勇気をください。

橘 志摩

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17.親友

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 始まりはなんだっただろう。
 毎日のように繰り返される罵詈雑言と暴力に、日付の境は曖昧で、私もただ口をつぐんだまますごしていたように思う。
 高校入学を境にやっと開放されると願ったが、それと引き換えに私の心に残ったのは本当の自分を封印することだった。

 高校の時からずっとそうやって過ごしてきた。
 もう痛いのも、怖いのも、寂しくて悲しいのも、嫌だった。
 だから、だからずっとそれを回避したいと、私はずっと逃げていた。

 逃げることをよしとしなかったわけじゃない。
 このまま逃げて、私は自分を隠して生きていくのだろうかと思ったことは何度もある。
 けれど、その度にあの辛い日々に戻るのはもう嫌だと私は自分を隠す選択しかしなかった。

「…だけど、だけどね、月村さんにね、言われたの。疲れるくらいなら、ちゃんと自分を見せればいいんじゃないかって。やり方がわからないならどう振る舞えばいいのか参考にはならないかもしれないけど自分を見ればいいんじゃないかって」
「…そうなんだ」
「だから、月村さんは私にとって、恩人なの。…月村さんがいてくれなかったら、私きっと、春花と仲良くなりたいと思っても、ありのままの自分で仲良くなって欲しいって思っても、結局どこかで怯えたままだったと思う」
「…まぁ、怯えられてたってことはちょっと泣きたいけど、そんな経験してたら仕方ないと思うよ。正直、萌はいつだって私にどこかしら一線引いてるように見えたから、なんでかなとは思ってた。けど、今話聞いて納得した」

 萌のこと助けたのがお兄ちゃんだっていうのが気に食わないけど、と続けた春花はどこかスッキリしたように笑っていて、その笑顔に緊張していた私の心にも少しだけ安堵が広がった。
 月村さんの大丈夫を信じていなかったわけじゃない。それでも、やっぱり怖かった。
 怯えてたと告白されて、いい気分になれる人もそういないだろう。
 私が春花に対してどう思っていたかを知って、彼女が怒るかもしれない、酷いと言って私から離れていってしまうかもしれない。そんな恐怖は、ずっと私の中にあった。

 その彼女が、ほっとしたように笑ってくれたことで、私の中の何かが救われたような気がした。

「帰ろっか」
「…え、あ、」
「お兄ちゃん達も待ってるだろうしさ」
「あ、う、うん」

 立ち上がった春花に慌てて立ち上がった。
 それぞれの手には先ほど買ったばかりの食材の詰まった袋が持たれてる。
 月村さんが私達を送り出してくれた理由は「お使い」だ。あまり遅くなってもいけないだろう。

 歩き出した春花の横に並び、チラリと視線を向けると、目があって、どちらからともなく吹き出してしまった。

「はーあ! 私もさ、これでも悩んでたんだよ!」
「え?」
「私は萌ともっと仲良くなりたいんだけどなーってさ。でも嫌われてるのかなーとか色々さ」
「あ…ご、ごめ…」
「あぁ、いや、そこは謝らなくてもいいんだけど。理由聞いたら萌が私のこと怯えても仕方ないって思うし。それにほら、今日からは、ちゃんと友達。でしょ?」
「あ…」

 彼女が、春花がそう言ってくれたことで、言いようのない感情に襲われて、涙がこみ上げた。
 初めて、ありのままの自分を受け入れてくれた、自分から望んで受け入れてくれた、「同性の友達」の存在に、心が沸き立つほど、嬉しかった。

「あ、やだもー泣かないでよ!」
「ご、ごめ…っ」
「…今日さ、お兄ちゃんといる萌みて、あぁ、本当はこういう子なのかなって、そう思ったよ。落ち着いてて、大人しくて、だけどちゃんとまっすぐ前向いててさ。お兄ちゃんのことちょっと羨ましかったんだよ」
「…春花…」
「だから、今私も本当に嬉しいんだよ。萌、これからはちゃんと、作った自分じゃなくて、本当の萌のまま、私と友達でいてくれるってことでしょう?」

 そう問われて、私は何度も頷いた。
 友達でいてくれるだなんてそんな。それこそ、私のセリフだ。もしかしたらダメかもしれない。今までどおりに話せなくなるかもしれないと、そう不安でいっぱいになっていたのは私のほうだ。
 それを、こんなふうに受け入れてもらえるなんて、夢のようだった。

「今度からはさ、相談とかなんでもしてよ。あ、もちろん話せることだけでいいし。私が嫌なことしちゃったら言って。ここはダメだと思うとかさ。そしたら私も、あぁこれはダメだなとかちゃんと自分で考えて治せるし」
「…うん」
「それにほら、恋ばなとかも、しようね?」
「えっ」

 ニヤりと笑った春花の言葉に、私が驚いてしまったのは仕方ないと思う。
 確かに、女性同士で恋バナは憧れるひとつでもあるが、今の私に恋愛など考えられなかったのも事実で、こんな私だから、今まで恋愛したことも、彼氏がいたこともない。
 これから恋愛できるとしても、ずっとずっと先のことだと思ってる。

 目を丸くした私に、春花はますますその笑みを深くした。

「萌が男の人怖いって思ってるのはわかるけどさ、お兄ちゃんは怖くないんでしょ?」
「そ、それは、そうだけど…つ、月村さんは友達だよ、私なんかが恋とか、おこがましいっていうか釣り合わないっていうか、…そんなの、考えられないっていうか…」
「別にいいじゃん、萌可愛いんだし。おこがましいとか釣り合いとか考えなくてもいいと思うけど。それに、友達から恋人になんてよくある話だし。萌だってお兄ちゃんのこと好きでしょ?」
「そっそれは人としてってことであって! い、異性としてってことじゃ…!」
「今はそれでいいって。けどお兄ちゃんのあの性格受け入れて、尚且つかっこいいって思ってるだけで十分なんじゃないかなー。楽しみだなー、萌から、恋愛相談されるの」
「春花!」

 ニヤニヤと笑う春花はわっとはしゃいだ声を上げながら、帰り着いたマンションのエントランスに駆け込んで、私はといえば顔を真っ赤にしたままその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 私にとって、まだ自分のトラウマをひとつ解決出来ただけに過ぎない状況で、恋愛なんてまた二の次だ。
 恋なんてできるかどうかもわからないし、月村さんをそういうふうに考えたことなんてない。
 この先そういう相手として心を寄せるかどうかなんて自分でさえわからないのに、どうして春花はそんなにも私と彼をそういうふうに結びつけるのだろう。

 彼から鍵を借りていた彼女がオートロックを外してそのドアを開けると私の名前を呼んで早くと急かす。
 慌ててそのドアに入り、今はとりあえず、春花とちゃんと友達になれただけでいいとその喜びをかみしめることに集中して、月村さんのことは考えないことにした。

 でも、お礼だけは、ちゃんと言おうと思う。





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