【R18】堕ちるまであと少し

琴音 結月

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本編

雨粒さいご

 十月も後半に入り、都心の夜風は、いよいよ冷たさを増した。
 落ち葉がアスファルトの上を転がり、街路樹の葉がかさかさとこすれ合う。
 だが、酔いのまわった瞳子の肌には、その冷気さえも届かなかった。
 紅潮した頬。潤んだ瞳。
 視界の端にネオンの光を映しながら、帰り道をふらふらと歩く。
 今夜は、部署に新しく加わった中途社員の歓迎会だった。
 楽しかった。純粋に。話の輪に加わることもできたし、声を出して笑ったりもした。
 けれど、どれだけ会話を交わしても、心は常に乾いていた。
 重ねたグラスは、果たして自分の意思だったのか。もしかすると、ただ酔いたかっただけかもしれない。酔って、何もかも曖昧にしてしまいたかったのかもしれない。
 駅までの道のりが、まるで知らない街の景色のように、滲んで見えた。
 歩幅が合わず、ヒールのかかとが水たまりに沈む。前につんのめった身体を、かろうじて近くの看板が支えてくれた。
「……」
 曖昧にしたかったはずなのに——どうして、彼のことが頭に浮かぶんだろう。
 彼とは、しばらく会っていない。「仕事が忙しい」という、嘘のようで嘘ではない大人の勝手な言い訳を盾に、無理やり距離を置いた。
 その場にずるずるとへたり込む。そうして頼りない手つきで鞄の中をまさぐると、そこからスマートフォンを取り出した。
 酔った指先は、迷うことなく、連絡先の一覧の中から、たったひとつの名前を検索していた。
 〈明日馬くん〉。
 考えるよりも先に、指が動いていた。呼び出し音はすぐに途切れ、数秒の沈黙が訪れる。
 そして、彼の声。
『……もしもし』
 そのひとことだけで、目の奥がじんと熱くなった。
 唇が、かたかたと震える。寒さのせいなのか、緊張からなのか、自分でもわからなかった。
「……ごめん。ちょっと、歩けなくて……」
『今どこ?』
 彼の言葉は短かった。けれども、まっすぐなその響きに、瞳子はひどく安堵した。
 どうにか場所を伝えてから、十分ほど経った頃。
 遠くの歩道から、彼が駆けてくるのが見えた。
 パーカーのフードを脱ぎ、濡れた髪を手でかき上げながら、息を弾ませ膝をつく。
「……ったく、何やってんだよ。危ないだろ」
 その声には、怒りと憂いが滲んでいた。
 なかば取り上げるようにして瞳子の鞄を自分の肩にかけると、明日馬は不安定な瞳子の身体を背負った。
 ぬくもりに包まれたとたん、湧き上がる罪悪感と愛おしさ。
 胸が、張り裂けそうだ。
「ここからだと、俺んちのほうが近いから」
 そう言われて向かった先は、彼のマンションだった。道中のことは、情けないが、ほとんど覚えていない。
 しだいに酔いが引きはじめた頃。
 気づけば、あたたかな照明の下で、カウチソファに座っていた。
 差し出されたマグカップから、白い湯気が立ちのぼる。爽やかなハーブの香りがつんと鼻をつき、ゆっくりと意識が澄んでいく。
「飲んで。熱いから、気をつけて」
「……ありがとう」
 白い陶器の縁を唇にあてる。熱が喉を伝い、身体の芯まで染み渡っていく。
 少しずつ思考が明瞭になっていく中、正面に来た彼が、床に膝をついた。
 そのまっすぐな視線に、思わず目を逸らす。
「……ごめ、なさ……」
「いいよ。謝らなくて」
 ふっと笑ってそう言うと、彼は瞳子の隣に腰を下ろした。
 会わないまま過ぎていった時間が、ゆっくりと、けれど確実に埋まっていく。
 彼の指先が、頬に触れた。——あたたかい。
「ねえ、瞳子さん」
「……なに?」
 呼びかけに応えた瞳子の声は、かすかに震えていた。
 明日馬は言葉を選ぶように黙り込むと、わずかに視線を落としたあと、ゆっくりと顔を持ち上げた。
 その眼差しには、はっきりとした覚悟があった。
「俺、瞳子さんが好きだよ」
 まるで夜の静けさに一石を投じるように、言葉が確かな音を立てて瞳子のもとに落ちてくる。
 呼吸が止まった。
 ざわりと、胸が波打つ。
「……だめ、だよ」
「なんで? 俺じゃだめ?」
「ちがっ……明日馬くんが、だめなんじゃない。わたしが……」
「瞳子さんがだめなわけないでしょ」
 瞳子の心の奥にある分厚い壁は、不安の塊。そのことに、明日馬は気づいていた。
「だって、わたし、明日馬くんより年上なんだよ」
「知ってるよ」
「ふたつ、みっつじゃ……ないんだよ」
「九歳差でしょ? それがなに?」
 戸惑いを掘って、躊躇いを削って。
 少しずつ、壁を崩していく。
「……わたしで、いいの?」
「瞳子さんがいいんだよ」
 整った顔を綻ばせ、明日馬が答える。その言葉が空気を満たした瞬間、瞳子の瞳から、ひと筋の光が流れ落ちた。
 抱き合うよりも先に唇が重なる。互いの呼吸が、溶け合う。
 明日馬の香りに包まれたベッドの上。
 冷えた空気にさらされた全身を、彼の体温が優しく包み込んだ。
「ひ、ぁ……っ」
 彼の舌先が胸の頂をなぞるように動くたび、瞳子の理性は、静かに剥がれ落ちていった。
 しだいに彼の手が下部へと滑り降り、湿った蜜壺をくちゅりと解きほぐす。その動きのひとつひとつが瞳子の熱を熟れさせ、腰椎の奥をぴりぴりと痺れさせた。
「あっ、あ……っ」
「瞳子さん、可愛い」
 目元に、首筋に、乳首に、口づけが甘く降り積もる。
 明日馬は、愛液で濡れそぼったそこから指を引き抜くと、サイドボードから小袋をひとつ取り出した。ぴっと封を切り、硬く反り立った己の雄に装着する。張りつめた空気の中に、かすかに漂う緊張と期待。
 ぐっと、瞳子の腰を抱き寄せる。
 ふたりの距離が、かぎりなくゼロに近づく。
「好き、瞳子さん。……大好き」
 耳朶を打つ声は、強くて優しい。
 また、涙が零れた。
 明日馬は、慰めるように瞳子の目元に再度口づけると、荒々しく脈打つそれを渇望する襞へと押し当てた。そうして、ゆっくりと、境界を越えていく。
 距離が消える。
 身体の奥で、鈍い痛みと悦びが混ざり合う。
「ぁ……っ、ん、はぁ……っ」
 ぐちゅん、ぱちゅっ、と淫靡な水音と肉のぶつかる音が絡み合う。
 絶妙な角度で最奥を穿うがたれるたび、瞳子はこれまで感じたことのない深い快楽に打ち震えた。
「……瞳子さん、ここ、好きだよね」
 煽情的な明日馬の声音。内側をごりごりとえぐるような動きに、瞳子は言葉ではなく吐息で応えた。
 全身の皮膚が粟立つ。快感が募るほど、感覚の輪郭がとろとろに溶けていく。
「あすま、く……いっちゃ……ぁ……っ!」
「……俺も、もう……っ!」
 どつん、と。
 明日馬が猛然と腰を叩きつけた直後。
 瞳子の中で、彼のものが大きく拍動した。
 身体の芯から押し寄せる巨大な波。眼前が、ちかちかと白く弾ける。
「あぁぁ……っ!!」
 たった今、瞳子の世界は、ただひとつの熱い奔流ほんりゅうに呑み込まれた。
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