
目と目がぶつかる。さながら時が止まったかのような静寂。珀の無言の問いかけに、瑠璃は無言で肯いた。
と、次の瞬間。
珀の手によって剥がされた着物が、はらりと床に落とされた。
「やはり……お前は、何よりも美しい」
露わとなった瑠璃の肢体を眺めながら、陶然と噛みしめるように珀が告げる。そうして瑠璃の上に覆い被さると、珀は胸元の黒い痣を舌先で辿った。
「ひ、ぁ……っ!」
珀の舌が触れるたび、痣の部分が甘美な刺激で満たされていく。
痛みが和らぐのとは違う不思議な感覚が、瑠璃の中に芽生えていた。まるで、身体の内側から、何かが浄化されていくような。
そして。
「あぁっ!!」
珀の舌は、瑠璃の熟れた花芽へと押し当てられた。
ぢゅっと、音を立てて幾度も吸い上げる。堪らず浮き上がった瑠璃の腰を支えると、熟れて敏感になった襞の奥に、そのまま舌を滑り込ませた。
「やっ、んぅ、あぁ……っ!」
瑠璃の口から溢れ出る喘ぎ声。愛撫するたびに、花蜜がとめどなく滴り落ちてくる。
甘く透明なそれを心ゆくまで堪能した後、珀はようやく顔を持ち上げた。
濡れた口元を手の甲で拭う。裸体を晒した彼の中心では、硬く張り詰めた玉茎が、天を衝かんばかりにそそり立っていた。
「もう一度、俺を受けいれてくれるか」
「はい。……貴方を、たくさん感じさせてください」
瑠璃のこの言葉に、珀は迷いのない動きで、そそり立ったそれを膣内へと挿入した。
「ん、ぅ……っ」
熱い刃が、柔らかい肉を割って進んでいく。内側から押し広げられるような圧迫感に、瑠璃は思わず身を捩った。
——気持ちいい。
まもなく深部まで到達した珀の熱い塊に、瑠璃は得も言われぬ多幸感に包まれた。
魂が震えるほどの充足感に、痛みさえも溶けていく。
「あぁ……っ!」
瑠璃の反応に、珀の顔が満足げに歪む。
珀は、瑠璃の腰を掴んだその手に力を込めると、さらに深くまで自身を沈めた。
身も心も、ふたりのあいだに隙間などない。
「んっ、あっ、あっ」
褥を濡らす淫靡な水音。
愛おしむように、しかし容赦なく、珀は律動を刻み込んだ。鋼のような武張りが最奥を穿つたびに、瑠璃の口から乱れた声が上がる。
「……珀さま……っ、珀さまっ!!」
昂ぶりは極点へと達し、瑠璃の身体が戦慄する。
全身を貫く快楽。肉と肉のぶつかる音が情欲を煽り、内側からせり上がる狂おしいほどの炎が意識を白濁とさせた。
「……っ、瑠璃……っ!!」
同時に、珀もまた喉奥で低く唸ると、腰を突き立て射精した。
どくどくと。拍動に合わせ、灼熱の奔流が瑠璃の胎を埋め尽くす。
ほのかに張りを湛えた玉茎が奥で揺蕩い、やがて溢れ出た白い雫が褥に染みを作った。
轟々と、滝の音が聞こえる。
どのくらいこうしているだろうか。気づけば、外には十六夜が訪れていた。
幽玄な月明かりが差し込む中。何やら違和感をおぼえた瑠璃は、自身の左胸に視線を遣った。
「……え?」
左胸を覆っていたはずの黒い痣が、かろうじて判別できるほどに薄まり、肌に馴染んでいる。感触も、周囲の正常な皮膚とさほど相違ないほどに滑らかだ。
目を、疑った。
「痣が……」
震える声で呟く。
こんなことがあり得るのだろうか。まさか、左頬の痣も……?
と、いまだ瑠璃と繋がったままとなっていた珀が、ゆっくりと己の半身を引き抜いた。瑠璃の身体を起こし、その不安を拭うように、穏やかな口調で話しかける。
「気づいたか」
「これは、いったい……?」
瑠璃が尋ねると、珀はわずかに目を伏せた。慎重に言葉を選び、言い淀むように息を継ぐ。
「……龍と契りを交わした人間は、あらゆる病や穢れから解放されると言われている。肉体が純化され、その土地の霊気に溶け込み、龍と同じ時を生きる存在になるのだと」
「……もしかして……わたしは……」
「……じきに、人間ではなくなる」
これまで珀が瑠璃に伝えることを躊躇っていた真実。それは、生きてはならないとされた瑠璃の運命を覆す、途方もない真実であった。
そういえば……と、瑠璃は己の身に起きた異変に気がついた。肺、背中、心臓——すべての痛みが、いつのまにか嘘のように消えている。
戸惑い、瞠目した瑠璃の左頬に、珀の手が触れる。瑠璃自身、厭わしく思っていたその痣も、胸部同様に薄まっていた。
「昨日、俺はお前に何も告げないまま契りを交わした。まぎれもなく、俺の我執だ。……許してくれとは言わない。だが、俺はお前に生きていてほしい」
愛してる。
珀は、はっきりとそう言った。
「……」
生きることを諦めていた。
この醜い身体で孤独に朽ち果てるのだと、そう、心を殺した。
それなのに。
今、瑠璃の前には、絶望を塗り潰すほどの圧倒的な希望が、燦然と輝きを放っている。
人間ではなくなる——これの意味するところは、すなわち、瑠璃の知る世界の理から外れてしまうということなのだろう。
でも。
それでも。
「この命が、貴方とともに在り続けられるのなら……たとえどんな変化を遂げようと、わたしは構いません」
琥珀色の双眸を真っ直ぐに見据え、凛然と瑠璃が告げる。
迷いなどない。あるのは、永い時を生きる彼が、今にも消えんとしていたこの命を望んでくれたという事実だけ。
抱き寄せられた瑠璃の肩に落ちる、あたたかな雫。それは、凍てついていた感情がようやく氷解した、龍の涙だった。
夜が明ける。
東の空から零れ落ちる朝陽が、社を淡く染める。
珀の腕の中で目覚めた瑠璃は、おそるおそる自身の左頬に指を這わせた。
かつて自らを縛りつけていた醜さの刻印は消えた。病に冒され、孤独に死を待つばかりだった少女は、もういない。
奇跡ではない。愛という名の、確かな現実。
瑠璃は、そっと珀に寄り添うと、愛しいその胸元に顔をうずめた。これに応えた珀が、瑠璃を優しく抱き返す。
秋風渡る月華の夜。
龍と贄は、つがいとなった。
<了>
冷え切った瑠璃の身体に、珀の熱が伝わる。
「大丈夫か」
「……はい」
「そうか。……怖かっただろう」
自身を殺そうとした村長のことか。それとも、龍へと姿を変え、激昂した珀自身のことか。
珀のこの言葉で、一連の出来事が瑠璃の脳裏に鮮明に蘇った。
怖くなかったといえば嘘になる。けれど、それ以上に、もう二度と珀と会えなくなってしまうことのほうが、ずっと怖かった。
嗚咽を噛み殺し、ふるふるとかぶりを振る。そんな瑠璃を、珀はさらにきつく腕の中へ閉じ込めた。
「二度と……俺の前から、いなくならないでくれ」
瑠璃の耳元で、弱々しく響く珀の声。心なしか震えるそれで紡がれたのは、切なる彼の願いだった。
瑠璃は、黙って頷いた。何度も頷き、彼の胸元に顔を押しつけた。彼のぬくもりが、白檀のような甘く気高い香りが、身体の内側にじわりと染み込んでいく。
鼓動と鼓動が重なる。唇と唇が、重なる。
気持ちが落ち着きを取り戻した頃。
心にかかっていたあることを珀に問うため、瑠璃は意を決して口を開いた。
「あ、あの……」
「……どうした?」
「あの……っ、長の言っていた、二百年ほど前に起こったという出来事を、聞かせていただけませんか……?」
珀の表情が、わずかに翳る。
この出来事は、おそらく珀にとって、凄絶な痛みを伴うものなのだろう。記憶に触れるのも悍ましいほどの。
だが、優しい彼の内なる怒り、その背景にある悲しみを感取していた瑠璃は、どうしても知りたいと思ってしまった。
好奇心などではない。彼の痛みを共有し、彼に寄り添いたいという想いと覚悟。
しばし沈黙した後。
珀は、深く息を吐き出すと、静かに語り始めた。
「あれは、俺の咎だ。……俺が村に戻したせいで、娘は死んだ」
それは、瑠璃と同じく贄として選ばれ、同じく村の理不尽な因習に翻弄された娘の無念。そして、その悲劇の影を、誰にも知られることなく二百年以上も抱え続けてきた珀の孤独。
珀の紡ぐ言葉のひとつひとつが、瑠璃の胸に重く圧しかかる。今度は、瑠璃が珀を抱き締める番だった。
「……ずっと、おひとりで抱えておられたのですね」
目尻に涙を溜め、小さな身体で、精いっぱい、包み込むように腕を回す。
「貴方のせいではありません。貴方は、村に帰りたいという彼女の気持ちを、ただ重んじただけではありませんか」
珀の過去を知り、彼の痛みに触れたことで、瑠璃の中で何かが確実に変わった。
畏敬だけではない。ひと筋の光。
長い長い闇を照らす、確かな愛。
「わたしは、村には戻りません。この先、たとえ短い時間だとしても……貴方のおそばに、いさせてください」
つっと。まるで、星が流れるように。瑠璃の頬を、一縷の雫が伝っていく。
珀の瞳が、わずかに揺れた。
「……っ、瑠璃……!」
琥珀色の虹彩の奥に、激しい焔が明滅する。
情愛と痛みが混ざり合った、まさしく独占欲の表徴ともいうべき焔。腕の中の何よりも愛おしい存在に、心が軋む。
珀は、すっと手を伸ばし、熱を孕んだ指先で瑠璃の左頬をそろりとなぞった。
黒い痣を、慈しむように指の腹でさする。それから、顎へと滑らせ、くすぐるように撫でると、先ほど口づけたばかりの柔らかな口元に触れた。
開かれそうになる瑠璃の唇に、自身のそれをふたたび重ねる。一度目よりも舌をさらに深く絡め、貪るように口内を探った。
乱れた息づかい。
身体が、火照る。
「……んっ、ふ、ぅ……」
瑠璃の朱唇からまろび出る甘い声に、珀の雄が熱くしなった。根元から駆けのぼる疼き。先端は、瑠璃のぬくもりを求め、ずくずくと脈打っている。
名残惜しそうに舌をほどけば、ふたりのあいだに光る銀糸が架かった。
珀は、瑠璃を抱き上げると、社の奥へと向かった。昨夜をともにした寝台の上に瑠璃を横たえ、はだけた小袖に手をかける。
目と目がぶつかる。さながら時が止まったかのような静寂。珀の無言の問いかけに、瑠璃は無言で肯いた。
と、次の瞬間。
珀の手によって剥がされた着物が、はらりと床に落とされた。
「やはり……お前は、何よりも美しい」
露わとなった瑠璃の肢体を眺めながら、陶然と噛みしめるように珀が告げる。そうして瑠璃の上に覆い被さると、珀は胸元の黒い痣を舌先で辿った。
「ひ、ぁ……っ!」
珀の舌が触れるたび、痣の部分が甘美な刺激で満たされていく。
痛みが和らぐのとは違う不思議な感覚が、瑠璃の中に芽生えていた。まるで、身体の内側から、何かが浄化されていくような。
そして。
「あぁっ!!」
珀の舌は、瑠璃の熟れた花芽へと押し当てられた。
ぢゅっと、音を立てて幾度も吸い上げる。堪らず浮き上がった瑠璃の腰を支えると、熟れて敏感になった襞の奥に、そのまま舌を滑り込ませた。
「やっ、んぅ、あぁ……っ!」
瑠璃の口から溢れ出る喘ぎ声。愛撫するたびに、花蜜がとめどなく滴り落ちてくる。
甘く透明なそれを心ゆくまで堪能した後、珀はようやく顔を持ち上げた。
濡れた口元を手の甲で拭う。裸体を晒した彼の中心では、硬く張り詰めた玉茎が、天を衝かんばかりにそそり立っていた。
「もう一度、俺を受けいれてくれるか」
「はい。……貴方を、たくさん感じさせてください」
瑠璃のこの言葉に、珀は迷いのない動きで、そそり立ったそれを膣内へと挿入した。
「ん、ぅ……っ」
熱い刃が、柔らかい肉を割って進んでいく。内側から押し広げられるような圧迫感に、瑠璃は思わず身を捩った。
——気持ちいい。
まもなく深部まで到達した珀の熱い塊に、瑠璃は得も言われぬ多幸感に包まれた。
魂が震えるほどの充足感に、痛みさえも溶けていく。
「あぁ……っ!」
瑠璃の反応に、珀の顔が満足げに歪む。
珀は、瑠璃の腰を掴んだその手に力を込めると、さらに深くまで自身を沈めた。
身も心も、ふたりのあいだに隙間などない。
「んっ、あっ、あっ」
褥を濡らす淫靡な水音。
愛おしむように、しかし容赦なく、珀は律動を刻み込んだ。鋼のような武張りが最奥を穿つたびに、瑠璃の口から乱れた声が上がる。
「……珀さま……っ、珀さまっ!!」
昂ぶりは極点へと達し、瑠璃の身体が戦慄する。
全身を貫く快楽。肉と肉のぶつかる音が情欲を煽り、内側からせり上がる狂おしいほどの炎が意識を白濁とさせた。
「……っ、瑠璃……っ!!」
同時に、珀もまた喉奥で低く唸ると、腰を突き立て射精した。
どくどくと。拍動に合わせ、灼熱の奔流が瑠璃の胎を埋め尽くす。
ほのかに張りを湛えた玉茎が奥で揺蕩い、やがて溢れ出た白い雫が褥に染みを作った。
轟々と、滝の音が聞こえる。
どのくらいこうしているだろうか。気づけば、外には十六夜が訪れていた。
幽玄な月明かりが差し込む中。何やら違和感をおぼえた瑠璃は、自身の左胸に視線を遣った。
「……え?」
左胸を覆っていたはずの黒い痣が、かろうじて判別できるほどに薄まり、肌に馴染んでいる。感触も、周囲の正常な皮膚とさほど相違ないほどに滑らかだ。
目を、疑った。
「痣が……」
震える声で呟く。
こんなことがあり得るのだろうか。まさか、左頬の痣も……?
と、いまだ瑠璃と繋がったままとなっていた珀が、ゆっくりと己の半身を引き抜いた。瑠璃の身体を起こし、その不安を拭うように、穏やかな口調で話しかける。
「気づいたか」
「これは、いったい……?」
瑠璃が尋ねると、珀はわずかに目を伏せた。慎重に言葉を選び、言い淀むように息を継ぐ。
「……龍と契りを交わした人間は、あらゆる病や穢れから解放されると言われている。肉体が純化され、その土地の霊気に溶け込み、龍と同じ時を生きる存在になるのだと」
「……もしかして……わたしは……」
「……じきに、人間ではなくなる」
これまで珀が瑠璃に伝えることを躊躇っていた真実。それは、生きてはならないとされた瑠璃の運命を覆す、途方もない真実であった。
そういえば……と、瑠璃は己の身に起きた異変に気がついた。肺、背中、心臓——すべての痛みが、いつのまにか嘘のように消えている。
戸惑い、瞠目した瑠璃の左頬に、珀の手が触れる。瑠璃自身、厭わしく思っていたその痣も、胸部同様に薄まっていた。
「昨日、俺はお前に何も告げないまま契りを交わした。まぎれもなく、俺の我執だ。……許してくれとは言わない。だが、俺はお前に生きていてほしい」
愛してる。
珀は、はっきりとそう言った。
「……」
生きることを諦めていた。
この醜い身体で孤独に朽ち果てるのだと、そう、心を殺した。
それなのに。
今、瑠璃の前には、絶望を塗り潰すほどの圧倒的な希望が、燦然と輝きを放っている。
人間ではなくなる——これの意味するところは、すなわち、瑠璃の知る世界の理から外れてしまうということなのだろう。
でも。
それでも。
「この命が、貴方とともに在り続けられるのなら……たとえどんな変化を遂げようと、わたしは構いません」
琥珀色の双眸を真っ直ぐに見据え、凛然と瑠璃が告げる。
迷いなどない。あるのは、永い時を生きる彼が、今にも消えんとしていたこの命を望んでくれたという事実だけ。
抱き寄せられた瑠璃の肩に落ちる、あたたかな雫。それは、凍てついていた感情がようやく氷解した、龍の涙だった。
夜が明ける。
東の空から零れ落ちる朝陽が、社を淡く染める。
珀の腕の中で目覚めた瑠璃は、おそるおそる自身の左頬に指を這わせた。
かつて自らを縛りつけていた醜さの刻印は消えた。病に冒され、孤独に死を待つばかりだった少女は、もういない。
奇跡ではない。愛という名の、確かな現実。
瑠璃は、そっと珀に寄り添うと、愛しいその胸元に顔をうずめた。これに応えた珀が、瑠璃を優しく抱き返す。
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