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15.きっかけ
しおりを挟む話してみようか。
でももし拒絶されたら?
でも、他でもない、本当の私を知っている月村さんは大丈夫だと言ってくれた。
それなら、それならば、私も、信用していいんじゃないかと思う気持ちも、確かに心にうまれていた。
映画を見終わってから会場を出たあと、映画館に入ったのはお昼前だったのに時計の針はもうすぐ午後3時をさそうとしているところだった。
内容はすごく素敵だったし、最初だけは考え事に気を取られて集中できなかったけれど、すぐに夢中になっていた。
そんなに長い上映時間だったとは思わなかったが、実際にはすごく長いものだったらしい。
時間に気が付けばそれまで気がつかなかった空腹を感じるようになっていて、それはみんなも同じようだった。
顔を見合わせて、自然とご飯を食べにという流れになった。
月村さんはどこかの店に入ろうと提案したが、春花と津田島さんはなぜか、月村さんの家でと主張していて、私にはなぜだかさっぱりわからなくて、その場で首を傾げることしかできず、戸惑ってしまう。
なぜ春花も津田島さんも、会場の近辺ではなく、月村さんの家でというのだろう。
彼の職場には行ったことはあるが、あそこで食事をするのだろうか。
それにしたって、と思い浮かべた彼の職場の様相を思い浮かべても、あそこで大人四人が満足する料理を食べれるスペースがあるとは思えない。
春花と津田島さんの中ではすでに月村さんの家に行くことは決定事項のようだが、月村さんは未だ頷かず、私は状況を把握できていない。
ここはなぜ月村さんの家に行くのが一番いいのか聞いてみてもいい場面だろうか。
「なんで俺の家なんだよ。こんだけ店あんだからどっか入ればいいだろ」
「いいじゃん! 私お兄ちゃんの家行くの久しぶりなんだしさー!」
「そうそう! ここは陽葵の男上げるチャンスじゃん! 俺も久しぶりに陽葵の家行きたいしー」
「意味がわかんねぇよ。春花はまだしもお前はしょっちゅう来てるだろ」
「あ、あのー…」
どうにも会話についていけなくて、恐る恐る声をかけると、3人の瞳が一斉に私を向いて、肩がびくりと跳ねてしまう。
ここで「どうして」と聞いても場違いにならないだろうか。
だが今ここでこうして話をしていても何も進まないような気がするうえ、道行く人の視線が痛い。
月村さんは言わずもがな、津田島さんだってかっこいい男の人には変わりないし、月村さんと兄妹だとわかったからか、いやそれ以前からそうは思っていたが、春花も綺麗だと言われる部類の女性だ。
そんな3人が集まっていれば、嫌が応でも視線を集めてしまうだろう。
そんな中に、いたって平凡な私が混じっていることが場違いな気がしてならないが、何よりも、向けられる「なんであの子が?」みたいな視線も痛い。
意を決して、向けられた視線に顔をあげた。
「…どうして、月村さんの家に? なんかあるんですか?」
「あぁ、そっか、七種さん知らない?」
「なんだ、萌知らなかったの? お兄ちゃんもうとっくに振舞ってるのかと思ってた」
「わざわざ自分から言うことでもないだろ。それに七種は俺の家に来たことないから」
「えっ、そうなの?」
「え、あ、う、うん…し、仕事場なら、一回だけ、あるんだけど」
春花の意外そうな表情に少しだけたじろいだけれど、それが事実だ。
嘘をついても仕方ないだろう。ただ、今の会話で、彼が仕事場の他に家を持っていることだけはわかった。
「…あぁ、そっか、七種さんは、陽葵と二人じゃそんな機会もなかったもんね」
「機会?」
「あ、や、ちょちょっとタイミングっていうか、月村さんと会うときはいつも外でさ…!」
津田島さんは私の事情を知っていてくれるが、春花はまだ知らない。
月村さんは男の人だけれど、月村さんが「怖くない男の人」だと私が二人きりになっても平気だと気が付けたのは本当につい最近で、彼の家に行くなんていう発想はなかった。
だから津田島さんは私が今も、軽度の男性恐怖症だと思っているだろうし、春花はそれを知らない。
月村さんにも伝えてはいないから、きっと彼もそう思っているだろう。だから私と二人きりになるようなことは避けていてくれたのだと思うが、今ここで、春花にそのことを知られるのは、私に取ってなんの覚悟もできていない。
できれば避けたい事柄で、焦った言い募った私に月村さんはその心情に気がついてくれたのか、ため息をひとつついて、髪の毛をかきあげた。
「こいつらは俺の料理食いたがってるだけだ」
「え? 料理?」
「あ、そうそう。お兄ちゃんの手料理本当に美味しいからさー。家もここから近いし、だったらお店入るより、お兄ちゃんの家に行って手料理食べたほうがいいんだよねぇ」
「へぇ…」
「七種さんも食べたらきっとやみつきになるよ、こいつ料理にそこまで興味ないし、探究心とかもないくせにめちゃくちゃうまいから」
「そ…そんなにですか」
どこか楽しげに話すふたりに、眉間に皺を寄せて不機嫌な表情のままの月村さんの姿。
急に家にお邪魔するのは申し訳ないとは思いつつも、本当にオイシイを繰り返す津田島さんと春花の姿に、私も食べて見たいと思ってしまった。
ちらりと視線を彼に向ければ、「はあ」と深いため息をついて、月村さんは苦笑した。
「…それならそれで、うちでもいいけど、お前らも手伝えよな」
一人で4人分なんてまっぴらゴメンだ。
そう続けた彼の言葉に、春花はやったあと小さく嬉しそうな声をあげて、私に抱きついた。
◇◇◇◇◇
「……っ!」
「萌? 何してんの? 早く入ろうよ」
「あ…う、うん…!」
先を行く男性ふたりに、そのマンションの外観を見上げたまま立ち尽くしていた私を待っていてくれた春花の声に慌てて足を動かした。
仕事場のマンションもそれなりに大きかった気がするけれど、今、現在連れてこられたこのマンションもものすごく立派に見える。
オートロックの鍵を入力して開いたドアの向こうに入った彼らにおどおどとついて行くが、今ここにいる自分が酷く場違いな気がしてしかたない。
そういえばと思い出した事実は、彼が有名で売れっ子デザイナーだということだ。
もうそこからして住む世界が違う人で、私はなんて人に指南を頼んでしまったのだろうかと今更ながら背中を冷や汗が伝う。
エレベーターに乗り込んで、雑談を続ける3人をよそに、私はなぜか、緊張で身体が固まっていた。
「―――七種?」
「あっ…ははい!?」
「どうした、さっきから黙り込んで」
「あ、い、いえ…」
あまりにも違いすぎる世界を今更実感していましたとは、言えないだろう。
月村さんの言葉に春花も津田島さんも私の顔をみて、首をかしげていたが、私の顔色に月村さんだけは何かに気がついたのか、大丈夫かと私に問いかけた。
「え?」
「…悪い、俺と津田島だけ先に上がればよかったな。春花が俺の部屋知ってるんだし」
「え、あ、いえ! あ、あのそれは本当に大丈夫なので!」
私の恐怖心のことを思い出してくれたのだろう、申し訳なさそうな表情を浮かべて謝ってくれる彼に慌てて否定したものの、その表情が和らぐことはなくて、どうしようと更に焦りが募る。
どことなく微妙になった空気を変えてくれたのは春花だった。
「…なんで別々に上がる必要あんの?」
確かに微妙になった空気は変わったが、あまり好ましいものではなく、むしろ更に空気が重くなったような気がする。
その理由を知っているのは月村さんと津田島さんだけで、春花はしらないのだ。
春花に言ってもいいだろうかと迷っていたのはつい先ほどの話で、まだ話そうという決心はついていない。
一気に吹き出した汗は先ほどとは別の理由で生まれた焦燥感からだ。怪訝な表情を浮かべる春花に私はどう言い訳をすればいいのかわからなくて、意味をなさない言葉しか口にできない。
助け船を出してくれたのは津田島さんで、目的の階にちょうど辿りついてくれたことにもほっと安堵した。
「買い物頼めばよかったってことじゃない? 春花ちゃんはここらへんのスーパーとか知ってるんだし」
「…ふーん」
春花の表情は到底納得しているようなものではなかったけれど、それでも追求することはしなかった。
そのことにほっとしつつ、だが仲良くなりたいと思っているのに、自分の過去を話せていないことに罪悪感を感じたまま、前を歩く二人に肩を落としたままついて行く。
少しだけ距離が離れてしまったところで、慌ててその距離を縮めようとしたが、微かに手を引かれたせいで追いつくことはできなかった。
見れば月村さんが少しだけ気まずそうな顔で、私の服の袖を掴んでる。
どうしたのだろうと足を止めれば、彼は静かに口を開いた。
「悪い。あんなこと言って」
それが何について言っているのかはすぐにわかった。
何も知らない春花がいるところで、私の事情を口にしたことを、彼は謝ってくれているのだろう。
だが私はそのことについてなんでとは思っていないし、むしろ、気を使わせてしまって申し訳ないと思ってる。
だから彼が謝る必要はどこにもなくて、いつも我が道をいく彼が、こんなふうに表情を歪めていることのほうが不思議だった。
「…大丈夫です。あの、本当に気にしないでください」
「…だけど、春花のあの様子じゃ多分納得してない。もしかしたら聞かれるかもしれないぞ。…七種はまだ、話そうって気分じゃないんだろ?」
「さっきまでは…確かにそうだったけど、でも、多分いい機会だと思うんです」
「機会?」
「私、ほら、できれば春花と仲良くなりたい、本当の意味で友達になりたいって思ってるから。だから、今このタイミングで話せるいい機会なんじゃないかなって」
「あぁ…なるほど」
「多分、こんなことでもなかったら、自分からは言えなかったと思うから、だから、ちょうどいいんだと思います」
きっと、タイミング的にもよかったんだろう、これで。
彼女にすべてを打ち明けようかどうしようか迷ってはいたが、きっとこういうふうに何かしらのきっかけを与えてもらえなかったら、私はきっと何も決断などできなかっただろう。
自分の優柔不断さと、逃げ腰は自分が一番よく理解してる。
「…今日、もしタイミングがあったら、春花に話して見ようと思います」
「…そっか。…ならいい。春花なら絶対大丈夫だから、頑張れ」
そう言って、彼はごく自然に私の頭を撫でてくれた。
「萌ー? お兄ちゃんー? 何してんのー?」
「今行く!」
春花の声に彼の掌はさっと離れていったけれど、私はなぜか、その温もりが酷く嬉しかった。
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