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8.距離感
しおりを挟む「…ゆうちゃん?」
「教えてやるって。つっても俺も人に結んでやる事なんてないから、実演な」
「は?」
言うが早いか、悠一は菜摘の手を握ったまま、首にかけたネクタイをその指に持たせた。
「まずは長さの調整して…短い方、こっち」
「あ、う、うん」
手を握られたまま見つめられていることが、突然恥ずかしくなったのは耳元すぐ近くで聞こえる声のせいだ。
こんなの、幼馴染のままの立ち位置で経験したことなどない。
頬が赤くなっているのを自覚しながら口頭で指示してくる彼の言葉に従って、ひたすらその羞恥心を振り払うように指を動かす。
彼の口頭の指示と、指で促される動きに無心になれ!と言い聞かせている自分の姿は、周りからどんな風に見えるのだろうとどこか現実逃避している頭が考えてしまう。
知り得なかったネクタイの結び方を事細かに説明してくれる悠一はなんら気になっていないようで、どこか嬉しそうに菜摘の手元を見たままだ。
「そうそう。一回そこで回して、三角形作って」
「う、うん」
「そしたらその長い方、そうそれ。それをここにくぐらせて…」
ドキドキとうるさい心臓を持て余したまま、その紐を動かしていくと、徐々にその形を作っていく。
ほとんど彼の手が動かしてくれているようなものだが、実際に見ながらやるのは至極わかりやすい。
「ちょっとまって、少し形整えるから」
「うん…」
彼の長くて綺麗な指が、その布を少しだけ引っ張って綺麗な台形を整えた。
どうしていつも、スーツは愚かネクタイなんか付けていないのに、こんなに結びなれているんだろう。やっぱり男の人だから自分が知らないだけで付ける機会はたくさんあるのだろうか。
よしと小さく呟いた悠一の手が再び菜摘の手に被さり、その続きを促した。
「これで、上の布と長さがおかしくならないように下の布を引っ張って…」
「…こう?」
「そう。んで、上の方まできゅっと…っいやおまえっ強く締めすぎ!」
「あっごめん!」
菜摘が慌てて手を離せば、悠一がその指で少しだけネクタイを緩めた。
その手がそのまま菜摘の頭にぽんっと優しく乗っかって、髪を梳くように撫でる。
視線をあげると、優しい彼の瞳と目があった。
「―――上出来」
「…あ…あり、がと…」
いつもと同じ仕草なのに、いつもと違うと思うのは、漂う雰囲気のせいだろうか。
それとも見慣れない彼のスーツ姿のせいだろうか。
考えても菜摘には答えは見つけられず、ただただ視線を重ねられずに視線を地面に落としてしまう。
どうにかして漂う雰囲気を蹴散らしたいと思うが、打開策が見つからない。
いやそれよりも早くこの場を離れたい。ここは何より会社に近すぎる。
悠一は違うからいいだろうが、私はここに通い続けなければいけないのだ、こんな光景を晒しておいて今更という気もするが、これ以上は何としてでも避けねば、そう考えて彼のジャケットの裾を掴んで「早く、」と口にしかけたところで、菜摘は再び別の声に名前を呼ばれた。
「うっわー! イケメンー!」
「く、倉本さん、めっちゃ仲いいんですね…っ」
「か…っ金沢さん…っ! 龍本さんも…っ」
それは昼間、飲みに誘ってくれた同僚達で、みな顔見知りだ。
今の一連の出来事を見ていたのだろう、ものすごく、面白そうな顔をして駆け寄ってきた。
その勢いにたじろいだのは菜摘だけだ、悠一はごくごく自然に彼らにたいして会釈している。
「あっあの! こ、ここれはそのなんていうか…!」
「いいよー! 照れなくて! 二人の仲がいいのは今たーっぷり堪能させてもらったから!」
「本当本当! いいなぁ! こんなかっこいい彼氏がいて!」
かけられる言葉にどんどん顔の熱が上がっていく。
もう言い訳は後でいい、今はこの冷やかしの応酬から逃げたい。
ただそれだけを考えて、悠一の手をぎゅっと握り締めた。
「っおっお疲れさまでしたああああ!!」
あぁこれ、本当、明日会社行くの怖い。
菜摘の気持ちを知ってか知らずか、悠一は楽しそうに笑ったままだった。
◇◇◇◇◇
二人で食事を取って、ようやく我が家に帰り着くと、どっと疲れが吹き出したような気がして、菜摘はソファにぐったりと座り込んだ。
食事は楽しかったし、悠一と二人きりで外食というのも珍しくて苦痛でもなんでもなかったが、間があくたびちらつく楽しんでいた同僚たちの姿が脳裏に浮かんで、明日の事が憂鬱でしかたないのだ。
我が家の構造ならもうすっかり知り尽くしてるだろう悠一が水を汲んで来てくれて、それを受け取ると彼女は一口だけ口をつけて、両手で抱えた。
「そんな気に病む事かぁ?」
「気に病む事だよ! …あぁもう絶対明日会社でからかわれる…!」
「まぁ、それが目的ってのもあるけど、別に俺、そこまで知られておかしな男には見えないだろ? 見た目」
「そりゃ、そうだけど…」
贔屓目抜きにしても、悠一はかっこいいと言われる部類の男性なのだろう。きっと。
それはイケメンと称していた同僚の言葉からもわかる。
だが問題はそこではなく、完璧バカップルと呼ばれても仕方ないような行動をしていた自分が恥ずかしいのだ。
今まで付き合ってきた歴代彼氏にだって、公衆の面前であんなふうに顔を近づけて話した事なんてない。
あれが恋人の距離だと教えられているようで、自分たちの変わった関係を自覚させられているようで、照れくさくて仕方ない。
隣に腰を下ろした悠一はテレビを見ては時折笑い声を上げていた。
「…ゆうちゃん、本当にあんなこと彼女にしてるの?」
「ん? あぁネクタイ? そんなわけないだろ、あれはお前が知らないっていうから教えただけ。あとは虫除けだけど」
「虫除け?」
彼の言葉の意味がわからなくて、菜摘は首をかしげてしまった。
虫除けってなんだろうか、今は季節が季節だし、よってくるような虫もいないだろう。
訝しげな顔をしたままの菜摘に、悠一は優しい笑みを浮かべて、彼女の手をそっと握った。
「お前、結構もてんのな?」
「え?」
「最後にあった同僚、あれ、男。お前の事見つけた瞬間顔色変わってたから」
「ぅ、え? うっそだぁ」
「本当だっつーの。…まぁ、そのままにしておいてもよかったっちゃよかったけど、今菜摘は俺の彼女だし」
いつの間にか、互の身体の距離が縮まっていることに気がついたのは、彼が耳元に唇を寄せたからだ。
直接耳に吹き込まれるような仕草で言葉を届けられて、意味を理解するのに数秒かかる。
ボンっと音が出そうなほど顔を真っ赤に染めた菜摘の姿に、彼は満足げに笑ってから続けた。
「―――俺、結構嫉妬深いからなぁ。お前が他の男に目つけられてるとか考えるのも、結構イラってする」
「っ」
なんだっていうんだ。この関係だってお互いにあだ、恋愛感情は生まれてないのだから、そんな事を気にしなくてもいいだろう。
そう言いたいのに口をパクパク動かすだけで言葉が出てこない。
菜摘の動揺する姿は見えているだろうに、悠一はフォローする事なく、ただただ彼女の頭を撫で続けていた。
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