【R18】堕ちるまであと少し

琴音 結月

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本編

雨粒ふたつ

 翌週も、彼は同じ時間に、同じ席にいた。
 目と目が合う。軽く会釈をすると、柔和に微笑み返してくれた。完璧すぎるほど整ったその相貌に、思わず瞳子の心臓がどきりと高鳴る。
 この日を境に、会えば自然と席をともにするようになった。
「仕事帰りですか?」
「うん。君は……学生さん?」
「はい。W大の三年です。ここのほうが、家より集中できるから」
 彼——明日馬は、日本でも有数の私立大学に籍を置く学生だった。専攻は経営学で、来月二十一歳になるらしい。
 聡明で眉目秀麗。礼儀正しく、物腰も柔らか。
 だが、距離の詰め方がとにかくまっすぐで、どこか慣れているようにも見受けられた。
 それでも、明日馬と過ごす時間は、瞳子にとって確かに意味のあるものだった。
 そんなある日。
 瞳子は、明日馬から唐突にこんなことを言われた。
「瞳子さんって、笑うと可愛いね」
 とくに意識しているわけではなかった。彼との会話が、おのずとそうさせただけ。
 彼のひとことに、瞳子の内心は泡立った。軽やかな口調とは裏腹の、真剣でたゆみない眼差し。
 その夜は、なかなか眠れなかった。
 十代でもない。二十代でもない。いい年をして心揺れ動く自分に、どうしようもなく呆れてしまう。
 そうして、数週間後。
 ふたりは並んで夜道を歩くようになり、やがて連絡先を交換する仲になった。
 明日馬がはじめて瞳子のマンションを訪れたのは、またしても雨の夜だった。
 全身を濡らして玄関で佇む彼のその姿に、瞳子の内側で得も言われぬ情動が膨れ上がる。
 室内に招き入れ、タオルを手渡す。ぽたぽたと落ちる水滴。彼が無造作に髪をかき上げたその際、腕に刻まれた黒いタトゥーが、はっきりと浮かび上がった。
 鷹の翼をモチーフにしているのだろうそれは、さながらトライバルタトゥーのように雄々しかった。
 言葉が出なかった。
 怖い、とは思わなかった。
 地味に生きてきた自分とは真逆の、何にも縛られない自由と強さの象徴。
 ——綺麗だと、思った。
「見た?」
「……うん」
「……気になった?」
 そう言うと、彼は笑って一歩近づいた。濡れた肌と体温が、部屋の空気を塗り替えていく。
「嫌じゃなかったら、もう少しだけ……近くにいってもいい?」
 壁際に追い込まれ、にわかに息が詰まる。唇が触れる直前、一瞬だけ動きを止めた彼は、問いかけるように瞳を揺らした。
 たとえ言葉にしなくても……恋愛経験の乏しい地味な自分にも、わかる。これから彼にされること。これから、彼と一緒にすること。
 瞳子は、明日馬の腕に、そっと指を這わせた。
 けっして流されたわけではない。みずから踏み出したのだ。
 見上げた瞳子の肩口に、彼の前髪から雫が滴り落ちた。しなやかな指先がそれをなぞり、形のいい唇が後を追いかける。
 ボートネックのニットの下。鎖骨のくぼみを、ぢゅっと音を立てて吸い上げた。
「綺麗だよ、瞳子さん」
 全身を満たす、甘い毒。
 彼の手が首筋から肩へと滑り、張りついた髪を取り払うと、瞳子の白い肌に無数の赤い花が咲き乱れた。
 どのくらいの時間が経っただろう。
 気づけば、ふたりの距離など、すべて消えていた。
「あっ、んぅっ」
 抱き合ったままなだれ込んだシーツの上。ギシギシと苦しげに軋みながらも、ベッドはふたりの激しい衝動を受け止めた。
 薄い膜に包まれた彼の熱い塊が、とろとろになった瞳子の内壁を抉るように連打する。
「や、ん、あぁ……っ」
 絡まる水音。浅くなる呼吸。洩れ出る嬌声。
 言葉は必要なかった。ただ、互いの熱を確かめるように、激しく求め合った。
 腰を打ちつける速度が上がる。
 感度が、限界まで膨れ上がる。
「はっ、ぁ」
 彼の吐く息が、なまめかしい湯気となって瞳子の喉元を濡らす。その一瞬の隙に、深く、さらに深く、彼は腰を沈み込ませた。
「あぁぁ……っ!!」
 最奥を穿たれた瞳子の声が、室内の空気を劈いた。
 連鎖する快感の波が重なり合い、やがてひとつに溶け合う。
 深夜の静寂に包まれて。
 彼の体温に抱かれた瞳子は、心の中で言い訳を繰り返していた。
 ——これは、たまたま。
 ——きっと、これっきり。
 けれど、このときすでに、瞳子は気づいていたのだ。
 この夜に、すべて覆されてしまったということを。
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