1 / 30
時の女神伝説
しおりを挟む
少女は走った。名前と同じ浅葱色の髪を振り乱し、高価な着物が煤で汚れることにも構わず。猛火の中をくぐり抜けて。
水が飲みたい。足が重くて痛い。適当に履いてきたわらじが実は鉄でできたものじゃないかと疑いたくなる。
久しぶりの外の世界だが今はそれを喜んでいる暇はないのが残念だった。
腕には産着と打掛でくるまれた、大切なひとたちの赤子。軽いが価値はずっと重い。
振り返ると火の手は辺り一面を燃やし尽くそうとしているかのような勢いだった。これが火の海というものなのだろうか。
走り続けて喉がカラカラになって咳き込むようになった頃には、懐かしい故郷にたどり着いた。
ここには火の手は届いていない。吉原からかなり離れた山のふもとだ。きっと大丈夫だろう。
少女は乱れた呼吸を整えつつ、ふもとにポツンと作られた祠の前で赤子をそっと下して膝をついた。
「夜叉ちゃん…」
少女は赤子を見つめてそっと頬をなでた。この子の母親がよくするように。
赤子は道中激しく揺られながらも泣き出すことはなかった。この齢にしてすでに肝が据わっているのだろうか。確かに父親はいつでも堂々と構えていた。
(無事なんですか…生き延びてくれますよね…舞花姐さん)
赤髪を結いあげて金色のかんざしで留めただけの質素な髪型で、物静かに煙管を吹かしては色っぽくほほえむ。彼女は他の女郎と比べて出世したり売れっ妓になることを望まない。いつも付いて回る浅葱にも優しく、文字の読み書きや美しい立ち居振る舞いを教えてくれた。派手さはなく、凛とした美しさと芯があって彼女は誰からも慕われた。
親子三代続く女郎の舞花は、水揚げの直前で朱雀に選ばれて子を授かった。
しかし2人は。
舞花は吉原の火事で建物の倒壊に巻き込まれた。かろうじて会話はできたが彼女はあそこから抜け出せただろうか。
朱雀は今日は顔を見せていない。どうかいつものように現れて舞花を助け出してほしい。
2人のために今自分にできることは、舞花に託された夜叉を守ること。
(時の女神様…)
祠の前で寝かせた夜叉の前で少女は手を組み、顔をわずかに伏せた。
────時の女神の祠の前で清らかな祈りを捧げると一生に一度、女神が願いを叶えてくれるらしい。
それは少女の里に代々伝わる伝説。しかし実際に祈りを捧げている者を少女は見たことがない。
誰もがただの伝説だと笑っていたが今はそれに賭けたい。そうしなければこの小さな愛らしい命は誰が守れる?
(お願いします。今じゃなくていいから、あの親子3人が笑って暮らせますように…)
彼らのためならここで一生に一度を使って構わない。
少女は長いことずっとその姿勢のまま一心不乱に祈りを続けていた。
夜叉は相変わらずおとなしくて声を上げることすらない。
「…あっ」
うっすらと目を開けると目の前には見慣れた祠と花。少女は手を下ろして震えた。
────伝説は本当だったのだ。時の女神様が幼子を救ってくれた。
打掛にくるまれていた夜叉は消えていなくなっていた。
水が飲みたい。足が重くて痛い。適当に履いてきたわらじが実は鉄でできたものじゃないかと疑いたくなる。
久しぶりの外の世界だが今はそれを喜んでいる暇はないのが残念だった。
腕には産着と打掛でくるまれた、大切なひとたちの赤子。軽いが価値はずっと重い。
振り返ると火の手は辺り一面を燃やし尽くそうとしているかのような勢いだった。これが火の海というものなのだろうか。
走り続けて喉がカラカラになって咳き込むようになった頃には、懐かしい故郷にたどり着いた。
ここには火の手は届いていない。吉原からかなり離れた山のふもとだ。きっと大丈夫だろう。
少女は乱れた呼吸を整えつつ、ふもとにポツンと作られた祠の前で赤子をそっと下して膝をついた。
「夜叉ちゃん…」
少女は赤子を見つめてそっと頬をなでた。この子の母親がよくするように。
赤子は道中激しく揺られながらも泣き出すことはなかった。この齢にしてすでに肝が据わっているのだろうか。確かに父親はいつでも堂々と構えていた。
(無事なんですか…生き延びてくれますよね…舞花姐さん)
赤髪を結いあげて金色のかんざしで留めただけの質素な髪型で、物静かに煙管を吹かしては色っぽくほほえむ。彼女は他の女郎と比べて出世したり売れっ妓になることを望まない。いつも付いて回る浅葱にも優しく、文字の読み書きや美しい立ち居振る舞いを教えてくれた。派手さはなく、凛とした美しさと芯があって彼女は誰からも慕われた。
親子三代続く女郎の舞花は、水揚げの直前で朱雀に選ばれて子を授かった。
しかし2人は。
舞花は吉原の火事で建物の倒壊に巻き込まれた。かろうじて会話はできたが彼女はあそこから抜け出せただろうか。
朱雀は今日は顔を見せていない。どうかいつものように現れて舞花を助け出してほしい。
2人のために今自分にできることは、舞花に託された夜叉を守ること。
(時の女神様…)
祠の前で寝かせた夜叉の前で少女は手を組み、顔をわずかに伏せた。
────時の女神の祠の前で清らかな祈りを捧げると一生に一度、女神が願いを叶えてくれるらしい。
それは少女の里に代々伝わる伝説。しかし実際に祈りを捧げている者を少女は見たことがない。
誰もがただの伝説だと笑っていたが今はそれに賭けたい。そうしなければこの小さな愛らしい命は誰が守れる?
(お願いします。今じゃなくていいから、あの親子3人が笑って暮らせますように…)
彼らのためならここで一生に一度を使って構わない。
少女は長いことずっとその姿勢のまま一心不乱に祈りを続けていた。
夜叉は相変わらずおとなしくて声を上げることすらない。
「…あっ」
うっすらと目を開けると目の前には見慣れた祠と花。少女は手を下ろして震えた。
────伝説は本当だったのだ。時の女神様が幼子を救ってくれた。
打掛にくるまれていた夜叉は消えていなくなっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
貞操逆転世界で出会い系アプリをしたら
普通
恋愛
男性は弱く、女性は強い。この世界ではそれが当たり前。性被害を受けるのは男。そんな世界に生を受けた葉山優は普通に生きてきたが、ある日前世の記憶取り戻す。そこで前世ではこんな風に男女比の偏りもなく、普通に男女が一緒に生活できたことを思い出し、もう一度女性と関わってみようと決意する。
そこで会うのにまだ抵抗がある、優は出会い系アプリを見つける。まずはここでメッセージのやり取りだけでも女性としてから会うことしようと試みるのだった。
ベッドの隣は、昨日と違う人
月村 未来(つきむら みらい)
恋愛
朝目覚めたら、
隣に恋人じゃない男がいる──
そして、甘く囁いてきた夜とは、違う男になる。
こんな朝、何回目なんだろう。
瞬間でも優しくされると、
「大切にされてる」と勘違いしてしまう。
都合のいい関係だとわかっていても、
期待されると断れない。
これは、流されてしまう自分と、
ちゃんと立ち止まろうとする自分のあいだで揺れる、ひとりの女の子、みいな(25)の恋の話。
📖全年齢版恋愛小説です。
⏰毎日20:00に1話ずつ更新します。
しおり、いいね、お気に入り登録もよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる