【R18】堕ちるまであと少し

琴音 結月

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本編

雨粒みっつ

 明日馬との出会いから半年。
 あっという間に季節は移ろい、秋が訪れた。冷たい夜風が肌を刺すたび、もう一枚羽織るものが欲しくなる。
 残業を終えてオフィスのビルを背にしたとき、瞳子の鞄の中で電子音が弾けた。
 スマートフォンを取り出す。液晶には、SNSの通知が一件。
 明日馬からの連絡は、いつも夜だった。
『今から行ってもいい?』
 その短いメッセージが、最近では一日の終わりを告げる合図になっていた。
 マンションに帰宅し、部屋の明かりをつける。服を着替えて、髪をほどいて、アロマを焚いて——。とくに変わらない、帰宅後のルーティン。
 ひとりの生活は苦ではなかった。家事は好きだったし、とりわけ料理は、レシピを自分なりに工夫するほど打ち込めた。
 気楽で、誰にも干渉されず、気を遣う相手もいない。
 しかし時折、妙に暗く、胸にぽっかりと穴が開いたような虚しさに、どうしようもなく落ち込んでしまうことがある。
 その空白を埋めてくれたのが、ほかでもない明日馬だったのだ。
 午後九時を回った頃。部屋のチャイムが鳴った。
 細身が際立つオーバーサイズの黒いパーカーに、武骨さと色気をまとったダメージジーンズ。気取らない、されど洗練された装いの彼が、玄関先に立っていた。
「こんばんは」
「おつかれさま。……外、寒かったでしょ」
「うん。でも、瞳子さんの部屋あったかい」
 お邪魔しますとスニーカーを揃え、来る途中で買ってきた梅酒を瞳子に手渡す。それからいつものようにソファに腰を下ろすと、持参した缶ビールのプルタブを開けた。
 帰宅後に作った帆立のカルパッチョをテーブルに置けば、彼は嬉しそうに食べてくれた。
 友だちでもない。恋人でもない。けれど、自然と肩の触れ合う距離が、いつしか当たり前になっていた。
 軽いキスから始まる。髪に、頬に、唇に。
 彼の指が肌をなぞるたび、瞳子の体温は少しずつ上昇していった。
 ほのかな夜。ふたりの呼吸だけが、色濃くなる。
「……明日馬くん」
 名前を呼べば、彼は目を細め、また瞳子に口づけた。
 Tシャツの裾をくぐる彼の手が、腰に触れる。その瞬間、背筋にぴりぴりと電流が駆け抜け、瞳子は無意識に彼の下半身に脚を絡めた。
 身体を重ねる行為は、いつだって甘い。
 甘くて、とろけるように気持ちよくて……ほんのちょっと、心細い。
 彼は、いつも帰ってしまう。どれだけ夜が更けようと、この部屋に泊まることは滅多にない。
 別れ際の「またね」というひとことが、優しい刃となって幾度も瞳子の胸を切りつけた。
 彼から付き合おうとは言われない。
 その言葉を差し出す勇気も、自分にはない。
 彼と繋がりながら、彼の皮膚に深く溺れながら、瞳子はいつか来るかもしれない〝終わり〟に怯えていた。
 行為のあと。
 不意に、彼の胸に預けた頬を伝って、涙が流れた。
 それは、自分でも驚くほど唐突で、驚くほど静かだった。
「……どうしたの?」
 かすれた声が、鼓膜を揺らす。明日馬はそっと腕を回すと、瞳子の華奢な身体を抱き寄せた。
「俺とのセックス、嫌になった?」
 あまりにもまっすぐなこの問いに、瞳子はふるふると首を横に振った。
 言葉にならない。
 年の差、世間体、明日馬の将来……いくつもの鎖が瞳子の気持ちを容赦なく縛りつけ、喉元を締めつける。
 それ以上、彼は何も訊かなかった。言葉を、呑み込んだようだった。
 明日馬の腕の中は心地いい。でも、次の夜も、またこの場所にいられる保証なんてない。
 そう思ったとたん、彼の指先が髪を梳くその感触までもが、どこか遠いもののように感じられた。
 でも。
 それでも。
 どうしようもないほどに、瞳子は明日馬のことを好きになっていた。
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