勇気をください。

橘 志摩

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4.貰った名刺

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 必死に周りに合わせているのは確かだが、そこまであからさまだっただろうか。
 高校生の時から始めたこれはもう10年続いてる年季物だ、早々簡単にバレるような演じ方はしていないはずで、たかが2回しか会ったことのない人にバレるほどヤワなものじゃない。おまけにそのうちの一度は会ったことのうちの一つに含んでもいいものかどうかでさえ怪しい。

 烏龍茶を持ったまま混乱する私をよそに、彼はため息をついて立ち上がった。

「大吾、悪い。仕事入った」
「え? なんだよ陽葵、お前締め切り終わったばっかだろー?」
「次の仕事だよ。今日中に連絡しなきゃなんないんだよ。本当悪いな」

 突然の急展開にみんな驚いている。
 私も驚いたまま固まって彼をジッと見つめていると、無表情の瞳に見つめ返された。

「…本当、めんどくさい奴」
「え…」
「じゃあな、大吾。また連絡するから。―――ほら、行くぞ」
「えっあ、ちょ、あの…っ」

 いきなり腕を掴まれて立ち上がらせられた。
 何が起きたのか、後ろでは「お前仕事とか嘘ついてんじゃねーよ!」なんてはやしたてる声が聞こえたが、彼は止まることなく店を出てしまう。
 必然、腕を掴まれたままの私もだ。

 何が起こったのか全く理解できない。どうしてこの人がこんなことするのかもわからなくて、ただ一つわかるのは、今私の腕は男の人に掴まれているということだけだ。
 彼は問いかけても何も答えてくれず、その広い背中が恐ろしくてたまらなかった。

 自分とは違う大きな掌が、私の腕を掴んでる。
 蘇ってきた記憶に背筋がゾッとして、勢いよくその手を振り払った。

「……?」
「っ、ご、ごめんなさい…!」
「…別に、謝らなくてもいい。何、嫌だった?」
「す、すみません、ごめんなさい、あの、本当、ごめんなさい…っ」
「いや、だから謝らなくていいって。悪かったな。俺も忘れてた」
「…え…?」

 立ち止まった場所は運良く人通りの少ない裏路地で、集まる視線はない。
 時間も時間だし、人がいないのはそのせいもあるんだろう。

 腕を振り払ったことに対して彼は気を悪くした様子もない。私はそのことにほっと胸を撫で下ろした。

「あんた、男怖いんだよな?」
「…な、なんで…?」
「見てれば分かる。大吾と海翔の間に挟まれたときプルプルしてただろ。ハムスターみたいだったから」
「ハム…!?」
「まぁ、あいつらは無駄に身体でかいし、ガタイいいから怖いのもわからんでもないけどな」

 そう言って彼は微かに笑う。
 その笑顔に驚いたのは私のほうだ、さっきの会場ではほとんど笑わなかったのに。それどころかずっと無表情を保っていたのに、この人笑うことが出来るのかと、そう思った。

「で? 男怖いなら彼氏とか作るつもりで来たんじゃないんだろ。なんで来たんだ? 怖いなら断れば良かっただろ」
「だ、だって、困ってたから…」
「たかが合コンで? あんたが怖いの我慢して必死になるくらいの無理しなきゃなんないほど?」
「だ、だってそうしないと…っ」
「そうしないと、なんだよ」

 そうしないと、空気が読めない、ノリが悪い、そう言って、私は弾かれる。
 そんなことに怯えているのかと笑われるような気がして、口に出来なかった。

 黙り込んだ私にため息が落ちる。
 顔を見ることが出来なくて視線を地面に落とした。

「なぁ、その生き方、疲れねぇの」
「…つ…疲れる、けど、でも…」

 他に方法なんて知らない。これしか。もう、あんなふうにいじめられて虐げられる時間を繰り返すのは、もう嫌だった。
 怖いし、痛いし、何より寂しい。苦しくて辛くて、悲しい。
 あの時間に戻るくらいなら、自分の疲労など押し殺した方がマシだ。

「―――友達なんて、気が合って、波長が合って、自分でいられる奴が一人でもいたらそれで充分だと思うけどな」
「…っそ、それは…っ」
「そんなに、友達100人欲しいの? お嬢ちゃん」
「っ…私の事情も知らないくせに好き勝手言わないでよ!」

 私だって親友という存在に憧れてないわけじゃない。
 表情を作らず、感情を作らず、周りに空気を合わせなくても穏やかに過ごせる友人が欲しい。
 けれどそれではダメなのだ。それでは私はまた目をつけられる。
 そのことがどれほど怖いか、変えたくても変えたら何があるかわからない恐怖があるか、この人にわかるはずがない。

 上げた大声に彼は一瞬驚いた表情を浮かべてから、面白そうに笑った。

「事情ねぇ。くっだらね、ただの言い訳だろ」
「なっ…」
「あんたみたいな自分押し殺して生きてるような奴みんの、すげーイライラする」
「…ツキムラさんにはっ私の人生なんて関係ないでしょう…!」
「ないけどな。ないけど、…なんでそんな不器用な方法しか取れえねぇのかって、イライラすんだよ。素直にいきりゃいいのに。何にがんじがらめになってんだか」

 彼はそう言って苦笑する。
 私は反論もできずに拳を握って、唇を噛むだけだ。

 きっと彼はそうなんだろう。
 自分に素直に、正直に生きてる人なんだろう。
 それはその口ぶりからわかるし、今まで一緒にいた彼の友人の反応でも分かる。
 みんな気兼ねなく会話して、からかったりいじったり、本当に楽しそうで、本当に「友人同士」だった。

 その関係を、私がどれほど羨ましいと思って見ていたかなど、きっとこの人にはわからないだろう。

 素直に生きようとしていた結果が私の過去だ。
 取り繕うことを覚え、建前を覚え、やっとあの苦行の時間から抜け出したのに。
 この人はそれを間違いだというのか。私が見つけ出したこの唯一無二だと思っていた防衛策を、無駄だと。

 ならば他にどんな方法があるっていうんだ。こうじゃなきゃ、こういう私でなかったら、みんなに受け入れてもらえないのに。

「―――素直に生きるって、どうしたらいいんですか…っ!」

 声が震えてしまったのは、涙を堪えていたからだ。

 私が欲しいものを持っているこの人に、私の気持ちなんかわかるはずない。
 わかるはずがないのに、私が見つけ出した方法以外の手段で、―――自分の感情に素直に生きているこの人は、私の欲しいものを全部手に入れてる。

「友人」も「親友」も、そうして過ごす、その楽しい時間も、全部。
 彼のその生き方が正解だというなら、私は一体どうすればよかったんだろうか。

 情けないのと、悔しいのと、バカみたいだと思う自分の感情がせめぎ合う。
 目尻に溜まった涙はなんとかこぼさずに済んだ。

「…俺が知るかよ、そんな事」
「…そっ、な、」
「だけど、俺はあんたみたいに自分に嘘をついてまで友達が欲しいとは思わない。あいつらは年下だけど、気のいいやつらだし、つるんでて楽しいから俺も一緒にいる。それだけだ。それ以外の方法なんて俺は知らねぇよ。俺は俺のままだ、嘘をついてまで作った友達と一緒にいても楽しいとは思わないから、それはしない」
「…そんな…」
「―――それでも知りたいって思うなら、おまえが俺のことみて、盗み取ればいいんじゃねぇの」
「…え?」

 そう言って彼は、来ていたジャケットの胸ポケットから何かのカードケースを取り出して、1枚小さな紙を引き抜いた。
 それをそのまま私の方に差し出して、ただ一言「やるよ」とだけ呟いて、再びカードケースを胸ポケットにしまっていた。
 恐る恐る受け取った名刺には「レッドムーン デザイナー 月村陽葵」と表記されていた。

「…これ…」
「俺は自分に嘘をついて生きるのは疲れた。だから俺は俺のままで生きてる。仕事中もそうだし、プライベートでも、だ。あんたが俺を素直に生きてるって言うなら、俺がお前の見本になるだろ。素直に行きたいって思うならいつでも見に来ればいい。そこの住所は仕事場だし、携帯も書いてある」

 あくまであんたに興味があるならだけどな、その人はそう言い残して、笑った。

「無理にとは言わねぇよ。けどな、あんたみたいにまだまだ若くて、先もあるのに諦めてるような奴みると、どうにもほっとけねぇんだよ」
「…どうして…」
「イライラするから。…ま、気が向いたらでいい。俺もそこまで暇じゃねぇし。…じゃあな、モエちゃん」

 そう言って、夜の街に消えた彼の後ろ姿をと見つめたまま見送ってしまう。
 ぼんやりとした意識で考えたのは、「私の名前ちゃんと覚えていたのか」というそのことだけだった。




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