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本編
プロローグ
夜は、いつも静かに降りてくる。
カーテンの縁をかすめる街灯の橙が、床にぼんやりと帯を作る。頼りないその光の中で、瞳子は彼の寝顔を見つめていた。
非の打ち所がないほど端整でありながら、どこかあどけなさを残す顔立ち。呼吸に合わせて胸元が緩やかに上下し、右の肩から腕へと流れる墨の線が、淡く波打つ。
はじめてその模様に触れた夜の感触は、今でも憶えている。
あのとき——彼のタトゥーにはじめて触れた、あのとき。自分の中で何かが壊れ、同時に何かが生まれた。
不意に。
「ん……」
彼の手が、何かを探るように動いた。
寝ぼけたようにシーツをさまよう。やがて瞳子の手を見つけると、彼は無意識にその指先を絡めてきた。
ただそれだけのことに、胸の奥が、じくんと疼く。
「……明日馬くん」
この関係には、名前がない。
恋人と呼ぶには虚ろで、遊びと呼ぶにはあまりに深くて。
いまだ鈍い痛みが残る下腹に、手を当てる。互いの火照りを熱で埋めるだけの交わり。彼の寝息だけが、確かな現実として、冷たい部屋の空気をかすかに揺らす。
壁にかかる時計の針が、ひとつ、音を刻んだ。
つややかな彼の黒髪に指を伸ばしかけて、やめる。少しでも触れてしまえば、残酷で優しいこの静謐が、ほどけてしまう気がした。
「……っ——」
だめだ、好きになっちゃ。
声にすらならない呟きは、喉の奥で溶けてなくなった。
黙り込む。呼吸すら、止まるほど。
そんな沈黙を好むように、夜は、いっそう深く降りてきた。
カーテンの縁をかすめる街灯の橙が、床にぼんやりと帯を作る。頼りないその光の中で、瞳子は彼の寝顔を見つめていた。
非の打ち所がないほど端整でありながら、どこかあどけなさを残す顔立ち。呼吸に合わせて胸元が緩やかに上下し、右の肩から腕へと流れる墨の線が、淡く波打つ。
はじめてその模様に触れた夜の感触は、今でも憶えている。
あのとき——彼のタトゥーにはじめて触れた、あのとき。自分の中で何かが壊れ、同時に何かが生まれた。
不意に。
「ん……」
彼の手が、何かを探るように動いた。
寝ぼけたようにシーツをさまよう。やがて瞳子の手を見つけると、彼は無意識にその指先を絡めてきた。
ただそれだけのことに、胸の奥が、じくんと疼く。
「……明日馬くん」
この関係には、名前がない。
恋人と呼ぶには虚ろで、遊びと呼ぶにはあまりに深くて。
いまだ鈍い痛みが残る下腹に、手を当てる。互いの火照りを熱で埋めるだけの交わり。彼の寝息だけが、確かな現実として、冷たい部屋の空気をかすかに揺らす。
壁にかかる時計の針が、ひとつ、音を刻んだ。
つややかな彼の黒髪に指を伸ばしかけて、やめる。少しでも触れてしまえば、残酷で優しいこの静謐が、ほどけてしまう気がした。
「……っ——」
だめだ、好きになっちゃ。
声にすらならない呟きは、喉の奥で溶けてなくなった。
黙り込む。呼吸すら、止まるほど。
そんな沈黙を好むように、夜は、いっそう深く降りてきた。
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