ブラインド・デイティング

春日あざみ

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望まぬ異動

勝負の行方

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 ミサの名前で予約されていたワインバーにつき、二人で適当にアペタイザーとサラダ、メインを頼んだ。初めはライトなものはどうかという彼の提案に乗って、白のスパークリングワインをひと瓶頼む。彼の選んだワインは口当たりが柔らかくて、甘すぎず、すごく好みの味だった。

「山並さん、三河重工に勤めているんだって? 入るのも大変でしょ、あそこ。すごいな」

「いえ、全然。私は中途ですし……。確かに新卒では結構難しいみたいですね、うちの会社」

 隙のない笑顔で微笑み、男はさらに質問を投げてくる。明るい室内に入って気がついたが、彼は色素の薄い、鳶色の瞳をしていた。

「前はどんな会社に?」

「以前は外資の、もっと小さい会社の財務部門にいたんですが。もう少し大きな会社でも経験を積んで、財務のプロフェショナルとしてキャリアを積みたいと思って転職したんです」

「じゃあ、今の会社でも財務の仕事をしているんだね」

 そう言われて言葉が詰まった。転職してきたのは三年前で、ようやく次のステップに進める可能性が出てきたタイミングだった。その可能性が、会社の都合であっさりと摘み取られてしまったのだ。組織の歯車である限り、仕方ないことではあるのだが。ただ、あまりにも唐突で理不尽で、どうしても自分の中で納得できないまま、まもなく異動の日を迎える。私の表情を見て、何かまずいことを聞いてしまったと思ったのか、男は話題を自分の方に向き替えた。

「そういえば俺、フルネームも名乗ってなかったな。杉原尚史、今は医療機器の会社の法務部門に勤めてる」

「法務ですか、かっこいいですね」

「そうでもないよ」

 再び微笑み、杉原さんはピクルスを一つ、口に放り込んだ。食べている様子も、酒を嗜む様子も、全てが整っていて美しい。おそらく自分が、真剣に交際を考えて出会いを求めて来ている女性ならば、彼は非の打ちどころのない相手だろう。

 ただ、あまりの隙のなさに、「何かあるのではないか」と疑いを禁じ得ない。

(やっぱ、ミサが何か企んでる気がする。もしかして既婚者とか。流石に結婚詐欺師ってことはないかもしれないけど。あとで問い詰めてみよう)

 そこまで考えて、曲がりなりにも一応友達に向かって、そこまで訝しむ自分に苦笑した。いくらなんでも疑り深すぎるし、我ながら性格が悪い。

 ミサが私を「冴えない女」と下に見ているとしたら、私は彼女を「男好きの自己中な女」として下に見ているんだろう。自分達の歪な関係性に気づき、複雑な感情に陥りながらも、それでもなんだかんだこうして繋がっているのだから、きっとどこかに通じ合うところがあるのだろうと思った。

「ねえ」

「はい?」

「このあと、もう一軒位行かないか。行きつけのダーツバーがあって」

 とりあえず、ああだこうだ考えるのはやめた。今日は憂さ晴らしに存分に夜を楽しみに来たのだから。普段なら私みたいな女が出会うことも、二人きりの食事を共にできることもないであろう、美しく非の打ちどころのない男との洒落た会話をそれなりに楽しんで、予定通り爽やかに別れて帰ろう。

「ええ、もちろん」

 適当で当たり障りない会話のラリーを繰り返したあと、私たちはワインバーをあとにした。

 外に出ると、春の暖かな風は、いつの間にか冷たい夜風に変わっていた。まだ少し昼間の残り陽が残っていた待ち合わせの時と比べ、今は街灯の光に照らされた、都会の華やかな夜の風景が広がっている。

 寒くないかと問う彼に、大丈夫だと答えた。身長差を気にして歩調を合わせてくれるところも、あまりにも整った体躯も、女性の理想を具現化したような作り物の香りがする。たくさんの交際経験を積むと、こういう風になるものなのだろうか。

(まあ、どう考えてもモテるだろうし、慣れていて当然か。でもそこまでモテる人間が、わざわざこんなややこしいデートする? こんなことしなくても選び放題でしょうに)

「杉原さんは、どうしてブラインド・デートをしようと思ったんですか?」

 次々と湧き上がる疑問を抑えきれず、質問を口にした。

「ああ、なんか面白そうだなと思って。友達の友達の紹介だったらさ、ある程度信頼できるし。でもどんな人がやってくるかわからないスリルは味わえる。山並さんは?」

「私も、まあ、そんな感じです」

 ある種の遊び、なんだろうか。愛想笑いを顔に貼り付け、冷たいアスファルトの地面を歩き続ける。何か盛り上がるような話題を振った方がいいかと考えを巡らせたが、やめた。この完璧な男を楽しませられそうな面白いトピックが、ひとつも思いつかなかった。

「山並さんについては、名前と服装、年齢くらいしか聞いてなかったから。どんな人が来るのか楽しみにしてたんだけど。話しやすそうな人で安心した」

 大きな体つきに似合わない、少年のようなイタズラっぽい笑みに、どきり、とした。回答に困って下を向くと、彼の口から小さく笑いが漏れる。

「さあ、ついたよ」

 案内されたのは、地下一階に位置する少し古めかしいダーツバーだった。

 人ひとりがようやく通れるくらいの狭い階段を降りていくと、思ったより広い空間が広がっている。土曜の夜にしては人が少ないので、穴場なのかもしれない。彼はビールを頼み、私は烏龍茶を頼んだ。この辺りで酔いを覚ましておかないと、自力で帰れなくなる。

 私がダーツは初めてだったので、初心者でもできる簡単な遊び方で競うことになった。しかし何度か勝負してみたが、当たり前だが勝てるはずもない。まったく歯が立たなかったので、利き腕ではない方で投げてもらうというハンデを提案した。すると彼は私にこう、持ちかけた。

「次、負けた方は、勝った方のお願いを一つ聞くということで」

 随分と自信がありそうだ。

「利き腕じゃなくても、杉原さん絶対勝てるでしょ。そんな気がする。だから、目隠しをして投げて? それならその勝負、受けて立ってもいいですよ」

「言うね」

 彼は、カウンターに向かい、店員からタオルを受け取った。まるでスイカ割りに挑む少年のように、タオルで目隠しをした彼は、余裕の表情でラインに立った。

 腕まくりをして、涼しい顔で整ったフォームをとる。袖の下から現れた腕には無駄な脂肪が一切なく、鍛え上げられた筋肉が備えられていた。ボディビルのようなガッチリとした筋肉というよりは、しなやかで、無駄がなくて。

(ボクシングか、空手か、そういう、武道とか格闘技の筋肉のつき方な気がするな)

 刹那。彼は薄く息を吐きながら、一投目を投げた。軽く弧を描いたダーツは、なんとど真ん中のブルを射抜いた。

「嘘」

「さあ、山並さんの番だよ」

 目隠し、というのは半分冗談だったのだが。

「もしかしてプロだったり? ダーツの」

「まさか」

 ダーツ初心者の私の一投目は、いい線はいったものの、流石にブルまでは届かず、惨敗だった。お情けなのか二投目は彼がはずし、私がまぐれでブルを取った。そして最後の三投目。

「いいよ、先に最後の投げちゃって」

「その方がプレッシャーが掛からなくていいかも」

 子どものように勝負に夢中になって、私はラインの前に立ち、靴を脱いで構えた。その姿を見て、「マジか」と若干彼の口から笑いが漏れたのが聞こえた。

「えいっ」

 真っ直ぐと中心円を狙った私のダーツの矢は、残念ながら中心円から二センチくらい離れた場所に刺さった。

「初心者にしては頑張ったんじゃない?」

「悔しいなあ。でもダーツって面白いですね。ハマりそうかも。さてさて、では杉原さん出番ですよ」

 私は彼に場所を譲った。肩にかけていた白いタオルで再び目隠しをした杉原さんは、私からダーツの矢を受け取って構える。呼吸を整えることなく、無造作に投げられた彼の矢は、まるで決められた軌道をなぞるようにして再び中心円のど真ん中を射抜いた。
 目隠しをしたたま得意げな顔で振り向いた彼は、タオルを外しながら私のところまで歩いてくる。

「……ほんとに、何者? すごすぎない?」

「内緒。さてでは、俺の勝ちっていうことで。お願いを聞いていただきましょう」

 遊びに興じていた間に、随分と警戒心が緩んでいたらしい。肩に手が触れたと思った時には、唇に温かな感触が広がっていた。
 短く甘い接触が離れていったところで、彼は私に向かって勝ち誇った笑顔を向ける。

 少し綻んでいた心の入り口が、自分の中で、キュッと閉まるのを感じた。

「ふざけないで」

 私は手早く荷物をまとめ、ショルダーバックを肩に引っ掛け、カウンターに自分の分の会計を多めに叩きつけて足早に階段を上がった。焦って呼び止める彼の声が後ろから聞こえてきたが、聞こえないふりをして表参道駅へ急いだ。

 私がもっと素直で、安直で、恋愛に対してオープンな女だったら、きっとあのまま楽しむこともできただろう。でもプライドの高い私には、自分が「安い女」のように扱われたようで、なんとなく傷ついたような気持ちになったのだ。

(めんどくさくない関係性がいいとか言いながら、ワンナイトとか、割り切った関係とかは嫌なんだよな。やっぱ、私に恋愛は向いてないのかもな)

 かろうじて残っている乙女心からか、多少紅潮してしまっている頬を冷たい指先で冷やしながら。私は一度も振り返らずに帰路へと急いでいた。

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