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5.迷い
しおりを挟むお昼休み、行きつけになってしまっているカフェで、その名刺をジッと見つめた。
パソコンで打ち出されたのだろう無機質な文字で刻まれた、あの人の名前。
レッドムーンと書かれた会社名は、今若い子の間で人気のアクセサリーブランドだと気がついたのは、家に帰ってからだった。
家に帰ったとき、何気なくチェックした携帯には春花からやけにテンションの高い「どうして二人で帰ったの」と尋ねるメールが入っていた。
どう答えればいいかわからなくて、だがそのまま送っても彼女は納得しないだろうと考えて考えたが、やっぱりわからなかった。
彼が私にイラついて、あそこから連れ出してくれたのは分かる。だがそれだけだ。
まさか「イラつかれて、よくわかんないうちに連れ出された」なんて返信するわけにもいかず、結局「わからない」の一言だけを返すしかなかったのだ。
そして開けた月曜日、春花はすごく興味津々と言った顔で私を見ていたが、それから逃げるようにお昼に出てきてしまった。
ここで話を合わせておかなければいけないと思うのに、自分でもわからないことをどうやって説明すればいいのか全くわからないままだ。
見に来ればいいとあの人はいったけれど、見に行ったところで何かがわかる気がしない。
月村さんが優しい人だったらまだ希望はあったような気がするが、彼は基本的に言葉がきつくて、ぶっきらぼうな人だ。
それはあの日だけでもよくわかる。
おまけに仕事場の住所だと言っていたそこはマンションの一室が記載されていて、恐らくデザイナーという職種のその人は一人で仕事をしているんだろう。
男の人を怖いと思う私に、男性と二人きりの空間で過ごせというのは結構ハードルの高いミッションでしかない。
携帯の番号も、メールアドレスも記載されてるその名刺をどうすればいいのか、私は完璧に持て余している。
誰かに相談したいとは思えど、私にはこんなことを相談できるような友人はいない。
「…どうすればいいんだろう…」
「っあー! 萌! いた!」
「っ」
いきなり呼ばれた名前に驚いて肩が跳ねた。
慌てて入口を振り返れば、そこには少しだけ怒ったような顔をした春花がいて、咄嗟にまずいと思ってしまう。
やっぱり逃げるのはよくなかった、嘘でもついておけばよかったのに、どうして逃げてしまったんだろう。
後悔してももう遅い。心に走る恐怖をどうにもできず、思い出された過去の記憶に冷や汗が背中を伝う。
彼女がどんどん歩み寄ってきて、私の目の前にたどり着いた瞬間、恐怖も最高潮に達して、ぎゅっと瞼を閉じると、少しだけ乱暴に椅子に座る音がして、ため息をつかれた。
「……?」
「どうしてお昼先行っちゃうの、今日忙しそうでもなかったのにー」
「え…」
「え、じゃなくてさ、いつも一緒に言ってたのに、何も言われずに置いてかれるとか寂しいんですけど」
「…あ…ご、ごめん…」
「別に、いいけどさ。でも先に行くなら行くって言ってくれたらいいのに」
「…ごめん…」
怒ってはいるが、声はそこまで剣呑じゃないように思える。
春花は向かいの空いていた席に座ってメニューを少し眺めてから店員を呼んでさっさと注文を済ませていた。
朝、私に向けていた好奇心の眼差しは見えなかった。
「…お、怒って、ないの…?」
「まぁ多少は怒ってるけど、心当たりはあるし。萌だってたまにはひとりでご飯食べたかったのかなーって思ったくらいだけど」
「…そ…そう、なんだ…」
「え、何? そんな心狭くないよ、萌ひどいな!」
彼女は笑いながらそう言って、携帯をカバンから取り出した。
画面を一瞬だけ確認してからテーブルに置いて、肘をつく。
前のめりになったその体勢に一瞬ぎくりとして身体がこわばったが、そんな私をみて、彼女は苦笑した。
「…聞かないよ、何も」
「…え…」
「だって萌、言いたくないんでしょ? その人が言いたくないこと、無理に聞き出したりなんてしないよ」
「…は…春花…」
「大体さー萌はちょっと気にしすぎなんだよ、私そこまで沸点低くないよ? 私は萌のこと友達だって思ってるけど、…友達だからって全部話せるわけでもないじゃん。いいよ、言いたくないことは言いたくないってはっきり言ってよ。私、萌とちゃんと友達だって思いたいもん」
「…春花?」
最初に運ばれてきたのはアイスコーヒーだった。
春花はそれにミルクとガムシロップを入れて、ストローでかき混ぜている。
その視線はグラスに向けられたままだ。
「知ってるよ、萌、何かに怖がってるの、私知ってる。けどそれはきっと萌が言いたくないことなんだろうし、私が聞いちゃいけないことなんだろうなってことも、わかってる。だから聞かない。…ちょっとだけ、相談してもらえないの、寂しいけどね」
そう言って笑った彼女の表情は、本当にどこか少し寂しげで、胸がちくりと痛んだ。
そして、同時に浮かんだ疑問に、私は言葉を紡げなくなってしまう。
本当に、これでよかったのだろうか。
私は本当にこのままでいいんだろうか。
私を友人だと思ってくれている彼女の事を、このまま、欺き続けることが本当に正しいんだろうか。
もしかしたら、私が思うより、世界はもっとずっと広くて、私は何かを見落として、見誤ってるのかもしれない。
だって現に今、派手で、私をいじめていた同級生達と同じ人種のように見える春花は、すごく私を気遣ってくれているように見える。
彼女がもし、あの人達と同じ人種でなかったら。私が友達になりたいといったら。
彼女はどう、反応を返してくれるのだろう。
「あ、きたきた。早く食べて戻ろ!」
「あ…う、うん…」
心に浮かんだのは切実な願いだ。
もし、彼女と本当の意味で友人になれたら、本来の自分のままで付き合っていくことができたら。
本当の意味で、私の友達ですと言えるようになったら。
浮かんだ希望の次に思ったのは、「知りたい」だった。
知りたい。どうやったら、この子と気兼ねなく打ち解けられる友人になれるのか。
今の作った自分ではなく、本来の自分で彼女と友人になる方法が、知りたかった。
―――月村さんは言った。自分に嘘をついてまで友達が欲しいとは思わない。あいつらは年下だけど、気のいいやつらだし、つるんでて楽しいから俺も一緒にいるって。嘘で固めた自分じゃない自分で、作った友達だと。
私は何もわからない。
中学生のまま、何も成長できてない。
本当の友達を作りたいと望むなら、彼の元に行って、教えてもらった方がいいんじゃないだろうか。
ただ漠然と、そう、思っていた。
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