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本編
雨粒みっつ
明日馬との出会いから半年。
あっという間に季節は移ろい、秋が訪れた。冷たい夜風が肌を刺すたび、もう一枚羽織るものが欲しくなる。
残業を終えてオフィスのビルを背にしたとき、瞳子の鞄の中で電子音が弾けた。
スマートフォンを取り出す。液晶には、SNSの通知が一件。
明日馬からの連絡は、いつも夜だった。
『今から行ってもいい?』
その短いメッセージが、最近では一日の終わりを告げる合図になっていた。
マンションに帰宅し、部屋の明かりをつける。服を着替えて、髪をほどいて、アロマを焚いて——。とくに変わらない、帰宅後のルーティン。
ひとりの生活は苦ではなかった。家事は好きだったし、とりわけ料理は、レシピを自分なりに工夫するほど打ち込めた。
気楽で、誰にも干渉されず、気を遣う相手もいない。
しかし時折、妙に暗く、胸にぽっかりと穴が開いたような虚しさに、どうしようもなく落ち込んでしまうことがある。
その空白を埋めてくれたのが、ほかでもない明日馬だったのだ。
午後九時を回った頃。部屋のチャイムが鳴った。
細身が際立つオーバーサイズの黒いパーカーに、武骨さと色気をまとったダメージジーンズ。気取らない、されど洗練された装いの彼が、玄関先に立っていた。
「こんばんは」
「おつかれさま。……外、寒かったでしょ」
「うん。でも、瞳子さんの部屋あったかい」
お邪魔しますとスニーカーを揃え、来る途中で買ってきた梅酒を瞳子に手渡す。それからいつものようにソファに腰を下ろすと、持参した缶ビールのプルタブを開けた。
帰宅後に作った帆立のカルパッチョをテーブルに置けば、彼は嬉しそうに食べてくれた。
友だちでもない。恋人でもない。けれど、自然と肩の触れ合う距離が、いつしか当たり前になっていた。
軽いキスから始まる。髪に、頬に、唇に。
彼の指が肌をなぞるたび、瞳子の体温は少しずつ上昇していった。
ほのかな夜。ふたりの呼吸だけが、色濃くなる。
「……明日馬くん」
名前を呼べば、彼は目を細め、また瞳子に口づけた。
Tシャツの裾をくぐる彼の手が、腰に触れる。その瞬間、背筋にぴりぴりと電流が駆け抜け、瞳子は無意識に彼の下半身に脚を絡めた。
身体を重ねる行為は、いつだって甘い。
甘くて、とろけるように気持ちよくて……ほんのちょっと、心細い。
彼は、いつも帰ってしまう。どれだけ夜が更けようと、この部屋に泊まることは滅多にない。
別れ際の「またね」というひとことが、優しい刃となって幾度も瞳子の胸を切りつけた。
彼から付き合おうとは言われない。
その言葉を差し出す勇気も、自分にはない。
彼と繋がりながら、彼の皮膚に深く溺れながら、瞳子はいつか来るかもしれない〝終わり〟に怯えていた。
行為のあと。
不意に、彼の胸に預けた頬を伝って、涙が流れた。
それは、自分でも驚くほど唐突で、驚くほど静かだった。
「……どうしたの?」
かすれた声が、鼓膜を揺らす。明日馬はそっと腕を回すと、瞳子の華奢な身体を抱き寄せた。
「俺とのセックス、嫌になった?」
あまりにもまっすぐなこの問いに、瞳子はふるふると首を横に振った。
言葉にならない。
年の差、世間体、明日馬の将来……いくつもの鎖が瞳子の気持ちを容赦なく縛りつけ、喉元を締めつける。
それ以上、彼は何も訊かなかった。言葉を、呑み込んだようだった。
明日馬の腕の中は心地いい。でも、次の夜も、またこの場所にいられる保証なんてない。
そう思ったとたん、彼の指先が髪を梳くその感触までもが、どこか遠いもののように感じられた。
でも。
それでも。
どうしようもないほどに、瞳子は明日馬のことを好きになっていた。
あっという間に季節は移ろい、秋が訪れた。冷たい夜風が肌を刺すたび、もう一枚羽織るものが欲しくなる。
残業を終えてオフィスのビルを背にしたとき、瞳子の鞄の中で電子音が弾けた。
スマートフォンを取り出す。液晶には、SNSの通知が一件。
明日馬からの連絡は、いつも夜だった。
『今から行ってもいい?』
その短いメッセージが、最近では一日の終わりを告げる合図になっていた。
マンションに帰宅し、部屋の明かりをつける。服を着替えて、髪をほどいて、アロマを焚いて——。とくに変わらない、帰宅後のルーティン。
ひとりの生活は苦ではなかった。家事は好きだったし、とりわけ料理は、レシピを自分なりに工夫するほど打ち込めた。
気楽で、誰にも干渉されず、気を遣う相手もいない。
しかし時折、妙に暗く、胸にぽっかりと穴が開いたような虚しさに、どうしようもなく落ち込んでしまうことがある。
その空白を埋めてくれたのが、ほかでもない明日馬だったのだ。
午後九時を回った頃。部屋のチャイムが鳴った。
細身が際立つオーバーサイズの黒いパーカーに、武骨さと色気をまとったダメージジーンズ。気取らない、されど洗練された装いの彼が、玄関先に立っていた。
「こんばんは」
「おつかれさま。……外、寒かったでしょ」
「うん。でも、瞳子さんの部屋あったかい」
お邪魔しますとスニーカーを揃え、来る途中で買ってきた梅酒を瞳子に手渡す。それからいつものようにソファに腰を下ろすと、持参した缶ビールのプルタブを開けた。
帰宅後に作った帆立のカルパッチョをテーブルに置けば、彼は嬉しそうに食べてくれた。
友だちでもない。恋人でもない。けれど、自然と肩の触れ合う距離が、いつしか当たり前になっていた。
軽いキスから始まる。髪に、頬に、唇に。
彼の指が肌をなぞるたび、瞳子の体温は少しずつ上昇していった。
ほのかな夜。ふたりの呼吸だけが、色濃くなる。
「……明日馬くん」
名前を呼べば、彼は目を細め、また瞳子に口づけた。
Tシャツの裾をくぐる彼の手が、腰に触れる。その瞬間、背筋にぴりぴりと電流が駆け抜け、瞳子は無意識に彼の下半身に脚を絡めた。
身体を重ねる行為は、いつだって甘い。
甘くて、とろけるように気持ちよくて……ほんのちょっと、心細い。
彼は、いつも帰ってしまう。どれだけ夜が更けようと、この部屋に泊まることは滅多にない。
別れ際の「またね」というひとことが、優しい刃となって幾度も瞳子の胸を切りつけた。
彼から付き合おうとは言われない。
その言葉を差し出す勇気も、自分にはない。
彼と繋がりながら、彼の皮膚に深く溺れながら、瞳子はいつか来るかもしれない〝終わり〟に怯えていた。
行為のあと。
不意に、彼の胸に預けた頬を伝って、涙が流れた。
それは、自分でも驚くほど唐突で、驚くほど静かだった。
「……どうしたの?」
かすれた声が、鼓膜を揺らす。明日馬はそっと腕を回すと、瞳子の華奢な身体を抱き寄せた。
「俺とのセックス、嫌になった?」
あまりにもまっすぐなこの問いに、瞳子はふるふると首を横に振った。
言葉にならない。
年の差、世間体、明日馬の将来……いくつもの鎖が瞳子の気持ちを容赦なく縛りつけ、喉元を締めつける。
それ以上、彼は何も訊かなかった。言葉を、呑み込んだようだった。
明日馬の腕の中は心地いい。でも、次の夜も、またこの場所にいられる保証なんてない。
そう思ったとたん、彼の指先が髪を梳くその感触までもが、どこか遠いもののように感じられた。
でも。
それでも。
どうしようもないほどに、瞳子は明日馬のことを好きになっていた。
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