勇気をください。

橘 志摩

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25.仲直りの合図

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「――へぇ……そんなことあったんだぁー」

 こないだのことをかいつまんで説明すると、津田島さんは苦笑しながら頬杖をついて、視線を私から外した。
 その困ったような表情に、やっぱり自分が悪いのだと再確認すると、胸に罪悪寒が浮かぶ。
 再び落ちてしまった視界に入るのは、ぎゅっと強くスカートを握り締めている自分の両手だ。

「あの……月村さんが怖いとか、そういうの、全然ないんです。全然ないのに、どうしてだか、……その、月村さんが傍にきたりすると緊張しちゃうっていうか、恥ずかしくなるっていうか、……だから、その……」
「……っていうか、七種さんさ、ものっそい鈍感なのかな? 自分の感情に疎くなってるってことない?」
「……へ?」

 津田島さんの質問の意図がわからなくて首を傾げた私に、彼はまた小さく笑う。
 その反応の意味もわからなくて怪訝な表情を浮かべてしまう。
 わけのわからないままの私に、津田島さんは「あ、違う違う」と顔の前で手を振った。

「まぁ仕方ないっちゃ仕方ないのかもね。今までそれどころじゃなかったんだろうし。とりあえず君が気にすることじゃないのはわかった」
「……でも、月村さんの気分悪くさせちゃったし……」
「あぁいいんだよいいのいいの。陽葵のことなら気分悪くさせといても問題ないから。それは七種さんが悪いわけじゃないからねー」
「え? で、でも……」
「まぁでもあれだね。このままじゃ七種さんも心配っちゃ心配だもんね。そしたらさ、次に会った時に、素直にそれ、言ったらいいと思うよ」
「……それ?」

 津田島さんとの会話はなんだか自分一人取り残されているような気分になってしまう。
 戸惑っている私に彼はきちんとした答えをくれるわけではなく、自分の頭の中だけで話が進んでいるようにも見える。

「そう。さっき俺に言ったみたいに陽葵にいえばいいと思うよ。そしたらアイツが大人なぶん、ちゃんと気が付くと思うからさ」
「……気がつくって、何をですか?」
「七種さんが、初恋もまだの、小さな女の子だってことさー。焦んなくていいんだよって、ね」
「はあ……」

「焦るな」とは、いつも月村さんが私に言ってくれる言葉だ。
 私もそうしようと、焦らないようにしようと、月村さんがくれた言葉を大事にしてる。
 だが、月村さんも何かに焦っていたんだろうか。確かに私は初恋もまだで、恋愛経験値なんてないと言っていい。
 だけどそれが何の関係があるのだろう。

 私が悩んでいるのは、月村さんとの友情関係であって、自分自身の恋愛経験値のことじゃない。
 怪訝な顔をしたままの私に、津田島さんはニッコリと笑って、「今日にでも会ってみたら?」と、これまた難易度の高いアドバイスをくれた。

「ところで、休憩時間まだあるの? 時間大丈夫?」
「……あっ!!」

 話を聞くことに必死になって、休憩時間の終わりの時間を気にし忘れていた。
 慌てて帰ってきた時、時計の針はギリギリ3分前で、私は自分の席に腰を下ろしてから深く息を吐く。

 色々と考えなければいけないことが山ほどあったが、今は仕事に集中しないと、そう気持ちを切り替えてパソコンに向き合った。
 不意に気になったのは携帯で、最後にもう一度だけ画面を見ると、「いいよ」という言葉と、私の退社時間に合わせた待ち合わせ時間を記したメッセージが入っていた。
 慌てて了解の返事を打ってから送信すると、身体から一気に力が抜けてしまう。

「今日会えませんか」とメッセージを送ったのは会社に戻ってくる道すがらだ。急いでいたせいでそれしか打てなかったのに、月村さんはすぐに返事をくれている。
 そのことに安堵すればいいのか、情けない自分に落胆すればいいのか。
 津田島さんはそのままいえばいいというけれど、本当にそれでいいのかどうかがわからない。
 だがそれ以外に方法がないのは確かで、もう決意しなきゃいけないんだと心を決めた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 残業はできないと必死で午後の仕事を終わらせた。
 着替えを済ませて急いで待ち合わせ場所に向かうと、そこにはもう月村さんが来ていて、私は慌てて彼に駆け寄った。

「ご、ごめんなさいっ! 遅くなっちゃって……!」
「……ん? あぁなんだ来たのか。別に急がなくてもよかったのに。まだ時間前だろ」
「あ……いえ、あの、月村さん、来てくれてるんだって思ったら急がなきゃって、思って……」

 どこか気まずい気持ちをごまかすようにへらっと笑いながら言い訳を口にすると、彼は一瞬驚いたように目を見開いて、だがすぐに小さく笑う。

 見たところ、いつもと変わらないように見えるのに、二人の間にできた隙間は人一人分だ。前と同じようにそんな気を使わない距離感には戻っていない。

「……行くか。飯まだだろ? 何食いたい?」
「あ……えと、あの、……ど、どこでも……」
「ふーん? 食いたいもんあったら遠慮なく言えよ。俺に変な気兼ねすんなよな」
「……してないです。いいんです、月村さんと一緒に食べるご飯、なんでも美味しいから」
「……どうした? お前、なんか変」
「へっ変って! 変ってなんですか!」
「そのまんまの意味だよ。お前おかしい。なんかあったのか? 具合でも悪いのか?」

 素直に気持ちを言っただけなのに、彼は本当に私がおかしいと思っているらしい。
 彼のその反応に少しふてくされたくなったが、今の自分にはその権利がないことを思い出して、視線を地面に落としてしまう。

「……まぁじゃあ行くか」

 なんか調子狂うなと小さく呟いた彼の言葉に、私はこのままじゃダメだと、小さく、本当に小さく勇気を出して、彼のシャツの裾をそっと掴んだ。

「……七種?」
「…………あ、あの……、……ご、ごめんなさい……」
「……は?」
「あの、……あの、私、月村さんのこと、怖いって、全然思ってないですから。怖いなんてまったく思ってないし、その、……こないだのあれはちょっと違うんです。……なんか私、最近おかしくて……」
「……今もお前おかしいけど」
「いやそうじゃなくて! そうじゃなくて……あの……私、月村さんと一緒にいると、楽しいし落ち着くんですけど、あの、きっ緊張、しちゃって……っなんか、恥ずかしいっていうか、緊張して照れちゃうっていうか、なんか、落ち着くのに落ち着かないっていうか……っだからその……っ私、月村さんのことは、全然怖くないんです! むしろ改めて男の人だって思っちゃっただけで!」
「……は?」

 彼が私の言葉をすぐに理解出来なかったのは当たり前だ。私だって自分が何を言いたいのかまったくわからない。
 だが言い切ったその後で無性にこみ上げてきたこの恥ずかしさはどうすればいい。
 とりあえずはと津田島さんの言うとおりにしたのに、こみ上げる恥ずかしさに堪えきれなくて、赤くなった顔のまま視線を上げられない。

 月村さんの服の裾をぎゅっと掴んだまま、恐る恐る視線を上げると、怪訝な顔をして私の顔を見つめていた月村さんの顔が、一瞬で、一気に赤く染まった。

「……え」
「……っあ、いや、わかった、わかったから、もういい。俺は気にしてないから! お前も気にすんな!」
「……月村さん……顔真っ赤……」
「言うな!」
「え。あの……っ」

 月村さんの服を掴んでいた手を少しだけ乱暴に取られて、ぎゅっと握り締められた。
 背を向けた彼はいつもより早い歩調で先を進んでいく。私はその腕に引かれるまま歩くだけだ。

 戸惑うばかりで、どこに向かっているかもわからなかったが、暫く歩いたところで立ち止まった月村さんは、私を振り返って、その大きな掌で、ぐしゃぐしゃと私の髪の毛をかき回した。

「わっ! な、何……っ?!」
「……忘れてたわ、お前はそういうやつだもんな」
「……え?」
「……気長に待つわ、焦んなって言ったのは俺だしな」
「……え……? は、はぁ……?」

 なんだかどこか嬉しそうに笑った彼に、私はその理由がわからないままで、結局答えを教えてもらえないらしい。
 だが、再び歩き始めた彼の背中を見つめて、ついさっきまで感じていた距離感は消えていて、そのことが、すごくすごく、嬉しいと思った。



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