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16.カミングアウト
しおりを挟むお邪魔します、と声をかけて上がったその部屋は綺麗に掃除がしてあり、春花はまるで自分の家のようにソファでくつろぎ始めた。
津田島さんはそのまま床に敷いてあったラグの上に腰を下ろしてテレビをつけている。
それなりに広いリビングには二つドアがあり、恐らく一つは寝室なんだろうとなんとなく思った。
月村さんはといえばリビングでくつろぎ始めた二人はほおっておき、そのままキッチンへと足を向けている。
私はどうすればいいんだろうと立ち尽くしていると、キッチンから顔を出した月村さんと目があった。
「七種、ちょっと買い物行ってきて」
「か、買い物、ですか?」
「そう。材料足りないから。春花ー」
「なにー?」
「お前ちょっと七種と買い物行ってきて。七種はここら辺のことわかんねぇだろ。お前も荷物持ちでついていけ」
「荷物持ちって! それなら津田島さんじゃないの?! いや行くけどさぁ!」
ソファから立ち上がった春花が頬を膨らませながら歩み寄ってきたが、それに関して彼は一切取り合わず、自分の財布を取り出して春花に渡している。
素直に受け取るところを見ると、春花も買い物に行くこと自体は嫌じゃないのだろう。
手早くメモを書いて春花に渡した彼は、私の方を向いて「よろしくな」と声をかけてから再びキッチンへと戻っていった。
「じゃあ行こっか」
「あ、う、うん」
春花に促され、慌てて彼女の後を追う。
私も、さすがにそこまで鈍感じゃない。むしろ周りの目を気にして生きてきただけに、その思いに気が付くのは必然だろう。
きっと、月村さんは私に時間をくれたのだと、そう思った。
私が本当に春花と友達になりたくて、なりたいと思ってて、そのために打ち明けようと思っていたその過去を話せる時間を、わざわざ作ってくれたのだと、そう思った。
◇◇◇◇◇
彼の住んでいるマンションから歩いて10分ほどのところにそのスーパーはあった。
「早く済ませて帰ろ」と私に笑みを向けてくれた春花に頷きつつ、緊張する心臓をどうにか抑えて店内に足を踏み入れる。
かごを持って、月村さんの書いたメモを見比べながら二人でその食材をポンポンとカゴに入れていった。
「しっかし、意外だったなー」
「え?」
そんな声をかけられたのはメモに書いてある食材をすべて見つけてレジに並んでいる時だ。
買い忘れがないかかごの中を見ていた私に春花はいたって普通に、何の気なしに、そう口にした。
「お兄ちゃんと萌が仲良くなってたことが、さ」
「…そ、そうかな」
「うん。っていうかさ、今まで聞いていいもんかどうなのかわかんなかったんだけどさ、萌、男の人苦手でしょ」
「え…っ」
彼女の視線はどこかぼんやりしたような表情を見せたまま、少しづつ進む列を見つめてる。
私に視線を向けていたわけではないのに、どうしてか心臓を掴まれたような気がした。
「あぁいやほら、いつも男の人が居る飲み会でもあんま近くにいかないし、話しかけられただけでもびくついてるときあったから、なんとなくそうなのかなーって思ってただけなんだけど」
「…あ…えと…」
「あぁごめん、言いたくなかったら言わなくていいんだ。たださ、そう思ってたから、合コン無理に誘って悪かったなーとは思ったんだけど、まぁほら、お兄ちゃんもあんな性格じゃん? だからさ」
ようやく向けられた彼女の視線はどことなく申し訳なさそうな色を宿していて、何も話していないのは私の方なのに、と私も申し訳ないと思った。
おまけに、うまく隠せていたつもりになっているのは自分だけで、他の人から見れば全然隠せていなかったという事実にも少し凹んでしまう。
もし、もし春花以外にも気がついた人がいて、もしその人の気分を悪くさせてしまっていたのだとしたら、私はどう詫びればいいんだろう。
私の心の葛藤に気がついたのか、それとも別のなにか、思うところがあったのか、春花は小さく笑って、ようやく回ってきたレジの順番に足を進めた。
「それに、萌、いつもとちょっと違うなーって、ちょっと思ってた」
「違う…?」
「うん。お兄ちゃんといるときは、無理してないように見えて。いつもはどことなく緊張してるような気がしてたんだけど」
「…春花…」
「気のせいだったら気のせいって言ってね? 私も早とちりしちゃうところあるからさ」
店員さんがカゴの中の商品を一つ一つレジの機械に通していく。
その作業は手馴れていて、てきぱきと料金が計算されていった。
「……気のせいでは、ない、と思う」
「うん?」
「…月村さん、さ、知ってるから、だと思うんだ。だから、私も多分、気持ち張り詰めてないんだと思う」
「知ってるってなにを?」
最後の商品を機械に通し、店員さんが「お会計5632円です」と私達に向かっていう。
春花は慌てることなく1万円札を財布から取り出して、支払いを済ませた。
私は商品の入ったかごを持ち、袋に詰め替える作業に取り掛かる。
春花もすぐに隣に並び立って、2枚もらったうちのもう1枚を手にとって買ったばかりの品物を袋に詰めていく。
二人係でやれば、それほど時間もかからない。あっという間に袋に詰め終わり、スーパーを後にした。
「…あのさ、春花」
「うん?」
「…私、さ、春花に、言いたいこと、ある」
「…言いたいこと?」
彼女は不思議そうに首をかしげて、だがすぐにうんと頷いて笑ってくれた。
恐らく先ほどの続きだろうと気がついているのだろう。
不自然に止めた会話は、スーパーの中にいたままでは口にはしずらい内容だ。
公園によっていこうかと提案してくれた春花の言葉には逆らわず、二人で帰り道の途中にある公園に進路を変える。
もう日もくれたからか、公園には誰もいなくて、空いていたベンチに二人で腰を下ろした。
話す、そう決めたはいいが、どう切り出せばいいのか少しだけ悩んで、だがすぐに悩んでいても仕方ないと地面に落ちてしまっていた視線を上げた。
「…私ね、男の人怖いんだ。春花の言うとおりなの」
「…あー…うん」
「…昔、私、すごいいじめられっ子でね? 小学生のときなんかは、女子だけじゃなくて、男子にもいじめられてて、…それで、男の人、怖くなっちゃって」
息を飲んだ気配がした。
彼女は、私のカミングアウトをどう思っているんだろう。
驚いていることは間違いないだろうが、私がこれから続ける話を聞いても、受け止めてはくれるだろうか。
不安と期待が胸のなかで綯交ぜになって、心臓がドキドキとその速度を速めていた。
「…正直、男の人だけじゃない。女の人でも、怖いって、常にそう思ってる」
「…萌…」
「…春花のこともね、…正直、ずっと怖いって、そう思ってた」
だけど、そうじゃないのかもしれない。私が見落としていただけで、見ないようにしていただけで、本当は違うのかもしれない。
そう、思えたのは、月村さんがきちんと「その人を見ること」を、教えてくれたからだ。
「だけどね、だけど今は、…私、春花とちゃんと友達になりたいって思って、だから、その、聞いて、欲しいんだけど…」
「…私でいいの?」
「…春花がいいの」
少しだけ傷ついたような表情を浮かべた彼女に、私の胸もちくりと痛む。
だが、これはきっと私が今まで怯えていた代償なのだろう。これを乗り越えなきゃ、私はきっと、前には進めない。
「……聞いて、くれる?」
「…全部聞くよ。ちゃんと」
萌から友達になりたいなんて初めて言われたんだから、聞かなきゃ女が廃るでしょ。
そう続けて笑ってくれた春花に、私は心のそこから感謝した。
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